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鬼屋敷  作者: 久元
1/4

1 床の大穴

 その家はヘプタルクの都のはずれの、市壁にほど近い一角にあった。


 ごみごみした下町の建物と、安定した生活を送る町人の家々とが大通りをはさんで向かい合う、ちょうどその境界、ぎりぎり下町の側だ。

 何本かの背の高い木々に遮られているだけなのに、その建物はあきらかに周囲とは異なる雰囲気を漂わせていた。それはおそらく、奇妙なつくりのせいもあったろう。二階建てではあるが、ずんぐりと背が低く、丸っこい屋根をしており、壁や屋根のところどころに見なれない図形が刻まれている。窓の形も妙だ。似たような設計の建物が数十軒建ち並ぶ住居群のはしっこで、異国風のその建物は目をひいた。

 戸口の前に立った青年デューラムは、夕暮れの中に陰鬱な影を濃くしていく屋敷のシルエットをぼんやりと眺めた。遠くを歩きすぎた時にちらりと見たことはあったが、近くまで来るのは初めてだった。


「入るぞ」


 そう言ったのは、デューラムと一緒にいた大柄な男である。デューラムの酒飲み仲間で、名をダグラスという。


 石壁にはめ込まれた正面の木の扉は、もう扉としての用途を果たしていなかった。下半分が完全に朽ちて空洞となった部分には、ぞんざいに木の板が打ち付けられていて、侵入者を拒むそぶりだけを見せていたものの、ダグラスが少し力を込めると釘はあっさりとはずれてしまった。

 巨体をかがめ、ダグラスが扉の下半分から建物の中に入る。一緒にいたもう一人の男、ツァランがあとに続く。デューラムがしんがりである。


 カンテラの灯りに照らされて、屋敷の内部の様子が浮かび上がる。空気はかびくさく湿っていた。彼ら三人が立っている場所は小さな踊り場で、正面に朽ちかけた階段がある。


「お目当ては上じゃない。一階の奥だってこった」と、ダグラス。


 三人は階段を左手に通り過ぎ、狭い廊下を歩いた。途中で扉のない出入り口を行き過ぎたが、ちらりと目をやったその室内はがらんとして何もなく、毛布やごみが雑然とちらかっているだけだった。家をもたない者たちが一晩夜露をしのいだことでもあったのだろうか。


「こっちだ」


 廊下の行き止まりでダグラスが言う。追いついてみれば、彼の右側には閉ざされた扉があった。金属製のドアノブは錆びつき、扉本体の塗装もはげ、木のささくれが露出している。


「これがその部屋か?」


 ツァランの声に、ノブに手をかけていたダグラスは頷いた。


「そうだ。ここに悪魔が出るんだとさ」


 悪魔の出る部屋。

 それを見るために、デューラムら三人は、今晩この廃屋を訪れたのだ。



 * * *



 それは用心棒として日銭を稼ぐダグラスが、仕事仲間に聞いてきた怪談だった。

 鬼屋敷と呼ばれるこの家にはもう何十年も誰も住んだことがない。だが、なぜか取り壊される事もなく、町外れにぽつんと立ちつづけている。その家の一室で夜な夜な起こる奇怪な出来事のために、誰もがこの家に関与することを恐れ、避けているのだという。

 

「奇怪な出来事ってなんだ」

 いつものように、近くの村から街に野菜を売りに来ていたデューラムは、酒場でダグラスにそう尋ねた。

 聞かれたダグラスは肩をすくめた。


「そいつを確かめてみるってわけさ。もちろん、来るだろ?」


 デューラムは唸って腕を組んだ。彼のつるみ仲間であるこのダグラスは、娯楽の刺激に貪欲だ。ダグラスの相棒であるツァランも、王立図書館で働く学士なのだが、どうもちんぴらじみていて下町の方が肌に合うらしい。もういい大人だというのに、この二人は年がら年中、賭け事だの肝試しだの飲み比べだの、いろいろとよからぬものに首をつっこんでは、楽しんだり痛い目に遭ったりしている。

