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派遣薬剤師、藤原薬子の忘備録  作者: ふじたごうらこ
第四章・仕方なく薬剤師
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第六話

 看護師さんは気さくな人が多く、病棟もおおらかな雰囲気だった。老人社会を反映して入院患者は圧倒的に老人が多い。慢性疾患患者がほとんどで、容体急変があると救急車でも一時間かかる県立中央病院へ搬送されるという。つまりこちらでは気をはって看護する患者が少ないのとあいまって、薬子が昔長くいたような救急救命の緊迫した手術室、ICU、リカバリーなどの雰囲気とはまるで違ってのんびりした感じだった。自然ナースルームでは時間帯によっては看護師さんの息抜きになって、ゆっくりとしゃべる時間もある。

「藤原さん、だっけ。最近薬局に来たのね? 都会の人ですってね」

「はい、主人の勤務の都合で短期間のパートですけどよろしくお願いします」

「あ、それはこっちのカートに入れて……えーとわからないことがあったら何でも聞いてね」

「すみません、今日から黒元秀美さんの代わりで、置き場所とか全くわからないので、いろいろ教えてくださいね」

 すると看護師さんたちは笑った。

「あの黒元さん、奥さんの方ね。やめたの何度目かな、今度はいつ来るのかしら」

 病棟の残薬チェックをしていた薬子は仰天する。

「どういうことなんですか? やめてはまたこっちに就職?」

「うん、彼女お天気屋さんだったもん、退職? しないと思うよだって黒元さんとこ大変だもん、専業主婦なんかさせてもらえないと思うよ」

 薬子は再度同じセリフを言う。

「どういうことでしょうか?」

「あそこの家、黒元医院の一人息子なのよ、あそこの後継ぎってあの黒元夫婦しかいないのよ」

 聞けば黒元秀美のご主人、つまり黒元太郎との結婚の話にさかのぼる。この病院にはどういうわけかなかなか常勤薬剤師のキテがなかったが、実は黒元太郎の父親つまり黒元医院の医師と、院長とは医学部の同期だったという。なので太郎が薬学部に入学したと聞いてから「息子をうちの病院に勤務させてくれ」 と約束していたらしい。

 当の本人がどう思っていたかは不明だがとりあえず薬剤師免許をもらうとまっすぐに太郎はこの病院に就職したわけだ。そこには今と全く同じメンバー、つまり和中薬局長、六歳年上の薬剤師の秀美、調剤補助員の久我と煮子がいたわけだ。

 太郎は風采があがらない男でよく言えば真面目、悪く言えば覇気のない男だった。

 そつなく調剤はいわれるままにこなすが、それだけの男だった。和中もまた日常的な業務をこなすだけで精一杯で勉強会や学会活動に時間をさく余裕がなかった。そういう環境がそうさせたのだろうと思う。

 そこで数年、太郎は何の疑問ももたず黙々と調剤をこなしてきた。

 この太郎が六歳年上の秀美と結婚したのにもいきさつがあった。病棟の看護師は秀美を快くおもってないので、多少のやっかみはあったのかもしれない。

「あのさ、あの黒元さんね、今は黒元医院の一人息子となってるけど実は医学部に入っていたお兄さんがいたのよ」

「そうそう私知ってるわ、医学部六年生で自殺したんですってね。この田舎では結構なスキャンダルになったよね。医者になりたくなかったのか、医院を継ぐ継がないでもめたのかそれはわからないけど」

「それであの太郎くんが医者になりなさい、医学部へ行きなさいってなったらしいけど」

「成績悪かったらしいね、薬学部は医学部よりは易しいから入学しやすいとかいって」

「つまりあの太郎くんは、医者になれなかったけどかろうじて薬剤師になって人ってわけ」

「黒元医院は町内はずれにあるけどあのあたり一帯の大地主で金持ちで、太郎くんはそこの一人息子になったわけ、それをあの秀美さんが見逃すはずはないわよね?」

「そうそうあんな大人しい太郎くんを強引に、クスクス」

「強引に~、きっとそうだよね、ははっ」

「とりあえず玉の輿だもんね、でもやっぱり医院の一人息子の嫁になったっていってもいいことばかりじゃないもんね」

 薬子は興味を覚えた。さっきから同じセリフしか出ない。

「あの、どういうことですか?」

「黒元医院ってこのあたりでは貴重な内科と小児科を診てくれる貴重な医院なのよ、しかも三代続いているからおじいちゃんおばあちゃんの時代から世話になっている家族も多いし。だからこそ次世代に期待がついてまわるし」

