1.2「名前は覚えなくてもいいよ」
「ホッホッホ。ではユージーンさん、これでワシの勝ちですな。借金のカタに娘は頂戴していきますよ、ホッホ!」
どうしてだ、どうしてこうなった?
どこで間違えた? いつから間違えた?
男は頭を抱えてこれまでの人生を回想する。
男の名はユージーン。
第十階層でも辺境地域の小さな村に生を受けた。
農家を継いで一生を終えるなんてつまらない。
そう思って"柱の街"に移り住んだ。
冒険者となった男は、"願い"を胸に上の階層を目指した。
やがて妻と巡り合い、娘が生まれた。
幸せの絶頂だった。
全てを手に入れたと思った。
しかし時は流れ妻は去り、残された娘は病気になった。
薬が必要だ、薬を買うためには金が必要だ。
だけどもう歳だ、冒険者としての体力は残っていない。
コツコツと働くことを知らないユージーンは、やがて酒と賭博に溺れていった。
その結果がこれだ。
娘の薬代を稼げず借金がかさみ。
借金を返すために挑んだ賭博で負けを繰り返し。
全てをチャラにすると持ちかけられた逆転の勝負で負け続け。
最後に唯一残った最愛の娘まで奪われようとしている。
(なんでだよぉ、俺はどこで間違えた……! こんなはずじゃあなかった、こんなはずじゃあ……! もし、もしも――)
「ねぇ、おじさん。もしかしてこう思ってるんじゃないかな? もしも、過去が変えられたら――って」
ハッとして顔をあげる。
そこには奇妙な服装の少年が立って、ユージーンを見下ろしていた。
「負け犬だよ、それじゃあ」
「なっ、お前に何がわかるっ……!」
あざけるように言った少年に、ユージーンは食って掛かった。
少年は顔色一つ変えず、真っ黒く濁りきった瞳で男を見ていた。
「過去は変えられないよ、どれだけ後悔したってね。だから変えるべきは未来だ。おじさんは、未来に何を残したい?」
「何を言って……」
「ぼくに賭けてみないか?」
「……!」
「ただし、賭けるのは"全て"だ。もう失うものはない、残されたものなんてない。プライドも逃げ道も捨てて、死ぬ覚悟を決めなよ、おじさん――でなきゃ一生、負け犬のままだ」
ユージーンを"まっすぐ"に見つめる少年の瞳。
それは、虚無に満ちていた。
折れ曲がり、何度もひねくれて、最終的にまっすぐに戻ってきたような。
そんな複雑怪奇な視線だった。
「っ……!」
ゴクリ。
ユージーンはつばを飲み込み、そして。
コクリ。
その首を、縦に振った。
「俺はどうなってもいい……生命だって賭けてもいい。だけど、娘は違う。あいつは俺とは違うんだ……未来がある。だから、助けてくれ!!」
「決まりだね」
虚無の瞳を持つ少年は、喜んでいるのか怒っているのか哀しんでいるのか楽しんでいるのかわからない、奇妙な顔で言った。
「ぼくはニセ勇者のニセ。名前は覚えなくてもいいよ」
どうせ――ニセモノだから。
1.2「名前は覚えなくてもいいよ」
スリから財布をスってお金を手に入れたところで、もう暗くなりかけていた。
夜が近い。
妙なことに、空の無い迷宮の中にも1日24時間という時間のサイクルがあるようだった。
ぼくとスピカは"柱の街"の大通りから一つ裏の路地に入った。
酒場、それが次の目的地だ。
「勇者さま、お酒を飲まれるんですか?」
「いいや、そもそもぼくは未成年だ……たぶん、ね」
ぼくは"記憶喪失"だ。自分の年齢すら思い出せない。
着ているのが高校の制服だってとこから、たぶん10代半ばなんだってことは推測できるけど。
「お金を100倍に増やすときたら、てっとり早い方法は一つ。賭博だ」
「賭博ってちょっ、危ないですよぉ! 賭け事は身を滅ぼすって大神官さまが言ってました!」
「その教えは正しい。だけど一つ付け加えないとね。賭け事は『負けたヤツが』身を滅ぼす、ってさ」
「ちょ、勇者さま待ってください! わたしも行きますから!」
