Eddie's Reminiscence(エディの追憶)①
ひび割れあちこち欠けた灰色の壁に伝う蔦。
コンクリートでできた四角い建物を、ここに原生する植物が覆い、背丈を超える草や低木が内も外も隙在れば群生している。
藪の中に建物があるように見えるが、実はそうではない。
ここはかつて転送施設があった場所で、モナルキア王国はそれを再利用するために研究所施設を増築した。数十年前、王国周辺に拡大した侵略戦争は更なる局地へと向かおうとしていた。ドルシエ博士の指揮の下、転送装置を実用化するため調査、実験を始める。侵略先の国内に迅速に兵士を大量に送るための研究だった。
王国に残っている文献と、施設内にある大量の記録を分析した結果、発動するために膨大なエネルギーを要し、遠距離、星間移動を実現する装置だと言うことが判明した。設計図などは残されおらず、装置の機構や作動を細かく調査しながら小型化と近距離化可能な機械を模索することとなる。未だに、それは実現できていないが。
モナルキア王国ドルトルニクス王が掲げた政策により各国への領土侵略を仕掛けた。
戦争の理由はいくらでもねつ造できる。愚かな配下共と国民がその気になる理由を。
機械の国に成り果てたバースキム公国は、制御を失った機械が軍を編成して我が国に攻めてくる。
子ネズミ達が増殖する国、クラウオブナ神国では優れた技術と豊富な資源で、世界を滅ぼす兵器を製造したという情報を得た。
蛮人が暮らすトゥーケは世界で数少ない水源を、ラーナ神教の名の下に独占し続け更に我が国の少ない水源にも手を伸ばし搾取している。
王国から独立した商人達が立ち上げた商団は、プルレタン商業区を作り上げ、人道に反した商売を始めた。人身、臓器売買。闇市による不当な値段設定。各地へと密輸品の売買と武器の横流し。諸悪の温床である。
南の地に巣食う猛獣は年々理性を失い、近年では人を食らう化け物も現れた。など討伐の必要性を訴え、必要とあらば犠牲者を祭り上げればよい。
いずれも、我が国、世界を脅かす原因を掲げれば、弱腰で保身意識の強い貴族の間に恐怖心が芽生え過剰反応を示し、忠心篤い王族臣族直属の親衛隊や護衛兵らは、これを機に名を上げたい者がこぞって参加し、増員するだろう。真面目で正義感の強く扱い辛い城下の警備兵や国境警備団の連中には国家の危機と人民の命を盾にすれば喜んで動くだろう。
新しく開発した「ドルシエアーツ」の試験場として、戦場は格好の場所。治験隊員を城下と警備隊から募ればいい。
そうして資源の確保と、他国の人間を自国に取り込み重税を課し自由に使える潤沢な資金を生み出すための贄の確保。ドルトルニクス王の欲望を満たすための戦争が始まった。
しかし、その望みは完遂されることなく終演する。
野蛮人と獣の支配する他国が結託してモナルキア王国を断罪するとは思っていなかった。
奪った土地は半分以上奪い返され、統率された外国の連合軍に王国の軍は撤退を余儀なくした。そして、不可侵条約とまでいかないが、それに近い内容の調印を交わすことにより終結した。
それでもなお、諦められない王は各国に難癖つけては領土を奪おうと、じわじわ侵攻を進めているが、国境の要に配置された警備隊に手こずることになる。王城で都合の悪い臣下や兵士を国境警備隊に左遷させていたが、戦争の余波で「トルシエアーツ」の装備が正規採用になり階級関係なく広く集められた警備隊員は国師団を結成するほど統率された組織となり、易々と王の思うように動かない機関となっていた。
そこでまだ警備隊が組織だってなく近衛隊の下にあったころ、将来王の椅子を脅かすであろう息子、ラブドゥール王太子を投げ込んでいたのを思い出し、王家の威信を保つため頂点に就けた。王の命令を通しやすくするために利用しようとしたのだ。
しかし、女と酒と戦いに明け暮れている王子の噂が派手に囁かれるが、国境の守りは近年に増してなぜか堅くなる一方だ。密偵や視察を入れるが、隙だらけのようで全く隙がない。
情報の攪乱や不条理な指令を放っても、上手に躱すかサクッと片付ける。
各国境警備隊も同じであった。
そして、負の遺産とも言えるこの研究所もこの敷地内のみ王国の領地という治外法権にあり管理は王国の国境警備隊の預かるところとなっていた。
蔦類の植物が絡まり、朽ち果て半分開いた鉄門の両脇にドルシエアーツを纏った兵士が二人詰めている。