 つまりこういうことだった。

 黒元医院には二人の医師がいる。つまり黒元太郎の両親が医師だった。そして男の子が二人。歳の差は七つあった。長男が一郎、次男が太郎だという。二人とも医院を継ぐべく育てられたと言う。特に長男の一郎は成績優秀で国立医学部をすんなり合格して医学部生になった。次男の太郎は成績が今一つではあったががんばって薬学部に行ったという。その太郎が今薬子のいる病院に勤務している。

 二人の子供のうち一人は期待通りに医学部に入ってくれた。しかしその一郎は医学部に六年間在籍して来年卒業というところで首をくくったという。次男の太郎は医学部に入れず仕方なく薬学部に入ったという。

「医学部に入れないからって仕方ないからって薬学部に入ったといわれてもねえ」

「それ誰がいったの?」

「秀美さんよ、黒元秀美さん」

「自分の夫をそんなふうにいえるのね? 」

「秀美さんって他人の悪いところをうれしそうに言うのが趣味なのよね~」

「まあ、そうなの?」

 薬子はあきれながらナースセンターでの会話を聞いていた。いずれにせよ、根拠なき話でもあるので、ほどほどにしておかねばならない。こういう話が流布されるというのは、黒元夫婦の薬剤師としての評価がそれしかないということに他ならない、同時に院内薬局が軽視されているということでもあるのだ。

 和中薬局長には罪はない、とにかく人手不足は本当で日々の調剤や製剤業務をこなすのが精いっぱいなのは事実だから、それ以上の学会発表用に研究や勉強会などの参加もできかねるのだろう。看護師たちにもゆっくり話をするひまもなく、新薬や新規採用の医薬品の説明も薬局側からはまったくせず、できずにすべて薬の卸会社や製薬会社のダイレクトメールですませてしまったりするそうだから無理はないのかもしれない。





 薬子は病棟で黒元夫婦の話題になり、はじめて黒元太郎に興味をもった。

 親に医者になれと言われつつも医者になれず薬剤師になったとされている男、玉の腰ねらいだといわれる六歳年上の秀美と結婚した男、大人しくまじめそうな外見、昼休みでは病院の図書室でゲームをしている男。

 薬子のまわりにはなかったタイプの男なのだ。同職でもあるが仕事ぶりをみても可もなく不可もなく、という感じだった。目立たず黙々と仕事をこなす男。

 次の日、薬子は昼の休憩にわざと太郎と時間をあわし、ころ合いを見計らって図書室に行った。秀美や病棟のナースたちの言った通りで果たして太郎は図書室にいた。

 図書室専用のパソコンはもちろん病院に勤務している人用のもので一般患者は立ち入れない。書物もすべて医療関係のものばかりだ。DIドラッグインフォメーション用の検索のために置いてはいるが各部屋にパソコンが完備しているせいもあって、わざわざ出向いてここで仕事する人はいないのだろう、太郎専用の休憩時に使用するゲーム機になっているようだった。

 太郎は図書室の出入り口のすぐ横のすみ、日のあたらぬ場所にいた。

 パソコンの音はミュートにしてあるらしく、全く音はしない。薬子がすぐ背後に立ったのも気づかず太郎はゲームに集中していた。ものすごく難しそうな顔をしてマウスをいじっている。

