Brunt(矛先)⑤
「中村君!」後ろから切羽詰まった声がした。
はっと我に返り肩越しに後ろを見ると、愛川たちの後ろに二人の男がこちらに向かって歩いて来ていた。
1人は痩せて背が高い糸目の男で派手な赤いシャツと白いパンツ姿だ。ひょこひょことした歩き方でこっちへ来る。
もう一人はストライプのグレーのスーツに黒いシャツ、屈強な体つきでシャツが筋肉でパツパツだ。四角い強面の顔で額から顎にかけて細い傷跡が凄みをましている。
二人は険しい顔で歩きながら荒々しく言い放った。
「珍しい姉ちゃんが手に入ったって聞いたが、ガキじゃねぇか。まぁ、そこの強そうなお姉ちゃんは使えそうだけどよ」
ニヤニヤしながら痩せた男が司の腕をつかんだ。甲高い耳障りな声だ。
「それより、いったい何の騒ぎだ」
顔に傷がある男は辺りを見回しながらゆっくりと近づいてくる。
ちらりと愛川たちを見て彼らに気付くと、さっと顔色を変えた。
愛川と向き直り彼女の肩をしっかりとつかむ。
「お嬢、どうしてこんなところに?!もし親父さんに見つかったらっ!」
男は顔を醜く歪めると、彼女たちを手早く店の出口へと追いやりながら愛川に耳打ちした。
「スンマセン。お嬢のお友達だと知っていたら、こんなことにはならなかったんですが。若いのには厳しく言っておきますので、どうかこの事は親父さんには内緒で」
「わかってる」愛川は小さく返事を返した。
お店の外は冷たい風が吹き、店内の慌ただしさと熱い空気に火照った体を冷やしてくれる。
安堵したのも束の間、司を店内に残して来たのに気付きみんなで顔を見合わせた。
「五反田。そのお嬢さんの腕を放せ。お嬢の友達だ」
店に戻った傷のある男は低い声で命令した。
つまらなさそうな顔をしつつ大人しく糸目の男は手を放す。
捕まれたところをさすりながら司は振り返った。
「男なんだけどね」
確かに、髪の長い彼は桜ヶ丘中等部の白い学ランを着ていた。
琥珀色の長い髪が女と勘違いさせたのか、違う。骨格や身長はしっかり男の物なのに、その独特なたおやかな雰囲気が勘違いさせたのか。さっきまで激しく怒りに満ちていた瞳は落ち着きを取り戻し穏やかで甘いミルクチョコレート色になっていたが、彼の瞳にはまだ殴り足りない飢えが横切った。
傷の男は自嘲気味に笑みを浮かべると、顔を引き締め周りに怒鳴った。
「誰だ!お嬢の友達を売ろうとしたヤツぁ!」
神田達を抱き起しながら、男たちは顔を見合わせると頭を大げさに横に振る。
徳村がお腹を抱え呻くように言った。
「こいつです。神田がロリ受けにいいだろうって。外人だし高くつくと乗せられて」
言い終わらないうちに傷の男のパンチが徳村の頬に飛んで来た。立ち上がろうとしていた徳田はまた床に転がる。
「ばかやろう!ちゃんと身辺調査してから連れて来いっ…それと、神田」
意識を取り戻した神田は仲間に支えられながらうなだれていた頭を持ち上げた。
鼻から血を流し、唇を切っている。そして頬骨の辺りが赤く腫れ上がり額にはたんこぶまでできていた。
傷の男は神田に歩み寄ると彼の髪を掴み自分に向け、鼻っ柱を突き合わせ凄みのある声で言い放った。
「もう二度とわしらに面見せるな。わしらの息のかかっている店も出入り禁止じゃ」
不敵な笑みをみせる傷の男に対して神田はみるみる青ざめガタガタと震えだした。
「ま、ままま、牧原さんっ!ごめんなさい。ごめんなさい。もう二度としませんっ!だからお願いします。許してください!」
顔に傷のある牧原の足にしがみつき神田は必死で懇願する。牧原は足を引くと神田を蹴り飛ばし司の足元に転がした。神田を見つめる牧原の瞳はまるで狂犬のようで一切言い訳を受け付けない頑固とした意志を伺わせた。
司と神田に背を向け牧原は吐き捨てるように言った。
「神田。今後わしらの周りをうろついてみろ。命はないからな。坊主、さっさと連れて行け」
震えの止まらない神田の腕をつかみ司は引き上げて立ち上がらせた。
彼はフラフラで足元がおぼつかない。
ボコボコにしたのは自分だが後始末まで自分でするとは。
司は溜息をつき渋々肩を貸す。神田の重みを体に感じた。
引きずるように店を出ると風之間たちが待ちわびた顔で立っていた。
司達を見たみんなは複雑な表情をした。神田の顔を見て司がやったのは一目瞭然だ。「なんで、神田君まで連れて来てるの?」
