第一話:血染めの少女
天保暦嘉永六年、長年に渡る日本の鎖国は海の向こう米国から来た黒船によって、破られた。故に外国の侵攻が始まった。
その時代に外敵に立ち向かう武士がいた。
その時代に外敵に怯える大名がいた。
その時代に日本の世を案ずる学者や思想家がいた。
その時代に日本の夜明けを願う一人の侍がいた。
様々な者が激しい変化の中で己の意思を貫こうと、知略を巡らす。
激動の時代ここに在り。
そして、とある少女もまたこの時代で命を懸けて、戦う。
【京都・伏見にある大衆居酒屋「弁天」】
江戸や大坂に次ぐ日の本第三の大都市京都の中にある伏見は酒造が盛んな宿場町であり、居酒屋で賑わう場でもあった。中でも一番人気は他の居酒屋よりも広い面積を誇る大衆居酒屋「弁天」。その店には京都中の有力者から貧しい吞兵衛まで集い、京都一の賑わいを見せた。
その店内の客たちの中に白い三角模様を塗られた水色の羽織を着た男が様々に綺麗な着物を着飾った女子たち四人に囲まれ、会話をしていた。
「それで俺は波来る攘夷志士どもを菊一文字で斬りつけ、五月蠅い罵声を黙らせたのさ。そんで、近藤局長が“あっぱれ、沖田! 数多の浪士を一瞬で倒すとは! お前こそが新撰組の期待の星だ! ”とね。」
「え~~、ほんまの話なん? その話、嘘臭いわぁ。」
「ほんとほんと、この新撰組一番隊隊長沖田総司様が言うのだから、間違いない。」
「やだ~、沖田はん。話が上手やわ。しかも、えらい美男子やなぁ。」
「ははっ、美男子だなんて、いい誉め言葉だ。」
新撰組と言えば、この京都を拠点に攘夷浪士を取り締まる剣士たちの組織で、彼らの中でも沖田総司はその組織の中でも腕利きの剣士だったそうで、最近では彼が新撰組の中でも一番の美男子と噂されている。
沖田総司と名乗る男は確かに顔だけ格好が良い姿であるが、真面目とは言えず、どちらかというと、どこか胡散臭さを感じる。
ここにいる女子たちは彼を本物と信じているのか、はたまた、彼の美貌に惹かれたのか?どちらにせよ、彼女たちは彼が本物であろうと偽物であろうと彼に満足している。
「ところで、鬼の副長の土方歳三って言う男はどういう人なん? あんたさんと同じ美男子って言う人やけど?」
土方歳三、新撰組の局長近藤勇を支える右腕であり、攘夷浪士を誰よりも取り締まり、時には苛烈に殺すことから鬼の副長と呼ばれる。
「嫌々、あんなおっかない人は早々に女にモテないし、堅物でつまんない男だから期待しない方がいいよ。」
自らの上司である土方歳三を知ったかぶりで貶す男に対し、質問した女子は少し残念がった。
「そうなんやね。期待通りじゃないのは残念やけど…」
「安心しな、俺が一番期待通りだからな。」
「沖田はんはやっぱり素敵やわぁ。」
男は天狗の鼻のように景気付き、女子たちを喜ばせる。
「そうそう、実はこの夜に開いている甘味処があるんだけど。しめの甘いものを食べに行かない?」
「うち、食べたいわぁ。」
「そんなんやったら、うちも。」
「ああ! 二人とも抜け駆けさせへんで!」
「うちも、うちも。」
「そう、そう、みんなで行こう!」
男が女子たちを連れ、席を立とうとすると、
「すみません。ちょっといいですか?」
「ん?」
一人の女子が弱弱しく現れた。その少女はぼろい赤紫色の着物を着ていて、この国では珍しい桃色を帯びた赤色の総髪と病人のような白い肌を持ち、瞳は血のように赤かった。
哀れさを感じさせるほど誰よりも弱弱しく見える少女は一人の男にこう言った。
「すみません。あなた方の話を聞いていたのですが…あなた、新選組の一員なのですか?」
「ああっ、そうだ。俺は何をかくそう新選組一番隊隊長おき…」
「土方歳三様に合わせて下さい! お願いします!」
男が名乗る前に土方歳三という隊士の名を口にした少女に対し、男は呆れるほどに驚く。
「はっ!? おいおい、ちゃんと聞いてたのか? お前の思っているほどの美男子じゃ…」