 画面は緑っぽく、その中で二頭身大のキャラクターが所せましを動き回っていた。

「病院での仕事は山積みなのに、昼休みは確かに何しようと自由だけどそういう遊びは自宅に帰ってからいくらでもできるのに」

 薬子はそう思った。でも人の趣味だし、今は自由時間だし、薬子に注意する権限は全くない。だけど太郎に興味がわいてきたのだ。だから薬子にしては遠慮ぽく聞いたつもりだ。

「あの、黒元さん、太郎さん」

 太郎はびっくりしたように振り向いた。薬子を認めると「ああ、」 と言った。それから小さくため息をついてマウスを動かして画面を閉じた。

「せっかくの時間、ごめんなさいね」

「いいですけど、ぼくに何か?」

「この部屋に入ったの、私は初めてなんです。黒元くんがいたのでつい声をかけてしまいました、ごめんなさいね」

 薬子がにっこり笑いかけると太郎も軽く会釈した。

「あ、いや今休憩だから」

「たいてい昼休みは不在ですね、いつもこちらに?」

「そうですよ、あの、藤原さんわかるでしょ、ぼくは薬局や病棟から浮いてるから」

「薬局や病棟から浮いている、それはどうして?」

 太郎は頭をかいた。

「いや~、わからなければいいよ」

 薬子は話題を変えた。

「奥さんの秀美さんはお元気? あれから一週間たったけどまたこちらに戻って仕事するのかしら」

「いや~、和中さん、和中薬局長がすごく怒ったらしいからもう行かないといってる」

「そうお、あなた自身は戻ってほしいのかしらね」

「どっちでもいいよ」

 本当にどちらでもよさそうで、投げやりな態度にも見えた。

 薬子はますます太郎に興味を覚えた。

「黒元くん、そんなに自己卑下しなくったって、あなたはちゃんと仕事しているのだし、休み時間は自由よ、ゲームしようと何しようとほんと自由だと思うわ」

 薬子は出会い系にはまって勤務時間を削ってでもメールしまくるアホ医師も知っているのでそれよりはずっとマシ、と思っている。

「ここの薬局は確かに忙しくはなったけど、ぼくはどっちでもほんといいんだ、争う事はごめんだし、

秀美は家にいたほうがいいよ、これから子供も大きくなるし」

「えーと、お子さんおいくつでしたっけ」

「三人いて上から十歳、八歳、五歳」

「かわいいでしょうね」

「秀美はぼくの親と同居だ、家にいると親がうざいっていうので勤務してたけど、勤務してたら勤務したで薬局長がうざい、外来医師がうざい、病棟の看護師うざいで文句ばっかりでね、とりあえずお前は子供の教育に専念しろ、といってある」

 太郎は薬子に向き合った。こうしてしゃべるのは初めてだ。結構雄弁に話をしてくれるのだな、と思った。

「親御さん医院経営者だと聞いていますけど、同居だったら秀美さんは手伝わないといけないのではないかしら」

「あいつはそんなことしないよ、大体ぼくとの結婚だって玉の輿ねらいでお金で楽したいために一緒になったようなものだし、それはわかってんだよ」

「……」

「あいつにははっきりと言ってある、君の狙いはわかってるんだ、と。ぼくの家は一階が医院で二階が親の家、三階がぼくらの家だ。庭も広くて三百坪ある。貯金もたくざんある、あいつの実家は貧乏で金が欲しかったからぼくと一緒になったんだ。だからみんながいう玉の輿ねらいっていうのは事実だよ。それでもないとぼくはもてないし秀美のような女と割り切らないと一生結婚できないだろうって思ってる。とりあえず子供三人のうち一人は医者にしたら両親やぼくの顔もたつし、後継ぎもできる。だから、教育だけはしっかりつけておけよって」

 彼の自己評価の低さそして卑下感は一体どこからきているのだろう。話が意外な方向に飛んで薬子はまずます太郎に興味をもった。

 黒元はいきなり話の方向性を変えた。

「藤原さん、都会の人だというね。この病院ってどう?」

「病棟の皆さん、フレンドリーでなかなか働きやすい職場だと思うわ」

「そうか、藤原さんのような人がどこでも働けると思うよ。なんにでも文句ばかりの秀美のいうことと全然違うな。それとぼくも藤原さんのようにいろいろな病院経験したほうがよかったかな、いまさらおそいけど」

 太郎はうらやましそうにいった。薬子は笑った。

「薬剤師は国家資格だから免許証さえあればどこでも働けるわよ。現に私がそうだし。いろいろな病院を経験したいならさっさと転職なさったら?」

「いや~それは、親のメンツもあるしね」

「ああ親御さんここの院長と知り合いだってね」

「そうさ。ぼくの人生全部親が決めた。反抗したのは秀美という女を嫁にしたときだな。でもその秀美も結婚して三人の子供をうめばもう財産も何もこっちのものってぼくのいうこと聞かないしね。種馬みたいだろ。そして毎日同じことの繰り返しだ。ぼくの人生ってこんなもんかなって思うよ」

