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自己心中  作者: Rio
5/12

5話


「そうそう。でなんか中庭とかにすげぇ教務の人来ててさ、何かなぁって思って講義1回止まったんだよ」

「俺見てたわ、なんか煙上がってたから放火とか言われてた」

「うーわ治安悪いな。まぁでも講義中断したのはまじでナイスだわ。あの教授めっちゃ面倒だし」


 2コマ目が終わり、俺は柿島や与束や上屋たちと共に食堂で駄弁りながら昼食にありついた。だったので、今日の料理はオムレツパスタ。週末に佐々山と行ったあの店のオムライスを食べてから舌が恋しく、せめて何か近いモノを口にしたいという考えでのチョイスだ。


「うわ、威崎お前の何それ?」


 隣の与束が肉を口に頬張りながら訊ねてきた。確かステーキ丼だったか、学食内でも最上位の値段設定だったはずだ。


「オムパスタ。オムライスが食べたかったけどなかったから、代替品としてコレ頼んだ」

「へぇーまずそ。俺の肉食うか?」

「いや、いいよ。大丈夫」


 与束が言った通り、正直なところ美味しくはない。オムレツは恵方巻き用のパサパサの卵焼きみたいな食感な上、パスタは無駄に味が濃くて全体的にアンバランス。各々が自分の料理に美味そうにありつく中、俺はこのオムパスタを睨み付けていた。

 別に料理に熱い視線を送ったところで味変するわけがないのだが、美味しいと思えないのはこの料理の味以外に要因がある気がした。

 気乗りしないまま手を動かして口に料理を運び、ゆっくりと咀嚼して味わう。絡みついたカルボナーラの甘ったるいソースが身体に染み込んでいき、重くのし掛かる。

 味は確かに甘い。確実に適量オーバーと思えるほど使われているケチャップ風味のナポソース。恐らく卵にも砂糖が入っているだろう。味覚は確かにこのくどく甘ったるい味を認識している。

 だったら何故、この料理からこんな苦味を感じるんだろうか?

 まるでコーヒー豆をそのまま噛み砕いて粉にしながらじっくり味わっているような、ゴーヤの煮汁を越したものを喉に流し込むような、そんな苦味。味覚的な苦味なのか、幻肢痛の様な仮想なのか定かではないが、最早コレは不快の域だ。

