3.6「さよなら、最悪の世界」
彼は悪い意味で目立つ少年だった。
二人組みを作ればかならず一人余る。
そういう人間だった。
子どもたちはクラス替えの度に、新たなグループを形成する。
こぞって、自分がどこかに帰属している安心感を得るために。
しかし彼はそのどこにも所属できなかった。
彼はどちらかと言うと"オタク"だったが。
オタクグループにも所属できず。
だからと言って"リア充"グループにも所属できず。
新年度を迎える度に彼は孤独を強めていった。
(くっだらねえ)
彼はそういった人々の弱さを侮蔑的に見ていた。
独りじゃ何も出来ない弱い人間たち。
だから群れて安心する。
だけど、群れるのだって簡単じゃない。
人が数人集まれば、それだけで争いが起きる。
それが人間社会の逃れられない法則だ。
しかし彼らはその方法を本能的に知っていた。
かつての統治者が、農民たちが自分の立場に不満を抱かないように、さらにその下の被差別階級を作り出すことで平和を保とうとしたように。
人間たちは、『自分以下の存在』を作り出し、虐げ、嘲笑うことで。
『自分たちはこいつよりマシ』だと思って安心する。
子どもとて例外ではない。
そのターゲットとなったのは彼だった。
彼は悪い意味で目立つのだ。
小学校の頃から彼はグループに入れなかった。
それだけならまだ良かった。
中学校になった時、それは"イジメ"に変わった。
「……ホント、くっだらねえ」
切り刻まれた体操服と教科書を持って帰る。
両親は共働きだ。めったに帰ってなんてこない。
体操服を縫い、教科書を補修するのは自分の仕事だ。母になんて頼めない。
べつに、虐待されてるわけじゃない。
たまに帰ってきた時は手料理だって食べさせてくれる。
だけど、愛着を持つにはあまりにも一緒にいる時間が短かった。
もはや"家族"としての機能は失っていた。
「知ってんだよ……母さんも父さんも、仕事が忙しいとか言ってるけど……本当は、どっかで自分の男と女を作って楽しんでんだろ」
彼は嫌悪していた。男と女の営みというものを。
クラスの奴らは当たり前のように「○○が××を好き」なんて話題で盛り上がり、一喜一憂し、怒ったり泣いたりする。
しかし彼にとってはそんなもの全部欺瞞でしかなかった。
愛とか恋とか、全部嘘っぱちだ。嘘の世界で奴らは生きている。
永遠の愛を近い合って結婚したはずの両親がそれを証明してくれた。
一時の気の迷いだ。
他人の気持ちが変わらないとか。
自分を無条件で愛してくれる他人がいるとか。
どうして楽観的に信じられるのだろう。
男と女の言う"愛"なんて。
肉体的な快楽を一時的に味わっているだけだ。
それを清らかで尊いもので。
当たり前のように語る神経が理解できなかった。
体操服を切り刻まれ、教科書を切り刻まれ。
彼は授業や部活動にまともに参加する機会を与えられず。
そのせいか、勉強も運動も苦手になった。
足はクラスで一番遅いし、成績も悪い。
周囲から評価される長所なんて一つもなかった。
髪を切ったり服を買う機会もないから、身だしなみも悪くて。
自分で髪を切ったらバサバサで不格好になり。
よけいに女子から遠ざけられた。
風呂には毎日入っているのに「臭い」と言われる。
歯も毎日磨いているのに「臭い」と言われる。
だから身体じゅう必死にゴシゴシと洗ったら、全身から血が出た。
血を落とすためにまた洗ったら、傷だらけになって、痕が残った。
「気味が悪い」とみんなまた遠ざかった。からかわれた。
「フランケンシュタイン」とかいうアダ名までつけられた。
「フランケンシュタインは怪物を作った博士の名前だっての……脳みそがねえのかお前ら」
調べてみると、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』の正式なタイトルは、『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』だった。
プロメテウスか。
悪くないな、と彼は思った。
唯一の楽しみはライトノベルとか深夜アニメとかゲームとか。
一人で楽しめるコンテンツだった。
特に彼が好んだのは剣と魔法のファンタジーだった。
そこには嘘はなかった。
正直な世界がそこにはあった。
努力すれば報われる。
努力しなくても報われる。
ステータスが高ければ勝てる。
スキルが強ければ勝てる。
その世界では、主人公は勝者になれる。
負け続けた人生を、そこでだけは取り戻せる。
そう思えた。
授業をサボってトイレでスマートフォンのゲームをするようになった。
休み時間になると、個室の上から水がかけられた。
だけど、彼のスマートフォンは防水だったから無事だった。
「国産スマホ舐めんな……」
ニヤリ。
勝った気がした。この世界があればそれでいい。
そう思えた。この世界を守り抜けば、もう自分は負けない。
そう、思ったんだ。
3.6「さよなら、最悪の世界」
高校一年生の春。
彼は、恋に落ちた。
当然、初恋だった。
「そのゲーム、キミも好きなの?」
高校に進学して、中学までの同級生は随分減った。
進学校に行けばもっと減ったのだろうが、そんな学力はなくて。
地元の高校に進学したから、まだ彼をイジメた奴らはいなくなったわけじゃない。
それでも、少しだけ居心地は良くなった。
新学期、たまたまとなりの席になった"長い黒髪の女の子"は。
笑顔で話しかけてきてくれた。
彼がやっていたスマートフォンのゲーム画面を指差して。
「お、おおお、俺、これ好きだよ……」
そんな経験なかったから、どもった。
「すごいねー、EXなのに全部パフェじゃん! 私ハードでも全曲クリアできなくて困っちゃうよー」
「こ、こういうのは……慣れだから……」
全然うまく返せない。
だけど"長い黒髪の女の子"は笑って、ゆっくりと彼の話につきあってくれた。
「私ね、新しい学校で不安だったんだぁ。だけど趣味の合う人が見つかってよかった。これからよろしくね!」
「あ、ああ……」
ミシミシと、音を立てて。
心の壁が崩れる音を聞いた。
彼は――恋に落ちたのだ。
それからは楽しかった。
彼女とは、別段親しいわけでもなかったけど。
教室にいる時は話をしたし、放課後に他愛ない雑談をすることもあった。
駅まで一緒に歩くとか。
そのくらいの距離感だけど。
心地よかった。
「私ね、好きな人がいるの」
そう言われたとき、彼はドキリとした。
(そ、そういうのって、フラグってやつじゃないのか?)
