第四話
城塞都市ボリバニと言えば、この世界で知らないものは少ない。
まるで物語のような、絵に描いたような、そんな崩壊をしたことがその理由の一つに数えられるだろう。
若くして玉座についた王、グラヴディス五世。
かの王は優秀な武人ではありこそすれ、優れた王にはなかった。
財産を湯水のごとく使い、自らに反する者を義なき理にて全て罰し、その行為によって疑懼に陥り、妄想に囚われるままに無実のものを殺めた。
当然国は乱れ、予てよりその片鱗を見せつつあった違法薬物や奴隷、不法移民がその数を増し、国は内部より崩壊。
これを正そうとした王は聖罰と称して国民を滅ぼそうとしたが、臣下の者に刺されて死亡…王家に仕えし者たちもそれに続いて自害を行なった。
五世が後継を残さなかったため、と考えられている。
その葬儀は王の愛人であった女達によって行われた。
聞けば、その数100を超えていたとのこと。
英雄色を好むともいうが、暴君もかくのごとく、である。
そして今。
かつて難攻不落にして商業の中心地を誇り、落ちることなき陽とまで例えられた栄華を極めし都は既に此処にはなく。
麻薬の密売人や、人から物を奪い取り生活する…俗に言う盗賊というやつである…と言った「ロクデナシ」どもの蔓延る暗澹たる街になってしまっている。
さて、そのボリバニこそ今から私が向かわんとしている目的地なのであり、ついでに言うのであれば最早目と鼻の先と言っても過言ではない場所に存在しているわけだが。
「あぁ、これは…」
あまりにも、ひどい。
他に形容のしようがない。
この世に生まれ落ちて二週間もたたぬうちに、地獄絵図と称するに足りる光景を見るハメになるとは!
簡単な話だ。
多数の男が、一人の女をよってかたって嬲っている。
…嬲る、の解釈は任せることとする。
男は5人。
いずれも、貧相な体に、悍ましい…あぁ、悍ましいとも!
そんな表情を浮かべて、熱に浮かされたかのでもように腰を振り続ける。
女の瞳は既に虚ろだ。
彼女は既に助からない。
女の傍らにはまだ齢十にも届かぬであろう少女が縋り付いて泣いていた。
恐らく、女の娘であろう。
慟哭、絶望…その表情に、男たちは愉悦を覚えているようだ。
…私はダンテの道を歩む。
で、あるからして、あの親娘を不憫と思いこそすれ、助けるなどという気持ちは微塵も湧いてこない…のだが。
奴らが盛っているのは街に入る唯一の入り口、かつては検問を行なっていた場所、即ち門である。
つまり、このままでは入れない。
かと言って、別の方角を目指すことは私の目的に反する…私がかつていた城は世界の最東にあり、この都市を通らずして他の都市に移る手立てはないからだ。
故に、これは縄を投げてやるわけではなく。
ただ、通り道の邪魔であるからして消すのだ。
地面を蹴る。五人、たった五人の死にかけの男たちに遅れを取る道理は何処にもない。
肉薄。
一人目、走りの勢いのままに左足を軸にし、右足の上段を振り上げ、足の甲で頭を蹴り抜く。
二人目、着地の刹那に推進力に任せ、左の膝を股間に。
三人目、手刀を構え、喉仏を刺し穿つ。
残りの二人が異常に気づき、振り返る。
目があった…遅い、遅すぎるとも。
逆突きを二連で距離を詰める。
崩れた相手に左の上段前蹴り。
顎を掠め、そのまま気絶させる。
五人目。
既に攻撃態勢であったため、蹴りを左手でいなし、すれ違いざまに背中に燕飛を叩き込み、軸足を入れ替えて腹に中段の回し蹴り。
…やった本人がなんだが、呆気ないものだ。
しかして、誰も殺してはいない。
気絶止まりである。
…人の命を背負うなんて御免被りたい。
このシーン。
「安心しろ、峰打ちだ。」
…一度言って見たかったセリフである。
峰どころか武器すら持ってないじゃんとか突っ込んではいけない。
「…え…あ…」
か細い声。意思を持って発した、と言うよりは声が漏れた、と言う方が表現としてはただしかろう。
言うまでもなく、少女…つまるところあの女の娘の声である。
目が合う。合って、しまう。
…動くには些かに気まずい。
「ありがとう…ございます…」
やっと、という風態で絞り出された言葉。
言葉には言葉を持って返さなくてはならない。
息を吸い込み、
「助けた覚えはない。そんな義理もない。ただ、この男どもが私の通り道に邪魔だったからだ。
…さて、私はもう行くよ」
我ながら、いい繋ぎ方である。
面倒は、避けたい。
元よりこの都市は出来うる限り最速で抜けたいものであるからだ。
…至極どうでも良い話だが、人と話したのはこれが初めてであった。
しかし。災難とは場所も時も選ばないし、往往にして面倒ごとと言うのはタイミングを選ばないものである。
あぁ、そんな瞳で見られたら。
去るに、去れないではないか。
私の中に…道理は知らんが、微かに感ぜられる道徳観念、一般倫理というものが邪魔をする。
人とは、助け合うものであるし、旅路の情けは人にあらずして己にあり。
しからば、少し恩を売っておくのも悪くない…
「…名前は」
「……………?」
首を傾げ、困惑する少女。
…可愛い。
いや、そうではなく。
「名前を教えろ、と言っている。
…何、少しは共に過ごすであろう関係だ。呼び名に窮しては格好もつかないというもの」
我ながら、傲慢な物言いである。
悪いけど名前教えてもらってもいいかな?
ぐらいのつもりであったのだが、口から飛び出したのは無愛想この上ない言葉。
怯えられては、いないだろうか?
「……!ありがとう、ございます!
エディ、それが私の名前です」
目を輝かせ、声を発する。
杞憂だったようだ。
しかし、その顔をすぐに曇らせる。
「それで…あの、この人は…わたしのお母さん、で…」
わかっては、いるのだろう。
もう、この人は動かない、と。
しかして、年端も行かぬ少女にそれを求めるのは酷というもの。
泣くまい、泣くまいとしているのか。
嗚咽が聞こえる。
なんと言葉を掛けていいやら。
肉親を失うのは悲しい事である。
それは、理解できる。
しかし、共感はできない。
私には、そのような存在がないのだから。
あぁ。だが!
私の中の「ヒト」である部分が告げていることがある。
その行動を私は善と感ずる。
なれば。
少女に近寄る。
強い、強くあろうとする、子なのだろう。
泣き声は既にやみかけていた。
しかし、眼に浮かぶ喪失の色は消える事を知らない。
私は、少女のその小さな背中を強く抱きしめる。
頭を撫でてやる。
何の意味があるか?
それは知らない。
ただ最適と思った行動を取るのみだ。
泣き声は、いつしか大きくなり。
そして、小さくなり。
少女は、疲れ切って眠ってしまっていた。
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