第七話
調剤室の奥は薬の在庫をいれておく倉庫だった。透析患者の在宅指導の受け入れもしているらしく、環流剤のボトルが入った大箱も所狭しと積まれている。こういうのは配達になるので、やはり大型バンを用意しないといけないはずだ。ここもまた儲かっている薬局ということだろう。
倉庫兼物置部屋をつっきって、つきあたりの階段を上がると多田専用のプライベートな事務室に案内された。
多田の部屋もまた実務一点張りだった。飾り気のない事務机に飾り気のない折りたたみ椅子が数脚。それだけ。窓にはカーテンは一応あるのはあるが、模様もなにもない安物だと一目でわかるような感じだった。儲け主義なんだろうな、と薬子は思った。
そういえば多田薬局の店舗を通ってやってきたけれど、薬剤師会や医師会のお薬手帳をもちましょうとかいう啓蒙ポスターはべたべた貼ってあっても、絵画や花は一つもなかった。製薬会社がもってきたアニメのキャラクターのぬいぐるみが、ぽつぽつと置かれているぐらいでそれだけでまあ何とか色彩が明るくみえるようにはなっている。
多田は薬子に椅子に座るようにうながし自分もまた座った。
「まずはハローワークの紹介状と履歴書をみせてください」
「はい」
薬子は素直に履歴書を渡す。地方都市なので医療業界は狭いだろう、どこでどうつながっているかわからないので偽名にしようかと迷った。とりあえずルンルンの方も短期間ではあるし本名を出しておく。もちろん現在ルンルン薬局に派遣勤務中というのは多田には内緒だ。
「藤原薬子さん、あら。こちらの田舎でもわかるような東京の大病院にいらしたの、どうしてまたこっちに」
「主人が転勤族です」
「じゃあ、期間限定で」
「そうです。年内でまた異動になりますのでパート希望です」
多田は薬子の履歴書を目を細めてじっと眺めている。
「……良い学歴に良い職歴じゃないの……」
「え、そうですか? ありがとうございます」
薬子は多田の上目遣いが気になった。どうしてこの人はまたこういう表情をするのだろうか。また面接と言うのに面接官が黙りこんでしまった。
「? ?」
沈黙が続くので薬子は多田に話しかけた。
「あの、在宅指導もなさっておいでですね。私はその業務はしたことがないのでこちらで勉強させていただけたら、 と思います」
「ええまあ、そういうのは一応……してますよ……」
どうも歯切れが悪い。普通ならこのあたりで面接する側は勤務時間の希望などを聞いてくるはずなのに。薬子が怪訝に思うと多田は履歴書をもって、「あの、ちょっと失礼します」 と立ちあがった。
「はあ……」
「そこでしばらく待っていて」
「わかりました」
多田は薬子の履歴書をもったまま階下へおりていった。彼女は他の薬剤師に私を雇うか相談でもしにいったのだろうか? この建物は安普請なので多田がまた戻ってきたら足音ですぐわかる。面接のために通された事務室をざっと見まわす。そして事務机の引き出しに注目した。一番下の引き出しからそっとあける。分厚いファイルが出てきた。そっと取り出しそっとかつ手早く閲覧する。
薬子はあるファイルに目をとめた。ぱらぱらとめくってから、隠し持っていた小型カメラで撮影する。
何枚も、何枚も。
急いでその作業をするも、多田はなかなか上がってこない。五分、七分、十分超過……どうしたんだろうか? 話し好きの患者がきてつかまっている??
結局、多田が戻ってきたのはゆうに二十分後だった。薬子は足音を聞くなり元の椅子に座り、携帯電話をずっと操作していたフリをした。多田は薬子の前に座ると儀礼的な笑顔を見せた。
「遅くなりまして。それで藤原さんの面接の結果ですけど……」
「はい、」
「すみませんけど、今回は見送らせて下さい」
「え、」
意外だった。採用は断られるとは思わなかったのだ。多田が嫌っているルンルン薬局にいるのがばれたとはおもわない。それに薬剤師募集、急募と外側の入り口にも手書きで書いて貼られてあったのに。
「藤原さん、あなたの履歴書、返しましょうか」
「ええ、もちろん。あのう、よろしければ不採用の理由を教えてください」
多田は薬子の顔を見ずに言った。
「あなたの職歴がご立派すぎて私には、いえ、うちのような田舎薬局にはあわないと思います。えっと、それでですね、引っ越ししてきたばかりでこのあたりの薬局も知らないでしょうから、別のまるぺけ調剤薬局に今あなたの履歴書をFAXで送信してきましたのでそっちへ行ってくれるかしら? あそこだったら雇ってくれるから」
「ええっ、どうしてそういうことをするんですか? 私の履歴書を勝手によその調剤薬局に送信してしまうなんて」
「まるぺけは私の友人が経営しているの。ここから車で二十分ぐらいのところにあるから近いわよ。あなたのためにしてあげたんじゃないの」
多田は薬子の個人情報が詰まっている履歴書を薬子の承諾なしによその調剤薬局へ知らせたのだ。薬子は当然気を悪くしたが多田は平気な顔をしている。罪の意識は皆無だった。
「あの、個人情報っていうのは」
「なによ、あんた。職が決まらなかったらかわいそうだと思って善意で紹介してあげたのに。それとね、あなたは知らないでしょうが私はこのあたりの薬剤師会長なのよ? その私がちゃんと面倒みてあげているのに」
薬子は絶句した。そういう問題ではないのに。
県の薬剤師会長と名乗るならなおさら個人情報には注意を払ってほしい。なのにこの多田は面倒を見たと思い込んでいる。おかしい、この多田という女は。
しかしながら薬子は多田とケンカしにきたわけではない。頭にきたが、とりあえず薬子は履歴書を返却してもらい、多田薬局を辞した。