1.0「勇者さま、事件です!」
巨大な"天蓋"に閉ざされた世界があった。
世界の中心を貫くように絡み合い、昇ってゆく二つの柱"星脊柱"があった。
柱を中心に12の階層に別れた天蓋が積み重なり。
それぞれの内部には複雑な"迷宮"がひろがっていた。
外界からの侵攻をさまたげ、空をふさぐその巨大建造物を。
何者が、何の目的で造ったのか。
神々の時代の"遺物"か、はたまた古代の王の"墓標"なのか。
もはや誰一人として知る者はいなかった。
残されたのは、たった一つの伝説のみ。
『迷宮の最果て"第零階層"へと至り"星櫃"を手にしたものは、"星神"の名において願いが叶えられるだろう』
願いを賭けて幾多の冒険者が挑み、夢半ばに敗れ、生命を落としていったダンジョンの名を、人々はこう呼んだ。
――"天蓋迷宮"と。
第一話
「ですから、規則なんです」
「そこを何とか」
「規則は規則ですから」
「お願いしますよぉー、事情はさっき話しましたよね」
「記憶喪失だろうとダメなものはダメなんです。もう一度ご説明いたしますが」
キリっとした目つきの女性は「こほん」と咳払いをして、
「我々"迷宮機関"は冒険者一人ひとりの情報を管理するのが仕事です。冒険者として"柱の街"に入りたければ、"冒険者登録"をしていただく必要があります」
「マニュアル通りの説明どーも。もう聞き飽きたよ、耳タコだ」
「冒険者登録には最低限名前が必要です。保証人は"大神官コルネリウス"様と聞いていますから、身分や出身地の証明は問題ありません」
「その名前が思い出せないのが一番の問題なんだけどなぁ」
ぼくはほとほと困り果てていた。
"天蓋迷宮"に入るための最初の目的地"柱の街"にたどり着いたスピカとぼく。
だけど街に入るためには、冒険者登録が必要だと言われて足止めを食らっていた。
出身地や保証人はコルネリウスさんが手を回してくれたみたいだけど。
ぼくには肝心な"名前"がない。個人を識別するためには最低限これが必要だ。
「ね、お姉さん。そのメガネめちゃくちゃ似合ってますね。アンダーリムの赤ブチ。キリッとしたまつ毛が映えるし、色彩センスもばっちり。クールな表情の下に隠された情熱的な魅力を引き立たせるコーデイネートが――」
「お、お世辞を並べてもダメなものはダメなんです……」
「ダメかー。本音なんだけどな」
受付のお姉さんは顔を少し赤くしてうつむき、メガネをクイッと直した。
どうやらダメじゃなさそうだ。
「……はぁ、わかりました。名前が思い出せないなら、今回だけは"仮名"での登録を許可します」
「マジで!? お姉さんありがとう! 美人はやっぱり違うなぁ」
「現金な方ですね……。しかし名無しでは規則上許可できませんから、ちゃんと仮名は考えてくださいね」
「仮名、か……」
少し悩んでから、ぼくは思い出した。
ネリヤ神殿でのコルネリウスさんの言葉を。
『しかしその判断が思わぬ結果を生んだ――お主じゃよ。13番目の"ニセ"勇者殿』
「ニセ勇者、か……うん、決めたよ。ぼくの名前は――」
――ニセ。
「ニセ勇者のニセ……ってことで」
1.0「勇者さま、事件です!」
「勇者さま、見てください! あれが"星脊柱"、この世界の中心ですよ!」
スピカが指差した先に巨大な二つの柱が見えた。
この街の中心部から天に向かって登るその柱は、近くで見るとやっぱり大きい。
底面積で言うなら東京ドーム一個分かそれ以上は余裕であるんじゃないか。
「あの柱が各階層を繋ぐ"出入口"になってるんです。この"柱の街"は迷宮を目指す冒険者さんたちのために作られた"迷宮都市"なんです」
「その迷宮都市を管理するのがさっきの"迷宮機関"ってわけか」
「勇者さま、お詳しいですね!」
「さっき嫌というほど味わったよ」
それを聞いてスピカはたはは、と苦笑いした。
「冒険者登録に随分時間がかかりましたからねー。だけどわたしたちはまだマシなほうです、大神官さまのおかげで身分は保証されてますから」
