第二話
第二話
その前に論文というものについての話をする。論文は文字通り個人もしくはグループが研究した内容をまとめたものである。研究内容はそれこそいろいろある。そして専門分野ごとに研究結果をまとめたものを発表する場所がある。いわく学会報告、印刷物なら各種学会が発行する専門学術誌上が多い。権威あるところで認められると学者としての地位も確立する。博士号がもらえたり、賞がもらえたりする。
実情はいろいろあるが、まあ大体そういうことだと思っていただけたらよいだろう。
さて、この論文。
近年論文を改ざんしたもの、ニセのデータを載せたものが国を問わず次々と判明してきている。ありもしない結末、結果を論文にして世間に堂々とうそを発表するのだ。
そのうちの一つに話題になったのが例のゼット製薬の「アマクナーレ」 だ。しかも臨床分野でかつ製薬業界最大手といわれる天下のゼット製薬がやったのである。
例のアマクナーレは発売されてまだ三年目になる糖尿病薬だ。食直前に飲むタイプの血糖降下剤。糖尿病もまた慢性疾患であるから、一度飲み始めると長期間服薬が必要である。だからできるだけ多くの医師が処方箋に「アマクナーレ」 を処方してくれるように販促に精だしている。
ゼット製薬のMR達は他社が製造発売しているライバル薬を追い落とせと日夜檄を飛ばされているのだ。MR達もまたこの製薬業界を担うなくてはならぬ役者たち。ゼット製薬は老舗会社のメンツもかねて医師に糖尿病の患者がきたらぜひ「アマクナーレ」 を処方してくれるようにと日夜しのぎを削っている。
この分野では「アマクナーレ」 のライバルに当たる薬品は七種類、ジェネリック薬品も加えたら三十種類はあるであろう。
この血糖降下剤の種類の中で一番遅くに発売された「アマクナーレ」。普通はこれだけでも不利になるはずだが結論としては不利にはならなかった。この新薬にはある特性があった。
そもそもゼット製薬には糖尿病薬分野では決め手になる薬品は持っていなかった。だから遅ればせながら会社生命と威信をかけて開発したものである。
この「アマクナーレ」 には既存の薬品にない特別な効能があるというのが「ウリ」 だった。それは「アマクナーレ」 を飲んでいるうちに血糖値が下がるだけではなく、脳梗塞などの予防になるという。その画期的な臨床データを新発売と同時に発表したのである。
血糖降下剤にそのような予防的な措置ができるとあって、医師は次々に血糖降下剤をこの「アマクナーレ」 に処方変更していった。
こうして「アマクナーレ」 は見事糖尿病薬のシェアに食い込み、売れていったのである。さすが国内最大手を担う製薬会社である。五年前から某国最大手のゼール製薬と業務提携をしてから特に飛躍していったのではないだろうか。ゼール製薬は某国の抗がん剤の研究機関から派生した製薬会社であり、提携をきっかけにゼット製薬は次々と独自に抗がん剤を開発して臨床現場に売り込みをかけていく。
結果どの分野においてもゼット製薬はそれぞれの一押しの薬を販売し、国内の臨床現場においてゆるぎない地位と安定した収益をもっていた。
しかしもっていた、と過去形になったのは、ある大学の教授がゼット製薬の論文によせてある疑問を週刊誌に寄稿したことによる。
それをきっかけに「アマクナーレ」 の再現動物実験がなされ、血糖降下についての効能は確かにあるがそれが脳梗塞等の疾患に予防もできるという効能はないことがわかったのだ。続いてゼット製薬の「アマクナーレ」 と同時期に発売された抗がん剤「シンドクナール」 も添付文書に書かれているほどの効能効果がないことをわかり、ゼット製薬から出された各種論文の見直しがなされた。
タイミングが良かったのか悪かったのか、よその大学の研究機関で捏造された論文が発覚し医学博士の博士号をはく奪された事件があったばかりだ。
今年に入ってからどういうわけか各国で「捏造論文」 なるものが多く暴露され、大学や著名な研究機関の威信が落ちていたころだ。
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……せっかくだから例をあげておこう。
本年三月。ある腫瘍摘出手術に関する論文三本に改ざんや捏造がみつかったとして、P医大病院のP氏が停職一カ月の懲戒処分になった。
ついで本年五月、R大学院のX准教授が、論文で捏造した画像データを掲載していたことが判明し、懲戒解雇処分となった。
おなじく五月下旬、T医大は、I教授が関与した十四本の論文で七十件のデータの捏造や改ざんがあったと発表した。
七月、U大学のD総長が書いた二十本の論文に、ねつ造や改ざんの疑いがあるとして再現実験を含めた調査が要請された。補足だがこのD総長はノーベル賞候補者の一人とされていた。
なぜこんなことになるのか。
研究者は結局のところ自分の名誉を求めるものなのか、自分の研究成果によって自分の身分が定められ社会的地位が確立されるせいか。特に名のある大学や研究機関では名前に傷が付くことを恐れ、ねつ造に気づいてもなるべく隠そうとするケースが多いのではないかと言われている。
かつ実験手法が特殊でオリジナルのものが多く、いわば密室の中。第三者の目が入りにくいなどの問題点がある。それゆえに実際の科学、臨床の現場では、第三者による再現実験というものはほとんど行われていない。
これは日本だけの現象ではなく、世界中で見られる。
ノーベル賞候補の研究者のラボにいってはじめて捏造論文が発覚したケースもある。それも数十年前から。たとえばある種の下等動物の幼細胞に電気泳動をかけるとオス、メスがはっきり反転してしまうのが判明した。これは人類史上の画期的な新発見だった。だがノーベル賞の監査委員が介入すると、それは何のことはないその研究者の奥さんが「彼とみんなが喜ぶから」 という理由で実験ケース内のオス、メスを手で入れ替えていたにすぎなかったのだ。
その研究者夫婦がその後どうなったかはわからない。が、捏造論文はこうして枚挙にいとまなく、連綿と続いていたのである。
もちろんこういった事件は真摯に実験を繰り替えし寝る時間も惜しんで研究に勤しむ人々にとっては迷惑なものだ。だが彼らがそういって断罪する声が高くあがることはない。
研究者は本来世間の表にたつことはなく、ひそやかにある研究機関の密室のラボの中で黙々とデータを積んでいくことが多いからだ。またそれは一日も休むことはない。今日は日曜日だからといって休むとそれまでに培っていた対象物がパーになることもままあるからだ。
そういう気の抜けない研究をし、まじめに論文を命がけで書いている者にとっては捏造論文騒ぎは本当に迷惑なこと、この上ないものであった。




