2.0「あたし気になりますまーす!」
第二話
「勇者さまって、ほんとーに記憶喪失なんですか?」
翌朝。
ユージーンさんの家の食卓につき、朝食を食べている時だった。
「どうしたのスピカ、今更そんなこと言い出して」
「だって記憶がないにしては、ずいぶんと博識じゃないですか?」
「はいはいはーい! その話あたしも聞きたーい!」
便乗してアイナもぼくの隣に座った。
つまり、挟み撃ちの形になるな。
この話題からは逃げられないようだ。
「いいかい、そもそも"記憶"って一言でいっても種類があるんだよ。大まかに三つ挙げよう」
ぼくは三本指を立て、
「"エピソード記憶"、"意味記憶"、"手続き記憶"の三つだ。それぞれ対応する脳の領域が違うから、案外一気に全部消えたりしないんだよ」
「うーん、よくわかりません」
「じゃあ一つ目、"エピソード記憶"っていうのは……そうだな。スピカ、昨晩きみは何を食べた?」
「えっと、サラダとかビーフシチューですよね」
「あたしがつくったー」
「うんうん、アイナさんのお料理美味しかったですねぇー」
「そういう過去の経験の記憶が"エピソード記憶"ってヤツなんだよ。昨日何を食べたとか、それは誰が作ったのか、とかね。ぼくが失った記憶もそれだよ。自分が何者か、何を望んでいたのか、みたいなことは思い出せないんだ」
「はえー」
スピカはピンと来ないのか、顎に手をあてて考え込んだ。
アイナは手を上げてぴょんぴょんと跳ねた。
「じゃあじゃあ、他のはどういう記憶なの? あたし気になりますまーす!」
「アイナさん、若干わたしの口調パクってませんか? 気のせいですか?」
「パクってないもーん。いらないならそのソーセージいただきっ、パクっ!」
「あーっ! パクってるじゃないですかー! わたしは好きなものはよけておいて最後に食べる派なんです!」
何やってんだこの二人は。
ぼくの両隣に座りながら、ぼくを跨いでじゃれあっている。
会って一晩なのに随分息が合ってるみたいだ。
ぼくとスピカは夕食の後、ユージーンさんの家に泊まった。
空き部屋が一部屋あったので、ぼくはそこで就寝。
スピカはアイナの部屋で女の子同士一緒に寝たみたいだけど、そこで話でもしたのだろうか。
意気投合しているらしい。
「コホン――とにかく、他の二つ"意味記憶"と"手続き記憶"の話だけど。"意味記憶"は言ってみれば知識のことさ。料理を見て名前を言ったり、その材料を知ってたりするのが意味記憶の作用さ」
「勇者さまが"博識"なのは、その意味記憶が保たれてるからなんですね?」
「そうだろうね」
補足しておくと、ぼく自身に「元々持っていた全ての知識を持っている」という確証はない。
抜けてる部分や欠けてる部分があるかもしれない。
なくなった記憶は、自分では自覚できない。だってそれはなくなってしまったんだから。
意識すらできないんだ。
だから「意味記憶が保たれている」というのも推測になる。
「そして"手続き記憶"は……例えばこのナイフとフォークの"使い方"、あるいは"技能"の記憶と言っても良い。一般的に、この類の記憶は記憶障害になってもなくならないって言われてるんだ。記憶喪失後の人が自動車を運転できたりね……」
「じどーしゃってなんですか?」
「そうだった、この世界には無いのか……だったら乗馬はどうかな。騎士は記憶喪失になっても身体は馬の乗り方を覚えてるってことさ」
「なるほど、納得です! 勇者さまがナイフの扱いがうまかったり、イカサマがうまかったりするのはその"手続き記憶"のおかげなんですね!」
スピカは納得してうんうんと頷いた。
「面白ーい! ねーねー、ニセくんとスピカちゃんのこともっと知りたいなー。あたし、歳の近いお友だちって初めてなんだぁー」
アイナは目を輝かせ、ぼくに擦り寄ってきた。
うっ、この子、自覚があるのかわからないけどめちゃくちゃいい匂いだ。
近くから上目遣いでぼくを見つめ"お願い"してくる。
この色気、天然の魔性ってヤツか? それとも自覚してやってるのだろうか。
「そ、そうしたいのは山々だけどさ、長居するとユージーンさんに迷惑がかかるんじゃないかな?」
ぼくは前の席でもくもくと朝食を食べていたユージーンさんに話を振った。
しかし何か考え込んでいるようだった。
少ししてから彼はぼくの視線に顔をあげた。
「あ、ああ。いや、迷惑じゃあないよ。ニセさん、スピカさんも。良ければこの後何日でもうちに泊まっていってくれ」
「パパ、いいの!?」
「もちろん、二人はパパの友だちだからな」
「やたー! ニセくんもスピカちゃんもずっとうちにいなよー、ねえいいでしょー!」
アイナはスピカに抱きつき、キャッキャと嬉しがっていた。
スピカは「ご迷惑じゃなければ」と控え目に対応しているが、ぼくは……。
