0.1「人生は、どの世界でもクソゲーだ」
夢を視た。
焼けただれ、崩れ去り、灰の降り積もる都市の真ん中にぼくは立っていた。
目の前には一人の綺麗な女の子。
碧く輝く星の瞳の女の子だ。
彼女はぼくに手をさしのべて、必死に何かを叫んでいる。
何を伝えようとしているのかはわからない。
夢の中には音がない。静寂だけがひろがっている。
ぼくは積もった灰の地面を踏みしめ、ゆっくりと彼女に近づいて。
さしのべられた腕を引きよせ、身体を抱きよせ、溶けあうように重なりあって。
手に忍ばせた銀の短剣で――彼女の胸を刺し貫いた。
0.1「人生は、どの世界でもクソゲーだ」
「涙……?」
頬を流れる雫の冷たさが、ぼくの目を覚まさせた。
「どうして泣いてなんか……ていうかここ、どこだ?」
目覚めてから最初に目に飛び込んできたのは、知らない天井だった。
高くて広い天井だ。
星座をかたどったような文様が精巧な細工で刻み込まれている。
どうやら大きな建物の中らしい。
「あーっ! 目を覚まされたんですね、勇者さま!」
見慣れない周囲をキョロキョロと見まわすぼくの視界に、一つの顔が高い声と共にわりこんできた。
人形のようになめらかな白い肌と輝く碧眼。
ふんわりと毛先が内巻きの、薄氷のように淡く透き通った水色の長い髪。
あまり日本では見ない風貌だ。
でもぼくには見覚えがあった。
「きみ、夢の中で逢った……」
「夢、ですか?」
女の子は首をかしげる。
それはそうか。
『起きたら夢の中で刺し殺した女の子が目の前にいた』なんて、まさに"空想"のできごとだ。それも、あまり趣味の良くない部類の。
それにぼくは今、学生服を着ている。あの夢の中で着ていたものと同じものだ。
てことは。
「目覚めたと思いきや、これも夢の中の夢なんだな。焦って損したじゃないか……寝なおすよ、おやすみー」
「ちょっとちょっと勇者さま!? 夢じゃないです! 仮に夢の中の夢だったとして、もう一回寝たら夢の中の夢の中の夢になっちゃいますからなんの解決にもなってません! 目を覚ましてください! ねぇってば、勇者さま! 勇者さま!」
「タンマタンマ、ちょ、タンマ。ごめんごめん悪かったよごめんて。あんまり襟元をつかんでダイナミックに揺らされてるとね、頭が……より正確に言うと後頭部が床にガンガンぶち当たりまくってるんだよ。知っているかい、脳の後頭葉は一次視覚野と言って目で見た情報を処理する役割があるんだ。このままだとぼくの視覚認知に重大な障害を残すという悲劇的結末になりかねな――」
「ご、ごめんなさい! 焦っちゃいました、つい……」
女の子はようやく手をはなしてくれた。
「ふぅ、事件性を帯びる前に解決して良かった……」
「本当にごめんなさい、大丈夫でしたか?」
「いいさ、きみのおかげで重要なことがわかった。大理石の床で頭を打ったら、かえって意識が冴えてきたみたいだ。頭が痛いってことは、どうやら夢じゃないらしい」
「今更!? さっきからそう言ってるじゃないですかぁ! れっきとした現実です! ここは"第十階層"の"ネリヤ神殿"。そして見てください!」
ビシィッと女の子がぼくを周囲の床を指差した。
大理石の上に、ぼくの身体を中心とした円と、その中に何らかの幾何学模様が刻まれていた。
女の子は首からヒモで胸にぶら下げてある、黒く透き通った短刀の柄をぎゅっと握りしめて言った。
「この"黒水星"で刻んだ古代の術式です。わたし、やっと成功できたんです」
「成功できたって、何を?」
「"勇者召喚の儀式"ですっ! みんなスピカには無理だって笑ったけど、わたしにだってやればできるって証明できたんです!」
「勇者? 召喚? 儀式? それって中学二年生くらいの若者に特有な言語センスってヤツじゃないか? もしや、ザ・電波少女というヤツでは?」
「天パとは失礼な! わたし、天パじゃないです。ちょとくせっ毛なだけですよぉ!」
女の子が顔を赤くして内巻きの毛先をなでつけた。気にしてるらしい。
さっきから話がさっぱり噛みあわないな。ガイジンさんと話している気分だ。
実際、外見からして日本人だとは思えない。
だったらなんで言葉は通じてるんだ?
