Brunt (矛先)②
柔らかい日差しが廊下に落ち、足早に夕暮れが近づいてきている。冬が近づくにつれ日が短くなり落ち着かない気持ちにさせられた。
放課後、司は職員室で休学届を出しスクールバック片手に廊下を歩いていた。
もうすぐ月が満ちる。
月が欠け、その光の力が収まるまで自宅で大人しくしている予定だ。
それは毎月三日間訪れ中村家全員の体に変調を来す。
真昼の月に呼応して、司の瞳は時おり真っ赤なルビーの様に煌めいた。
後ろから慌ただしく駆け寄る足音に司は振り向いた。
肩からお腹にかけて結い上げられた琥珀色の髪がわずかに揺れる。
「中村、これを愛川に渡してくれないか?」
茶色い封筒を振り回しながら高橋先生が駆け寄ってきた。いぶかしげに小首をかしげながら司は封筒を受け取り先生の瞳を覗き込む。
先生は目を細め笑顔を交えながら言った。
「いやぁ。今日中に渡すはずだったそれを、うっかり渡しそびれたんだよ。これから職員会議で愛川を探しに行く時間がないんだ。多分部活に出ているだろうから持って行ってやってくれ」
短く返事をした司の声を聞こえたのか聞こえてないのか、高橋先生はそそくさと職員室へ向かう。その姿を見送りながら司は茶封筒に視線を落とした。
学園生活始まってもうすぐ三週間になるが、愛川に関する頼まれ事が多い気がする。先生も生徒も極力愛川との接触を避けているのは隠すわけでもなくあからさまだ。
一歩踏み出そうとした司は我に返った。
そういえば愛川が何部に入っているか知らない。放課後いつも姿をくらますと思っていたが部活に入っていたのか。その件については腑に落ちたものの周りから彼女が孤立している理由は謎で、これまでそれを誰かに聞こうとは思わなかった。
とにかく、バスケ部に行って藤波に聞くのが一番早いが小一時間はつかまるだろう。
以前顔を出したら練習や試合につき合わされ、抜け出すのに苦労したのだ。
気を取り直してバスケ部で時間を食うより先生に聞いた方が早いだろうと思い立った。
あれこれ考えながら司は職員室に戻り始めた時、行き交う生徒の中にクラスの委員長の姿を目にとめた。肩のあたりでゆるくカールした栗色の髪が揺れている。健康的な小麦色の肌に厚めの赤い唇。きりりとした切れ長の目の中の瞳は暗褐色でいきいきとしている。
重たげな付け睫毛をしばたきながら、彼女は司が声をかけるまでもなく駆け寄ってきた。
「中村君ちょうどよかった!これ、愛川さんに渡してくれる?」
「…」
またか、司はそう思いつつ彼女の手にあるプリントに視線を落とした。
「同じ委員なんだけど来月の予定表渡しそびれちゃったのよね。あ、ちなみに私が委員長で彼女は副委員長ね」
「委員が同じなら直接渡したほうがいいんじゃない?きっと話すこともあるだろうし」
先生に頼まれた封筒もあるしこの件を引き受けても何の問題もないが、司はさりげなく口をはさんだ。
委員長の成沢は視線を泳がせ少し戸惑った様子だったが、さっとプリントを突き出した。
「このプリントに全部書いてあるわ。それに、中村君。彼女とあまり関わりにならない方がいいと思う。みんなそうしているし彼女のことを知ったら中村君だってそうする。知らないうちに関係を切ったほうが身のためよ」
「?とりあえず、ご忠告どうも。このプリント預かるよ。それと、彼女は何部に入部しているの?」
真顔で愛川のことを語った成沢は、あっさりかわされたのを気にしてか目を伏せて答えた。「弓道部よ。菜園の隣に弓道場があるから多分そこ。愛川さん暇さえあれば弓道場にいるから」成沢からプリントを受け取ると司はにっこり笑った。「Thank you」
A館から弓道場まで学校の端から端だ。下校時刻に間に合わないといけない。
昇降口へ向かい司は弓道場へと急いだ。
B棟西に位置する弓道場には部員もまばらで、おしゃべりをしている部員が二人と他三人は的を射ていた。
的を射る三人の中でも際立って姿勢が良いのが愛川だ。
学校独特の喧騒の中でも、ここは静寂につつまれており弓がしなる音、弦がはじける音がやけに大きく聞こえた。
司が一歩そこへ足を踏み込むとその場の空気が一変する。緊迫し張りつめていた道場に暖かで穏やかな空気が流れだし和やかで癒しを感じる空間に満たされる。
琥珀色の明るい髪の色や甘いミルクチョコレートを連想させる瞳のせいだけでなく、司の持つ独特の柔らかい雰囲気がかもし出すものだった。
突然現れた背の高い外国人に部員たちは色めきたつ。
その中でただ一人、怒りに頬を赤く染めた愛川が弓を前後に激しく振りながら猛烈な勢いで向かってきた。
「あんたストーカー?!」
鼻息も荒く口火を切った彼女は、体を震わせぎらぎらとした目を司へ向けた。
