オリジナリティの追求って必要ですか?
小説を書く人も、読む人も、やたらと気にするオリジナリティ。
今回はこのオリジナリティについて、一言物申したいと思います。
では、元々オリジナリティとは何なのかというお話から。
オリジナリティ(originality)はよく「独創性」と訳されますが、要はオリジナル(original)の名詞形ですよね。
では、オリジナルの意味は何か。辞書で引くと最初の項目に、「最初の,原始の,初期の,本来の」と出てきます。
ちなみに、オリジン(origin)の意味は「起源,源泉,由来,発端,始まり」と出ます。
つまり、オリジナリティは一番最初的な性質って事ですね。「独創性」とほぼ同じ意味です。
しかし、そうなると、オリジナリティってそんな簡単に作り出せるものじゃないし、単体で判定するのも難しいですよね。だって、最初であるって事はですよ、「同じものが今までどこにもない + 後に続くものがある」ってことですからね。むしろ、過去へたどっていくことで、これがオリジナルだって判明するものでしょう。
さらに、オリジナリティの困難さについてはもう一点。
私たちは、今急にここに単独で誕生した訳じゃないですよね。親がいます。さらに、その親にも親がいる。そんな過去からの連続がなが~く続いて、現代の私たちに至る訳です。個人レベルだけでなく、社会だって、長い人の営みが積み重なって、現代の社会が出来てます。
なので、私たちは、知る・知らずに関わらず、先達から多くの影響を受けております。私たちは過去から渡された種々の要素によって構成されているのです。言わば、人類の最先端を行く私たちは、人類史のモザイクであり、コラージュであり、チャンプルーなのです。
そうなると、厳密にオリジナリティって無理じゃないかと思うのです。自分が独自に考え出したと思っていても、私たちの頭の中は、過去の詰め合わせなのですから。
実際、オリジナリティの話になると、取り上げられることが多い芸術家ですが、彼ら、どっかで見たことあるような作品、いっぱい描いてますよ。模写もするし、他者と同じ構図、同じ主題も使いまくりです。
よく考えると、大学時代、卒論作成のために始めにやらされるのが先行研究集めでした。二十歳前後の奴が考えつくことなんて、数十年前の研究者が既に研究済みだったりしますから。
※なので東洋史専攻だと一番人気の三国志で卒論を書くのは茨の道です。
それで、この話がどこに着地するかというと、オリジナリティってそんなに気にしなくても良いのではないかいということです。
きっと、どんな作品も、他の作品にどこかが似ているはずです。私の作品も、貴方の作品もです。
子どもの頃に聞いた昔話に、憧れのあの作品に、本屋の平積み小説に。
特に一部を抽出すれば、類似は不可避でしょう。まあ、だからこそ、ジャンル分けなんてものが成立するのですし。
なので、他作品と似ているとか似てないとか、気にしなくて良いのです。
だって、どこかしらは似ているんですから。
書き方なのか、登場人物なのか、世界観なのか、ストーリーなのか、はたまた、全体の雰囲気なのか。
あっ、もちろん盗作はだめですよ。お天道様の下を歩けなくなっちゃいます。
ということで、結論です。
書きたいように書けば良いんでないかい。
なお、オリジナリティと人気は別問題だと考えております。じゃないと、「テンプレ」作品群が人気があることを説明できませんし。
「テンプレ」っていうのも、結局、要素を取り出して、頻繁に似たような作品を見かけるって判断ですよね。多くの作品を並べた時に似た様な要素が抽出できるものを「テンプレ」、お決まり、お約束と呼んでいるわけで。
多分、流行のテンプレ要素は変わるのでしょうが、「テンプレ」そのものがなくなる事はないんでしょうね。