オトシモノ?
君子危うきに近寄らず。
楊のモットーでもあるが、今回の楊はそのモットーに従って親友の仕事場から逃げ出したのではなく、親友の仕事場から歩いて十分程度の住所へと急な呼び出しを受けただけである。
本来であれば自分は非番の筈なのにと、苦々しく考えながら指定された住所に辿り着いた楊の目の前には、段ボールにドアが付いているだけのような形の一棟のアパートが待ち構えていた。
ただ建っているわけでは無い。
狭い旗竿地でありながらブロックとアルミ柵によって建物周囲はぐるりと囲まれており、六部屋分の郵便ポストが並ぶ門扉はオートロックらしい施工である。
「うわお。俺はここにどうやって入るのかな。」
周囲を見回しても何のヒントも得られなかった彼は、悩むことなく自分を呼び出したスマートフォンで呼び出した相手を呼び出そうとしたが、その相手の方が楊の動向を先読みしていたようである。
「ありゃ。解錠番号だ。えぇとおにくやさんっと。こんな解り易い暗証じゃあ、オートロックの意味無いじゃんか、ねぇ。」
独り言をつぶやきながら楊が一歩敷地内に踏み入れて見渡せば、全ての玄関ドアが一階に設置されており、玄関のある正面には小さな明り取り程度の小窓が六つのドアと同じ数だけ並んでいる。
楊が立つ門扉の入り口から奥に向かって一〇一、一〇二、二〇一、二〇二、三〇一、三〇二と番号が振ってあった。
ドアは二つづつ等間隔に、それも二部屋ごとに一部屋分の間を開けて並んでいる。
一階にしかドアが無いが建物を見上げれば、確実に三階建ての高さがある建物である。
そのことから、六つしかない部屋のうち半分は、一階のドアを開けて始まる細い階段を上らねばならない部屋という造りであろうと楊は想定した。
「アプローチもどこもかしこも狭いけど、オートロックの門扉もあるし、女性向けのアパートなのかな。」
がさりと後ろから包み紙を開けるような音が聞こえ、楊が振り向けば、細いだけのアプローチに丸められた紙屑が転がっていた。
「ごみを落としちゃった?」
彼は数歩戻ってその紙屑を拾いあげようと身をかがめたが、伸ばした右手の指先で静電気がビリっと起きた。
「あつっ。」
反射的にひっこめた手の代りに視線は紙屑をしっかりと追っており、紙屑はコンビニのレシートが丸まっただけの様でもあるが、軽い紙屑が飛んでいくどころか風に揺れるだけの様に楊は違和感を感じた。
楊は目をすっと細めて紙くずを数秒ほど注視すると、片手だけで器用に胸ポケットから木製のマドラーを取り出した。
鑑識用の木べらもあるのだが、百円ショップで手に入る木製マドラーの方が小型で使い勝手が良いと楊はこちらばかりを持ち歩いている。
鑑識主任に綺麗に見えても鑑識用の木べらのような処理がされていないから証拠を汚すから止めろとも言われているが、今のところ証拠が汚染されたことが無いどころか楊の担当する案件が裁判で公になること自体が無い。
ならば使い勝手の良い方を使いたいというだけだ。
楊はいつものように取り出した一本のマドラーを紙屑の中心に差し込んだ。
すると、さくりと焼き菓子が壊れるような音を立て、まるで魔法が解けたかのようにその丸まっていた紙は花開くように外側に広がり、内側に隠されていたものをさらけ出したのである。
隠されていた物とは、女性の親指の爪ぐらいの大きさの亀の形をした小さな黒色の石であった。
「あれ、これって、お財布に入れるお守りだよね。金運の、かめ。うーん。違ったっけ?黒いから違う?えっと、黒曜石の力はと。」
「精神集中。困難への行動力。」
「え?」
落ち着いた女性の囁き声に驚いて周囲を見回したがそれらしい人物の姿は無く、しかし楊にはその声をどこかで聞いた覚えはあった。
そこで思い出そうと両目を閉じた所で背広の内ポケットに入っているスマートフォンが振動し、彼は気が削がれるどころか追い立てられている焦燥感を煽られてしまった。
鳴らしているのは現場にいる彼の部下に違いないのだ。
「やば。石の由来は後でいいか。処置だけしないと。」
普段であればポケットに入っているジップ付きの小袋に納めるのであるが、楊は先ほどの静電気を忘れてはいない。
楊の危険察知能力が猫並みと当て擦られる所以からではなく、ただ単純に、楊の現場は下手に触ってはいけないという大事なルールであるだけだ。
楊の課は特定犯罪対策課、通称特対課と呼ばれる特定の犯罪だけを専門とする課であるのだが、その特定の犯罪というものが難点だ。
特定の犯罪とは、通常の犯罪ではないという普通の理由であるが、その普通でないという点が一番問題なのだ。
つまり、死んでいる筈なのに動くという死人が関わっている犯罪や、呪術を行える者が招いた犯罪という、常識的に考えて非常識な犯罪だという事だ。
最近では未確認生物、通称UMAに遭遇して楊は大変痛い目に遭っている。
よって、楊が小さな亀の石ころ一つの処遇に悩むのは、様々な特定犯罪を体験させられた楊には仕方が無い事なのだ。