言葉を濁す男に対し、少女は他の女子たちよりも輝かせた目で男を見つめ、一歩前に出る。
「いいえ、私は土方様が好きなのです。だから、会わせて下さい!」
「えぇ…」
純粋な瞳で必死に男に強くせがんだ少女に対し、男は頭を掻いて、こう言った。
「分かったよ。なら、君も俺たちについて来てね。いい甘味処があるから。」
「はい。分かりました。」
こうして、少女は女子たちを連れて行く男について行った。しかし、少女が男の後ろ姿を光無き瞳で睨んでいたことを男は知らない
【京都・町外れ・通り】
沖田総司と名乗る男がまだ幼い女子たちを連れたのは不気味な恐怖と胸騒ぎが混じる闇夜を写す世界であった。しかも、所々見かける建物は全て朽ち果てた最近の遺物のようであった。
「ねぇ、本当に甘味処がるのかしら?」
「ここって、京都中のならず者たちが集まる下賤な所じゃないかしら。」
「何で私たちはこんな所に来たの!?」
「大丈夫よ、何があっても、沖田様が守って下さるもの。」
女子たちが恐怖を紛らわすために各々ひそひそ話をする中、一人の少女はただ寂しく静かに当たりを見回した。その瞳にはさっきまでの純粋なものではなく、何かを警戒する構えが感じられる。
そんな彼女たちに男はこう囁いた。
「君たち、俺が守るって思ってるの?」
「え?」
「違うね。俺たちが…」
男が不気味な声色で話した時、ざざざと何かがこちらへ向かう音がした。しかし、時すでに遅し。女子たちの周りをどこからともなく現れた屈強なならず者たちが囲んだ。
「君らを襲うんだよ。やれ、お前ら。」
「はいよ。旦那。」
一人の男の声と共にならず者たちは女子たちを襲った。
「きゃぁぁぁぁ!」
女子たちの叫びは誰にも届かず、闇夜へと消えた。ただ一人少女だけは悲鳴を上げなかったことを女子たちはもちろん男たちが知る由もなかった。
その一方、女子たちを拉致する悪漢共を建物の物陰で見守っていた影が存在した。
「あーあ、面倒くさいことになってるっすね。私らの切り込み女隊長を名乗る男がいると思ったら、まさか、人攫いをするとは、こちらの面子が立たないっすよ。」
影の声は目の前で起きてることを意に介さず、気だるそうで、妙にやる気を感じられなかった。
「まぁ、ここから行くとすれば、あの無駄に大きい酒蔵だけっすね。あとは局長たちを呼ぶだけっすけど…」
「そうか、あそこなら三方で囲みやすいが、問題なのは後方に抜け道があるかどうかだな。」
「うぎゃーーーっす!? 藤田さん!? いきなり声を掛けるのはやめてほしいっす!?」
突然の声に驚く影、それよりも奇怪なのはその声が風の声か、妖の囁きかのように虚空から生じたものであり、声の持ち主の姿形おろか、気配さへも感じない。影の意を気にせずに淡々とその声は話し続ける。
「というか、話し掛けるなら絶対に気配を現してから、声を掛けて下さいって、口が酸っぱくなるほど言ったっすよね!」
「この前、気配を現したら、猫のように飛び上がって、髪を逆立てたから、意味がないではないか。というか、お前は忍びなのだから、これくらい気づいて当然だろ。」
「あんたの場合、没落した幕末の忍びどころか、著名な戦国の忍びより、気配を消す素人なんすよ! どうしたら、あんたみたいな化けモンみたいになるんすか!」
「どうしたらだと、知らん。数えるのをやめるくらい塵屑のような下衆共を斬り殺し続けたら、そうなるだろ。これ以上の無駄話し、奴らを取り逃がし、俺たちが切腹でもされ、局長を笑い者にされる前に結果を伝えるぞ。」
「ちょっ!? あーー、もう! 相変わらず、消極過ぎて、ムカつくっす! これだから、うちの上司は…てっ、少しは待てやゴラァ!」
その影と虚空は宙に高く飛び、屋根へと飛び乗った。月明りに映し出されたその正体は浅葱色のだんだら模様の羽織、白稲荷のお面、黒く輝く双髪、紫色の襟巻、そして、腰に携えた刀。彼女の姿は異様な剣士と見る。そして、彼女の前には彼女と同じ羽織を着ている藍色の短髪と鋭い眼光の瞳を持つ殺気に満ちた青年が瞬きせずとも突然現れた。