ぼくらは酒場に踏みった。
ギロリ。
タバコ臭い空間から荒くれ者たちの視線が集中砲火を浴びせてくる。
「ボウズ、入る店ぇ間違えたんじゃあねえのか?」
カウンターからマスターがそう言った。
「間違っちゃいないよ」
ぼくはカウンターにお金の入った袋をドシン、と叩きつけた。
店がざわつく。
「そのカネで何頼もうっていうんだ、ミルクか? ママのオッパイなら家に帰ってねだりな」
「ああ、ここのマザコン野郎どもに一杯おごってやろうと思ってね。ミルクを、さ」
「冷やかしなら帰りな、痛い目に合う前にな」
「勇者さまぁ、帰りましょうよぉ……」
スピカが涙目で限界をうったえ、ぼくの袖をひっぱった。
よしよし。怖くないよ。
ぼくはスピカの肩をぽんぽんと軽く撫でた。
「子どもは"客"として認めない。その気持ちはわかるよ。だから一つ賭けをしないか、マスター?」
「……ほう?」
「勝ったらぼくを客と認める。負けたらここにあるお金全部使って、ここにいるみんなにお酒を奢る。ぼくはおとなしく帰る」
「いいだろう、何で勝負する」
マスターは腕を組み、ニヤリと笑った。
やはり賭博好きなようだ。顔をみればだいたいわかる。
ぼくは店の奥の壁にかかっているダーツの的を指差した。
「あの真ん中に当てたらぼくの勝ちってのはどうかな?」
「なるほど、内容はボウズが決めたから、ルールはこっちが決めるぜ。ダーツは三本やる、その内一本でも当てたらボウズの勝ちだ。距離はここからじゃあ遠すぎるな、あそこの床の線から――」
「え、何――聞いてなかった」
サクッ。
ブレなく小気味のいい音を立てて、ぼくの手からはなれたナイフが的の中央を貫いていた。
「悪いね、説明が長かったからつい。で、あの真ん中の黒星に当たるのをなんていうっけか……確かそう、"大当たり"だ」
ざわ、ざわ。
店内がさらにざわついた。
べつにナイフ投げがうまいってアピールしたかったわけじゃない。
こういうところでは舐められないことが一番大事だ。
「こいつはタダものじゃない」そう思わせるための"パフォーマンス"。
「ボウズ、ただのガキじゃないようだな。何が望みだ?」
「賭博だよ、夜になったらやってるんだろ? こういうところならさ」
「そうだな……ちょうどいい、奥の席。あそこの勝負が今終わる」
マスターが指差した先には、賭博用の広めの卓があった。
それを囲むように四人の男が座って、ポーカーをしている。
こんなところで行われるポーカーだ。楽しい"遊び"って感じじゃない。
一人の人生が壊れても仕方ない。生命の削りあいだ。
「オラ、次の"お客さん"が来た。立ちな!」
マスターは手前に座っていたみすぼらしい服装の男をひっつかんで、席からどかした。
男はマスターの身体にすがりついて抵抗する。
「待ってくれ、もう一度チャンスを……! このままじゃあ、娘が!」
「もう無理だ。ここまで借金がふくれあがっちゃあな。アンタはもう"客"じゃあねえよ」
「そんな、頼む……娘は病気なんだ……」
「ホッホッホ、だったらね。ユージーンさん」
卓の奥側に座っていた見るからに金持ちそうな太っちょの男が、ゲスい笑みを浮かべて言った。
「あなたの娘――噂によると絶世の美女だとか」
「なっ……どこでそれを……!?」
「ユージーンさん。あなたの娘さんがちょーっとワシに"ご奉仕"してくれたらねぇ。借金も薬代もチャラになるんですがねぇー、ホッホ」
「ふざけるなっ……娘は身体が弱いんだ、そんなことさせられるか……!」
「しかしねぇユージーンさん。もう選択肢はないんですよ。あなたの借金、一生真面目に働いても返せないくらい膨れ上がっちゃってますからなぁー。ホッホッホッホ!! 存外、娘の病気というのも嘘なんじゃあないですかな? 美女だということを隠すためのねぇ!」
「法外な利子を押し付けてきたあんたが言うことか!」
