第二話
◎ 第二話
悶悶薬局は水位病院の門前薬局だ。立地もよく独占できる、と思いきや、ここ数年で応需している処方箋枚数が激減してきているという。
理由は水位病院は夫婦とも医師で夫が院長、妻が副院長。医師はこの夫婦だけだがベッド数も三十床しかないとはいえ常に満床、大繁盛していた。しかしながらご主人の院長先生が診察中に心筋梗塞をおこして急死してから経営が傾いたという。
悶悶は話好きらしく薬子が相槌をうとうがうつまいが一人でしゃべっている。
「誠にお気の毒な話で……院長先生は仕事熱心で地域医療にも大きな理想をかかげて救急患者も受け入れしておられました。働きすぎたのでしょう、奥さんの副院長はじめ雇われていた看護師たち、常連の患者さんたちの嘆きは相当なものでした。まあそれがきっかけで奥さんが入院患者受け入れせずの方針になり、同時に処方箋も院外で出すということになったわけです。かくしてこの悶悶薬局の設立につながりました。院内向けに薬剤師が一人いましたがこの悶悶薬局にそのまま雇い入れて最初はうまくまわしていたのですがね。この薬剤師さんは良い人ですが年齢が七十歳、つまりおばあちゃんでしてね。年だからとやめられてからよい薬剤師さんに恵まれなくて苦労しています。それで求人広告を出し続けています。
水位先生のお子さんは三人おられますがみんな成人しております。だがこれが一人も医者になってない。三人とも娘さんで三人ともよそへ嫁がれて今は奥さん、副院長ですな、お一人だけの外来診察でやっていってます。院長先生が亡くなられまた子供三人とも医療とは全く関係ない環境で暮らしている、とあれば後継ぎはなし。残された奥さん、水位先生はだんだんとやる気がうせたのでしょう。この奥さん先生が診察どころか病院経営自体にまでやる気をなくされているとは私も見抜けなかったのです。
まず救急診療をやめ、入院患者の受け入れもやめた。そして今。昼間の診察だけをほそぼそとされています。医者が一人だけの病院はレジデントのきてもないし、パートの医者募集さえもしない。自然患者さんも減ってきました。というわけで近年は処方箋枚数も朝から晩まで薬局で待機していても一日四十枚前後と言う体たらくです。
薬剤師はさきほど申し上げた年だからといってやめた薬剤師さんの後釜に新しい薬剤師さんを雇ったのです。それが今の常勤の管理薬剤師です。実は私の遠縁にあたる男性です。彼が管理薬剤師で一人、パート薬剤師一人、医療事務員一人という感じです。そのパート薬剤師さんがいつかなくてね、ここ半年で三人入れ替わったのです。ひどい時は一日でやめられたりしました。だから藤原先生がきてくれて助かりますよ」
薬子は半年で常勤はともかくパート薬剤師が入れ替わったってどういうことだろうと不思議に思った。
一日いて処方箋枚数が四十枚前後とはむちゃくちゃ楽な職場なはずである。
前の副院長先生が発行する処方箋に問題があるのかそれともモンスターな患者がくるのか、それとも局内の人間関係に問題があるのか、そのどちらかだろうと推察した。
「悶悶社長、その応需している水位病院は何科ですか?」
「内科と小児科ですね、臨時処方が多くほんと楽なはずですよ」
「ふーん、あの職場を見せていただけますか」
「そうですね、管理薬剤師の張名にも会わせないといけません」
「張名、とおっしゃるのですね」
「そうです。今年五十歳になります。隣のQ県の精神科単科の病院に二十年以上勤務していたのですが調剤薬局もしてみたいということでやめてこっちへ来たのです」
「それが半年前の話なんですね」
「そうです、大人しい人間で黙々とよく働いてくれます。ただ小児科患者には若いお母さんにはウケが悪くてね、前のような年配の女性の薬剤師さんを希望してパートで雇っているのですがいつかなくてね、短期でもいいから藤原先生のようにしっかりしたパートさんに来てもらえたらうれしいですよ」