「あの男、ずいぶんとうちの副長を罵りましたもんね。あの人は気にしませんけど、あの人を愛する先輩は…、まぁ、いいっすけどね。」
そう言った瞬間、彼女の姿は幽霊の如く虚無の内に消した。まる
で、最初からいなかったかのように。
【京都・町外れのぼろい建物】
女子たちが連れて来られたのはかつて栄え、今では廃れた天井の高い酒蔵だった。所々に蜘蛛の巣や建物のがたが見られ、埃が月夜に照らされ、女子たちは縄に縛られ、男が率いるならず者たちに囲まれた。
そんな女子たちが恨めしそうに睨んだのは好青年の化けの皮を剥いだ下劣な男だった。
「あなた、新選組の沖田総司じゃないの!?」
男は開き直ったように下劣な笑みを浮かべ、答えた。
「ああ、違うよ。俺はそんな男を知りもしないし、知りたくもない。何故なら、俺はそいつよりいい面してるからな。だから、騙されたんだよ。小娘共が。」
男がけけけと笑う中、ならず者のうち一人が男と同じ笑みを浮か
べ、しゃしゃり出た。
「旦那! 早い所、この女共を外国に売りつけようぜ! それで、たんまりとお金がもらえる!」
「そうだな。だが、まず…」
自らよりも巨躯な男たちに、自らよりもか弱い女子たちに対し、嘲笑うかのように吐き捨てる。
「まず、品定めをしないとな。まぁ、途中で壊れても、埋めちまえばいいんだからな。」
その男が放った鶴の一声にならず者たちは鼻息を荒くし、大声を上
げる。
「さっ、流石でやす! 旦那! 」
「ぎゃはははっ! てめぇら! こいつらと遊ぼうぜぇ! 」
「「「おおおーーー! 」」」
獣のように襲うならず者たちを前に女子たちはただただ悲観的な叫びを上げるしかなかった。
「いっ、嫌ぁ! 誰か助けて!」
「お父様! お母さま! 言いつけを破ってごめんなさい! だから助けて!」
襲う者と助けを乞う者が混ざり合い一種の地獄が生まれた。
「おいおい、どんなに叫んでも助けはこないぜぇ! 何故なら、ここは俺たちの縄張りであると同時に、隠れ家だからな!」
「そうだぜ! 旦那の所のお偉いさんのおかげで幕府は手も足もでねぇからな! がはははっ!」
「嫌ぁぁぁぁ!」
犯そうとする男たちの笑い声と抗えない女子たちの悲鳴が交わる中、一人の少女は恐れることも、絶望することもせず、ただ、静寂を保っていた。その姿はまるで闇そのものであるように下劣な男がその領域を踏み入れるまでは。
「おい、何で黙ってるんだ。もしかして、土方歳三という奴が助けに来てくれると思ってるのか…、残念だが、俺がいる限り、新選組は来ねぇよ。」
男は追い打ちをかけるのが如く、少女の耳元にこう囁いた。
「だから、諦めて、俺と…いいことしようぜ。」
男は下種な嘲笑いを浮かべる中、少女は
「あははっ! あはははははっ!」
笑い出した。まるで、今までため込んだものを噴き出すかのような思いっきりさを感じる。その笑い声に男も、ならず者たちも、そして、女子たちも落ち着きを取り戻し、その場は静寂へと至った。
「おい、何笑ってんだ? まさか、気が狂ったか?」
彼女は男を見つめるかのように表の面を上げた。しかも、彼女の目は全て諦めたかのような表情ではなく、男を愚かと言えるほどに嘲笑うかのようなニヤリとした表情だ。その狂気の表情に男は一度、足をすくめた。そんな男に対し、少女は言い放つ。
「いえ、不思議に思ってたんです。あなたのような弱い痩せ男が屈強で、巨躯な男を従えてるなんて、心のそこからおかしいと思いまして。」
少女は男に対してあまりにも罵った。
「あっ?」
男の堪忍袋が切れ始めたのに関係なく、少女は言い続ける。
「だってそうでしょ、あなたのようなどこにでもいるような面で偉そうにされても、あのならず者たちがいなかったら、金棒の無い鬼じゃないですか。まぁ、あなたは小悪党どころか、屑野郎にしか見えませんけどね。」
少女は本当の嘲笑いを男に見せた瞬間、
どがっ!