 振り返ってみれば、この間の佐々山とのデートの件以降ずっとこの調子だ。味覚を働かせていない時でも常にこの苦味が口全体にへばりついたように離れない。

 辛酸を舐めるという言葉があるが、直喩のまま今の状態に当てはまるだろう。


「なんかスゲェ辛そうだけど大丈夫かよ威崎」


 顰めた顔でオムパスタを睨み付けていると、隣の柿島がこちらを怪訝な表情で見つめていた。


「いや… 大丈夫、多分」

「多分って…それそんなにまずいのか?ちょっとひと口くれよ」

「ああ、いいよ。ひと口とは言わず、十口くらいは」


 柿島は結構な量をフォークに巻き付けると、口を半ば無理やり開いてひと口に収めた。最初こそ目を上に向けながら吟味している様だったが、次第に眉間に皺が寄り始めた。

 そして、怪訝な表情で飲み込むとフォークを置いて一息ついた。


「不味いって訳じゃないけどなぁ…ナポリタンもオムレツもめちゃ甘いな。サイドメニューとかにはまぁ…いいんじゃないか?」

「…800円したんだけど」

「は!?ワンコインじゃないのかよ。じゃ絶対割高だわ」


 柿島は酷評したあと、リフレッシュするかのように自分の味噌カツを頬張った。そして、無造作に俺の皿に一切れ乗せた。


「一応俺も貰ったんだし…それ食えよ。ちょっとはマシだろ」

「ああ…悪い」

「いいって別に」


 味噌ダレのかかったカツを口に運ぶと、甘い味噌の味と華やかな肉の旨みがケチャップの味を上書きしていく。

 美味い。普通に美味しい。下手な冒険心や好奇心で頼むくらいなら絶対にこっちを頼むべきだった。


「威崎のヤツ見て思い出したんだけどさ、俺この間駅近くのとこで、上屋とカフェ入ったんだよね」

「上屋と?与束はともかく上屋なんてカップ麺しか食わないだろ」

「柿島お前舐めすぎ。偶にはそれくらい食うわ」


 揶揄いの先に上屋は射すくめるような視線を向けて反論したが、今も目の前には食べかけのカップ麺が置いてある。


「ごめんて。で、どこ行った?」

「どこだったかなぁ…なんか名前が分からんかったけど、駅近くのちょっとメルヘンっぽい感じのとこだった。なぁ与束?」


 上屋の話を聞いて、俺はその説明と合致する店が脳内で自然に思い浮かんでいた。

 …いや、まさかな。


「あーそうそう。でも中はなんか小汚い感じだったわ。ありゃダメだな。衛生管理なんて序の話なのにそれすら出来てねぇんだから」

「へぇー厳しいな、自称グルメ通」

「自称は余計だろって…あーあれだ、思い出した。店の看板がなんかよく分からん英語で書かれた気がする。印象薄過ぎて記憶に残らなかったわ」

「なぁ…与束、それってさ…もしかして店員って老人だったか?」


 一応の確認の為というか、好奇心の様な、或いは不安を払拭する為か。

 気が付けば言葉が出ていた。


「老人?…あーそうだったそうだった。ジジイとババアがいたな。威崎も行ったのかよ?」

「まぁ……1回だけ。寄り道くらいに…」

「へぇー。ま、俺から言わしてみれば別に美味しくなかったな。味うっすい割に量が無駄に多いから俺半分くらい残して帰ったわ。ぼったくりよな、あんなの」

「俺も同感。マジ薄味過ぎて帰りにコンビニでUFO買って食べたわ。ていうかさ、料理運んでくるまで遅くね?カップ麺の方が早いし美味いし…早くしろって言ってやろうかと思ったわ」

「いや、お前はそもそもインスタントばっかだろ。身体壊すぞ?」

「身体壊してでも美味いもんは美味いんだから。健康なうちに楽しんどくんだよ」

「程々にしとけよ。あ、威崎はあの店で何頼んだんだよ?」

「あ…えーなんだったかな…あー」


 背中に嫌な汗が垂れるのが伝わる。


「…あ、カレーだったよ。カレー」


 手汗も呼応する様に滲み出てきた。


「カフェでカレーかよ。絶対レトルトだろ」

「いや味は…普通だったかな」

「そうか、まぁリピは無しだな絶対。二度と行かねー。てか上屋、パーティ組んで一緒にやらね?ちょっとキャリーしてキャリー」

「いや…俺もうスタミナ足りねぇし、石割れねぇよ」

「あ、なら俺が─」


 周りはそのままソシャゲーの話に移ったので、俺はオムパスタを食べた。

 意識を逸らす為に。自分が言った言葉をできる限り忘却して、記憶から消し去る為に。


 それ以降の与太話が俺の頭の中に入ることは一切無かった。

 



 バイトに行くまでの帰り道、俺は珍しくも1人で帰路についた。理由は単純。今は1人でありたかったから。

 堅苦しいサラリーマンに囲まれながら、葛藤を背負って家へ向かう。いつもならこういう暇な時間には上屋やら柿島がいて駄弁ったり、スマホゲーのデイリーの消化などをこなすが今はそれすらやる気にならない。こっちの理由も単純。やる根本の理由が揺らぎ始めたから。

 昼間に与束が話していた店は、十中八九この前俺と佐々山が行った店とは限らない。もしかすればあの店の近くに似たようなメルヘンチックな店があって、似たような英語の看板があって、似たような年老いた店員がいて……


 そこまで言い訳を並べたところで俺は頭を抱えた。脳裏にはあの2人の老人の和やかな風景、そしてそれを微笑みながら眺める佐々山の姿が浮かび上がってくる。と、同時に胸に締め付けられるような痛みが走る。

 昼間の「苦味」と同じ様な、存在しないであろう幻の苦痛。


 罪悪感


 その言葉が葛藤と共に、俺に重くのしかかってくる。

 それが別に不品行だとかは思わない。俺は今まで集団で自分の地位を確立する為に、溶け込むために、トカゲの尻尾切りの様に大切な何かを切り捨てて生きてきたから。仮にその大切なものが自分の本心だろうと、俺は集団に属せて馴染むことが出来る。そうする事で結果的には巡り巡って得になるのだ。