「そお? あなたはまだ若いしそう決めつけるのもよくないのじゃないかな」

「今から転職するならいっそゲーム会社に行くよ、ぼくゲームが好きだから。でも田舎では無理かな、田舎じゃ会社自体が存在しないし第一親の世間体もあるし」

「親の世間体っていう年じゃないでしょ。あなたも一家の父親だし」

「いや藤原さんはぼくの両親を知らないからいえるんだ。ぼくの兄は医大卒業直前で自殺した。彼の自由な意志による自殺だ。両親に反抗するには死ぬしかない、そう思わざるをえないぐらい厳しい両親だったからね」

「……」

「秀美はぼくと結婚した時はすでに妊娠していた。両親は秀美を財産目当ての女とかさんざん罵倒してね。それでも黙ってよくつかえていたよ。けどいざ子供をうんでしまうと女は強いね、反抗するようになったよ。両親は年老いて来てるし、孫は秀美の産んだ子だけ。そうなるとね、三人生まれてきたこのうち

 一人は医者にしてこの医院を継いでくれたらいいよって。こうなったら親の負けだよ。秀美の勝ちだ。

 だからぼくは秀美には何もいわないしいえないね。秀美は三人の子供のうち一人は医者にするどころか三人とも医者にするといってるよ。家庭教師もすでにつけているし、勉強させているよ。ろくに遊ばせずにね。まるで昔のぼくら兄弟をみているようだ。いずれぼくの三人の子供もだめになるだろう」

 太郎は雄弁だった。現状を冷静に看破していた。

 薬子は言うだけでなにもしない男がそう思い込んでいるならその三人の子供の将来は暗いだろう、彼の思うようになるだろう、それは決して幸せな人生にならないのではないか。そう思った。そしてそう思わざるをえないぐらい太郎の表情は暗かった。

 こういう男を親にもった三人の子供をかわいそうにと思った。秀美はそれで幸せなのだろうか。

「そう思うなら残念ね。これからあなたはどういう行動をとったらいいかしら」

「いや、ぼくにはどうにもできない。ぼくには何もないから」


 これ以上この男と話をしても時間の無駄だろう。劣等感にまみれた男の話は堂々巡りと相場は決まっている。薬子はきりよく「お時間取らせてごめんなさいね」 と愛想よくほほえみ図書室を去った。残ったのはまたゲームをするためにPC画面に向き直った男。こういう人生もあるのだ、と薬子は思った。

 この男もまた私の人生にはかかわりはない。たまたま、ほんのたまたま、パート先でであった常勤の男。病棟でも甘く見られているこの薬剤師は、そう思われても仕方ないぐらい自己評価の低い男。

 思えばその幼稚な思い込みがその評価につながったのではないか。

 薬子は実際、黒元太郎を育てた両親を知っているわけではない。だが医大生卒業目前に自殺した黒元の兄、そして弟の太郎の言葉。

 こういう家庭に育った親が「仕方なく」 といういいかたで薬剤師をしている。彼はこの価値観で仕事をしているのだから院内で軽く見られて当然なのだ。そういう方向へ自分をもっていっているのだから。

 彼が自分の薬剤師の仕事を誇りとしていないのがまるわかりだった。薬子はそれを一番残念だと思った。

 こういう男と財産目当てと言いきってもなお離れない秀美という女に育てられた三人の子供の将来はどうだろう。そういう家庭で育てられる子は果たしてよき医者になるだろうか? 医者になれなかったらせめて薬剤師に、といわれてその意に従う子になるだろうか。


 数カ月後、薬子の夫の仕事の都合でやめざるをえないことになった。薬子たちが住まう一時的な住居を急な事情で引き払うことになったのである。

 薬子は結局ここの病院の人間関係と薬局の仕事のありようにはノータッチですごした。どうやってもパートでは発言権はないことと和中薬局長が仕事の多忙を理由に現状維持をモットーとするなら自分のやることはルーチンワークをこなすだけ、とわりきったのである。それなりの患者との触れ合いもあり、仕事には不満はなかったが、医療関係者の不足が叫ばれる医療僻地ならではの、無資格調剤者の存在の大きさと医療機関のかかわりに唖然とすることが公然となされていてそれはそれで勉強になった。




                          仕方なく薬剤師    完



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