不安な面持ちの風之間に司は引きつった笑みを浮かべて見せた。
「いや、まぁ。こいつがあそこから追い出されたんだよ。もう、戻れないだろうな」
その顔には不本意な気持ちが表れている。そこへ愛川が神田の顔を覗き込んだ。
「あーあ。派手にやられちゃって。これに懲りてしばらく悪さはしないでしょ」
神田はぶつぶつ何か呟いており不貞腐れた顔で目はみんなと合わそうとしない。
双子は司に駆け寄って彼の体にしがみついた。
司は顔を上げ、妹を助けてくれた友人たちに暖かな笑みを浮かべた。
「風之間、愛川。なんてお礼言っていいのか。言葉じゃ感謝しきれないよ」
彼の心からの気持ちに二人は満足そうな笑顔で返す。
「それと愛川。君はマフィアのボスの娘だったんだね」
風之間の顔が青ざめ愛川の表情が強張った。司は爽やかな笑顔を浮かべると言った。
「オレ、愛川がマフィアの娘だったことを感謝している。あの人数にマフィア相手はさすがにきついよ。(手加減するのがね)おじさん達が味方でよかった」
愛川の頬がみるみる赤く染まる。彼のチョコレート色の瞳は輝きまっすぐ彼女を見つめていた。今まで自分が暴力団の関係者であることに感謝されることは一度もなかった。
あってはならなかった。でも、彼はそのことにお礼を言って感謝さえしている。
純粋にその場が丸く収まったことを喜んでいるのだ。「ばか」そっぽを向いて愛川は小さくつぶやいた。
「お兄ちゃん、日本にもマフィアいるんだねぇ。」「危なかったんだよ、私達。(食べちゃいそうで)」「まぁ、お腹空いていてあんな匂い嗅いだらタカが外れるって」双子たちが騒ぎ出し司の袖や裾を引っ張り始める。
愛川を見つめていた司は我に返り、気まずそうに肩を竦めた。
「やばっ、夕飯まだ買ってない。オレたちはこいつを送って行って帰るよ」
へこたれている神田の腕をつかみ無理やり振ってみせる。
風之間は極上の笑みを浮かべて愛川の肩を軽く叩いた。
「じゃあ、僕は愛川さんを送りますね。もうすぐ母が迎えに来ますので車で帰りましょう」
こころなしか人の役に立てるのが嬉しそうな志郎に司は肩の力を抜いて息を吐いた。
「わかった。任せる。じゃ、また明日」
いつもは異論を唱える愛川も大人しく頷き志郎のあとに続いた。
五人は別れを告げてそれぞれの家路に急いだ。
翌日、快晴に恵まれ桜ヶ丘中等部にはいつもとかわらない日常があった。体育館、運動場には体操服姿の生徒達が競技し、各教室では退屈な授業が繰り広げられている。
静まり返ったB館(学生棟)1Fでわずかな物音がした。
耳を澄まさなければ聞こえないくらいの。
1Fにある購買部はまだ開店しておらず、用務員室も無人だ。
PTA会議室は保護者の利用がない限り通常誰もいない。
また物音がする。
今度はさっきより音が大きい。校舎西側の突き当り男子更衣室からだ。
男子更衣室の引き戸の前には清掃中の立札が置かれていた。
「どういうことだよ。神田」
目を怒りに光らせ八嵜は吐き捨てるように言う。彼は腕を上げ灰色のロッカーに張り付いている神田の首を締め上げていた。
息絶え絶えの神田はなんとか空気を吸い込みながら応える。
「もう、おれは、お、おし、まいなんだよ。こ、この、件から手を引くし。もう、お前らとはツルまない」
「ふざけんなよ」
八嵜の顔が醜く歪んだ。
しかし、締め上げられている神田は昨日と打って変わって冷静でその口調から強い決心を感じられる。
八嵜の隣で静観していた森谷は口を歪めて笑った。
「神田。お前面白い顔だな。中村の双子はそんなに強かったか?」
からかい半分彼は神田の頬を指先でなぞる。神田は顔を背け痛みに表情を曇らせた。
「中村だ。あいつは相当場馴れしている。反撃の隙もなく気が付いたらひっくり返っていた。しかも二人がかりでだ」
神田の首を乱暴に放し八嵜は制服を整えた。
森谷は八嵜の肩に腕をかけると楽しげに言った。
「そりゃあ、面白い。なぁ大丈夫だ。オレが片づけてやるよ」
二人は出口に向かい扉を開く。
「役立たずが」八嵜はそう言い残し、扉を開けたまま森谷と姿を消した。
「あいつは本気を出していなかった。本気だったら殺されていたさ」
力なく座り込んだ神田は自嘲気味な笑みを浮かべ、力なくうなだれた。
次回は布石です。