 多少なりとも差はあるが、人間の行動原理には常に損得勘定が付き物な訳で、ただ俺はあの場の雰囲気に合わせる為に虚言を言っただけでの話。

 ただ、それだけ。

 本心で言ったわけではない。

 俺はそもそもカレーなんて食べてないから。    

 仮に本心だとしても、別に1回ただ佐々山の誘いで行っただけの店だ。義理人情だとか一々気にする必要すらない。もう二度と行かない可能性の方が高いのだから、そう思い悩む必要も気遣う必要もない。

 本当にただそれだけのこと。

 それだけの話だ。


 バイト先に着き、事務室に向かうと扉の隙間から佐々山の姿が見えた。挨拶をしようかと思ったが、部屋からは野太い声が聞こえてきて、すぐに喉奥に引っ込んでしまった。

 入ると室内には、俯いた表情で手を腹前に組みながら突っ立っている私服の佐々山と、訝しげに書類に見つめる店長がいた。


「あ、威崎か。丁度よかった」

「おはようございます店長…どうかされましたか?」

「ああ、それなんだがな、お前この前の木曜日に佐々山と客が揉めたろ?その一件でちょっと本部からコンプラ不備の報告書類が来てたんだよ」

「コンプラ…ですか」


 木曜というとあの中年のクレーム客か。怨恨を残す様な言い方をしてしまったのは確かに自分の落ち度ではあったが、まさか報復をしてくるとは。


「時間的にあのお客さん、退店したあとすぐに本社に直電かけて、苦情電話を何時間も話してたんだって。まぁ…今回は店内カメラの映像もあったしそれなりに本部も融通利かせてくれたらしいんだけど…一部対応に関しての書類作成はしなきゃいけないってなってね」

「そういう訳で、その日のシフトにいたヤツの印が欲しいってだけだ。まぁ…そんなに重大な事じゃないんから安心してくれ。今時ああいうカスハラみたいなクレーマーに企業が素直に頭下げる時代も終わったからな」


 店長は机の上に置いてあった1枚の紙を差し出した。紙には長ったらしい文面がつらつらと書かれており、下の方には“再発防止に向けた具体案"という欄がご丁寧に設けられている。

 

「まぁ…なんだ。終わった事をぶり返すつもりも無いし、相手がクレーム客で理不尽な要求もあるのは分かるんだよ威崎。だけどもうちょい上手くやってくれないか。こうやって手間も増えちまうからさ」


 店長は穏やかな口調で話していた。恐らくは本部とこの店舗間で既に話は済ませており、あとは俺の見かけの詫言を書くだけなのだろう。


「…あの、すみません。自分の対応がまずかったのは重々承知しているんですけど、具体的にはどこがダメだったんですか?」

「具体的には…っていうか、まぁそもそも客のクレームが入った時にはその客の思い通りにやらせとけばいいんだよ。一応向こうがサービスの対価を得る為の金は払うんだからな。お客様は神様ってわけじゃないが、こっちが要求したりするのは本来得るべき筈のサービスの種類を減らしてるってことになる」

「いや、ですけど今回は…」

「分かってる。今回の件なら喫煙と…見本との差異か。まぁ料理のクレームだけなら2皿目の無償提供で済ませばいい。だが禁煙とかの迷惑行為をする客にはな、取り敢えず注意をだけしとけばいいんだよ。それでももし止めないなら警察なり呼べばいい。こっちには警告はした、っていう言質があるんだから俺たちは、過度にそういう客と接して退店を促したりする必要はないんだ。いつでも対処なんて出来るんだし」


 店長は宥める様に説明するが、どうにも納得することができない。それでは客と店側のチキンレースになってしまう事など容易に想像できる。何より…


「じゃあその間もしその人が違反スレスレのことをして、禁則の揚げ足取りしてる間に他の客に迷惑が掛かったらどうするんですか?多数に迷惑がかかるより、1人をさっさと退店させる方が店にとって圧倒的に利益になるじゃないですか」

「そりゃそうさ。出来るならそれが最善だろうよ。だけどな威崎、クレーム客が出鼻を挫かれておめおめ引き下がると思うか?」

「それは…」

「アイツらはな、この店では自分の持論を突き通せないって分かると矛先っていうか、目的がいつの間にかすり替わり始めるんだよ。"どうにかしてこの店にひと泡吹かせたい"っていう目的にな。どれだけ向こうに非があろうとももうこの時点で、時間を割かれた時点で企業としちゃあ損益だ。それにこのご時世企業コンプラやらも"上っ面だけの外観"って、ひと言には言えなくなってきてるのはお前くらいの世代が1番分かるだろ?」