 そんな二人の所行にデューラムはいつもあきれ返っているわけだが、彼本人とて、根は冒険好きである。悪魔が出ると噂される廃屋の探検――。気味が悪くないといえば嘘になるけれども、そのスリルは扇情的でもあった。結局、デューラムは半ばやけぱっちに答えたのである。

「いいじゃないか、上等だ」



 * * *



 ……扉はぎいぎい軋み音を立てながら開いた。

 カンテラの灯りに照らし出された部屋の中はやはりがらんとしていたが、まだ形状をとどめた揺り椅子だの、小さなテーブルと椅子だのがかろうじて残っているのが見えた。隅に置かれた本棚には、古ぼけた本や置物さえ置かれていた。数十年放っておかれた廃屋にある一室としては、人の生活のなごりをとどめている。

 部屋の中に入ってみたデューラムは、立ち止まって眉を寄せた。


「なんだ、それは」

 後ろでツァランが言った。同じものに目を止めたのだろう。


 穴だ。


 部屋の真ん中の床に、ぽっかりと、丸い大きな穴が口を開けている。デューラムが両手を広げたくらいの直径だろうか。屋内の石造りの床に自然にできるようなしろものではない。

 まるでコンパスを使って綺麗にくりぬいたように、完全な円を描いたその穴の中は、ただただ真っ暗だった。カンテラの光も底に届いていない。


「……おい。天井にもあるぞ」


 言って、ツァランが灯りを持ち上げる。つられて見上げると、天井のまったく同じ箇所に、やはりまったく同じような穴が口を開いているのが見えた。

 完全な円を描いた大きな穴。

 ひゅうとダグラスが口笛を吹く。


「まさかと思ってたが、本気でありやがった……。これが鬼屋敷の一番の謎さ。【悪魔の穴】と呼ばれてる。落ちないように気をつけろよ」

「地獄までそのまま落っこちるってか」

「さあな。そうかもしれん」


 たしかに異様だ。これは間違いなく、誰かが意図的に開けた穴だ。

 だが、なんの目的で?


 デューラムは床の穴の近くにしゃがみこんで、近くに転がっていた木の破片を中に放り投げてみた。ぽっかりと開いた黒い口の中に、木のかけらは音も立てずに吸い込まれていく。

 そのまま、デューラムは木片が底にぶつかる音を待った。だが、いつまでたっても何の音も聞こえてはこなかった。


 ――いったいどれだけ深いのか。


「この屋敷の話をおれにしてくれた用心棒仲間がいてな。そいつも悪魔の穴の噂話をたしかめにここに来た事があるそうだ。夜は気味が悪いってんで、昼間にやってきたらしい。で、ほんとに穴があいてるのを見て仰天したわけだが、どうせならと穴の深さを調べてみようとした。持って来てた長い紐のさきに石をくくりつけて、この穴の中に垂らしてみたんだ」

「……延々と、いつまでも底につかなかったってのか」

「ご明察」

「紐はどれだけ長かったんだよ」

「そいつの主張だと、男の背丈の十倍は長くしたって話だ。ほんとかどうかは知らんがな」


 ダグラスは背に負っていた藁のむしろを床に広げながら答えた。デューラムは唸って天井を見上げた。


「こっちの方は……、二階にまで続いているはずだよな」

「そうだな。階段があったから、見に行ってみるか」


 そこで三人は、玄関の近くの崩れかけた階段を苦労してのぼり、二階に上がってみた。しかし階段から続く廊下を少し行ったところで、閉ざされた扉に遮られた。扉には十字に金属の板が打ちつけられていて、怪力のダグラスでも手の出しようのない状態だった。しかたなく、三人は階段を下りて先ほどの部屋に戻った。


