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派遣薬剤師、藤原薬子の忘備録  作者: ふじたごうらこ
第四章・仕方なく薬剤師
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第一話

 薬子は先週から百床ほどの小規模な民間病院内の薬局にいる。仕事の内容はいたって普通で院内薬局で外来患者のための調剤、入院患者のための注射製剤と内服薬の調剤だ。手術室もあるので滅菌製剤もある。結構忙しい。病棟業務は薬局内の仕事を半年ぐらいこなしてから行ってもらいたいといわれているが、夫の藤原堀須ふじわらぼりすの仕事が不安定でいつまで在籍できるかはわからない。だからいつまでたっても派遣薬剤師なのだ。薬子の裏の目的は保険点数の不正請求だが今回は関係ない。ここで薬子は変わった男に会ったのでこの話をしよう。


 当該病院の診療科目は内科、小児科、整形外科。救急指定なし。ベッドは常時満床、外来にも患者がたくさん。そして院長が院外処方箋の発行に反対なので院内の薬局だけで薬をつくっていた。整形外科はともかく内科や小児科は口から飲む内服薬が多く、特に小児科は患者の体重に応じて薬の量がかわる。そこの病院は粉薬の調整がメインで調剤ミスを未然に防ぐために非常に気をつかう職場だった。

 午前の外来が一段落すれば今度は入院中の患者のための処方箋に従い薬を作る。給料が安いのに、結構人使いのあらい職場だった。それでもヒマが嫌いなワーカホリックな薬子は喜んで働いた。

 ここの薬局長は和中、女性で三十九歳。薬子と同じ年だ。副薬局長にあたる黒元太郎は男性で二十九歳。もう一人の女性薬剤師が三十五歳で黒元秀美。男性と同じ名字なので聞くとやはり夫婦だという。奥さんの方が六歳年上。職場結婚だ。

 以上常勤薬剤師三名、そこに薬子がパートで入ってきた。

 加えて事務のパートが二人いて二人とも年配の女性だ。煮子さん六十三歳、それと久我さん五十九歳。この地方も過疎のため医者や薬剤師、看護師が少なく求人に苦労している。調剤は薬剤師だけでやるには手がまわらず、本来は医療事務に携わるはずの煮子さんや久我さんに終始調剤の補助をしてもらっている始末だ。パートとはいえ本来ならばもうとっくに定年の年だが、それでも来てもらっているのは薬局の業務に熟練していて便利が良い、かつ病院すぐ近くに住まい安い時給でも働いてくれるから、ということらしい。

 さきほど名前をあげた常勤薬剤師は三人ともいずれも薬科大学卒業後、よその職場を知らない状態で勤務についている。また電子カルテは未だ予算が出ず導入予定の話だけができている状態。外来に関しては先ほども書いたように院長方針で門前薬局の出店を許さず、院内薬局で調剤させている。外来の処方箋発行枚数は毎日百枚前後。入院患者向けの院内処方箋と注射箋をこなし病棟では服薬指導もやる。

 それだけの業務を常勤薬剤師三人で業務をこなすには無理な話で年配の調剤の手伝い=補助員の存在が大きい。それと慢性疾患の患者が多いので予め処方箋前倒しであらかじめ作り置きしていて調剤時間短縮≒患者の待ち時間短縮に一役かっていた。

 薬子はそういったバタバタした職場に来たわけである。


 そういう職場だが、勤務初日ですぐここがヘンなことに気がついた。仕事のやりかたはどこの病院も似たようなもので、処方箋が医師から出される。オーダリングシステムはどこでも導入しているから医師が打ち出すと同時に処方箋の指示がパソコンで飛んでくる。同時に医事課にもまわされるので、薬剤師は薬を、医事は患者にかかった治療費や薬代を請求するわけだ。

 だから薬剤師がすることは決まっている。処方箋を見て、処方箋にミスがないか、それを確認したら調剤にかかるのだ。その手順は瑣末な違いはあっても基本は一緒。しかし力関係というものが変わっていた。なんと和中薬局長よりも事務パートの久我さんという初老の女性の方が強かったのだ。久我は薬剤師免許は当然ない上に、登録販売者の有資格者ですらない。なのに、薬局長よりも上の立場でモノをいう。調剤補助員という職種は存在しないはずだが、このあたりの地域ではその名称がまかり通っていた。単なる調剤の補助だから無資格でもかまわない。久我は薬局内では一番の年長で一番勤務期間が長い事務員。薬子勤務初日、久我が和中薬局長にも指示を出して、早く倉庫の冷蔵庫に行って◎◎を取ってきて、ついでに在庫も見て来てよ! と言ったのだ。

 和中薬局長は、口数少なく大人しく現代では死語でもある「おしとやか」 な女性であった。年上とはいえ、薬剤師でもない事務パートに指示を出されても「わかりました」 と動く。しかも調剤監査といって、調剤は一通り薬剤師がそろえたら事務員の久我が薬の袋に出来上がった薬を入れていくのである。

 もし無資格な事務員が薬の袋を入れ間違えたらどうなるか? たとえば朝に飲む血圧の薬と夜の睡眠薬と薬の数はあっていても、袋を入れ間違えたらどうなるか?