 大概シフト時間を削ってまで説教をするときは怒鳴り付けたりするのだが、自身も思うところはあるのだろうか、控えめな口調で今回の事を懇ろに言い聞かせた。


「でも店長。確かに勢弥君が言ったみたいに、企業が対応することもそれだとやったもん勝ちみたいになりません?」

「そうだな…基本的には良心を信用するしかないからな、クレームや迷惑客の対処法なんて存在しないんだろうよ」

「えっ…じゃあ本当にやったもん勝ちじゃないですかー」

「まぁ…そういうことになるな」


 店長は椅子に深く座り直して溜息を吐いた。


「基本的にな、接客業なんか客を信頼するところから始めるんだよ。無銭飲食やらマナーやらいちいち監視なんて絶対無理だ。だけど客の中にはルール違反やら規則の穴をつく奴だって出てくる。そういうとき俺らに何ができるか。んなもん、性善説を信じるしかないんだよ。自分の感情無理やり抑えつけて、どうにか自分を納得させて働く。それがこの仕事なんだよな」

「大変ですねー…」

「ホントだよ…まぁそれが労働ってもんだな」


 切り替えるように店長は手を叩くと俺たちを仕事場に促した。


「じゃあそろそろ戻れ。佐々山はバッシングまだ片付いてないから早くやってこい。威崎はそれ書いたら机の上に置いといてくれ」

「了解ですー」

「…分かりました」


 そしてそのまま2人とも事務室を足早に出ていった。

残された俺は、渡された紙にひと通り目を通した。


『今回の事案が起きた原因』

『再発防止の案』

 

 形式的には報告書に当たるとだろうが、文面に書いてある事は殆ど中学時代に書かされた反省文が堅苦しい言葉になっただけのものだ。

 静まり返った中、ボールペンの滑る音だけが耳の中に入り込む。ただひたすらに面倒な作業。事故のようなものでありもしない原因を"客"以外から書かなければならない。おかしいと理解しているのに、自分の私情を押し殺さなければならないこの歯痒さ。まだ働いてもいないのに疲労感が既にピークに達している。

 そんな面倒事を処理していたその時、部屋のドアが開いた。


「おつかれーってあれ、威崎君じゃん。どったの?」


 入ってきたのは川内だった。思わず嘆息が漏れる。


「あ…どうも。お疲れ様です…」

「ん、何それ?」


 どうにか意識を別の方に向けさせて報告書から注意を外させようとしたが、川内はそのままズカズカ踏み込んできた。上から見下ろす様な姿勢が妙に鼻につく。


「あれ、反省文じゃーん。なになに?やらかしちゃった?」

「…まぁ…一応。クレーム対応で間違えてしまいまして」

「あぁクレーマーね。やっぱし」


 川内はエプロンを外しながら失笑するように言った。


「やっぱりってどういう…」

「それ、俺も書かされたんだよね。2年前だけど」

「えっ、川内さんがですか?」


 川内はいつも飄々とした感じで鬱陶しさこそあるが、常に捉え所のない打算的な人間だと思っていたので、この返答はかなり意外だ。


「てかそもそも俺、元の担当ホールだよ。そっから人いないからってことで、キッチンに無理やり変えられた。まぁそれ以前に接客でちょっとやらかして反省文書かされたから、どっちみち好都合だったし」

「ホールだったんですか…あーでもキッチンで指示してくれるときとか、ホールの職務内容の冊子にしか書かれてないことを知ってる時はちょっと不思議でしたし、なんとなくそんな気はしましたけど…」

