2.7「その名は――"虚無の瞳(ニヒロクロミア)"」
「こいつっ……なんだこの"疾さ"は……!」
再び密着に近い距離まで接近してきたニセの連続攻撃に、ルーサーは翻弄されていた。
ニセの身体能力は低い。術式強化がほどこされていないからだ。
"疾さ"ならば本来ルーサーが遥かに上回るはず……。
なのに、右手に、左手に、不規則に出現して消失するナイフの波状攻撃――ニセの技"隠し腕"を防御するのに精一杯だった。
(右……左……どっちだ、どっちから来る!)
ルーサーは一流の"迷宮騎士"。
当然動体視力も高い。しかしこうも密着されては左右から現れるナイフどちらかが死角に入る。
左右に一瞬で移動するナイフを目で追いきれないのだ。
「く、うおおお! このオレがぁ……!」
2.7「その名は――"虚無の瞳"」
「ルーサーは完全に冷静さを失っていますわね」
「そうですよ、勇者さまが優勢です! がんばれ、勇者さまー!」
壁の外から観戦しているスピカとラウラ。
ラウラは気づき始めていた。この戦いの"仕掛け"に。
「スピカ、本当にわかっていますの? ニセがなぜ優勢に転じたか」
「え、そんなの勇者さまのほうがスピードが"疾い"からじゃないんですか?」
「……いいえ、基礎的な攻撃速度はルーサーのほうが上ですわ。この勝負、ニセが優勢になったのには明確な"別の理由"があります」
「な、なんですか、それ!?」
「"間合い"です」
「間合い?」
「剣術では基本的なことですわ。互いの体格と武器のリーチを把握し、相手の攻撃が届かず、そして自分の攻撃が届く距離を把握すれば一方的に勝つことができる。本来恵まれた体格とリーチに勝るロングソードを使うルーサーは圧倒的有利のはずだった……ニセは戦う前にそのことに気づいたのでしょう」
ラウラは思い出す。
ニセは武器を選ぶ段階でルーサーの武器を確認していた。
その上でナイフを取った。
圧倒的不利とわかっているのに。その不利を有利に変換する算段を着けていたのだ。
「ニセがルーサーを挑発したのには意味があったのですわ、ルーサーを怒らせ、無理やり間合いを詰めさせる。それが狙い。ルーサーの有利な"間合い"からの攻撃を受けきることで膠着状態を作り出しはしたものの、リーチの差を埋めるほどの剣術と身体能力はニセにはない。だからルーサーのほうから間合いを詰めさせるよう、精神的に追い詰めた」
「なるほど、じゃあ勇者さまがデタラメを言っただけで、ルーサーさんって本当はロリコンさんじゃなかったってことですね!」
スピカが若干ズレた感想を口にした。
「そう……であって欲しいですわね」
はっきり言ってルーサーはラウラの好みではなかった。
野獣のような筋骨隆々で毛深い男はエレガントではない。性格も粗野だ。
何より――世界中の誰より嫌いな男を思い出す。母を不幸にした男を。
「それはともかく――ルーサーは冷静さを失い、有利な間合いを保つことができなかった。今、ニセとルーサーは密着状態で戦っている。この状態ではナイフのほうが遥かに小回りがきく……それだけではありませんわ、ニセの"隠し腕"が二人の剣速の差を埋めている。正直言って、凄まじい戦闘センスという他ありませんわ」
「でしょでしょ! 勇者さまはミノタウロスにだってナイフ1本で勝てちゃうんですから、このくらい当然です!」
「コルネリウス様から聴いてはいたものの、正直半信半疑でしたわ。ですけどこれを見せられたら……信じざるを得ませんわね」
ミノタウロスは強い。
Cランクくらいの冒険者までなら一対一では手も足も出ず叩き潰されるだろう。
普通なら術式の使える冒険者が複数集まって連携をとるか、Bランク以上の冒険者がいなければまともな戦いにならない。
それを術式無しで一人で倒すなど……"すごい"では済まされない。
"異常"というべきだ。
「それでも……優勢に見えるこの状況も所詮はトリックに基づいたもの。砂上の楼閣……逆転の手段は目の前にある。ルーサーはそのことに、気づけるでしょうか……?」
しかし、ミノタウロスに勝ったからと言ってルーサーに勝てるとは限らない。
ラウラはよく知っている。
ルーサーはAランクの冒険者。仮にも"迷宮騎士"だ。
ミノタウロスなど話にならないレベルの力を持っているのだと。
ガキィン!