「ゆ、勇者さま、あれ……!」
スピカは絶句し、ぼくの腕にぎゅっとしがみついた。
ぼくらはまさに人一人の人生が壊れる瞬間を見ていた。
「なんで、こんなこと……」
「コルネリウスさんの教え通りだね。負けたヤツは身を滅ぼす」
「だけどこんなの、人が人にやっていいことじゃないです……」
「それができちゃうのが人間なんだよ、残念ながら」
マスターはユージーンと呼ばれた男を店から引きずり出そうとしていた。
「やめさせないとっ!」
「落ち着きなよ、きみが行ってどうなる」
駆け寄ろうとするスピカをぼくが制止した。
「どうしてですか! このままじゃあの人も、娘さんまで……!」
「それが賭博だよ、自業自得だ」
「それでも、見捨てるなんてできません!」
スピカはぼくが止めるのをふりきって男の所へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「……やめてくれ、俺は娘と同じくらいの女の子に同情されるほど落ちぶれちゃあいねえよ……」
「ホッホッホ。ではユージーンさん、これでワシの勝ちですな。借金のカタに娘は頂戴していきますよ、ホッホ!」
床に這いつくばるユージーンさんを見下ろし、太っちょの男が笑った。
そして両隣に座る二人に目配せをすると、両隣の男が頷いた。
なるほど、そういうことか。両隣のヤツらはグル。
イカサマギャンブルだ。
この男が負けることは、既定路線だったってわけだ。
最初から勝負は成立していなかった。
だからといって首突っ込む義理はないけど。
スピカは言っても聞かないだろうし。
参ったな、軽いゲームでもして楽しく金を稼ごうって思ってたのに。
思いもよらない大事になった。
まあそういう予想がつかないゲームってのも、悪くはないか。
「ねぇ、おじさん。もしかしてこう思ってるんじゃないかな? もしも、過去が変えられたら――って」
ぼくはユージーンさんを見下ろしてそう言った。
「負け犬だよ、それじゃあ」
「なっ、お前に何がわかるっ……!」
「過去は変えられないよ、どれだけ後悔したってね。だから変えるべきは未来だ。おじさんは、未来に何を残したい?」
「何を言って……」
「ぼくに賭けてみないか?」
だけど半端な覚悟じゃ勝てない。
だから。
「ただし、賭けるのは"全て"だ。もう失うものはない、残されたものなんてない。プライドも逃げ道も捨てて、死ぬ覚悟を決めなよ、おじさん――でなきゃ一生、負け犬のままだ」
「くうっ……俺は、俺はどうなってもいい……生命だって賭けてもいい。だけど、娘は違う。あいつは俺とは違うんだ……未来がある。だから、助けてくれ!!」
「決まりだね」
この男も理解できたようだ。生命を賭けなければ勝てない。
これでいい、思い切りやれる。
「ぼくはニセ勇者のニセ。名前は覚えなくてもいいよ。どうせ、ニセモノだから」
ぼくはユージーンさんと太っちょの男の間に立ち、宣言する。
「このゲームはぼくが引き継ぐ。借金も全部ね。そのかわり――賭け金を追加するよ」
卓の上にお金の入った袋を置いた。
「賭けるのはこの全額と……この男、ユージーンさんの娘もだ」
「なにぃ!」
「おっと、ぼくに全部賭けたんだろ? 口出しは無し、だ」
「ぐぅ……!」
「元々あんたが破滅すれば娘は取られる。条件としては同じさ」
そうして、ぼくは卓に座った。
目の前の太った男はニヤリ、と歯を見せて笑った。
「ホッホッホ、お坊ちゃん、勇気があるねぇ。ワシはそういう若者は大好きだよ。いいでしょう、勝負しようか」
ざわざわざわ。
ギャラリーがざわつく。
「マジかよ……あの"ハイゼンベルグ"とただのガキが勝負するって……?」
「だがただのガキじゃあねえぞ、さっきのナイフ見ただろ」
「あんなの曲芸だろ、本物の勝負師には通用しねえ」