「指示ねぇ」


 エプロンを脱ぎ捨てて着替える川内は妙にいつもと雰囲気が違った。


「ぶっちゃけ言うんだけどさ、威崎君って俺のこと嫌いでしょ」


 唐突な問いに思わずペンを書く手が止まる。川内は振り返らなかった。ただ、ポツリと呟いた。それでも核心に踏み込んでくる問いなのは互いに理解してだろう。


「…なんでそう思うんですか?」

「なんでって、んなの簡単だよ。俺が嫌われる様なことしてるから」


 至極当然と言わんばかりに川内は平然と言い放った。


「嫌われる様なことをしてる自覚あるんですね」

「そりゃね。んで、どうなの。嫌い?」

「いや…嫌いってわけじゃ……じゃあ逆に聞きますけど、川内さんは俺のことが嫌いなんですか?」

「優柔不断だねぇ、別に俺はどうでもいい。自分以外に興味ないからさ。釣り合わないからね。よっこらせ」


 川内はエプロンを洗濯かごに放り込むと、俺の隣にパイプ椅子を持ってきて、どかりと座り込んだ。


「君、じゃなくて威崎君と俺じゃ価値が違うんだよ。時間の価値がね」

「…はぁ」


川内と会話をすればするほど苛立ちが湧き上がってくる。これが故意に言っているなら割り切れると括ってはいたが、このペテン師面と粘度の高い口調が煩さを加速させる。


「そんな呆れ顔しないで欲しいんだけどな。たまには腹割って話せばいいのに。そうやって濁したりして回りくどい言い方するだけ労力と時間の無駄だよ?」

「時間の無駄って….さっき自分で"時間の価値が〜"とか言ってたの忘れたんですか?」

「うん言ったね。俺と威崎君じゃ時間の価値が釣り合わない。だからこそ俺は他人の為とかに貴重な時間を使いたかないんだよね。遠回りな言い方して時間が失われていくのなんか凄い悲しくなるし」

「じゃあ今この時間はなんなんです?アンタのその俺より価値のある時間ってのは他人を煽る為のくだらないものなんです?」

「まぁそうなんじゃない実際?」

「なら、それこそホントに文字通り時間の無駄じゃないですか。無意味でしょこの会話?」

「うんそうだね。俺は今こうやって無駄に時間を費やしてる。で、威崎君はその貴重な時間とやらを俺に投資してくれてる。こりゃなんだろう…loselose?なんか面白いな」

「はぁ…?」


 責め立てる様に、捲し立てる様に、川内に話すがそれらはのらりくらりと交わされている。   

 コイツと会話をしているはずなのに、まるで俺が独り言を話しているような薄気味悪い感覚だ。


「あーなんか勘違いしちゃってるみたいだけど、俺の時間の方が価値が上だと思ってる?」

「…何が言いたいんですか」

「釣り合ってないんだよね。威崎君の貴重な貴重な時間と俺のゴミみたいな時間は」

「ゴミみたいな時間って…今度は自虐ですか?」

「じゃあ俺も逆に聞くけど、他人に仕事を押し付けながら自分はサボってる様な人間に価値があると思う?」


 得意満面な口調で川内は訊ねた。自分を貶すためにここまで長い前振りをしてくる人間はコイツ以外にいるんだろうか?

 川内は俺が答えられないと分かるや否や、足を机の上に乗せながら仰ぐ様に天井を眺めた。


「俺は他人の為に尽くさない。何故か?そんな余裕が無いからだよ。自分の事で手一杯な奴が他人に助力しようなんて馬鹿げてる。おまけに時間にも追われてるときた」

「別に時間に固執する必要はないでしょう。皆んな時間の価値なんて等しいですって」

「あっはは。もしかして威崎くんって俺が想像してるよりバカなのかな?」


 ホントいちいち鼻につくような言い方をするな、コイツは。


「分かってないみたいだからこう例えよう。大手企業の社長は1時間で何百万の利益を出す。肩や一方で、家から一歩も出ないニートはただ他人の財産を貪り食って、掲示板で他者を罵ったりして自分の価値を相対的に上げようとする。そんな両者の時間の価値が等しいと思う?んなわけがない」

「じゃあ、上げればいいじゃないですか。その時間の価値を。単純なことでしょ」

「それを一時期はしてたさ。でも、なんていうかさー馬鹿みたいなんだよね。時間の価値を上げるって、要は他人に対して何かをするだとかそういうものなわけでしょ。媚びへつらいながら思ってもない戯言並べて。何より疲れるんだよね」

「疲れるって…」

「で、考えたんだよ。"そういうこと"をせずに自分の価値を上げるにはどうしようかって。行き着いた結論は自己研磨だ。自分の為に他人に善行をするって話はあるけど、それが巡り巡って自分に還元されるとは限らないだろ?なら自分が自分の為に善行をすればいい。だって俺は俺を絶対に裏切らないから!」