漫画とかアニメとかラノベとかだと。
好きな人ってのは自分のことに違いない。そう思った。
だけど一応口には出さず、話を聞いてみることにした。
「○○くんっていうんだけど……キミと中学まで一緒だったよね。お願い、○○くんに話を通してほしいの!」
「……」
○○とは。
彼は思い出す。
そいつは、そいつの名はよく覚えてる。
自分の教科書を切り刻み、体操服を切り刻み。
上から水をかけ。
キモい、臭いと言いふらし。
散々彼を苦しめて。
そしてクラスを一つにまとめた、英雄だ。
高校になって、○○の悪行はナリを潜めた。
すっかり丸くなって、周囲のリーダー的存在となり。
もともと髪型や服装だけは立派な雰囲気イケメンということもあり。
モテていた。
"黒髪の女の子"も、彼を好きになる少女たちの例外じゃなかった。
「あいつは――俺を苦しめた!」
彼は叫んだ。○○の悪行を、罪を。
目の前の少女に教えたい。
騙されてほしくない。
人間の本質は変わらない。あいつは悪だ。
人を虐げる悪の心の持ち主だ。
「……そう、なの……? でも、それって昔のことでしょう? 今は優しい人だよ……」
「人間の本質は変わらない! 昔はヤンチャしてたけど今はすっかり"いい人"だってか!? そんなの錯覚なんだよ! 悪人の"良い一面"を『自分だけは知っている』と優越感を感じたいだけなんだよ! だけどそんなの、自分の優しさを誇示したいだけの矮小な自尊心の現れなんだ! そんなの"ホンモノ"じゃないんだ! わからないのか!?」
「キミに、なにがわかるの……○○くんの……」
「わかるんだよ! 俺には全て分かってる、お前なんかよりずっとな! お前が俺に話しかけてきた理由がわかった。おかしいと思ってたんだ、俺なんかに話しかけるまともな女子がいるわけがないってな。最初から、○○と繋がりをもつために俺に近づいたな、同じ中学だから、好都合だからってな!」
「違う、違うよ! ただキミが寂しそうだったから……」
「それを同情っていうんだよ! お前は自分が相手に優しくできるってことをただ周囲に見せつけたいだけなんだよ! 俺みたいなぼっちの相手をしたり、もともと他人をイジメていた屑野郎を"今はいい人になった"からって擁護して、あまつさえ付き合いたいだと!?」
怒りが収まらない。
これをぶつける相手がずっといなかった。
友だちも、両親もいなかった。
だから一番大切だった人に、それをぶつけた。
初恋の相手。
"黒髪の女の子"に。
「ひどい……ひどいよ……どうしてそんなふうにしか考えられないの? どうしてそんな生き方しかできないの……?」
「そうしたのは……お前やお前の好きな男たちだ……!」
少女はその場を走り去った。
こうして彼の初恋は終わった。
そうして彼は悟ったのだった。
信じられるものなんてなにもない。
他人を信じて、期待すれば裏切られる。
自分は生まれる世界を間違えた。
次の世界に期待することとしよう。
学校の屋上から見る景色は、やっぱりキレイじゃなかった。
彼は夕焼けや星空をみて、キレイと感じたことがない。
だけど今日は、きっとキレイになると思った。
ゴミみたいな自分が、この世界から去るんだから。
世界は少しだけキレイになる。
「さよなら、最悪の世界」
屋上の柵を乗り越え、彼は宙に身を投げだした。
ふわりと身体が浮く感覚。
今までの出来ごとが蘇ってくる。
走馬灯だ。
いい思い出なんて一つもなかった。
あの"黒髪の女の子"との想い出も、今になっては忌まわしい。
だけどこれで終わる。全部終わるんだ。
――ドスッ!
自分の体が弾け跳ぶような感触。
いや、それはおかしい。そうなればもう自分は即死しているはずだからだ。
だったらなぜ――
彼は目を開いた。
そこは、知らない天井だった。
「ネリヤ神殿へようこそ」
知らない声が彼に話しかけた。
女の子の声だ。黒髪の女の子とは少し違う。
だけど人生で二回目の、『自分に対して好意的な声』だった。
「あたしはアルネヤ、この神殿の巫女よ。詳しい事情はこれから説明するけど、最初は自己紹介から始めましょう。あんたの名前は――?」
「俺は……マサト」
彼は――マサトは思った。
生まれ直したこの世界では。
自分の名前を呼んでくれる人が、覚えてくれる人が。
一人でも増えたら良いな、と。
次回は本日3/18の23時半です。