「ありがとうございます、ではまず見学させていただけたら」
悶悶社長のいうことをずっと聞いていたら話が長いし、同じことを何度もいうしで、いつまでたっても終わらない。二人で喫茶店を出て歩いていくことにする。五分ほど歩いていると水位病院というのが三階建で見えてきた。けっこう大きい。それを外来だけでいっているのはもったいないとしかいいようがない。二階三階はほったらかしなのだろうか、その女医だという副院長は夫を急になくしてたった一人で水位病院を大きく手広く経営していく気力を失ったのだろう。かといって手放しもしない、細々と医師として勤務し、亡き夫の思い出が残る病院にいるわけである。
悶悶薬局はそのすぐ隣にあった。
「近くに薬局は?」
「競合相手はまったくおりません。車で五分もあっちへ行けば大手のチェーンのドラッグストアがありますけど処方箋の受け入れはしていません」
こういう好条件なのになぜパート薬剤師がいつかないのだろう、あんまりヒマすぎて時間をもてあますのだろうか、薬子はまた首をかしげた。
時に二時ごろ。薬子は社長に連れられて薬局に入室した。悶悶は気軽に正面の自動ドアから入っていく。二時といえば午前中にピークもとっくに終わり調剤薬局には一息つける時間帯だ。夕方から始まる夜診に備えて準備したり勉強したりする時間でもある。社長は狭い待合室をざっと見まわし変わったことがないか点検するようにあちこちをさわっていく。
背の高い初老の男がのっそりというかんじで待合室にやってきた。そのあとから若い女性事務員が一人ついてきた。社長は男に気付くとやあというように手をふった。
「張名くん、来たよ」
「社長こんにちは」
「この人は新しく勤務に就くパートの薬剤師さんだ、藤原先生だよ」
「藤原です、よろしくお願いします」
「張名です………」
隣の若い女性が「夏野秋子でーす」 と言った。
彼女がにっこりしたので薬子は救われたような感じをもった。
それくらい張名という管理薬剤師の男が無表情で暗かったのである。
またそのあとの話題が続かない。
悶悶社長が先にたって狭い薬局内を案内してまわった。春名はのっそりと無言でついていくだけだ。夏野秋子事務員はそつなく保険点数チェックしてきまーすと、隣の部屋に戻った。夏野は登録販売員の資格ももっていて簡単な売薬つまりOTC薬の対面販売も患者の希望に応じてやっているそうだ。
薬子は社長の説明の合間に上背のある張名の顔を仰ぎ見たが張名は目を落としてついてくるだけだ。薬子をみてもよろしくもいわないし、局内の説明も一切しない。色は浅黒く顔のパーツは悪くはないが顔の真ん中に目も鼻も口も一か所によせたような感じで非常に動物的な珍しい容貌だった。そして気の毒だが不細工にみえた。髪は黒々としているがみだれた感じで全体的に不潔で汚くみえた。白衣こそはきれいでぱりっとはしているけど。
薬子も張名の容貌を辛辣にあげつらった。ただし心の中で。
「……こりゃあ若い薬剤師さん達だったら、逃げるわ……パート薬剤師がいつかない理由ももしかしたらこの張名という管理薬剤師のせいかなあ、こんなにしゃべらなくて人の顔も見ない管理薬剤師と一日朝から晩まで一緒に仕事はやりにくい。社長の遠縁だからという理由で管理薬剤師にしてるのだろうけど、これは楽しい職場とはいえないかもなあ……」
だけどいつものくせ、薬子の変化を望む気質、好奇心旺盛さがかえってそういうつまんなさそうな薬局にも飛びこんでいく。
これが薬子が出会った最低の薬剤師、張名春彦との出会いのはじまりだった。こんなに大人しいまじめそうな薬剤師がまさか厚生労働省の元上司の史眼を手をわずらわし、結果新聞をにぎわすことになるとは全く思わなかった。