 高らかに宣言する川内。不明瞭で意味不明な論理だと思ったが、話すことには一理あった。他人の為に尽くさず自己の為に尽くす。嫌われる行為なのかもしれないが、そういう選択肢もあるのは確かだ。


「…それで、その"自己研磨"とかいうマルチ会員が使う様な言葉ですけど、具体的には何をしてるんです?」

「酷い拡大解釈だなぁ。まぁ具体的には俺今大学3年で就活の準備迫ってるから、取り敢えず資格取ろうと思って」

「……なんていうか…安直ですね」


 あまりに愚直過ぎる回答に返事が思いつかなかった。だがその反応を予測していたかのように川内は食い気味に反論する。


「って思うでしょ?でもこれでいいんだよ。他人に尽くして労力と時間が無駄になるくらいなら、自分に尽くす。それは絶対自分の為になるから。ある意味では、それに気付かせてくれたのはこの店だったのかもしれないなぁ。ホールでクソみたいな奴らに気遣って、自尊心無理やり捻じ曲げながら頭下げて…早くに目が覚めて良かったよ」

「…そうですか。よかったですね」

「威崎君も1回やってみれば?スカッとするよ?客の喧嘩を買うの。喧嘩売るのも媚を売るのも…生涯営業職やるわけじゃないなら、売ることより買うことも重要になるよ?」

「お断りです。早く帰ってその資格勉強とやらに励んでください」

「はいはーい」


 ヘラヘラと笑いながら川内は荷物を纏めた。退勤しようとしたとき、何かを思い出したような素振りをした。


「あ、そういえば、威崎君って凄い他人のこと気にして見えるけど疲れたりしないの?」

「…なんで俺のことそんな詮索するんです?他人のことはどうでもいいんでしょ?」

「別に?単純な疑問。薪浦さんとか店長とかと話してる時、いつも貼り付けた様な薄気味悪い笑顔浮かべてるなぁって思って。特に佐々山さんとかと話してる時は凄い露骨だよ?」


 "佐々山"というワードが聞こえて思わず身構えた。


「薄気味悪い笑顔って………そんなつもりあるわけ」

「ならいいけどね。言ってくれた通りホント他人のことどうでもいいからさ。ま、でも今みたいにもうちょっと堅苦しい感じ減らして、ラフな生き方してた方が楽だよ?」


 弁解の間も与えず川内は食い気味に講釈を垂れ流した。


「…余計なお世話ですって。ホント」

「ごめんごめん。んじゃ、赤べこみたいな労働精々頑張って」

「激励なんですそれ…?ていうか赤べこ?」

「俺なりの激励だよ。ほら、サラリーマンはみんな馬鹿みたいに頭下げてるでしょ?それと同じ」

「もう分かったんでとっとと帰って下さい」

「はいはい、じゃお疲れー」


 最後まで主旨の掴めない言葉を言いながら川内は退勤していった。

 

「…ホントに余計だろ」


 扉に向かって嘆息混じりに呟いたその言葉は、頭の中に無理矢理詰め込まれた川内の論説に一瞬で溶け込んでいった。





 


 従業員用の裏口から出ると、自販機横で佐々山が猫の様に伸びていた。


「うわっ!あ、勢弥君かぁ。お疲れさん、店長かと思ってびっくりしちゃった。」

「今日は…すみません、遅れて。思いの外報告書が手間取っちゃって」

「いやいや全然大丈夫。今日凄い暇でオーダーも来ないから、久しぶりに食器棚とか予備の調理器具とか整頓できたし」


 売り場に行ったとき、佐々山は紙タオルにアルコールをつけて一つ一つ丁寧に磨いていた。ああいう時間の潰し方もあるのかと思わず感心した。

 

