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自己心中  作者: Rio
6/12

6話


 人の感性というのは実に不可解不思議なもので、今まで過剰な程気にしていた事がある時を境に何も思わなくなってしまうのだ。


 "何か大切な線がプツリと切れるように"


 これだけを言葉として受け取ると、まるで理性の手綱を手放してしまったような喪失感ある出来事に思えてしまうのだが、実際のところ脱皮の類であると解釈している。

 過去、己が形成した古い感性を捨て去り、新しい自分になるのだと。要するに成長と俺は言いたい。

 成長をする為には何かを得ると共に、何かを捨てることもある。赤子が発育の過程で四つん這いを捨てる様に成長していく。

 自分の場合はそれが"他者を気遣う"ということだっただけの話だ。だからといって別に親切心を忘れたわけではなく、攻撃的になる訳でもない。

 ただ自分の為に他人を気遣うことに嫌気が刺しただけだ。




 一限の講義室に向かう道中で、後ろから誰かに肩を掴まれた。振り向くと与束が安堵した表情で息切れしていた。


「あー…よかったわー…間に合った」

「おぉ、おはよう与束。どうかした?」

「ちょい二限に出す、考査レポートがさ、まだ終わってなかったもんで…代返頼むわ」


 そう言うと、与束はポケットから学生カードを取り出して俺に押し付けるように渡した。


「あ、悪いんだけどさぁ、ついでに来週なんかテストの詳細みたいなの分かったら、メールで送っといて…んじゃちょっと俺もう行くからあとはよろしく」

「何これ?」


 小走りで回れ右しようとした与束を引き留める。


「ん?どした?」

「いや、何これ」

「おいおーい…いつもの事じゃん。頼むって」

「頼むってじゃねぇよ。自分で出席して自分でレジュメとカードリーダーに通せよ」


 そう伝えると、与束の顔が露骨に不機嫌になった。


「いや…別にいいだろそれくらい。なんだよ急に」

「いつもやってもらってるから今日もするなんて俺が一言でも言ったかよ。レポートが完成してないのも、お前の怠慢だろ?どうしてもやりたいなら内職に賭けようぜ」

「内職って…この講義見つかったらどやされるの知ってるだろ。なぁマジで頼むって─」

「ならどっちか諦めろ。もう大学生なんだから時には取捨選択も必要だろ。じゃ俺もう講義行くからな。よろしく」

「いやちょっ…は?…ざけんなよ…」


 背後から悪態がいくつか聞こえたが、意に介すことはなかった。

 これからは無駄な杞憂で包み隠さず本心でいこう。


 二限、製図講義。今日はテスト前と言う事もあり、提出期限の超過が許されない状況であった。当然生徒側は締切に追われる様に皆、一心不乱にコンパスや定規を手に図面と向き合っている。問題があるとすれば、そのひりついた空気を更に渡部が拍車をかけている、というところだろうか。

 終わらせなければならないのは恐らく向こう側も理解している。だが妥協を許さないあの巌窟な性格が生徒たちのフラストレーションを増幅させているというのが今の状況だろうか。


「お願いします」


 暫くして、俺は書き終えた図面を持っていった。渡部は製図用紙を無駄に丁寧に受け取ると、胸のポケットから眼鏡をかけて図面を舐め回すように睨み始めた。

 数十秒程して、製図用紙から目を離すと、一つ大きな溜息を俺に敢えて吹きかける様に吐いた。図面を俺の方に向けると失笑した様な、或いは小馬鹿にする様な笑みを浮かべながら目線を合わせてくる。


「何が違うか分かる?」


 渡部は俺の顔を見たまま訊ねた。


「…何が違いますか?自分は完璧だと思ったんですが」

「完璧ねぇ?これが?」

「はい」


 即答すると含み笑いをしながら、渡部は図面に指を指して貧乏ゆすりの様に叩いた。


「ここ。端末記号のサイズが小さ過ぎ。前にも言ったよね?」

「え?」


 指摘された箇所を上から覗くように見ると、確かに一箇所だけ見辛いところがあった。恐らくはテンプレートのサイズを間違えてしまったんだろうか。だが、そもそもここは渡部から渡された見本には何も書き込まれておらず、違和感を覚えたがために自主的に補填した箇所だ。