「まあ、とにかくおれたちは、今晩二の刻(注:深夜三時ごろ)までここで待って、その穴に何が起こるのか見届けてやろうってわけだ。飲むだろ?」

 そう言って、ダグラスはむしろの上にどっかりとあぐらをかくと、手に持っていたずだ袋から大きなびんを取り出した。彼お手製のどぶろくである。

 デューラムは大男の動じない姿勢に呆れつつも、「もらうよ」と答え、むしろに腰を下ろした。


「それにしても」と、これはやはりむしろに腰を下ろしたツァランで、ぐるりと部屋を見渡して感心したように、「この家の古さは、百年や二百年じゃすまないぞ。ひょっとすると帝国支配前の様式かもしれない」

「帝国支配前っていうと、七百年とか昔だって言ってたか?」


 デューラムは尋ねた。ここヘプタルク王国は過去二百年ほどは一応の独立を保ちつづけているが、その前には、山脈の西にある巨大帝国サングルスの支配下にあったという。

 ツァランは質感を確かめるように床石を撫でながら、


「そうだ。だからこの建物は、国中でも古い部類に入るだろうな」

「その、帝国支配前と後の建築様式だかってのは、そんなにぱっと見てわかるもんなのか」

「かなりの程度は、わかる。もともと【竜の背】山脈の東と西ではまったく異なる文化が発達していたんだ。建築の美学や設計のやり方も含めてな。ところが帝国が山脈を越えて勢力を延ばしてきたときに、言ってみれば東の文化は西の文化に駆逐されたわけだ」


 ハァとデューラムはあいづちを打った。ちんぴらとはいえども腐っても学士なのか、ツァランはこうした歴史だの政治だのの話が大好きである。

 デューラムにとってみれば、あの穴を誰が開けたかという話題の方がずっと重要に思えるのだが。


「ひとつ大きな変化といえば、(こよみ)だな。それまで長く、ヘプタルクを含め東邦の各地域では、ずっと昔、二千年以上も前の古代帝国時代に定められた暦が使われていた。だが西の新しい帝国の支配下に入ってからしばらくして、……今から約七百年前か、……王宮や寺院が使う正式な暦は現在の帝国暦に改められたんだ。神話にもとづく古代暦が不正確すぎるというのがその理由だ」


 ふうんとデューラムは唸ってどぶろくを啜った。ダグラスの酒はあいかわらず程よくどろりとして、程よく酸味があり、かぐわしい。

「おれにとっちゃ数百年前にできた決まりなんて、じゅうぶん古いけどな」

「違いねえ」とダグラスが笑う。

「ふん」

 

 ツァランは手応えのない聴衆の反応にすねたようだった。

「話がいのないやつらめ。しかし、その奇怪な現象とやらが今晩もし起こったとして、おれたちの身は大丈夫なんだろうな。獰猛なのが出てきて腹でもかっさばかれちゃたまらないぜ」

「大丈夫かどうか、保証はできんなあ」とダグラスは尻をぼりぼりと掻きながら、「とにかくこの屋敷にかんしちゃ色々変な話があるんだ」


 そう言うダグラスの話によると、なんでも、二の刻になると若い女の金切り声が聞こえるという噂があるらしい。どーん、どーんと奇怪な轟音が夜中に響くとも噂される。あるいは、真夜中に天井の穴から長い髪の化け物がこっちを覗いてるのを見たという人間もいるらしい。

 いずれも気味が悪くはあるが、命に別状があるような話ではない、という気もする。


 一杯目の杯を早々と空にしてしまうと、酒豪の大男はふうーと長い息を吐いた。ツァランが持参した煎った木の実を豪快な音を立てて噛んでから、思い出したように、


「それから、一年に一度だけは、とくに気をつけた方がいいらしい。その日に、そら、そこの床の穴を悪魔が通り抜けて行くんだそうだ。この穴の由来にかかわる話なんだとさ」

「この穴の由来?」

「噂話だがな」


 ツァランの声にダグラスは眉を上げた。「……ちっと長い話になるぞ、いいのか」

「いいよ、二の刻まではまだうんざりするほど長いんだ。話せよ」

 デューラムがそう言うと、ふうん、とダグラスは眉を上げて、少し間を置いた。


 それから彼は、鬼屋敷の穴の物語を語り始めたのである。


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