「改めてなんだけどさ、先週はありがとねー私なんかの予定に付き合ってくれて」

「大丈夫ですよ。基本的に土日はバイト以外暇なんで。佐々山さんこそ俺なんかに時間使っていいんですか?」

「ん?私?」

「シフト表見たとき来週丸々空いてたんで、テスト近いかと思ったんですけど…まぁ俺も人のこと忠告できる立場じゃないんですが」

「あーそうそう、来週にね。まぁ1週間あればどうにかなるかなって。普段の講義受けてればそんなに難しい内容じゃないし。心配ありがとね」


 そう言って佐々山は笑顔でサムズアップをした。本人がいいなら大丈夫か。


「選手の遠出の事なんですけど、佐々山さん…この前食べに行った場所あったじゃないですか」

「あーあの喫茶店?それがどうかしたの?」

「あ、いえ…やっぱり美味しかったなぁと」

「だよねー!…でも正直、喜んでくれないかと思ってたからさ。あんまりニッチなとこ行って友達にドン引きされたこと結構あったし」

「あーそういうのありますよね。俺も結構前に趣味の話熱弁したらドン引きされましたよ」

「分かるそれ!やっぱり趣味が合う人を持つべきだよねー。変に話合わせて気遣う必要もないし。お互い興味ない話頷きながら聞いてるのってなんか変だし」

「たしかに、そうですね」


 表面は賛同していたが、俺の心のは反発していた。それにしてもさっきの川内にしろ佐々山にしろ、なんなんだこの「他人への忖度がまるで悪」とも言わんばかりの風潮は。

 人なんて会話を繋げるためには気遣いの一つや二つ、平気でするだろうに。


 なんなら…今こうして佐々山が話している言葉は本当に心からの本音と断言できるものだろうか?


「佐々山さんに感謝ですよホント。また近いうちに行こうかって考えてるところです」

「そんなに気に入ってくれたならこっちも大満足だよーまた日が合ったら行きたいねー」

「そういえば一つ…あ、いやニつ聞きたいんですけど」

「んー?どしたの?」

「あの、どうでもいいかもしれないんですけど、あのお店にカレーライスってありました?」

「ん?カレーライス?いやぁ多分無かった気がするけど…あ、たしかあの喫茶店サイトやってるから見てみる?」


 佐々山は懐からスマホを取り出して調べ始めた。


「んーと…どこだどこだ……あ、あったよ。ココ」


 渡されたスマホには、全体的なピンクの配色のサイト上に丁寧に料理の画像が並んでいた。よく見ると、それぞれのフォントは不均衡でバランスが悪い。

 上から徐々にスクロールしていきながら目的のカレーライスを探す。一瞬ではあったが、俺が食べたオムライスや佐々山が頼んだグラタンなどが視界を通り過ぎていったのが見えた。

 メニュー欄は徐々にメインディッシュからライトミール、サイドメニューへと切り替わっていくがカレーライスは無い。喫茶店くらいにならあると思ったのに。

 横のバーが底に近づいていくにつれ、心の中での焦りが肥大化していく。だが何に焦っているかは分からない。

 スクロールし続けてデザートメニューが見え始めたとき、画面がそれ以上下がらなくなった。どうやらこれで全てのようだ。


「カレーライスあったー?」


 横で佐々山が画面を覗いた。


「いえ、無かったです…すみません、ありがとうございます」

「大丈夫だよー。でもなんで急にカレーライス?なんか食べたかったとか?」

「いえ…その、友人がカレー好きなんで…」

「あーなるほど!カレーライスは無いみたいだけどねー確かハヤシライスはあったよ?前食べだけど、凄い野菜の甘さがあって美味しかったなー」

「あ…そうなんですか。今度じゃあ…行くとき食べてみますね」

「ぜひぜひ!セットでチーズソースもおすすめだよー」


 多分、メニューにカレーがあれば与束たちに言った事が嘘じゃなくなるとでも俺は思ったんだろう。仮にあったとしても、そもそも注文したのはオムライスなのに。

 それともアレか?「カレーライスが普通」と、言えば注文はしていないから嘘として咀嚼出来るが、「オムライスが普通」と言ってしまえばそれが既成事実の本心として、与束たちに消化されてしまうからだろうか?

 いや、そもそも俺は何故嘘をついてしまったんだろうか?

 正直に一言「オムライスが美味かった」と言えばいいだけなのに、どうして言わなかったんだろうか?


 その場の空気?あんな奴らに合わせるために?別に連んだところでメリットが無いのに?

 なんでだ?どうして?


「あ、それでもう一つはなんだったっけ?」


 佐々山が思い出したように呟く。


「……あぁ、いや…なんでも……」

「逆に気になっちゃうよーそういうのー。気遣わなくていいから教えてよー」


 "気遣わなくていい?"

 ホントか?それ?


 本心か?場の空気を読んだりしてないか?思いやりと見せかけた偽善?取り繕っただけの嘘?何にも考えてない条件反射の言葉か?