「あぁ、使用したテンプレートが間違っていたみたいですね」

「テンプレートの間違ってさぁ…そんな初歩的なミスで今後大丈夫?ねぇ?」


 ミスを見つけるや否や、渡部の口調は徐々にヒートアップしていく。


「この学部にいる生徒って結局機械系の設計やらに進む訳でしょ?そんな中でこんなお粗末な図面見せられたらどう思う?俺だったらその場で燃やすよ」


 いつもの様にコイツは重箱の隅を突くように、しつこく説教をかましてくる。ミスがある以上こちらに非があるのは確かだが、毎度過剰な程本筋から外れた罵倒をする。


「だいたいさ、端末記号なんて忘れるわけないんだよね。補助線書いてすぐに端末記号書く訳だからさ、要は教えたみたいにやらずに順番バラバラに書いてるんでしょ?」

「…すみません」


 ただひたすらに謝り、この下らない時間が過ぎるのを待つ。嵐が過ぎ去るのをただ待てばいいだけだ。


「いや分かってないでしょ?ホント君だけだよこんなアホみたいなミス。他の人だーれもやってないって」

「誰も?」


 いや、もはや今となっては佇む必要もないか。

 他人へ優しさを振り撒く必要なんてこれっぽっちもありはしないのだから。


「本当に誰もやってないんですか?」

「ん?ん…やってないでしょこんな事」


 半笑いで渡部は答えるが若干の動揺があった。

 

「分かりました。じゃあちょっと全員の製図見てきます。少し待っててください」

「え?ちょ…おい、君」


 その言葉を教卓に残して、俺は教室内を巡回する。ほぼ全員の生徒が怪訝な表情で好奇の目線、或いは畏怖の目線を送りつけてくる。

 教室内を歩き回ると思いの外、目的の物は早く見つかった。可能性は低いがあの指摘された部分に全員達していないと思ったので、ひとまずは安心した。

 卓上の備え付け定規とペーパー式のマグネットで挟んである製図用紙を上から覗く俺に、その制作主である生徒は鬱陶しそうな表情をしながらこちらに振り向いた。


「…あの、何か…」


 口を開いて何かを言ったようだったが、製図用紙からペンが離れた瞬間に俺は固定されたその用紙を無理やりマグネットから引き剥がし、再度教卓へときび返した。

 あまりにも一瞬の出来事だったからか、その生徒は半ば放心状態で抵抗すらしなかった。茫然自失とはああいうのを呼ぶんだろうか。

 取り上げた製図用紙を叩きつけるように教卓の上に乗せて、渡部の見開かれた目を凝視する。


「はい、これです。俺と同じミスですよね。これで少なくとも、俺"だけ"がこんな"アホみたいなミス"した訳じゃないですよね?」

「いや…ちょ、君…これは他の人の製図だろ…勝手に持ってきて─」

「論点ズラすのやめて貰えますか?言った事の間違いを認めてくださいよ、"他にもいたから私の指摘は間違いでした"って」

「…は、はぁ?そもそも何様のつもりなんだ君?講師に向かってそんなナメた態度で威圧して…」

「いや、威圧?というかそもそもですよ?この指摘された部分、印刷が不明瞭ですよ?あの生徒さんもそのせいで間違えたんじゃないんですか?」

「いや…あのさぁ…僕はね、君が間違えたからそれを指摘してるわけで…他責にする前にまずは自分の間違いを─」

「その指摘される製図の見本を作ったの誰でしたっけ?他でもない先生ご自身ですよね?曖昧な物作っておいてよく他責に出来ますね」


 正論を突き付けると、苛ついていた渡部の顔がみるみる紅潮していった。


「おい、失礼が過ぎるぞ!他人のモノを勝手に持っていって、生徒の立場で講師にここまで出しゃばって何様のつもりなんだ!」

「何様って…たった今貴方が仰ったように生徒ですけど」

「なら君がするのは教師にクレーマー紛いな難癖をつけることなのか?ん?違うだろ?ならさっさと席に戻って自分の図面を修正して…」

「は?」

 