男に殴られた。
男は醜い本性と共に我を失う怒りをさらけ出し、罵声する。
「ふざけんじゃねぇぞ! この女! いいか! 教えてやるよ! 俺は元々、玄武館で腕の立つ剣士と呼ばれた北神亀雄様なんだよ! 俺は手下共に勝ち、ここに君臨してんだよ! くそが!」
少女は亀雄に拳の跡を付けられても、歯と血が醜く出ようとも、なおのこと、男を嘲笑う。
「玄武館ですか、北辰一刀流の。でも、あなたは破門されてますよね。私でも分かりますよ。」
「ぶっ殺す! 俺が玄武館最強と言われた所以を刀の錆にしながら、その身体に刻んでやる!」
血潮が見えるように完全に血が昇った亀雄は腰に付けてた刀を取ろうとする。少女を斬るために。
だが、その刹那、男は
ずさっ!
「がはっ!?」
胸元を斬られたが、幸いすぐには死ななかった。いや、違う。まだ死ぬ時ではなかった。
斬られた男が目にしたのは縄が解け、自らの血で濡れた自らの刀を手にした少女、しかも、その構えは侍そのもので、純粋とは真逆の異様な気を纏い、妖のように恐ろしかった。
「ひぃ!?」
男は少女の姿に一度は恐れながらも、咄嗟に発言する。
「無刀取りを使いやがって! 柳生新陰流に女はいなかったはずだ!」
「あなたがこちらの顔をうかがう間にあなたの刀を盗っただけです。大体、無刀取りは戦う最中に相手の刀を取り、無力化する活人剣の奥義の一つです。」
少女がこう言い放った瞬間、どこからともなく大多数の足音が聞こえた。
「それに私、いえ、新選組の流派は天然理心流ですから。」
その刹那、南京錠で掛けたはずの酒蔵の大扉が破壊し、倒れた。月夜に照らされた土埃を現れたのは男が着てた服よりも真実である浅葱色のだんだら羽織を羽織った志士、新選組である。
「御用改め新選組である。お前ら! よくも俺たちの仲間を犯そうとしたな。全員、ここでお縄を引く。」
茶黒の短髪と細目を持つ姿の大男は先陣を切り、高らかな叫びで敵共に畏怖させた。
その大男の隊士、『近藤勇』。芹沢鴨に次ぐ新選組の局長にして、天然理心流四代目宗家。新選組の隊士たちにとっての羨望となる心優しき豪傑。
「ひぃ!? 何で、新選組がいるんだよ!?」
「そこをどけぇ! 『豪刃・壱式・力払威』」
ぶちゃぁぁぁ!
勇の豪速の薙ぎ払いによる斬撃は腰が抜けたならず者一人の頭骸を粉砕し、血を沸かせた。
「ぎぎゃぁぁぁぁぁ! 」
そのならず者の悲鳴と共に戦いは始まった。多くの隊士たちがならず者たちと戦い、喧騒がひしめく中、勇の後陣から黒味を帯びた藍髪と藍色の瞳を持つ若き青年の隊士が鬼の形相で少女の元へ向かった。
「沖田――!」
その青年の前にならず者の中で一番の屈強で巨躯な大男が立ちはだかる。
「なめてんじゃねぇぞ! 小童ふぜいが!」
何者が立ちはだかろうと青年は止まらない。その瞬間、青年は駆け抜けながら、居合の構えを取った。
その瞬間、筋肉は血管が浮き出るほど強張り、鬼のような闘気を纏った。まるで、まだまだ若いはずの青年が鬼へと変貌したかのように。
「通させてもらう! 『鬼刃・壱式・獄門居合』」
力強く溜めた斬撃は大男の巨体を一刀両断に斬り上げた。
ぶしゅぅぅぅぅぅ!