基本色は柔らかいターコイズグリーンで、彼らが騎兵なのが分かる。所属は縁取りの色から推察して国境警備隊北西部最前線師団所属だ。赤緑色の縁取りが光を反射して血脈のように彼らの体の線に沿って走る。
彼らに歩み寄ると騎兵達は手にしていた武器、ボウガンのような物をこちらに向けてきた。生憎、ウィリアムとエディは人の姿のままだ。
ウィリアムはマントの上からドルシェアーツを装着した方がいいのだろうかと、装着起動カードに手を添える。彼らが来ているのはトゥーケ連邦共和国で誰もが来ているマントで巡礼者使用となっている。モナルキア王国所属のエンブレムが刺繍してあるが、教団関係者が軍施設を訪れるなどそうそうないことだろう。
兵士の一人が口を開いた。
「神教信者が何用か」
そしてもう一人が言葉を続ける。
「ここから先はモナルキア王国領地になる」
来た者に必ず問う文言なのだろう。抑揚のない機械的な音声と相まって、相手がロボットなのかと勘違いしそうだ。
ウィリアムは彼らの目の前まで歩み寄ると、たすき掛けしていた布製のバックから丸めて紺色の組紐で止 められている書状を取り出した。
「国境警備隊東部最前線師団 臨時見習い団員のウィリアム・エディソン・シュルストレームです。こちらを」
差し出された書状を右手の隊員が受け取り内容を確認する。
目を通して顔を上げた隊員の雰囲気が明らかに柔らかくなった。
開いた書状を丁寧に巻き直し、解いた組紐で結び胸元に掲げる。
小首を傾げて隊員は言った。
「こちらはお預かりしても?」
伺う隊員の表情は仮面に覆われて見えないが、微笑んでいるように見えた。ウィリアムは嬉しそうに頷き 返事をした。
「はい」
右側に立っていた兵士が動いて、シュルストレーム親子を誘導する。書状を受け取った兵士は通信装置らしき機械を取り出しどこかと連絡を取っていた。
茂みを掻き分け、建物の入り口を探る。コンクリートの壁沿に沿って視線を上げていくと庇も足場もない飾り気ない窓が並んでいた。
どうやらこの建物は三階建てのようだ。窓ガラスは全て割れていて、ガラスの残ってないものもある。この様子だと、内部も雨風にさらされて大変なことになっていそうだ。
入り口は引き戸で、かろうじて片側は戸口に立てかけられているが、完全に外れている。
もう片方は草むらに放置され、かろうじて原型をとどめている状態だった。
一歩足を進める度に、朽ち果て床に散らばった建材と壁や床、天井を成していたコンクリートが塊で落ちていたり風化して砂利を踏む不快な感覚に眉をひそめた。
ひび割れの隙間から草が無遠慮に生えているため床の感触が一定しない。
天井からぶら下がる草のカーテンには蜘蛛の巣が張っており、枝葉には虫が蠢いている。
モナルキア王国の管理下とはいえ、中は整備されず放置されているようだ。
表にいる兵士はただの見張りなのだろう。
散乱する備品と床から天井から生える草で、まるで迷路のようになっている室内をエディと共に歩き回る。エディは物が散乱し、草が生い茂る床の一部に視線を落とすと、当たりをつけたように手を伸ばし、そこに散らばる備品や草をどけ始めた。
事務机や椅子、中身がまだ入っている書類棚を片手で持ち上げて放り投げる。草は根こそぎ抜取られ、経年劣化で黒く薄汚れ引きちぎられた草の汁で緑に染まった床が露わになった。それにしても片手で中身を入っている棚を投げるとは、ものすごい音を立てて反対側の壁に衝突し崩壊した壁と、棚をウィリアムは口を半開きにして唖然と見つめた。
再び床のパネルに手を掛ける父を見る。うん。変身はしていない。人の姿のままだ。
無機物が擦れ、ひび割れて壊れるような音が響く。エディの手によって床板は紙切れのように次々と剥が され、取っ手の付いた鉄板が剥き出しになった。
「なに、それ」
急速に喉が渇く。赤茶けて錆びきった鉄板に何故か禍々しいものを感じる。
ウィリアムは生唾を飲み込み、眉根を寄せた。
無骨で男らしいエディの手が取っ手へと伸ばされる。
埃真まき散らしながら鉄板はゆっくり上にあがった。その下に人一人が入れる穴が開いていた。底なしのような暗さでその先は何があるかうかがい知れない。
エディは嬉しげに目を細め、口角ゆっくり上げた。
「あぁ。懐かしいな」
躊躇いなく彼は、床下の暗がりに足を踏み出した。
本来この場所に研究施設はなく、古代の遺跡が残されていた。王家の直系の血筋にだけに言い伝えられている科学文明、その一部である『星間移動装置』だ。進みすぎた文明は住まう星だけでなく他の星をも蹂躙する技術を要し、行き過ぎた文明は星に住まう多種族の話合いのうえ封印させたとある。
