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派遣薬剤師、藤原薬子の忘備録  作者: ふじたごうらこ
第三章・袋詰薬剤師
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第十話

◎ 第十話


「張名さん、えーと質問してもいいかしら」

「はあ……別にいいですけど」

 張名は薬子の顔を見ずに身構えた。彼だってバカではないのだ。

 薬子が同職の剤師として自分のことをどう思っているかすでにわかっているに違いない。薬子だって表立って彼をバカにしたりはしない。

 だけど張名は処方箋は他人に特に薬剤師でもない社長や夏野まかせ、少しこみいった処方箋だとそのまま放置して薬子にさせる。

 処方箋に何らかの疑問があったり、患者から湿布をあと五袋追加してほしいなどという希望があったら発行した医療機関に疑義照会というのをかけるがそれもまだこの薬局に勤務についてまもない薬子まかせだ。今までは夏野に疑義照会をさせていたという。薬学的な話になったらどう切り抜けていたのだろうか?

 張名からこうしてくれ、といわれたことは全くない。自然とそういうふうになっていったのだ。薬子はそれをおかしいとかヘンだとかは言ったことは一切ない。

 薬子自身自分の仕事は薬剤師です、という意識は常にあるのでそれを黙々とこなしていっただけだ。

 張名が管理薬剤師としてこの悶悶薬局に転職してまだ半年。その半年間でパート薬剤師が何人も入れ替わったという。夏野は薬子にぽつぽつと今までのことを話してくれた。水位病院からのなじみの年配薬剤師がやめてからこっちのことを全部。今までやめたパート薬剤師は全員張名の知識のなさ、仕事のおしつけ、やる気の無さ、無能力にあきれていったのだ。

「張名さん。あんたって、バカ?」

 そう吐き捨てて一日でやめていった薬剤師もいたという。

 薬子は夏野の話を聞いてやはりそうだったのかと納得した。だが薬子は黙って働いた。自分は薬剤師として仕事をしにきているのだ。

 薬子は患者との会話も楽しそうにそつなくこなす。もともと話すのは好きだった。


 張名としてはこの仕事をやめるわけにはいかない、社長と親戚だしこの地方では薬剤師はなかなかいない。やめさせられるわけがないと信じているようだった。また自分の仕事ぶりには疑問をもっていないのは明らかだった。やめる気はゼロだった。

 子供の大学薬学部への仕送りがまだあるのだ。だから張名は働かなければいけないのだ。


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 薬子が近寄ってきたので無言ながら張名が身構えた。その仕草がおかしく薬子は笑った。

「いえ、そんな大層な話ではありません。ただの世間話ですよ」

「そうですか、私はまたやめたいとかいう話かな、と」

「いえ、ただ張名さん病院の勤務経験が長かったのでまだ調剤薬局の仕事に慣れていらっしゃらないのかな、そう思うことが多々ありまして」

 張名は薬子の一見思いやりのあるやさしい言葉かけに安心したようだった。

「そうですね、確かに私はまだ慣れていません。また私はこのように口下手なので患者との会話もうまくいきませんしね」

「張名さんはそもそも薬剤師にどうしてなろうと思ったのですか」

「えーとそれは単になりたかったから、です」

 それは答えになってない……薬子はそう思ったが別の質問をした。

「ゼミはどこの分野を?」

「えーとゼミ……そんなのは入らなかったです」

「入らなかった? そうですか、でも専門分野ってあるでしょ?」

「物理学なようなもの、でしたか、」

「物理学? 薬学部で物理学? ですか」

「はい……」

「卒論はどうなさったのですか? 」

「卒論は……どうだったかなあ。忘れましたね、もうずいぶんと大昔の話なんで」

 張名はPCの画面を一直線に見ている。顔はこわばっている。このままではまた会話が成立しなくなる。薬子は話題を変えた。

「調剤薬局をしていると以前の病院が懐かしくなったりはしませんか? 私はそうですけど」

「いえ、私はあの病院は長かったけどいろいろあったし。新しく薬局長がきてからもうやめたかったので……」

 新しい薬局長? 張名が二十年以上勤務していて最後の七年は薬局長をしていたと聞いていたが? それはつまり張名が干されていたことにならないだろうか。

 何か医療事故を起こしたな、薬子は直感した。

 公にはならなくともこの男では事態の回収業務は無理だろう。この無責任さ、専門知識も忘れてしまった状態では他の部門から苦情がでても仕方がない。


「薬剤師が少ない職場では、勤務するのは大変だったでしょう。他の薬剤師さんはどんな人でした?」

「私よりずっと年上のおじいさんばかりでした。私は新卒で入ったのでその人とずっと一緒でした。調剤補助さんが四人いたので私はずっと監査役でした」

 それであのようにぺろぺろ指先にツバをつけて……つまり患者に飲んでもらう薬のヒートにツバをつけて監査業務していたわけね。張名と長年一緒に仕事していたそのおじいさん薬剤師達は張名に何も注意しなかった人なのだろう。

「その人が七十五歳になって引退して私が薬局長になったのですが、新しい薬剤師さんがいつかなくて。

それで責任とってやめたのです。折りよく親戚の悶悶さんが声をかけてくださってよかったです」


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 この張名の一番いけないことは自分が薬剤師として全く進歩せず、勉強もせずずっとそのままの状態で五十歳までいたことだ。その仕事ぶりで病院薬剤師として生息できたことに薬子はまず驚きを隠せなかった。

 袋詰め薬剤師、薬をつめるだけで高給を取る薬剤師。

 張名は巷でそう揶揄される薬剤師像そのものだった。

 前の病院では張名はじめおじいさんの薬剤師の仕事ぶりは医師の処方箋のまま取りそろえる機械の一部だったのだろう。疑義照会ですらしなかったのではないか。服薬指導もできなかっただろう。そこでは薬剤師とは薬のヒートを集めて回るだけの存在だったのだろう。そこの病院では薬剤師はそういうものとして、他の医療職からは軽蔑の眼で見られていたのではないだろうか?

 薬剤師としての職務は全科にわたって非常に広く深いものである。医師や看護師同様に医療機関にいないと病院としての機能が果たせない。

 それを熟知している薬子にとって張名というこのやる気のまるで見えぬ薬剤師の存在は残念であった。


 最後に薬子はもう一つの質問をした。

「張名さん、薬剤師としての仕事のやりがいって何でしょう?」

「それは服薬指導でしょ、私の仕事はそれだと思っています」

 薬子は張名の患者に対する服薬指導の間抜けぶりを見ているので、それでよいと思っている回答にがっかりした。

 また自分の仕事に疑問も何もなく、薬剤師の仕事はそういうものだと考えていることにも。








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