大男の血が噴火や激流のように力強く溢れ出て、退治された獣のような悲鳴を上げた。
「ぐっ、がぁ!?」
哀れに倒れた大男を見た亀雄は自分が狙われる恐怖を感じ、尻尾を巻いて、鼠のように逃げた。
「あっ、あああっ! 来るなぁ! こっちに来るなぁ!」
しかし、青年は鬼の姿を解き、亀雄に目をくれず、少女を抱きしめた。
「大丈夫か、沖田! すまない、助けに来るのが手間取って…顔に痣が!? 殴られたのか!?」
青年が血相を青ざめながら心配するのをよそに少女は青年に抱きしめ返す。それもぎゅぅぅぅと言う音がなるくらい強く。
「大丈夫です、土方様。私は怪物です。体の一部を切断されても、私は土方様を仇名す者全てを殺しますから。」
少女の眼にはすでに嘲笑いや狂気がなく、甘くとろけた視線と
純粋で愛しい瞳だった。
「いやっ、そういう意味じゃないんだ、沖田。苦しかったか、痛かったかを聞きたくて…殴られたのか、俺のために戦うのは罪悪感があるから…、あとそれと痛い、抱きしめるのはいいけど強く抱きしめないで!?」
青年は忠告を促すが、何かの我慢をやめた少女はタガが外れたように再度強く抱きしめる。さらにぎぎっ、ぎぎっと骨が軋む音になるくらい。
「ああっ、土方様。あなたが抱いてくれるおかげで何度もあなたのために戦えますが、あなたと離れている一時一時が苦しいのです。はぁっ、はぁっ、土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様…」
「沖田、お願い落ち着いて!? 強く抱きしめるのはやめて!? 沖田一番隊隊長、目を覚ましてぇーー!?」
少女の瞳は闇夜ではなく青年の姿を映し、息が荒くなるほど、青年の名前を連呼し、迫る。その迫力は鬼の形相であったはずの青年を普通の青年に戻し、困らせた。
青年の名は『土方歳三』。新選組で、「鬼の副長」と呼ばれる。自らの侍としての在り方に強い正義感を持ち、その正義感で組中の隊士たちをまとめ上げる。
そんな二人に別の隊士が近づく。その青年は黒髪と黒い瞳のつり上げという姿をしていた。
「おいおい、お前ら、敵陣の中でいちゃつくんじゃねぇよ。たくっ、相変わらずだな。」
その青年の名は『永倉新八』。新選組二番隊隊長にして、土方の宿敵。一流の剣才を持つことに傲慢な態度を取るが、本性は努力家であり、戦うことが好きな剣士だ。
「永倉、別にいちゃいちゃしてる訳…、と言えるかどうか…」
「まぁ、俺は別にどうでもいいが。」
「この野郎! 調子に乗んじゃねぇ! 新選組!」
「お前らのせいで俺たちの楽しみが!」
二人のならず者が不用心に見える青年の背中を襲おうとし、その内一人が刀を振り下ろす。
しかし、その刀は届かず、
「舐めてんのは、てめぇだろ。三下。『天刃・奥義・龍飛剣』」
下段の構えから斬り上げた斬撃で刀を宙へと打ち飛ばされ、それに対し、上へ向かった永倉の刀は軌道を変え、振り下ろす。
ずばっ! ぶしゃ!
「あがっ!?」
二段構えに殺されたならず者。しかし、これを機転としたもう一人は再度襲おうとするが、
ずぶっ!