「疲れません?"それ"」



 そうやって自分の本心をひた隠しにしながら話すの、疲れるだろ。


「ん?疲れる?」

「佐々山さんって、優しいじゃないですか。人のやらない事率先して引き受けますし、困ってたら助けてくれますし」


 佐々山、お前ってなんか凄い"その場にピッタリな言葉"を話すよな。


「いや、優しくないよー全然」

「優しいんですよ。それも凄く」


 なんか会話のテンプレみたいなのが脳みそに叩き込まれてんだろうな。


「だから、我儘とは無縁っていうか本心を殺してるっていうのが正しいか分かりませんけど…俺、見てて辛いですよ。嫌なのに無理矢理引き受けてる感じがして」


 で、ソレ見てて毎回毎回思うんだが、見ててイライラするんだよな。状況にもイライラするし、あたかも「私は頑張ってるから自己投影して共感してみて」みたいなアピールみたいでイライラする。


「無理矢理かぁ。んーそんな事ないよ?役に立てればそれで…」

「本心ですか?それ」


 本心じゃないだろ


「本心って…うん、本心だよ?」

「気遣ってません?」


 その気配り、やめてくれよ。反吐が出る。


「結果的にそうなってるかもしれないし、ちょっとは気遣うけど、別に特に深く考えてもないよー」

「全部本心で話せばいいじゃないですか。別に相手のこととか、自分のことを優先すべきじゃないですか」


 してんだろ。


「全部本心かぁ…いや、全部本心はその…ちょっと」

「つかってるんだろ」


 過度な気遣りなんてストレスですし、もっと自分を大切にしないと。



 え?



「…え?」

「そうやって、自分の本心押し殺して、どうせ全部虚言だろ?」


 いや、違うだろ。

 それは言ったらダメだろ。



「虚言って…勢弥君急にどうしたの?」


「どうもこうもない。ただそういう"取り敢えずそれらしい言葉でその場を取り繕っておこう"っていう魂胆が見え透いてるんだよ」


 それを言ったら、


「いや違うよ!え…ホントに急にどうしたの?さっきまで普通に」


「条件反射でただそれっぽい言葉を口に出してるだけ。微塵も思ってもないだろ」


「……微塵もって…あっごめん!気に触ること言ったなら謝るから…だから」


 いや?

 なんで言ったらダメなんだ?


「そういうとこだよ。取り敢えず良い言葉で自分を固めて、偽善振り撒いて。どうせ見返り望んでるくせに」


「偽善なんかじゃないってば!…ちょっと、ホントにどうしたの?さっきまで普通に話してたのに…」


「そりゃ気遣ってやってたから。会話が成り立つように手直ししてただけ」


 気遣う必要なんて無いんだから別にいいんじゃないか?


「え…?じゃあ、何なの…?嘘ついてたってこと?」


「そりゃ嘘だろ。嘘ついて会話が弾むんなら百でも二百でもつくだろ」


「嘘って…そんなサラッと言うの……」


「佐々山だって今まで嘘で塗り固めてきただろ。俺だって同じだよ」


「…嘘じゃないよ。本心なんだってば…」


「見苦しいって。思ってもないこと言って"ただしたいことしてるだけ"って、ただの詐欺師だろ」


「…………」


「自分の理想像立てて、その後ろに隠れてるのがタチが悪いんだよ。それで相手がぬか喜びさせて、それで"自己満足の行動"とか片腹痛いにも程があるだろ。なんでお前の上っ面な善意に利用されなきゃいけないんだよ。向こう側は本気で感謝してるのかもしれないのに、お前は偽善を与えて"優しくしてる自分"を愛でてんだろ?気持ち悪いなんてもんじゃない。反吐が出る。なら最初から本心で全部話し」


 乾いた音と共に頬に鋭い痛みが走った。

 視界が暗転する。



「………ごめん」



 怒りを押し殺す様に、震えた声で佐々山の口から発せられた言葉は謝意であった。

 目の前にいた佐々山は泣いていた。



 頬を濡らして肩を僅かに震わせながら涙を流すその姿は、不思議なことに展望台で見た時よりずっと美しかった。


 

 佐々山は俺の目をじっと直視した後、背を向けて走っていった。



 その姿が見えなくなるまで、俺は見届けた。



 そして完全に見えなくなったとき、憑き物が落ちたように俺は晴れ晴れとした気分になった。


 




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