どうにも解せない状況だった。
理解がいまいち追いつかないのは、さっきから顔が近いというのもあるんだろう。
吐息がかかるような近さで、星のようにキラキラの碧い眼が、ぼくの眼をじっと覗き込んでいた。
肌と肌が触れ合いそうな距離で見つめられると、ドギマギして会話の内容も入ってこない。
電波少女ドギカ☆マギカだ――略してドギマギ。
なんて、くだらないことを考えるくらい思考が鈍い。
「でもわたし……勇者さまと会えてよかった。ずっと、このときを夢見てたんです」
「夢……? それってやっぱり……」
「だから今――嬉しいんです!」
碧い瞳の女の子はなぜだか感極まって、ぼくにガバッと抱きついてきた。
いいや、「ガバッ」ってオノマトペは不適切だった。
実際は「ふにっ」だ。
ひらがなであることが重要なんだ。
布ごしに"何か"が当たっていた。
少し幼さのある顔立ちに反して、しっかりと存在感を主張するふたつの柔らかな感触が。
たわわに実ったデカメロンが。
『デカメロン』――ジョヴァンニ・ボッカッチョによるイタリア文学の傑作。
じゃなくて。
どうやらオトクな状況ってやつらしい。
だからぼくは無抵抗主義を貫き、されるがままになることにした。
できればあと三時間くらいはお願いします。
「――うぉっほん! ……スピカよ。そのあたりでやめておきなさい。勇者殿が困っておるだろう」
「大神官さま!」
大げさな咳払いと共に現れた白いヒゲの老人の一言でスピカは身体をはなし、至福の時間は終わりを告げた。
ちぃっ、余計なことを。
「勇者殿、いま気のせいか舌打ちが聞こえたような――」
「空耳、空耳ですよやだなぁ。もしやご老人、『空耳ケーキ』って名曲をご存じない? 知るわけないよねーあはは」
「勇者殿が何を言っておるのかさっぱりじゃが……まあ良い。突然のことで混乱しているのも無理はない。"前の者たち"もそうであった」
"大神官"という大仰な肩書で呼ばれるだけあって、高級っぽい服装に身を包んだその老人は、頼んでもいないのに自己紹介をはじめた。
「ワシはこの"ネリヤ神殿"の長をつとめる大神官コルネリウスじゃ。こっちの落ち着きのない娘は弟子のスピカという」
「えへへー、照れますよぉー」
「褒めておらんぞ」
ズレた反応をするスピカをコルネリウスさんが注意した。
どうやら比較的話の通じそうな人みたいだ。
「自己紹介どうも、コルネリウスさん。説明してくれる気があるなら、質問があるんですけど」
「良かろう、知りうることならば答えよう」
「じゃあ三つ」ぼくは三本指をたてた。
Q1.ここはどこか。
Q2.ぼくはなぜここに連れてこられたのか。
Q3.これから何をすればいいのか、元の世界に帰れるのか。
大神官コルネリウスさんの説明は一言でまとめると「長かった」。
なので要約してみよう。
A1. ここはぼくの住んでいた世界とは全く別の"異世界"らしい。
A2. この世界は巨大な"天蓋迷宮"に覆われていて、ダンジョンを攻略すれば願いが叶うと信じられている。
だけどこの世界の住人だけでは限界になって、別の世界から迷宮を制覇する資質を持った人間を呼び出そうと考えた。
それが通称"勇者計画"らしい。そしてぼくは"勇者召喚の儀式"により選ばれて世界を転移し、いきなりここで目覚めたというわけだ。
A3. ぼくは勇者として迷宮を攻略するしかない。元の世界に帰る方法はたぶんそれしかない。
感想を言わせてもらうと「理不尽きわまりない」。
一般人を勝手に呼び出して危険な迷宮を彷徨わせる無謀な計画に、ぼくはあえなく巻きこまれてしまったというわけだ。
「そもそもさ――」
ぼくは抗議の声をあげた。
「この世界の人らが束になってかかってもダメだった迷宮を、ぼくみたいなガキんちょに攻略しろって……無茶ブリにもほどがあるんじゃない?」
「それに関しては心配せずとも良い。勇者にはスピカ達"巫女"により"祝福"がほどこされておる。"祝福"を得た人間は失われた神々の加護により、通常の戦士とは比べ物にならぬ圧倒的な力を発揮できるといわけじゃ」