「ぐはっ!?」
一直線に打たれた槍に胸を抉られ、死んだ。そのならず者を殺したのは黄金のように煌めく馬面頭と橙色の瞳を持ち、腹に包帯を巻かれたガラの悪い青年の隊士だった。
その青年の名は『原田佐之助』。十番隊隊長である槍の名手。不良のように短気で馬鹿な性格をしているが、どんなに傷ついても折れない不屈の心の持ち主。
「【槍刃・弐式・突貫】っと。大丈夫か、我武新。」
「阿保か。天才である俺はもうとっくに奇襲に気づいてんだよ、馬面頭。」
「おいおい、折角助けたのに、つれねぇこと言うなよな。」
「たくっ、おい、馬面頭、さっさと他の糞野郎を殺そうぜ。てめぇらも、いちゃいちゃしてねぇで、刀を振るって、そいつらを殺せ。」
緊迫した戦場の中でも気さくに会話し合う永倉と原田は戦陣へと戻った。土方も永倉に言われた通りに顔と気を引き締めた。
「あっ、ああ、分かった。早く、元締めであるあの男を追わないと。」
その時、沖田と呼ばれた少女は土方に真面目で純粋なき瞳で見つめる。
「土方様、お願いを申し上げます。あの不埒な男、北神亀雄を殺すのは私に任せて下さいますか。」
「沖田、どうして?」
「あの男へ受けた仇などどうでもいいですが、私はあの男は許せません。」
土方は沖田からの頼みは珍しいと不意に驚くが、その眼差しを信じ、沖田に命じる。
「分かった。沖田総司、お前に元締め北神亀雄の追跡及び斬り捨てを命じる。それと、お前の羽織だ。それを着て、集中するんだ。」
沖田は土方に渡された新撰組の羽織を着た。それこそが彼女の本当
の姿であるように。
「了解しました、土方様。私たちにとって、このだんだらは新撰組の全てですからね。」
少女は土方に微笑み、北神を追い、土方は永倉、原田らと共に他の不良たちと戦う。
そんな激戦の中、三人のならず者らは出口である蔵屋敷の正門に出ようと疾走する。
「ちくしょう! やってられるか!」
「なんで、俺たちがこんな目に!?」
「あとちょっとで、あとちょっとで出られる。ふはははは、」
一人のならず者が精神の糸が切れたように、笑いあげると・・・
「は~い、そこまでっす。後はあの世で適当に閻魔大王に詫びることっすよ。」
ずさっ!
「は・・・はぁ!?」
ごとん!
こと切れたように首を斬り落とされた。しかも、何も見えない斬撃と別の少女の声と影を残し。
「なっ、何だ!? 何でこいつ首斬られたんだ!? 刀は!? 刀はどこなんだよ!?」
「はいはい、そこ五月蠅いので、斬首します。」
ずさっ!ごとん!
声をあげたならず者の一人も同じように首を刎ねられ、地面に落ちた。
「ひぃ!? 物の怪だ!?」
「失礼っすね。私はただ気配を消しただけっすよ。」
少女の声を不気味に感じた不良は気が動転し、正門とは逆方向に逃げるが、再び虚空に声が漏れる。
「新選組が逃がすと思うか。」
その刹那、不良は胴と共にこと切れる。断末魔の叫びを上げないくらい静かだった。
「山崎。お前は戦いの最中に気だるい声を出すな。新選組の士気にも関わる。」
「これでも、あえて誘拐された沖田先輩を追いついて、ここまで知らせたっすよ。」
「お前への賞賛は局中会議で取り行う。故に今こいつらを討つまで気を抜くな。」
その時、何もない虚空から、夜中の町外れで人攫いを追っていた隊士二人が現れた。
「相変わらず、真面目っすね。一さん。はいはい、分かりましたよ。給料分は働くっすよ。」
彼女の名は『山崎丞』。新選組の密偵。元々は忍の一族の出身で、気配を消すことで姿も消せる術も持つが、消極的で怠惰な性格の為、任務をさぼりがち、顔を見られるのは嫌で、いつもお面を被っている。
そんな彼女と話す青年は『斎藤一』。新選組の三番隊隊長。規律や秩序に信念を抱き、誠を掲げる真面目な性格で、それ故に隊の内部粛清と隠密を行い、隊士たちへ恐れられるが、山崎からは顔を見せるくらいに慕われている。