すかさず司は両手を上げると、まるで銃口をつきつけられた捕虜の様に怯えた顔をしてみせた。
「とんでもない。先生と委員長にコレ渡すように頼まれたんだよ」
彼女の目の前にはらり、と二枚のプリントを掲げて見せた。愛川はさっと顔色を変え、そのプリントを受け取ると気まずそうに言った。
「ご、ごめんなさい」ほかの部員たちの嘲笑が愛川の後ろから聞こえてくる。
携帯電話を取り出しボタンを押しながら司は面白そうな声色で「じゃ、お詫びとして一緒に帰ってね」と言いながら弓道場を後にする。「ば、ばかっ!電話は校内禁止だ!」愛川の罵声を背中で聞きながら耳元で鳴り響く発信音に耳を傾けた。
「あ、お兄ちゃん」
人が行き交う雑踏の中、つぐみとひばりは友達と待ち合わせしていた。
携帯電話に出ているのはつぐみだ。
「わかった、遅くなるんだ。私たちも今日は遅くなる。学校で必要なものが駅前にしかなくて、今、友達と買い物に来てるんだ。うん、うん、なるべく早く帰る。夕飯?デリバリーでいいんじゃない?え?買って帰る?わかった」
つぐみは携帯電話の通話を切るとスクールバックに入れた。その時、クラスメイトが駆け寄る姿が視界に入った。つぐみとひばりは目を輝かせ彼女たちと合流する。
双子が訪れていた桜ヶ丘駅は藤沢学園から南南東の場所に位置する。学校から一番近い駅で4つの路線を抱える大型の駅だ。
東にオフィスビル西に高級住宅街そしてその先には一級河川秋川がある。
目的の場所は駅の南口から南北に延びる南桜商店街だ。流行りの店やファーストフードが建ち並ぶ学生に人気の街だ。その中でも藤沢学園の制服は他の学校と比べて特に目立つ。
彼女たちの背後から近づいてくる男の影があった。
1人は黒髪を短く耳のあたりまで刈り上げ、残りの髪は無造作に遊ばせた骨格のいい男で、きりりと濃く太い眉はきれいに切りそろえてあり、やや大きめの一重の目、きらきら黒曜石のような瞳が印象的だ。
もう一人は中肉中背で、黒髪の彼とは対照的で茶色とこげ茶色のメッシュの髪は肩のあたりまで伸びている。甘いフェイスで優しそうな雰囲気だ。
二人とも行き交う女性の視線を奪うほどハンサムで芸能人のようだった。
顎のあたりまで伸びた髪を掻き上げたメッシュの男、神田 千秋は不敵な笑みを浮かべた。
ターゲットは小学生とは思えない、金髪碧眼の双子の美少女だ。
同級生と比べても頭二つは背が高く、色白でスカートの下から伸びる長い足がなかなかそそる。年齢的に僕の圏外だがロリコン好きにはたまらない商品だろう。
援交からウリまで手掛ける先輩のクラブに誘い込めば話は早い。
神田は女たちの視線を意識しながらクラブのスカウト、徳村の方へ顔を向けた。
「あの目立つ双子だ。いいかんじだろ?」
彼女たちの後を追いながら、徳村は好奇の色で目を光らせ、獲物に食いついたようだ。
「めったに出ない逸品だ。外国人なのが気になるが、手回しはしてあるのか?」
「あぁ。うまくいったら手筈は整う。後ろ盾があるのは知っているだろう?」
双子から目を離すことなく神田は顎をしゃくった。
徳村は小走りについてきて忙しげにうなずく。
自分で言うのもなんだが見た目は悪くない俺達は誘った女に断られたことは一度もない。しかし、相手は小学生だ。誘い文句は別の物を用意した。
不敵な笑みを神田は浮かべ、天使のような笑顔を振りまく双子の姉妹に手を伸ばした。
「ねぇ。君たち中村さんだよね」
振り向いた双子の澄んだ青い瞳に強い警戒の色が浮かぶ。
人懐っこい笑みを浮かべたいかにも遊んでいそうな茶色く脱色した髪の男と、彼とは対照的な落ち着いた雰囲気の黒髪の男がつぐみとひばりの目に飛び込んだ。
彼女たちは同級生とひとかたまりになり臨戦態勢を整える。
神田はひらひらと手を振りながら、ポケットから手帳を取り出した。茶色い革張りの手のひらサイズの手帳で1ページ目をめくると双子につきつけた。
その手帳には本人の写真と身分を証明する内容が書いてある。
桜ヶ丘中等部の生徒手帳だ。
「実は僕、お兄さんの同級生なんだ。心配だからついて行ってくれって頼まれて、本人が来ればよかったんだけど、どうしても抜けられない用事があるって言われてね」
手帳には1年A組と記されている。同じクラスではないが同じ学年なのは確かだ。
でも、お兄ちゃんから紹介された人ではない。
つぐみとひばりは顔を見合わせてお互い目配せをすると口を開きかけた。
その時同級生の女の子たちが彼女たちを押しのけ、目を輝かせながら神田と徳村をあっという間に囲んだ。「ぜひ、お願いします!」「中等部の人ですよね」好奇心をむき出しに騒ぎ立てる友達は双子の意図とは関係なく、兄の知り合いだという上級生と買い物をすること決めてしまった。
魔の手に落ちる甘い誘い
取り返しのつかない危険が迫る