 だがみんな昔からそうやっていて、慣れているのか疑問は持ってないようだった。その上、外来患者に薬を渡しすのもその久我だった。薬局にいるものは全員白衣を着ているので患者には誰が薬剤師で誰が事務員か区別のつけようがない。しかも患者によっては薬の質問もしてくる。久我はこの薬は食後ですね、と答えてはいる。答えることができない専門的な知識が必要な場合はさすがに和中薬局長を呼んではいるが、薬子はこういう光景を見たのは初めてで言葉なく驚いていた。

 さてここの病院は監査は事務員がしている。服薬指導の一部も事務員がしている。調剤印などはどうなっているのか。これにもからくりがあって、処方箋が来るのが一段落した後、各自でまとめて薬をそろえた薬剤師が監査印を押していくのである。ということは万一袋を入れ間違えたりしたら、自分がミスしたわけでもないのに、調剤過誤した責任は印鑑を押した薬剤師にかかるわけである。


 勤務初日の業務終了後、帰り仕度をしていた和中薬局長に薬子は聞いた。

「えーと、聞いてもいでしょうか、あなたはこの仕事が怖くないんですか」

「何が、ですか」

 和中にいうと不思議そうな顔でいぶかられた。

「無資格調剤のことですよ」

「どういうことですか」

 薬子は遠慮なく言った。

「薬剤師の資格をもたないものが、薬剤師が入れるべき薬の袋を入れていって渡していくというのはどうかという意味です」

 和中は困った顔をした。

「ここは昔からそうだったのです。私たちは昔のとおりに踏襲していっています」

「患者にもし何かあったらどうするのですか、あなたが入れたわけでもない薬を間違えられて、しかも自分が調剤と監査をしたことになっている、どうするつもりなのですか」

「あの、でもそんな重大な事故は過去おきたことはありませんし……大丈夫だと思いますけど」

 薬子は和中の能天気さにあきれた。そこへ久我が割って入った。和中薬局長と薬子の話に割って入ってきたのだ。

「藤原さん、ここの病院の薬局では私が一番勤務期間が長いんです。確かに私は薬剤師ではないけれど、私を信用してください」

 薬子はあきれつつ和中薬局長の顔を見る。では事務パートとして雇用されている久我が薬局長なのか? 薬子は仕方なく久我に向かう。

「久我さんを信用してくださいって? 何を信用するのですか? あなたが薬を入れるのを間違いないと信用することですか」

 久我はさすがに薬子の意図に気づいたが返答にはよどみはない。

「ええ、あなたも派遣とはいえここの一員になったのですからここのやりかたに慣れてください。お互いが信頼し合って薬局がなりたっているのですし」

 もちろん薬子は反論する。

「久我さん、それは違います。医療従事者はお互いは信頼し合ってはいけません。お互いに疑うものです。医療ミスはどんなにがんばってもゼロにはなりません。ですがミスを限りなくゼロに近づけることはできます。だから信用してくれという以前の問題で薬の袋を入れたり受け渡しはやはり有資格者の薬剤師がすべきです」

 久我の顔色が変わった。来たばかりのパートの薬子が反論するとは思わなかったのだ。

「……私が薬剤師の資格がないと思ってバカにしているわけ?」

「バカにはしてませんよ、思うことを言っただけです」

「いえ、私のことをバカにしているから、そういうことが言えるのよ。免許がなくったって私は何の支障もなく薬を作っていたのよ、なによ、都会の病院出身かなにか知らないけどえらそうに」

 久我は激高した。和中がまあまあとなだめる。薬子はその様子を興味深く眺めていた。彼女がどうでるか見ているのだ。薬局長はためらいつつ、薬子に注意した。

「……藤原さん。ここは、あのう、昔からそうなんです。人数が少ないので、そうなっているのです。それをいきなり来たばかりの派遣の人から意見されても受け入れがたいです」

 和中が久我をかばうとは思わなかったのだ。意見した私が悪いのか……。いや、百歩譲っても確かに来たばかりの人に指摘されても感情的に受け入れがたいものがあるのかもしれない。だがこの人は薬剤師の誇りというものはないのだろうか。

 薬子はすぐ隣にいた黒元夫婦をみた。彼らは両方とも薬剤師の有資格者だ。だが何も言わない。黙々と明日の調剤に備えて薬品棚の充填をしている。薬剤師としての誇りはどこにあるのか?

 過去幸いにして、大きな事故を起こしたことがないからそう言い切れるのだろうか。








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