モナルキア王国ドルトニクス王は己の野望のため、英智を超え超文明の謎を解明し封印を解くことに熱心だ。歴史と口伝に詳しい学者達による組織を結成し、軍事や科学分野に精通する研究者を交えて、少しずつ歴史の内容を歪め伝えながら、その知識や資源を独占しようと水面下で動いている。
国内だけに限らず、他国への遺跡まで食指を伸ばし、奪った領土はモナルキア領として独自に管理していた。名目は文化遺産の保護としている。
禁断の果実を頬張ろうとする王に、今以上の権力と武力を与えないよう、軍の総司令官として立つラブドゥール殿下と、表面上は寝たきりで目覚めない、植物学者で農地開拓に精通しているカルバディ殿下により遺跡の隠蔽が謀られていた。
古代遺跡は盛り土により地中に埋め、その上にそれっぽい造形の建材と研究施設らしき建物をその上に突貫で建造した。材料は貴族に勧められ王の気まぐれによる定期的に繰り返される城塞の増改築の時に出る廃材だ。
遺跡の研究も名ばかりで、二人の王子の指導により中断している。報告書はきっちりでっち上げの内容である。王族や特権階級の一部の者以外は、浪費による重税と度重なる侵攻にかかる課税に苦しみ、他国のものを奪う生活より、安定した収入と家族が安心して暮らせる平和を望んでいた。そのため、王子二人の賛同者は多い。が、表だって活動すると命の危険があるため、派手に動くことが出来なかった。
良心的な王族や特権階級の人々の陰なる努力を知らない国民や移民、貧困層の人々は国内を暗躍するテロ組織の手に落ちやすい。
食べるに困る生活を強いられ、重税にあえぎ、長い年月を掛けて全てを奪われる人生。諦めと絶望の中、豊かな者へと恨みや妬みを持つのは当たり前の感情である。
学ぶ機会を与えられない人々は、テロリスト達の理想を掲げた甘言に簡単に洗脳されてしまうのだ。
理想郷を掲げ、恨みを晴らすために壊し、奪う。命をかけた者は家族のために戦い抜いた英雄として祭り上げ、彼らの遺志を継ぎ輝かしい未来の王国のために、更なる命を捧げることを要求するのだ。今ある家族のために、将来の子供達のために。
人々は僅かな食料と先の見えない未来のためにテロリストへと傾倒していった。
エディは久し振りに目にした遺跡の入り口に立ち、過去に思いを馳せる。地下に降りた先は人二人がやっと立てるスペースしかなく、ウィリアムとエディの周りは木の根に囲まれていた。一見行き止まりに見える。
腕を差し出し、エディはウィリアムに下がるように目配せし、上着のポケットに潜ませておいた小瓶を取り出した。
八面体に綺麗にカットされたガラスの小瓶は、手のひらに収まるサイズだ。
薄暗い中、小瓶は僅かに入り込む光を拾うとキラリと一瞬輝いた。赤い液体が揺らめくのが垣間見える。
はじかれるようにウィリアムは顔を上げて、来た道を仰ぎ見ると入ってきた階段に足を掛けて昇り腕を伸ばし片開きになっていた扉を閉めた。見下ろすと木の根の間から黄緑色のぼんやりとした光が漏れ出している。
ウィリアムは不思議に思いながらエディの元へ戻ると、ちょうどエディが小瓶を傾け赤い液体を目の前の木の根に注いでいるところだった。
木の根が光に化学反応し、自然に剥がれ落ち、表面に凹凸が刻まれている石の壁が露わになる。注がれた液体は壁に掘られた溝に行き渡ると青白い光を一瞬放ち、石の擦れる鈍い音と共に壁の一部がスライドして隠し部屋が現れた。
足を踏み入れた二人の目にまず飛び込んだのが壁一面に掘られた文字だ。部屋の中央には円柱形のガラスケースが鎮座しており、床から天井まで届く大きさだ。向こう側に回るにはぐるりとケースを迂回しなければならない。ケースの傍らには支柱が床から伸び丁度腕くらいの高さで斜めに切り取られている。
エディは台座まで歩み寄るとゆっくり支柱の天板を指先でなぞった。その後に続いて彼の後ろに控えたウィリアムはガラスケースが完全に閉ざされていないことに気付いた。
監視対象場所だったとはいえ、隠し部屋となっていたここは長年放置されていたはずだ。なのに新品のように傷一つ無い表面に既に開かされていることがわからなかった。不思議に思いながら眺めていると、エ ディが感極まったように震える声でつぶやいた。
「あぁ、マティ」
