第五話
◎ 第五話
悶悶薬局は水位病院の診察時間にあわせて営業している。
午前九時から午後一時までが午前の診察。午後は三時から六時までが受付で大体七時までには薬局の業務が終了する。楽な職場だ。楽すぎるぐらいだ。午前の受け入れ処方箋枚数は十八枚、午後は二十四枚。薬剤師は二人いる。なのに薬子がそこそこ忙しい思いをしたのは管理薬剤師の張名がまったく動かないからだ。
昼前には社長がやってきた。みると白衣を着ている。昼前の繁忙期? にそなえてやってくるのだ。
もちろん彼の仕事は調剤補助だが実際秋野事務員が調剤してそれを監査するのが薬剤師、という段取りだが薬子は初日でそれを全部やり、もちろん患者に薬を渡すにあたって服薬指導もした。
薬子がやることを社長は雇用者としてチェックしていたらあしい。ある心疾患もちのおばあちゃん患者に服薬指導したあと調剤室で聞いていたらしい社長は「とてもわかりやすい説明でした。患者さんも喜ばれていました、ありがとうございます」 と言った。
薬子は特別なことをしたとは思ってないのでめんくらったが、当たり前のことができない張名にあてつけたというのはすぐにわかった。
張名の服薬指導は処方箋のとおりに薬の飲み方を指示するだけで終わるのである。患者が何か疑問におもうことを問うたら「そういうことは医師に相談してください」 の一言で終わりだ。
彼のあまりのお粗末さに薬子はびっくりもしたが、やはりこれでは一緒に働く薬剤師が嫌がるだろうと思った。夏野と混みそうな時間帯だけくるという社長だけでもっているのではないかと思った。
それでもこの張名は隣県の精神病院に長年勤務し薬局長でもあったという。だからきちんとした仕事もやろうとしたらできるはずである。調剤薬局は病院内のカルテも見れないのでトータル面ではやりにくいこともある。病院で患者のカルテを見たうえで服薬指導をするのと調剤薬局で医師の処方箋と患者の話だけで服薬指導するのとは職務の内容が違ってくる。彼は半年前に病院をやめてからこの悶悶薬局に転職したという。だから調剤薬局のやりかたになじめなくてやる気をなくしたのかな、とまで思った。
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さて個人でやっている小さな病院の門前薬局ではすることは限られてくる。あちらが診察を昼休みで休止すれば当然こっちも昼休みになる。万事処方箋発行をする医療機関にあわせて開局していくのだ。だから昼休みは薬局に勤務する全員が同時に昼休みがとれるということになる。全員といっても管理薬剤師と今日からパートの薬子、そして夏野と社長だけだが。
水位医師は基礎診療にあたるプライマリケアをしっかりやっているらしく、自己の設備を超えた治療が必要な疾患や精密検査を要するものはここから一時間ほどの県立病院に紹介状を書くという。だから処方箋調剤としてはいわゆる難しいものはなかった。だからといって気をゆるめるものではないが。
社長は「どうですか、藤原さん気楽でいいところでしょ?」 と聞いてきた。薬子がすぐやめてしまわないか心配なのだろうか。
「そうですね、勤務者が全員同じ時間で休憩がとれるところは、はじめてです。調剤薬局ならではの話だと思います」
休憩が全員同時にしっかりとれる職場というのは身体が楽だと相場が決まっている。
薬子はここの来る前によってきたコンビニでざるそばと海藻サラダ、夏野は惣菜パンとお湯で溶かしてできるスープ、社長は宅配ピザをとった。ピザの他にもアップルパイのデザートもホールで頼んでいた。パイはカットしてあり「今日から藤原さんが来てくれるから」 という御祝い? でみんなに一ピースずつあった。
宅配ピザのアップルパイ? とは思ったが案外酸味があり思ったよりおいしく薬子は上機嫌で食べた。夏野は二十五歳。市内の短大を卒業後すぐにここに就職したという。就職しながら勉強し、登録販売士の資格を取ったという。明るい子でスープを飲みながら薬子に来週に恋人とハイキングに行くこと、先月あったお姉さんの結婚式の裏話を聞かせてくれた。
社長は夏野のたわいのないおしゃべりを楽しみつつ「いいでしょ、この子。この子はよくやってくれている。末長くここにいてくれたらいいなと思う」 と薬子に言った。
その間張名は会話にも加わらず一人でコンビニのおにぎり弁当を黙々と食べている。手にはスマホを持って何やらのぞきこんでいる。
薬子はまだまともにこの人と話をしていないのに気づき、張名のそばに行った。なにかの視聴をしているようでヘッドホンで聞いている。調剤薬局にそぐわない持ち物だ。この職場に持ち込んだのだろうか?
