第三話
薬子は和中と病院裏口を退勤した。一緒にといってもお互い車で通勤しているので駐車場まで一緒ということになるが。
短い道中、和中は息子が二人いて二人とも大学生で都内の学生寮にいること、だから公務員の旦那と二人暮らしであること、趣味は和裁であることなどを薬子に聞かれるままに言った。
和中は本当に素直な性格でそれで久我に乗っ取られていた感があるが、果たして他の他部署の職員はここの薬局をどうみているかと薬子は思った。
大都市はいざしらず、こういう薬剤師が不足している医療過疎ともいえる地域ではこういう逆転現象が存在するのだ。和中が鷹揚すぎることから起こった現象だろう。
次の日もなんなく普通に薬子は働いたが、調剤自体は約束処方(そこの医療機関だけで通じる独特の処方) は皆無で場所も効能別で区分けされていた。だから調剤はすぐ慣れた。こちらでは薬子は外来調剤を主にしていってほしいとのこと、それについては文句は当然ない。
最年長の煮子さんも調剤補助という立場ながらも薬のシートの数を数えることについては熟練した腕をもっているので処方箋枚数がかさんでもスムーズにさばけた方であろう。
だが薬子はせっかく自分が調剤しても、無資格調剤者の久我が監査していき、しかも久我が薬袋にいれて患者に直接薬を渡していくというのがどうにも我慢できない。
ご存じのように薬の袋にはそれぞれの患者の薬の飲み方が書かれている。正しい薬をピックアップしていても薬の袋を入れ間違えることだってある。
自分がそれをやって調剤印もついたなら万一の調剤過誤にも責任がもてるが、ピックアップを薬剤師がして監査役が無資格の久我がするのは納得いかない。しかも調剤印は自分のである。久我がいかに熟練した調剤補助者だったとしても、もし睡眠薬を正しくピックアップしても朝食後の袋に入れてしまったらどういうことになるか、食直前に飲まないといけない薬を見落として食後の袋に入れてしまう可能性だってあるではないか。それなのに、薬剤師が最終監査をしないなんて薬子はそれで平気な神経が信じられなかった。
薬事法でも調剤補助者についてはあいまいな見解なので臨床現場は余計にあいまいになる。薬剤師と言う免許をもっているものしか、患者の薬をさわれる、とか薬の説明ができる、というわけではないのだ。だからこういう医療過疎の地方では無資格調剤者が患者に薬を渡したりということがまかりとおるのだ。
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薬子は黒元夫婦はこのことをどう思っているのだろうかと不思議に思う。彼らは職場結婚で、妻の秀美の方が六年早く入局している。そのあとに入ってきたのが太郎だ。すぐに気があって職場結婚となったらしい。秀美の方が背が高く、太郎はもっそりとした印象だ。
二人の間には子供が三人いるという。薬子は昼ごはんを一緒に局内の控室で食べつつ秀美の話を聞いた。
「恋愛結婚で朝もご一緒、職場もご一緒、どんな感じかしらね?」
秀美は気さくに笑った。
「もう何年も一緒だと空気と一緒よ、ほんとに」
一方夫の太郎は内気で世間話には関心があまりないらしく、秀美が用意した弁当をそそくさと食べるとどこかへ行く。それも毎日だ。昼休みを薬局で過ごして製薬会社の薄い広告誌や薬剤師会の発行する機関誌を読むことはまずない。
「昼休みはいつもどちらにいるのですか? 」
薬子が出かけようとする太郎に質問した。太郎は「いや、ちょっと」と口をもごもごさせて出て行った。妻の秀美が「あの人は休み時間になると図書室のパソコンでゲームをしにいくのよ」 と横から返事をする。
「ゲームですか」
薬子が驚くと秀美は肩をすくめた。
「そ、あの人あんまり趣味ないの、ゲームが好きみたい」
「そう?」
「もうちょっと家でも子供をかまってほしいとか思うけど、私のこともあんまり関心ないみたい」
意外なところで二人の夫婦の有りようを聞くことになったが、職場結婚でお互いに慣れ切ってしまうとこんなものかもしれないと思った。
一方久我は薬子がパート勤務初日で自分を批判されたと思ったらしく、積子に対してまったく口をきかなくなってしまった。積子は久我に対して苦情をいったわけではなく、薬局内の有りかたに疑問をいったつもりだったが、久我は自分の全人格を否定されたように感じたのだろう。
薬子は久我を何度もそうではない、と説明しようとしたが久我は堅くな態度をくずすことはなく、狭い薬局内なのに、薬子の顔をみるとそむけるようになった。
和中をまじえて話もしようとしたが、和中も困惑しつつ「あの人は構わないほうがいいと思います。あの人は長年薬剤師がいない個人経営の医院で勤務していて自分は調剤に長けていると自信をもっているのです。実際あの人がいないとこの薬局は保てません。薬を渡してくれる役目を長年してくださっているので、患者さんの覚えもいいし、彼女にやめられると困ります」
薬子は驚いて私がいいたいのはそうではない、と何度も説明したが話がどんどん変な方向へずれこんでいく。無資格調剤ならぬ監査がこんなに横行して、肝心の薬局長がそれに危機感をもたないのはなぜだろうか、薬子は疑問に思った。だが和中薬局長が危機感をもたないのには理由があったことがすぐに判明して薬子は唖然とした。
どこの薬局でもいわゆる調剤ミス=調剤過誤はあるがどこでもそれをゼロにしようといろいろと工夫はしている。だがゼロには絶対にならない。それでもなるべくゼロになろうとみんな努力しているのだ。
だがここの薬局は調剤ミスが判明してもそのまま。もしくは患者が違う薬が入っていたとクレームを入れてきたときはそのまま患者のいうとおり、医師の指示通りの薬を改めて調剤してそのまま渡す。そのあとの処理も皆無だった。本来ならば主治医に過誤があったことを報告の上謝罪し、患者に治療上不利益を与えたか、そして今後過誤をなくすためにどういう工夫をするかまで考えて必要あれば外部にも報告する義務があると思うのだが、そこにはそういうシステム自体存在しなかったのだ。
和中薬局長自体、そういう基本的な薬局長としての自覚が皆無だったといえようか。
過疎町内ただ一つの病院だったので当然異動もない、研修もない、そして人数が少なく業務が忙しすぎて他病院での交流もなかったのも大きかった。
医師会薬剤師会の研修会もしくは製薬会社主催の勉強会も顔を出さないともいう。このあたりが医療僻地ならばでの話かもしれないが、他病院でのマネジメントの有り様を知っているのと知らないのとではやはり差がついてしまうだろう。
和中は、ある意味かわいそうな薬局長なのかもしれない。