「なんせ……あの"ハイゼンベルグ"がここらを取り仕切ってるんだからな……」
ハイゼンベルグ。それが太った男の名前らしい。
そこそこ名の知れた勝負師で通っているようだ。
「お坊ちゃん、ポーカーのルールは知っているかな?」
「ああ、カード5枚で役を作ってチップを賭ける。オリるかツッパるかの駆け引きを楽しむゲームさ」
「結構。人数は4,5人が一番面白いからね。人数合わせに2人同席させてもらってもいいかな?」
「いいよ、じゃあ人数あわせは互いに一人ずつギャラリーから指名すること」
「それで"平等"だねぇ、いいよいいよ。そうしようじゃあないか、ホッホッホ!」
ぼくらは対面で席につき、両隣にギャラリーから適当に選んだ男が座った。
その直後、ハイゼンベルグが両隣の男にアイコンタクトを送ったのを見逃さなかった。
……思った通りだ。やつらもグル。
というか、この店のギャラリーはほぼ全員ハイゼンベルグの手下と考えていい。
この店で勝負するかぎり"平等"なんて存在しない。
「では、始めるとしようか。ホッホ、ディーラーはワシから。1ゲームごとに時計回りで交代ということで」
「どうぞ、始めて」
ハイゼンベルグは慣れた手つきでカードを配りはじめた。
ボギッ!
「っ――ギャアアアアアアアアアアアアアアア!! ワシの指、指があああああああああああああ!!」
叫び。
ハイゼンベルグの指が変な方向に曲がっていた。
というか、ぼくが曲げた。
「いつの間に……! な、なぜこんなことを……!」
「"なぜ"って、そんなこと自分が一番わかってるんじゃないのか?」
ぼくはヤツが配ろうとしていた山札を奪い取って、一番下の四枚を取り出し卓上に置いた。
ヤツの手元にある1枚とあわせて、フルハウスの役になる。
「"ボトム・ディール"か。なかなかの腕前だけど、ぼくには通用しない」
「ぐぬぬぅ……!」
「ボトム・ディールってなんですか?」
後ろから見ていたスピカが疑問を口にした。
隣に立つユージーンさんが答える。
「ボトム・ディールは有名なイカサマの一つだ……山札の一番下に狙ったカードを集め、自分にカードを配る時だけ下からカードを引き抜く……俺はこれを見抜けなかったのか」
「わたしだって全然見えませんでしたよ! 一瞬で見破った勇者さまがすごいんです!」
ギャラリーも腕を組んで感心していた。
いま指を折られた男の手下だってのに、あまり動じていないようだった。
しょせん、金で雇われただけの集まりらしい。
「ホ、ホッホッホ……やるねぇお坊ちゃん。ただの子どもじゃあないようだ。だけど人の指を折るなんておじさん感心しないなぁ」
「折ってないよ。関節を外しただけさ」
ぼくはハイゼンベルグの指を握り込み、もとの位置にハメ込んだ。
「イカサマを責めてるわけじゃない。真剣勝負の場じゃ、当然のことだよ。生命を賭けた戦いだからね。だけどバレたら話は別なんだよ、ペナルティを負う覚悟はしてもらう」
「なるほど……お坊ちゃんに低級なイカサマは通用しないということだね」
「そういうこと。次は本当に指が折れると思って欲しいな」
ぼくは後ろにいるスピカとユージーンさんに言う。
「ぼくの後ろに立って視線を遮っといてくれないかな、ギャラリーから手札を見られるかもしれないからね」
「は、はいぃ!」
ぽにゅん。
スピカがいそいそとぴったり背中についた。
そこまで近づかなくてもいいんだけど……肩と頭にあたってるよ、柔らかいのが。
「ホッホッホ、本当に抜け目のないお坊ちゃんだ……」
ハイゼンベルグの目がギラリと光る。勝負師の目だ。
ギャラリーも同席者もグルだとぼくが気づいていること。
もう、ハイゼンベルグもわかったのだろう。
「互いの手の内はだいたい割れた。ここからが――本当の勝負だ」
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