 “他人に気遣う必要がない"という考えが後押しをしたのか

 或いは自分が嫌悪していたあのファミレスのクレーマー客と一括りにされたからか。


 気が付けばそんな感嘆詞が口から出ていた。


「いや、まずお前は自分のミスをまずは認めろよ」

「認めろよって…だから君─」

「図面の修正が〜の前に大元の見本にミスがあったんだよ。それをしらばっくれてあろうことかクレーマー?ふざけてんの?脳みそにウジ湧いてんのか?」

「は…?」

「正論言われて勝手にその腐った頭の中でフィルターかけて、相手の話を取り入れようとしないって…今まで準老害予備軍かと思ってたけど予備軍どころか、もはや老害だよお前」

「老害って……」


 恐らく今自分が発している言葉は相当汚いんじゃないだろうか。


 だが、それでいい。


 媚びの皮を被って表向きだけ同調し、慣習染みた何の意味もないやり取りをして自己を擦り減らすくらいなら、無駄な気遣いなんてやめてしまえばいいだけだ。


「それと、確かこの講義ってシラバスで"終わらない課題は課外活動として取り組むこと"って書いてあったよな?なら今日は帰るわ。そっちの方がさ、お互いの為にもなるだろ?」

「いや……ちょっと…おい君!」


 何を言われようがどうでもいい。




 昼休み、俺は珍しくも一人で食堂に出向いた。

 ここの所はあの3バカの顔色を伺いながら、歩調を合わせていたため時間の浪費が激しく、昼飯時は常に束縛状態の閉塞感を覚えていた。だが、今日の食堂に向かう足取りは実に軽やかで、背負っていた謎の疲労は消え失せていた。


 中庭が見える景色に天ぷらとざる蕎麦が乗ったトレーを置き席に座る。いつもなら何の生産性も無い会話のおかげで、伸びてしまう汁物麺類は頼めないのだが今日は何の躊躇も無く頼める。おまけに4人用の席を確保しておく必要もないので、座席数の少ない窓際にも座れる。何と有意義な昼食だろう。

 改めて追想してみると、普段自分の存在が如何に狭苦しく制限されていたかが実感出来る。他人の為に他人の為に…とせっせと勤しんだとて結局はそれが当然だと思われてしまえば自分の行動には何の価値も無くなるのだ。


 多くの時間が失われてしまい実に嘆かわしいものだと哀しくも思えるが、まぁ高額な学習費用…いや、学習時間だとこの際は割り切ればいい。


 実に美味い天ざる蕎麦定食を平らげて時計を見ると、講義が始まる30分前の時刻を指し示していた。

 あまりにも早い。

 いつもであれば、予鈴の音で飯を掻き込むのが大半だが今日は違う。今から図書館で学生推薦の棚から好きな作家の本を選り好みするも良し。来週の課題を予め終わらせるも良し。

 代返バカ舌が酷評していたカフェで人気のニューヨークチーズケーキも、昼の時間であれば十分間に合う。


 まさに有天頂ここに極まれり、と言った所だろうか。たった30分の可処分時間にこれほどの真価があるとは思いもしなかった。

 取り敢えず今日の所は時間に追われない余裕をつまみに、校内の散策でもすることにしよう。


 ふと、出口に向かうとき券売機の列の最後尾ら辺に見覚えのあるグループが見えた。

 間違いない、与束たちだ。

 今から漸く昼飯を買うのだろうか?料理を受け取ったとて空いている席など今更無いのに、何故食堂に来たのだろうか?