そんな二人のもとに五、六人のならず者たちが現れる。
「どいつも、こいつも、ふざけんじゃねぇ!」
「この数なら、流石に無理だろう! この野郎!」
「この落とし前、どうお礼してやるか!」
完全に血が上り、開き直ったならず者を前にしても、斎藤の凛とした静寂な態度は揺るがなかった。
「呆れた者たちだ。自分のことしか言えないのか|屑が、塵が、糞どもが。」
「いくぞ、てめぇ…」
「俺にこれ以上、臭い息を嗅がせるな。斬り殺すこっちの身になれ。」
いつの間にか斬られていたならず者達はいつ斬られたのか、斬る瞬間はどこだったのかを完全に理解できず、無残に斬り倒されたならず者たちに背を向けた斎藤は冷たく言い放つ。
「せめて、地獄で閻魔に詫びを…」
「一さん、待って。それ、私が言った名言っす。」
「なら、言わん。」
「本当、ぶれないっすね。一さん。」
そんな会話を並べる中、二人も戦陣へと戻る。そして、それらの強者の隊士六人とあと一人の戦いは終幕へと迎える。
【京都・町外れ・路地裏】
沖田総司を騙った北神亀雄は心の底から動揺した。自らがかじった程度の剣術と幕府の有力者の一人である父親の脛をかじった権力を利用し、多くのならず者をまとめ上げたことに酔いしれた彼の居心地はあの不気味と感じる少女に出会ってから、新選組に潰された。その事実に後悔、焦燥、怒り、憎悪、そして、恐怖が入り交じり、月明かりしか照らさない路地裏に辿り着いた。
「はぁっ、はぁっ、くそっ! 何だって俺がこんな目に! 俺がまるで悪役みたいじゃねぇか! ちくしょう!」
ざさっ!
亀雄はただ憤慨し、地面の砂を蹴り上げることしか出来なくなった。しかし、彼はそれさえできない結末が待っていた。
「やっと見つけました。怪物を騙る偽物。随分とすばしっこいですが、鼠より早く見つけられました。」
刹那に少女の声を聞いた亀雄が振り向くと、そこには
だんだらを着たあの少女だった。
「あっ、ああ、あああああああ!」
「私に見つかれたことに驚いたんですか? あなたを斬った時の血の匂いを嗅ぎ分けここにきただけです。」
「この、このぉ! 化け物が! そんなの人間のはずが…」
「ええ、だから、私は怪物。親を斬り殺すだけにはあきたらず、山では通りすがりの無名剣士を襲った物の怪ですが、今では攘夷志士を静粛してます。」
静かに亀雄を追い詰める少女。彼が怯えてるのは少女の姿ではなく、彼女の中にある怪物性。そして、その答えは
「お前が・・・お前が沖田総司だと!? 玄武館にいた頃、噂で聞いた『血髪の怪物剣士』。多くの交流試合で名を馳せ、その裏で多くの辻斬りを殺し、挙句の果てに人斬り岡田以蔵に挑んだという。」
『沖田総司』。新撰組一番隊隊長にして、一や新八を超え、勇や土方に認められ、他の隊員から畏れと憧れを抱かせる新撰組の上位の強者。
「岡田以蔵という人は会ってませんし、興味ありません。私はあなたを本当に殺さなくてはありませんので。」
「あっ! ああああああああ! 」
本当の沖田総司である少女の目の色が変わった。それは今まで
の軽蔑ではなく、明らかな憎悪だった。それはまるで親の仇を憎む目、否、それはまるで北神亀雄という存在全てを許せない目だった。
その目を見た亀雄は心を壊された。
「ごめんなさぁい! 許して下さい! 出来心だったんです! もう、沖田総司なんて騙りません! だから、だから、」
地面に伏し、土下座をする亀雄は懐に短刀を忍ばせていた。しかし、沖田はそれを知ったとしても、平然と構えていた。
「ああ、そこですか、別にあなたが私を騙るくらい気にしません。たとえ、あなたのせいで私がどう貶められようと・・・しかし」
「うるせぇ! 誰がお前の許しなんか…」
亀雄が沖田目掛けて脇差で斬ろうとするが、彼女は自身の愛刀菊一文字で三つの突きを放つ。
きーーん!、しゅばっ!しゅばっ!しゅばっ!
