妻と孫娘
楊勝利は必死にモニターを覗いていた。
水色の寝間着につま先まで包まれている乳児が、茶色一色の不細工な猫を毛布のように抱きしめたまま深い眠りについているのである。
その姿の可愛らしさにすぐにでも彼女を抱きしめに駆け付けたいのだが、楊は娘の相棒である猫に少々どころか完全に嫌われていた。
楊の姿を目にした猫が思わず娘の柔らかな肌に爪を立てたらと考えると、彼はこうして子供部屋の隠しカメラ映像を必死で見守るしかないのである。
「あぁ、葉子。俺はどうしてミーちゃんに嫌われているんだろう。」
「構い過ぎるからでしょう。」
妻になったばかりの女性に冷たく言い返されて、楊は不貞腐れた表情を作ったが、彼の思惑と違って彼女には完全に無視をされた。
なぜならば、彼女は孫娘の弁当作りに夢中であったからである。
楊とかなりの年の差となる妻であるが、彼女は年齢を感じさせない美しさを誇るだけでなく大富豪の頭目でもある。
楊が二十代の頃には検事長だったこの女王様を警護したりもしたのだが、今や夫の称号と寝床まで与えられ、養い守るどころか養われての囲われの身となっている。
情けないと楊は自分の身の上を考えたが、前世で愛したが幸せにできなかった女の幸せそうな横顔を見つめるうちに、自分はよくやったのかもしれないと自分を褒めることにした。
楊の妹分が「ボッティチェリのビーナス」だと葉子の美貌を褒めちぎるその通りに、彼女は年老いても楊の前世である佐藤雅敏と出会った頃の十代の頃の面影を簡単に見いだせる程美しく、楊が自分と一緒に献上した哀れな孤児までも喜んで受け入れるという、雅敏が惚れこんだ当時のままの情け深い女であるのだ。
しかし、彼女の目元には少々の陰も落ちていた。
彼女の大事な孫への不安である。
楊は葉子を後ろから抱き締めていた。
葉子の不安を和らげたいと体が勝手に動いたのであるが、楊が雅敏だった前世で妊娠していた葉子を残して殉職していたという後悔があるのだ。
そして雅敏の気持ちのまま、楊は自分達の孫娘の不幸について尋ねていた。
「梨々子は本気でシングルマザーになるつもりなのか?」
梨々子と楊は葉子によって一時は婚約者同士だったこともあるのだが、梨々子は卒業旅行に同行した年上の金持ち男に本気の恋心を抱いたと婚約破棄をしただけでなく、彼女を妊娠させたその男と結婚するどころかシングルマザーとなる道を選んだのである。
「結婚したくもないものを無理強いすることは出来ないでしょ。これから子供が生まれたとしても、純子に雇ったベビーシッターみたいに、梨々子にもベビーシッターを手配してあげるから平気、よ。」
大富豪の娘であった葉子が一人で子育てしたわけでは無く、葉子には両親も彼女の両親が雇ったベビーシッターもいたのだと、楊は一人で頑張ったという恋人の兼気な姿を脳内で修正し始めた。
そこで彼女への気持ちが薄れるどころか、彼の気持ちはさらに彼女に傾いた。
彼女にがっかりするどころか、彼の罪悪感を減らしてくれてありがとうと言う気持ちなのである。
しかし、これではろくでなし過ぎると、自分がろくでなしの親友に毒され過ぎているぞと、軽く首を振った。
毒素が脳みそから抜けるように。
「だ、だけどさぁ、相手は白波酒造の跡取りで、梨々子にはぞっこんなんだろ。俺はあのギャングのような悪たれが、土下座して梨々子に求婚してくるとは思わなかったよ。」
「跪いて、でしょう。」
「ちびに取りなしてくれって土下座したらしいよ。」
楊がちびと呼ぶ百目鬼玄人という人物は、武本物産という小さな通販会社を経営する一族の当主でしかないが、彼の母親は世界展開する白波酒造の会長の娘だ。
よって、白波酒造長男の息子で跡取りの白波久美は、玄人の従兄であるのだ。
久美は玄人を妹のように可愛がっているのだが、当の玄人は久美を白波のギャングだと呼んでいる。
それは、久美が彼と同じ年齢で双子の様にそっくりな従弟でパイロット育成会社の社長である佐藤由貴と、「クミちゃん」「ユキちゃん」と呼び合って常に二人で悪ふざけを繰り返して玄人自身が揶揄われていたからであろう。
また、楊から見ても彼等はかなりの軽薄で遊びなれた男達でもあるので、玄人のギャング呼びには頷く事しか出来ない。
対する梨々子は純粋すぎる少女でしかなく、長身モデルのような華やかな外見に高いIQが合わさると嫌味になるのか、最近まで同世代の同性の友人が一人もいないという哀れな身の上でしかなかった。
そんな彼女がとあるパーティで同い年の少女と出会い、同じぐらいの人間的偏りに惹かれ合い親友同士となったのは当り前の話であるが、その少女が海運王の娘の早坂海里であったのが梨々子の不幸の始まりである。