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第八話

第八話


 そこへ電話がかかった。コール一発で矢内がすぐ近くのデスクから受話器を取る。

「田崎くん、君にだ」

 薬子はもちろんすぐに受話器をかわった。人事担当らしき落ち着いた女性の声がした。

「田崎楠子さん、私は人事の小川と申します。いろいろとお話したいので、今から人事課まで来ていただけますか」 

 一言だけだった。薬子は会話が苦痛になりかけてきたので「はい、わかりました」 とすぐに返答した。

 電話を切るとすかさずマークが聞いた。

「人事課だろ、場所わかる?」

「いいえ」

「中央のエレベーターホールから四十階に下りて東半分のフロアが人事課だ。たぶん辞令と雇用契約書、それと社員証を作るための指紋認証など作るのだろう。あいさつ回りも兼ねるのなら午前いっぱいかかるだろう」

「ええ、そうね。ありがとうマーク」

 矢内も声をかけた。

「人事の話が終わったらこっちも仕事してもらうからすぐにぼくのところに来て」

「矢内さん、了解です」

 薬子の返事が終わらないうちに矢内の携帯が鳴りすぐに会話が始まった。英語だった。飯田も下里も窓際の明るいデスクの方に戻ってデスクに腰をよせて書類の束を取り出している。皆忙しいのだ。


 田崎楠子扮する薬子は人事課に行った。四十階に下りる。それからお手洗いに立ち寄る。化粧室の窓から外を見た。さきほどまでいた五十五階よりもずっと下でビル群の中にいるように感じた。向かい側のビルのオフィイスの窓がきれいに整列している。今日は天気がよいので、向こう側の窓から日光が反射してきてまぶしかった。

 高層ビルの窓から林立するビル群を見降ろして仕事するよりも、乱雑に医薬品が並んでいる薬局の中で働く方が自分は好きだな、自分の顔を見つめながらそんなことを考えた。

 電話をくれた人事課の小川と名乗った女性は意外と年をとっていた。電話での声は若いように感じたが実際に会うと五十歳前後ぐらいの小太りだった。だが背丈が薬子よりずっと高く、仕立ての良いグレーのスーツがよく似合っていた。胸元にはやはりゼット製薬の社章がつけられている。もらった名刺にはゼット製薬人事課課長補佐という肩書きがあった。

 薬子を認めるとにこっとほほ笑み、手元のデスクから書類と封筒を取り上げて別室へといざなわれた。


 別室とはいっても人事課の個室もまた簡易パテーションでいくつかの小部屋にしきられているだけだ。そしてその一つの小部屋に薬子と人事の小川と二人きりになった。

 小川は手慣れた風に薬子に対面で座るように言った。

「新卒の新人さんならまずオリエンテーリングでゼット製薬の社史というか歴史の映像ビデオから見てお勉強していただくのですが、田崎さんは即戦力だと伺ってますのでね、このDVDは三枚ありますけど、お時間のある時にみてください。それと社内内規というか社員研修用のファイルです。四冊ありますけどこれも目をとおしておいてください。では雇用契約書など各種書類にサインを」

「わかりました」

 小川の手際はよく無駄はなかった。

「あなたの保証人はT大学宮坂教授と伺っています。なのでそこは白紙でいいです」

「わかりました」

 薬子は田崎楠子になりきって書類にサインする。持ってきた田崎の三文判の印鑑を使ってあちこち押していく。給与振り込みの用紙にも、誓約書も、果ては休暇届用の用紙にも。

「時間があったら社内も簡単ですが案内しますが、広報で早く戻ってほしいなど言われてますかね?」

 小川が聞いたので薬子は即答した。広報の矢内とは今は話したくない。皆頭の回転が早く薬子の真の目的がばれそうで不本意ながら怯んだ気分だった。

「いえ、今日はまずは初日ですので、人事課で話があるだろうと言われてます。私も教えていただきたいこともあります」

「人事の手続きはこの私小川が担当します。わからないことはなんでも聞いてください」

 小川は笑顔だった。人のよさそうな感じのよい顔である。笑うと年相応にしわがよってそれもよい感じ。イチか、バチか。薬子は小川の顔に身体を近づけて小声でいった。

「あの、小川さん、こんな疑問はいけないことかもしれませんが」

 できるだけ小声でそして迷いながら質問しているように。小川は薬子の顔をみてなんでも聞いてというようにうなづいた。

「あの、宮坂教授から例のあのアマクナーレの皆川珠洲絵さんの話を聞きましたが、ちょっとここで聞いてもいいかしら」

 あら、というように小川の顔が変化した。だが宮坂教授という名前がインパクトあったのだろうか、興味本位で聞くという感じにはならなかったようだ。

「皆川さんね……私はよく知ってますけど、個人的にはかわいそうにとは思ってます」

「世間でもそうですし特にT大学では珠洲絵ちゃん、あの子が全部罪をしょったという感じを受けましたが本当ですか」

 小川はその質問に答えず逆に驚いたように薬子に質問した。

「珠洲絵ちゃん? あの子? あのう田崎さんは皆川さんを御存じなのですか?」

 薬子は大きくうなづいた。

「ええ、実は遠縁にあたりますの、あの珠洲絵ちゃんと私はハトコですのよ」

 これはウソも大ウソだ。薬子は皆川珠洲絵のイトコでもハトコでもない。親戚でもない。全く赤の他人の珠洲絵の両親とは会った。自殺してしまった本人はもちろん知らない。

「まあ、そうでしたの」

「小川さんこれは黙っていてね、宮坂教授も黙ってろ、でないとクビになるぞって脅かされてます」

「でしょうね、ほんとこれは言わない方が身のためでしょうね」

「珠洲絵ちゃんの両親は皆川薬局という薬局を経営されています。ご両親は私がここに勤務することになったのを知ってなんでもいいから珠洲絵のことがわかったら教えてくれと頼まれたのです。私もせっかく決まったここに悪く思われたくないですし、とても困っていますけどかわいそうだなって。ですので、小川さん何か知ってることがあったら教えてくださいね」

「私とあの皆川さんと親しいというわけではありません。それに私がいうことではないですし。でも遠縁のあなたが皆川さんと入れ替わりのように、ここに入社ってこれもすごい話ですね。でもこういう親戚関係などはいちいち調べたりはしませんしね」

 薬子はもっと声をひそめた。小川は薬子に身をよせた。どういうわけか今や二人は小さく仕切られただけのパテーションに身をよせている。初対面のはずの二人なのに。薬子は小川から小さくてもよいので情報を得ようと必死だった。わらしべ長者のように一見なんでもない情報から大きいものが引き出せることは経験上よく知っている。

 この場合、薬子の「わら」 は小川が同じ会社の社員同士として故皆川珠洲絵と面識がある、それだけだがそれは薬子にとっては立派な「わら」 だ。

「実は私、珠洲絵ちゃんのご両親からゼット製薬から五千万円もらったといってます……ご存知ですか? 」

「五千万円、それってほんと?」

「ええ、ほんとよ」

「ほんとにほんと?」

「ええ、自殺の前日に珠洲絵ちゃんたらそれをお父さんに託したのよ。でも親はそんなのもらっても意味ないじゃないの。泣いていらしたわ。だから私、彼女も彼女のお父さんも不憫でね……」

 薬子はうそ涙を見せた。小川は何か考え込んでいた。薬子はさらに爆弾発言をかます。

「それとね珠洲絵さんと烏賊部長の話はご存じかしら。その五千万円は烏賊部長にも関係あるようなのよ……かわいそうに珠洲絵ちゃん、ぐすん……」

 小川はさらにぎょっとした顔を見せた。






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