刃と刃がぶつかり合い、弾き合う音。
後ずさり、一度間合いを離したルーサーはニセの両腕を見て少し考え……そして言った。
「へっ、そういうことかよ」
ニタニタと笑うルーサー。
彼も気づいたのだ。ラウラの気づいた"逆転の手段"に。
ニセの"戦術"の正体に。
「クソガキが……すっかり騙されたぜ。なにが"隠し腕"だ。常識的に考えてよぉ、術式もなしにナイフが『一瞬で手から手へ移動する』なんてありえねぇんだよな……見破ったぜ」
「へぇ、教えてよ。参考までに」
ニセは余裕そうに言った。
「教えてやるよ。てめぇは左右に不規則にナイフを移動させてると言ったが、それはハッタリだ。本当は袖の中かどっかにナイフを仕込んで出し入れしてるだけなんだろ? つまりナイフは最初から2本あったってことだ」
「驚いたな、正解だよ。見てて」
ニセが両手を前に突き出すと、その両方にナイフが出現した。
次の瞬間ナイフが消失する。袖の中に高速で収納したのだ。
ルーサーの指摘は正しかった。
「バカだよな……てめぇの挑発に乗って"間合い"まで保てねえとは。ナイフが左右に出現するなんて考えるから目で追えなくなるんだ。だが最初からナイフが2本あるとわかってりゃあ、ロングソードの間合いを保って両方視界にいれりゃあいい」
急激に冷静になるルーサー。
今わかった、ニセがルーサーを挑発したのは冷静さを失わせ、トリックから気をそらし間合いを狂わせるためだ。
そして"隠し腕"トリックそのものは必ずしも戦闘に有効なわけじゃない。
単にナイフを2本持って1本が移動させたように見せかけているだけだ。
タネが割れたら大したことじゃない。最初から2本のナイフを相手にしていると思えば良い。
そのくらいの対処はルーサーにとって難しくないのだ。
「終わりだぁ、クソガキがぁ!」
ルーサーは最後の一撃を決めるために剣を振りかぶった。
今度は不用意に間合いを詰めたりしない。
ロングソードが届き、ナイフの届かない距離から――ニセの2本のナイフが両方視界に入る間合いから攻撃を仕掛ける。
この攻撃ならばニセは"避ける"しか選択肢は残されていない。
このパワーの攻撃を正面から受ければ腕が折れるだろう。
だが、もし避けられたとしても形成はニセに不利。間合いを保ったまま連続攻撃を続ければ体力の差でいずれはニセが負ける。
ナイフのリーチではカウンターを仕掛けることも攻撃に転じることも困難だ。
「とったぁ――!!」
ニセはやはり予備動作から攻撃を予測していたのだろう。
ルーサーの攻撃をかわした。
しかしそのくらいルーサーも想定している。
ルーサーの視界にはニセの両手にナイフが握られているのが見える。
ナイフはギリギリ届かない距離だ。
攻撃後の隙があるとしても、ここから反撃が来ることはありえない――
「――っ!?」
ガスッ!
その瞬間――脳天に響き渡る衝撃が。
腹から胃をえぐり取るように"何か"がめり込んだ。
「ガッ……!?」
内臓に衝撃を与えられ、思わずルーサーは床に膝をついた。
「なっ、が……」
ルーサーは混乱していた。
「何が……どうやって……!?」
「人は自分で何か問題を解決したっていう"達成感"が好きだよね」
膝をついたルーサーを見下ろし、ニセは急にそんなことを言いはじめた。
「てめぇ、何いって……」
「"達成感"ってのは麻薬だよ。感覚を狂わせ、麻痺させる。きみはぼくの"隠し腕"のトリックを見破った――気になっていた。その"達成感"がきみの敗因だ」
ニセは足の甲の上にナイフをのせてクルクルと器用に回した。
「足で……だと」
「ナイフは3本あったんだ。本命は足の1本さ、これならきみの剣をかわした後に腹まで届くだろ?」
そう、ニセは待っていた。この一撃を叩き込む瞬間を。
全てはこの瞬間のためだったのだ。
「マルクス・ルーサー、きみを挑発して怒らせたのは冷静さを失わせるためじゃない。きみが『自力で冷静さを取り戻し、トリックを見破った』という"達成感"を得るようにするためさ。一度トリックを見破ったと思い込めば、その裏に隠された本当のトリックにまで考えが及ばなくなるからね」
「最初から……計算してたってのか。オレが、ナイフは2本あると……そこまでなら見抜くってことを。3本目を見抜けないってことまで……!」
「そうだよ。きみくらいの実力があれば、ある程度単純なトリックなら気づく。信頼していたのさ」
ルーサーを見下ろすニセの瞳には何もなかった。
"達成感"も"優越感"もなかった。
ただ"虚無"だけがあった。
ルーサーには嫌でもわかった。これが自分とニセの"差"なのだと。
(オレは、達成感と優越感で眼が曇った……こいつは違う。オレに勝った今、この瞬間でも一切の油断がない……)
そしてルーサーはうなだれて、呟いた。
「お前の……勝ちだ」
その瞬間、集まっていた他の受験者が一斉に歓声をあげた。
「うおおおおおおおお! すげえ、あの"マルクス・ルーサー"を新米冒険者が倒したぞー!」
「今まで幾多の受験者が泣かされてきたあのルーサーを、あんな子どもが!」
「術式なしのナイフだけでだぜ、あいつの名前何ていうんだ!」
「確か――」
「ニセ勇者のニセ。名前は覚えなくても良いよ」
ニセはどうでも良さそうにポケットに手を突っ込んで言った。
"模擬戦"が終わり、二人を取り囲んでいた光が消えた。
同時に、受験者たちが一斉になだれ込み、ニセを取り囲んだ。
「すげえじゃねえかニセ!」
「今度なんか奢らせてくれよ!」
「お前のナイフ技術すげーな、教えてくれよ!」
男たちにもみくちゃにされるニセ。
とてつもなく嫌そうな顔をしている。
そんなニセを見て、スピカは微笑んだ。
「勇者さま、やっぱりすごいです」
「すごい、ですか……それは、喜ばしいことなのでしょうか」
しかしラウラは浮かない顔をしていた。
「ラウラちゃん、どうしたんですか?」
「スピカ、気をつけなさいな」
「気をつけるって、何にです?」
「ニセに……ですわ」
「?」
スピカはわけがわからないというような表情を浮かべた。
ニセを信頼しきっているようだった。
「あの眼……聞いたことがありますわ」
ラウラには聞き覚えがあった。
ニセが時折見せる、あの黒く濁りきった眼つき。
混沌の集合体。虚無に"満ちた"、矛盾を孕んだ視線。
それは――王の証。
かつて神々と戦い、世界を破滅にまで追い込んだとされる"王"。
彼が持っていたとされる特別な瞳。
その名は――
「"虚無の瞳"」
次回は本日3/11の23時に更新予定です。