「なんでそんなわずらわしい手続きが必要なのかねぇ」
「迷宮は危険なところですから、入ったはいいもののそのまま行方不明になる人がたくさんいるんです。そんな冒険者さんのご家族に情報を伝えるのも"迷宮機関"のお仕事ですから。冒険者さんたちの記録を一つ一つ管理するのは大切なことなんです」
「へぇ、きみの方こそずいぶんと詳しいみたいだね」
「……そう、ですね。わたしも以前、お世話になりましたから」
スピカは一瞬立ち止まって、
「勇者さま?」
ずいっと顔を覗き込んできた。
近い。
吐息が頬を撫でるような距離で、スピカは心配そうに言う。
「本当に……良かったんですか?」
「ど、どうしたの? 急にしおらしくなって」
「迷宮は本当に危険な場所です。勇者さまは"願い"を覚えてないって……だったら危険を冒してまでわたしと一緒に来てくれる理由なんて……」
「そう言われればそうだね」
天蓋迷宮の最終地点"第零階層"にたどり着けば、"願い"が叶う。
ぼくら勇者は、"全てを捧げてでも叶えたい願い"を持った人間から選ばれ、別の世界から呼び出された。
だから先に旅立ったという12人の"ホンモノの"勇者も、願いを原動力に旅立った……らしい。
そりゃあ、そうだろう。
誰だってわざわざ報酬もなしに危険な旅に乗り出したりしない。
"願い"がないぼくには、"理由"がない。
だけど。
「理由はない、だけど当面の目標はできたよ」
「目標……ですか?」
「探してみようって思うんだ。ぼくは誰なのか。何のためにここに来たのか」
ネリヤ神殿を旅立つ時、コルネリウスさんがぼくに言ったんだ。
『勇者殿はおそらく、何か意味があってこの世界に来たのじゃろう。スピカと旅をすれば、それを見つけられるかもしれん』
って。
べつに、そんなあいまいな言葉を信じたってわけじゃないけど。
今はそれで良いって、なんとなく思えたんだ。
「だからそれが見つかるまでは、一緒に行くさ。きみと」
「……はいっ! 勇者さまぁっ!」
「ちょ、きみはまた!」
スピカはまたぼくに抱きついてきた。
出会ったときから何度目だろう。
「抱きつき癖でもあるの? そういうことは軽率にやらないほうがいいと思うよ」
「大丈夫です。わたしがこんなことするの、勇者さまだけですから!」
「じゃあいいけど……いいのか?」
「いいんです!」
疑問に思いつつもスピカの勢いに押し切られ、しばらく腕にしがみつかれたまま歩くハメになった。
可愛い子に抱きつかれるのは悪い気分じゃないけど、心拍数が無駄に増えるから疲れやすい。
もにゅん。
……腕に感じるこの感触で、今回はチャラってことにしておこう。
"柱の街"の中心"星脊柱"を目指して歩くと、大通りに出た。
迷宮都市とは言っても、見た目は大きな駅前商店街って感じだった。
宿屋や商店が立ち並んでいる大きな道を、たくさんの人々が行き交っている。
「ここは冒険者さんたちが上層から持ち帰った"戦利品"も売りに出される市場ですから、珍しいものだって手に入るんですよ! もちろんお金があれば、ですけど」
「お金か。そういえばコルネリウスさんにもらったよね。いまどのくらい持ってる?」
「ばっちりのぐーです! それなりの装備を買えるくらいはもらったので、期待しててくださいよぉー」
ペロリと舌を出して、ガサゴソとバッグを漁るスピカ。
しかしその手がピタリと止まって、
「勇者さま、事件です!」
待て。
待ってくれ。
さすがにそこまでドジってわけじゃないんだろう?
"落ちこぼれ"なんて呼ばれるのも、相対的なものであって。
「うんたらかんたらの劣等生なんて言いつつ実際全然劣等生じゃないどころかむしろお前が最強じゃねーか!」的なアレなんだろ?
そうなんだよね?
そういうドッキリの前フリなんだよね。
そうだ、そうだって言ってくれ……!
「お財布……なくしちゃいました!」
次回は3/3の21時を予定しています。