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1/5世紀の憂鬱  作者: 栂瀬とあ
1/1

最初に

昔と言えるほど前のことでは無いのだが、中学生の時かはたまた高校生の時か、私は生きる意味について深く考えていた時期がある。「生きる意味がない」、「生きる理由」、「何故生きていくのか」などと答えが出そうにないものを必死に思考しては検索エンジンで啓発文を読み、行き着くのは大体「生きる理由、意味は自分で作るのだ」みたいなものばかり。

それを今でも頭の片隅に置いておきながら、また今日も口癖のように「死にたい」を吐いている。

 何時からか気づいたのは、私が吐く「死にたい」という言葉にはもう意味がついていないということ。先程「のように」とは言ったが実際口癖になってしまっているのだ。

だからこそ今ではあまり「死にたい」を口にしなくなった。と自分では思っているのだが何せ口癖として定着してしまっているものだからきっと無意識のうちにその言葉を零しているのかもしれない。が、意識の中では極力言わないようにしていた。

 そうしていた理由は、決して前向きなものではなく寧ろ良くない方向へ進みたかったからというものであった。

言えているうちは大丈夫、とよく言うものだが実にその通りで、本当にやられてくると言葉にする元気もなくなってくる。

言わないようにしていると今度はその言葉だけでなくちょっとしたガス抜きも出来なくなってしまうという何とも極端、不器用なものであり、言わなくなっただけでなく「それ」を考えてしまっていた。

実行に移せるかどうかは置いておくとして、考えてしまっていた。

 時間だけが過ぎ、何もせずにいる自分が嫌いになり、どんどん深みにはまっていってしまった。

 というのが最近までのお話。

今でも「死にたい」という気持ちは変わらないし憂鬱になることが多いけれど

それでも生きているのはきっと「私一人で生きていない」からだと思う。

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