「あっ、ぎっ!?」
その突きを見た亀雄の目の前に広がるのは血のように赤く、怪物のように巨大な三つの牙、そして、自らにただ美しく咲いた紅桜だった。
その光景はあまりにも寂しくも綺麗に淡く輝き、それ以外の風景は認識さえできない背景となった。まるで、黄泉に輝く花景色のようだった。
ばしゅーー!
亀雄が見ていたのは紅桜に模った血しぶきだった。しかし、その光景を見た者は不思議と美しい光景だと思わせる。だが、それだけではない。その突き技で(短刀を持っていた左手もろとも)両手と首が大穴のように抉られ、頭はすでに地面に伏していた。
地面と壁は多くの血で満たし、異形と成り果てた亀雄の死骸はまるで、怪物におそわれたかのよう凄惨な世界を物語った。
「『牙刃・惨段突牙・血桜』これが私の剣技です。」
沖田は寂しい死骸と成り果てた亀雄をただ汚物のように蔑む目で見た。そして、こう言い放った。
「たとえ、あなたのせいで私がどう貶められようと気にしません。しかし…」
(嫌々、あんなおっかない人は早々に女にモテないし、堅物でつまんない男だから期待しない方がいいよ。)
「私の名を騙りつつ、あの人を、土方様を侮辱することは何人たりとも生かしません。せいぜい、地獄の沙汰も通らず、阿鼻地獄へと赴きなさい。」
月明りで照らされた少女の髪は血のような淡い赤い輝きを纏い、愚か者の血に濡れた地面に立ち、佇んでいた。
【京都・町外れ・通り】
土方は寂しい町外れの通りを駆け抜けた。亀雄を追うため、そのならず者を追った沖田の安否を確かめる為、しかし、彼は目の前を見て、立ち止まった。
そこで土方を見たのは血まみれの亀雄を地べたに引きずらせた沖田の姿だった。土方はその光景に安堵と罪悪感を入り混じった複雑な感情を浮かべた。対する沖田は土方を見るや否や彼の下に近づき、素肌の温もりを当て、抱きしめる。
「ああっ、土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。土方様。」
土方は抱き着く沖田を振り払わず、彼女の頭をただ優しく撫でた。沖田は先ほどの怪物の形相を忘れ、まるで、寂しい子犬が尻尾を振って、愛を求めるように、淡い笑顔を浮かべた。
「沖田、大丈夫だったか? 今回はいつもと違って、心が荒れてたけど?」
「そのことに対しては土方様に心配かけたことをお詫びします。それでも、許せなかったのです。往来の前であなたを侮辱する身の程知らず者を。」
「囮とは言え、無事ならよかった。けど、道場の頃、体が弱いにも関わらず、よく無理をするから、昔から心配してるんだ。」
「私の身を案じてくれて、ありがとうございます。しかし、それでも、土方様に尽くしたいのです。死に場所を求めた怪物の心にあなたが生きる使命を授けてくれた。ただそれだけが怪物にとってのただ一つの自分の意志なのですから。」
たとえ、残酷な表情を浮かべようと、その身に多くの返り血で汚そうと、自他ともに怪物だと罵ろうと、沖田という少女は土方に対し、誰よりも純粋な瞳で接し、その苛烈な愛を胸に秘め、忠誠と言う心に変える。
そんな彼女の純粋な姿勢に対し、土方は胸を痛め、優しく微笑みながらも、彼女の在り方を心の底から全てを受け入れる。
『沖田総司』。新撰組一番隊隊長にして、一や新八を超え、勇や土方に認められ、他の隊員から畏れと憧れを抱かせる新撰組の上位の強者。
しかし、その彼女は土方歳三ただ一人に対し、恋病を患い、怪物として生きる剣士であり、愛する彼に忠義を尽くすことを考え、怪物として、彼に仇なす者全てを殺し、屠り、鏖にする。
沖田総司と土方歳三。
そんな二人と新撰組は激動の渦に飲まれ、ついには果てるだろう。
それでも、彼女はその渦に自ら飛び込み、彼のために切り開くだろう。