 精々下らない気遣いに苛まれながら、労力と時間をドブに捨て続けてもらいたいものだ。



「おはようございまーす」


夜、バイトの時間。昼間に木漏れ陽を浴びながら仮眠できたこともあってか、足腰のしこりが解消されていた。万全のコンディションだ。


「おぉおはよう、威崎くんだったか」


 珍しくも薪浦が料理を受け取るカウンター後ろから顔を覗かせた。


「あれ、薪浦さんどうしたんですか。いつも昼間とかにシフト入ってるのに」

「いやぁほら、グループラインで佐々山ちゃんがさ体調崩して暫く出勤できないっていうもんでさ、店長から急遽夜シフトに移れないかって打診があったから来たんだよ」

「…佐々山さんが?」

「そーそー。佐々山ちゃんが体調不良って結構珍しいよね。いつも元気な感じの人でも風邪引いたりするんだなーって」

「たしかに…そうですね」

「まぁそんなわけだからしばらくよろしく威崎くん」

「あっ、こっちこそよろしくお願いします」


 事務室に行きラインを開くと、与束たちからのメールが数件、バイトグループの方でも数件通知が来ていた。前者は恐らく昼食云々の話なので無視をするとしてバイトの方を見ると、俺の出勤1時間前に佐々山から全体メールが来ていた。


『すみません、朝から体調不良により今週のシフト休まをとらせて頂きます。急な欠勤届で申し訳ないです』


 今週丸々休みとなると、来週佐々山は考査期間で長い休みを取っているので次会う時は再来週か…いや、もう少し後になるかもしれない。


 だがそんな事より俺はこの文面の方に引っかかる。


 急な体調不良ならばまだしも、朝にでも分かっているのにも関わらず、こんなギリギリで伝えるというのはおかしな話だ。


 となると、まぁ恐らくは先週の件を引き摺っているのだろう。


 そう推測するとこのメールがまるで俺に対しての当て付けのように思えてくる。

 佐々山とは無駄な気遣いで距離感があやふやになるのが嫌なだけだったが、少々誤解があるようだ。


 いや、別にどちらに転んでもどうでもいいか。こちらが態々気遣って弁明をしたとて、メリットなど微塵も無いのだから。

 

「よしっ」


一々こんな下らない憶測をしていたら自分の人生が他人の逆恨みに蝕まれてしまう。

 頬を両手で叩き、発破をかけて俺はホールに向かった。


「じゃあ、お疲れさまです薪浦さん」

「はーいお疲れ」


 アルバイトが終わると着替えを済ませて俺は家へと帰る。いつもであれば佐々山が話しかけたりするなどして、早めに切り上げようが元の労働時間に不毛な10分ほど上乗せされてしまう。だが、薪浦が良くも悪くも最低限のコミュニケーションで済ませてしまう能率的な人間ということもあり、終業時刻になるとすぐ上がることができた。


 帰路につき、暗がりの道をぼんやりと眺めながら今日1日を振り替える。


 無駄な友人関係の忖度、教師への表向だけの敬い、アルバイト先の佐々山の件。


 どれもこれもが今まで自分がどれほど他人によって縛られて、どれほどの時間と労力をドブに垂れ流しにしていたのかを体感した。


 結局のところは、どれほど媚びへつらって他者との交流を行おうが何ら意味は無かったのだ。

 他人の為にする善行は巡り巡って帰ってくる「情けは人の為ならず」という上辺だけの偽善用語も、無価値な優しさが誰の目にも暮れられず消えていくことを恐れ、ただ正当化しているために存在しているんじゃないか?


 結局のところ、これは歪みなのだ。


 他者とのコミュニケーションで起きる湾曲した文化。


 "言ってはダメな言葉"

 "やってはダメなこと"

 或いは"この場において言うべきな言葉行動"


 グループで話していて一人が「面白い」と言えば、「面白い」と言わなければその後の会話は続かない。否定すれば自身の居場所は削られてしまうから。


 嫌味と遜色ない講釈を垂れる相手にも何故か「ありがとうございます」と、言わなければならない。それが礼儀だから。


 欲しくもない善意を押し付けられても礼を言わなければならない。頼んでもいないのに。


 

 無駄無意味な優しさを他者に与える度に精神が萎縮していく。

 心を遣う度に酷使された心にヒビが入り、自我が擦りおろされていく。

 そんな事をして場を取り繕い自分を作るのなら、俺らしくやってやる。


 如何なる謙遜もしない。やりたいようにやる。

 自分がいいならそれでいい。






 


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