近寄ると人の気配はわかるようで張名が顔をあげた。薬子は軽くうなづいて「今いいですか」 のジェスチャーをする。張名は素直にヘッドホンをはずした。
薬子は非常に下手にでた会話をした。相手がどういう人か不明なうちはへりくだってモノをいうに限る。
「あの、今日は初日でいたらぬこともあったでしょうが、またいろいろと教えていただけたら」
「ああ、はい」
「あの、ここに来る前までは病院勤務が長かったと思いますがどちらに? 病院名をうかがってもいいかしら?」
「Q県のまるぺけ病院です」
「Q県、隣の県ですね、そこは何ベッドぐらいありますか」
「三百床ぐらいあったと思います」
「何年ぐらいいましたか」
「私はそこで20年以上いました。最後の七年は薬局長でした」
薬子はちゃんと会話も成立するではないかと胸をなでおろす思いだった。張名は三百ベッドもある病院の薬局長までしていたのだ。薬子は彼を見なおした。やはり最初の暗い口下手な印象で人を判断してはいけない。
「それがなんでまた、県境を越えてこういう調剤薬局へ来られたのですか? 家まで遠いでしょ?」
張名は口ごもった。
「うんまあ、ちょっといろいろ……」
そこへ社長がやってきた。手にはまだパイを持っている。
「確かに遠いけどな、こっちも県境だから国道通って一時間ぐらいでつくし、転職はなんでもタイミングだよな。水位病院で長年いた薬剤師さんがこっちにも開局と同時にきてくれたが、引退したいと言い出したときと張名くんの転職相談の時期とがまさに一致したんだよ」
「なるほど、なんでも縁ですね。で大学はどちらですか」
張名はよどみなく答えた。
「愚事大学卒です」
私立だがよく聞く大学名だ。社長は後をついでいった。
「彼とは遠い親戚にあたるからよく知っているが、父親も薬剤師なんだよ。そして奥さんも薬剤師だし一人息子さんも薬科大学に在学中だよ。奥さんはQ県の調剤薬局の管理薬剤師をしているよ」
「あらあ、薬剤師夫婦ですか、息子さんもいずれ薬剤師ですし、すごいですね」
張名は照れたように笑った。
「いや、でも息子のできが悪くてね、大学もいいとこではないしまだ二年生だからあと四年も仕送りしないといけない。経済的に大変なので共稼ぎしないといけないんだ」
「地方の薬科大学の六年間の仕送りは大変ですよね。ところで息子さんの大学ってどちら? 同じ愚事大学ですか」
「新設の誰も知らない大学なんで言いたくないですね。とにかく息子もできがよくなくてそこしか入れなかったんです」
「薬剤師免許さえとれたら卒業大学の名前なんか問題ではないじゃないですかーそういう言い方は息子さんがかわいそうですよ」
「ははは、でもあいつ大丈夫かなーと思っている」
張名は息子を心配する父親の顔になった。
薬子は社長の遠縁ということと薬剤師一家という話にすっかり安心した。ちゃんと勉強してきた人なんだ、のっそりした風貌と動きで損をしているが仕事はきっちりする人なんだろうと思った。




