第一話
第一話
隠密薬剤師の藤原薬子に影の指令を出す上司は厚生労働省保健施設管理指導部長の史眼政史という。ついでにいうとこの史眼は薬子の元夫である。薬子が今年の四月から現夫がまた転勤になり今度はA県になるよ、とメールで伝えると史眼はすぐに返事を携帯電話でよこしてきた。
「A県の頓挫市に一件のタレこみがあったんで調べてきてくれない?」
「表か裏かどちらかしら?」
「裏のタレこみだ。例のところに派遣薬剤師として登録は続けているのだろう? 頓挫市もまた人口五万人程度の医療僻地も含む地方都市だ。薬剤師の絶対数は不足しているからすぐ雇われる。頼むぜ」
「告発者はどういう人で潜入する所はどういう医療機関ですか? 病院ですか? それとも薬局? 保養施設?」
「調剤薬局だ。依頼人はA県薬剤師会の幹部で頓挫郡支部長の多田という女性だ。ターゲットは頓挫市内でチェーン展開をしているルンルン薬局だ」
「ルンルン薬局。これまた楽しそうな名前ですね」
「二十店舗あるんだ。最初の一店舗目が小児科開業医の門前薬局でね、子供たちに親しむようにという願いをこめて店名をつけたらしい。詳細はホームページがあるのでそっちを見たまえ」
「で、多田というその人はなぜ、ルンルン薬局を告発するのですか? その人だって薬剤師でしょう? また薬剤師会の幹部ならば証拠あれば表立って告発できる立場にあると思いますが」
「確かに。多田は苗字そのままの多田薬局を二店舗しか経営していない。だが県南に二つある病院の門前薬局でね、独占状態でほぼ百%応需しているらしい」
「じゃあ儲かっているじゃないですかー、これ、告発内容の証拠とかは?」
「内容は不正請求だが証拠はない。そもそもこんな民間レベルの告発なんか、うちが動くべき事件でもない。実は多田の遠縁にあたる人が大臣秘書部に勤務しているとかでその口利きだよ」
「ふん、断れなかったんだ。藤原が今回転勤で引っ越すしちょうどいいというわけですか。行ってもいいですけど、この場合ただの権力争いじゃないかと思います」
「そうだな、ルンルン薬局の経営者、社長は餡祖というがこれも女性。ちなみに告発者の多田とは大学も一緒で年齢も一緒」
「……」
「な、おもしろいだろ? 薬子にゃ、適任だ。何かつかんだらこっちも動くけどまあ気楽に派遣で働いてみてよ、厚生労働省は表には出ないけど何かあったら助けるよ」
「史眼、じゃあやってみようかな? 調剤薬局は未経験だしこれもおもしろそうだし」
「そうこなくちゃ、君ならやれるよ」
史眼の依頼はいつも突然でしかも込み入った話も多い。だが史眼と薬子ペアは鉄壁で成果をあげた事件は数知れず。それもそのはず、このペアは恋人であり夫婦だったのだ。やむをえない事情で離婚し、数年後別々に再婚した。仕事だけが夫婦時代と同じく続いているのだ。この事情もまたおいおいと明らかになってこよう。
とりあえず薬子はA県頓挫市のルンルン薬局チェーンの本店に派遣薬剤師として勤務することになったのである。時に四月一日、暦は春だが当地はまだ寒冷地。
転勤地に借りたアパートから派遣先のルンルン薬局中央病院前店まで車で三十分程度。凍結した道路の運転に慣れていない薬子は大いに難儀した。仕事は表は派遣薬剤師、裏は薬局経営の不正をあげる。表も裏も仕事に不足はないがこの雪道や凍結道路の運転は一歩間違えたら自動車事故でヘタしたら命を失う。かんべんしてよ~と思いつつも初日を迎えた。