ユージーンさんの様子がおかしいのが気になった。
だから朝食の後、彼を家の外に連れ出し、話をすることにした。
2.0「あたし気になりますまーす!」
「ねえユージーンさん、何か悩んでるみたいだけど、何かあったの?」
「わかるのか……いや、あんたの洞察力なら不思議じゃあないか。ああ、アイナのことだ。あの子があんなに嬉しそうにしてるなんて、初めてなんだ」
「へぇ、意外だね。明るい子だと思ったけど」
「人前では明るく振る舞うが、いつもは強がりだ」
そういえば昨日も同じことを言ってたな。
アイナは人前で弱味を見せない。強がるんだって。
「男の子と話すのが初めてだとか、歳の近い友だちが初めてだとか言ってたけど……それに関係してる?」
「あの子は、家からずっと出さないようにして育ててきた。他人の目から隠すように」
「それって"病気"と関係があるのかな。身体が弱いとか言ってたけど……」
「そうだ、だがそれだけじゃあない……あの子は――」
「――普通とは違う」
ぼくの言葉に、彼は大きく目を見開いた。
「気づいていたのか……!」
「いいや、なんとなく気になってたって程度さ。ぼくはそもそもこの世界の事情に詳しくないからね。左右で瞳の色が違うなんてのは稀によくあることだし」
何気なく口をついて出たフレーズだけど、「稀によくある」ってどっちなんだよってぼくは唐突に思った。
ユージーンさんがスルーしたのでぼくは続けた。
「とにかく本当に変わってる所は……耳だよ。普段はおさげで隠してるけど、あの下の耳はやけに長かった。たぶんだけど……人間、じゃないんだね」
「っ……」
彼はしばらく押し黙って。
観念したように口を開いた。
「――"ハーフエルフ"」
「それって人間とエルフの混血って意味?」
「俺は冒険者だったころ、迷宮の中で妻と出会った。あいつはエルフだった。だけど若かった俺たちに種族の違いなんて関係なかった……そんな楽観的な理由で、恋に溺れた。俺達の間に娘が生まれるのはそう時間がかからなかった」
「それがアイナなんだね」
「ああ、だがすぐに現実を知った。俺達は違う種族だ、ずっと一緒にはいられない。同じ時を過ごすことなんてできないんだ……それを知って絶望した妻は、"エルフの国"に帰っちまった」
「エルフの国って?」
「迷宮の中、もっとここより上の階層――"第六階層"にその国はある。俺もたどり着いたことはないが、あいつはそこから降りてきたと言っていた」
「……その話、さ。アイナも知ってるの?」
「いいや、あの子には何も話してない。妻の――母親のこともおぼろげにしか覚えてないだろう。ただ病気だから家から出るなと言い聞かせているんだ。もしもハーフエルフと知られれば、周囲から奇異の目で見られるだろう。誘拐されて、見世物小屋に売られちまうかもしれねえ……俺は怖かった。誰も信用できなかった……隠し通すしかなかったんだ。アイナ自身にも……」
「そうか……」
これがユージーンさんの"理由"。
彼の"願い"か。
負け続けた彼の人生に唯一残ったものだったんだ。
一番大切な娘にまで嘘を付き続ける。
そんな辛さを味わってまで、守りたいものだったんだ。
「だけど――あの子のあんな嬉しそうな姿……見たことなかった。俺は間違ってた、アイナには友だちが必要だ。お願いだ、ニセさん。信用できるのはもうあんたたちくらいなんだ。この街にいる間、うちに泊まっていてくれないか?」
ユージーンさんはぼくに深々と頭を下げた。
「もうお金は稼いだし、街に戻っていろいろするつもりだったんだけど」
「頼む、この通りだ……! 俺に出来ることならなんだってやる!」
「……なんでもするって言ったけど。その"覚悟"はあるのかい?」
「ああ……っ!」
はぁ。
ぼくはため息をはいた。
やれやれ、こうなったらもう断るのは無理そうだな。
「だったら夕食と寝床を提供してよ、毎晩ね」
「……え?」
「今日も夕飯になったら、また食べさせてもらいに来るよ。アイナの料理は絶品だからね、それでいいかな?」
「……ニセさん!」
ユージーンさんは頭をあげ、ぼくの手を勢い良くつかんだ。
「あんたには何かも世話になって……本当に、ありがとう……!」
「いいや、ぼくのおかげじゃないさ」
「え?」
「こっちの話だよ」
ぼくは思い返す。
ユージーンさんの借金をチャラにしたきっかけを作ったのはぼくじゃない。
アイナの心を開かせて、あんなに良い笑顔を引き出したのはぼくじゃない。
ぼくがやったのは、ハイゼンベルグを倒すことくらいだ。
他人を助けるよりも、きっとぼくは……他人を傷つけるほうが得意らしい。
この親子を助けたのは、スピカなんだ。
やっぱり"落ちこぼれ"なんかじゃないよ。
きみは――
次回は本日21時です。