「圧倒的な力……それが勇者ってことなのか。だけど、力があっても動機がない。そんな生命の危険を冒してでも叶えたい願いなんて普通……」
「そうかのう。"勇者召喚の儀式"で呼び出す人間は、"全てを捧げてでも叶えたい願いを持った人間"だけじゃよ。自動的にそういう者が選ばれる仕組みになっておる」
「願い……そんなものぼくには……」
「思い当たらぬか、それもよかろう。今はわからずともいずれ"見つける"だろう。まずは試しに勇者殿にほどこされたスピカの"祝福"を確認しようではないか。他の者と同じように、強大な能力を手に入れておるはずじゃよ」
コルネリウスさんは古そうな木でできた杖の尖端で床をコンコンと叩いた。
するとぼくの周りの文様――おそらく儀式のための魔法陣的なもの――が輝き始める。
そして彼がふところから取り出し、かかげた羊皮紙の裏側に、魔法陣から溢れだした光が注がれた。
まるで炙り出し文字のように、紙の表側にじんわりと文字が浮かび上がった。
漢字が極端に崩れたような、アルファベットと融合したような、見覚えがあるようでないような不思議な文字だ。
「これがお主の力を示す"祝福の書"じゃ。勇者としての"レベル"と備わった"スキル"がわかるはずじゃよ。どれ、お主は……」
老眼なのか、少し顔から離して"祝福の書"を眺めた。
「これは――っ!?」
すると彼の表情はこわばり、みるみるうちに青ざめた。
「……我が弟子スピカよ。確かに"儀式は成功した"のじゃな」
「モチモチのロンです! どうですか大神官さまっ、わたしのこと見直しましたか!」
スピカは能天気に敬礼のポーズをした。
この世界じゃあポーズの意味合いなんて違うのかもしれないけど。
思いっきりドヤ顔をしているからきっとドヤ的な意味なのだろう。
「見直した、じゃと……だったらなんじゃあこのレベルは! レベル0じゃぞ! 勇者は最低でもレベル1! これでは"祝福"がほどこされておらんではないか!」
「えーそんな冗談きついですよー大神官さまー。レベル0なんてありえな……ヴェエエエエエエエエエ!?」
「だからアレほど言ったのだぞ、このバカ弟子! これでは"勇者"とは呼べぬ! 最初が0ならば今後レベルが上がる可能性も残されておらん! そのへんの二流冒険者にも劣るわ!」
「ひえええええええほんとに成功したんですってばあああああああああ!」
「ならば何を根拠に成功したと思ったのだ!」
「なんとなくです!」
「なんとなくなら仕方な――くないわい! それを根拠のない自信というのだ!」
イタズラした孫を叱るお爺ちゃんのような光景が、ぼくそっちのけで繰り広げられていた。
それにしても、なにやら不穏なセリフが散見されたけど……。
「あのーもしかしなくても、ぼくの能力が絶望的なまでに低いとかってそういう流れだったり……? レベル0とか聞こえてたけんだけど……?」
ぼくはおずおずと切り出した。
「あーいえ、決して絶望的と言うほどでは……ですよね、大神官さま?」
「そ、そうじゃな。まあ勇者にしては物足りないと思われなくもないようなという程度で、だいたい一般人くらいの力というか、魔術的補助は全く期待できんという程度のもんじゃようん……」
「いや、お二人ともめちゃくちゃ眼が泳いでるんですが? 水を得た魚の如くスイッスイに泳いでるんですが?」
確信した。
ぼくは絶望的なレベルで弱いらしい。
なんてこった。
いまの状況がだいたいわかってきたよ。
ぼくは突然異世界に呼び出された。
勇者ってヤツには強い能力が付加されるはずだった。
だけど手違いでぼくにそんな特典はなかったらしい。
レベル0。
おめでとう、最弱の勇者がここに誕生したってわけだ。
人生は、どの世界でもクソゲーだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回更新は明日3/2の21時を予定しています。
3月中は毎日更新予定です。
よろしくお願いいたします。
(3/6追記)一話ごとの文字数が多いので分割します。
これに伴い章分けも変更しますが、内容に変更はありません。