吐息を含んだ声は甘く焦がれる恋情が乗っている。彼は顔を上げてガラスケースに視線を移した。ケース内を天井から照らす青白い光が碧眼の彼の瞳に映るが、その瞳は今どこも映していないように見える。きっと過去に思いを馳せているのだろうと察したウィリアムはガラスケースの中をそっと父の背中越しにのぞき見た。
灯りと兼用しているらしい天井の文字はこの部屋のどの光より明るく、床にも文字が魔方陣のように円形に掘られ天井の灯りより少し弱い。これが転送装置本体なのだろうと予測をしていた息子の傍らでエディは唯一無二の愛しい王女と別れたのはこの場所に来られたことに感謝して、それまでその出来事は夢の中で何度も反芻し彼女を忘れることは無かった。。
本当は共にこの星を家族揃って脱出するはずだった。
この石柱に自身の血を滴らせながら彼女は転送装置の扉を閉じてしまった。
慌てて一緒に入るようガラスケースに縋り、叫ぶがもう彼女の声も自分の声も届かない。
転送装置の操作パネルはケースの外で転送するには誰かがそれを操作する必要があったのだ。
ガラス越しに重なる手、寄り添う額、お互い頬は涙に濡れてエディは自分の無力さに顔を歪めて、獣のようにギラつく碧い目はマティラウナを凝視している。
対してマティラウナの瞳は固く閉ざされ、眉根を寄せて唇を噛んでいる。そんな彼女が突然目を開き艶やかに笑ってみせる。
涙に濡れた美しいくも珍しい赤紫色の目が露わになった。
天井から床から放たれていた青白い光が輝きを増す。マティラウナの儚くとも鮮やかな笑顔に呆けていたエディは一瞬で我に返り、彼女の手元を見た。
血に塗れた右手は石柱の上に置かれており、その表面がケース内と同じように光り輝いてる。
「だめだ!」エディの叫びが空しくケースの中で響き渡り、小さな子供達と自身の体が不自然にブレ始めた。
微笑みを浮かべる彼女の後ろから、人相も悪く着ている服もまともでは無い男達がなだれ込み彼女に掴みかかる。王国軍ではないのは明らかだ。
彼らは種族も様々でどこの国の手の者か判断できない。
一瞬の出来事だった。王国から追われていた私たちは彼女の手により『地球』へと送られたのだった。
その後、彼女がどうなったのか知る術は無い。息子の暴走で謀らずとも戻った故郷で見たのは彼女の墓だった。テロリストと敵国から王国を守るため身を挺して命を散らしたと国葬が何年も前に行なわれた後だった。
受け入れがたい現実、絶望が足下から這い上がり生きている意味すら分からなくなるくらい混乱し動揺した。そんな自分を恫喝したのは二人の王子だった。
刃を向けて自分たちを追い詰めていた双子の王子に真実を告げられる。
墓の中が空っぽなこと。国民に人気があった王女を疎ましく思っていたドルトニクス王により、彼女が行方不明になったことで遺体確認も無く死亡扱いされたこと。密かに彼らも姉である王女を長年探し続けていること。
僅かな光が希望が見えた。心の奥底から生きる気力が沸々と湧き上がるのを感じた。
彼女を失った当時、ドルトニクス王の権力は大きく臣下からの支持も強固で、双子の王子もうら若く王族や臣族の庇護下にあった。それは、王が前国王と皇后の監視下にあったからだ。
その二人が崩御すると、これまで押さえつけられていた欲を解放したドルトニクスは国を食い荒らし始めた。そして、隣接する諸国も。
前王の時代国防のため培った技術力も産業も人民も略奪のための道具と成り下がり、それに耐えきれなくなった反政府『誰彼の時旅団』によるテロが国内で多発した。
内部が争っている隙を突いて、蹂躙されていた近隣諸国が反撃の機会を狙っている。
この混乱に乗じて、マティを必ず探し出しここより平和で安全な場所で家族と暮らす。エディはそう決意している。
巻き込まれた地球の子供達もマティラウナとドルシエ博士の協力があれば故郷に戻すことも可能であるだろうと目論んでいる。彼らを探し出すのも自分の使命だと思った。
原点に戻って遺跡の内部で無いにも等しい痕跡を辿ったが、あの時の血痕も人が争った後もなかった。
隠し部屋を後にして、遺跡の出口から足を踏み出すと兵士達が地元の住人に昼食を振る舞われているところだった。木の皮で出来た入れ物にパンに具材を挟んだサンドイッチ的なものが彼らの手にある。金属製の水筒を口にしつつ、地面に座り込んだ彼らは上手そうに食べている。
手拭いを手渡した五十代前半と思われる女性は、遺跡から出てきたエディ達を驚いた顔で見つめ瞬きを繰り返す。
「はらまぁ。また、お客さんかね。こんな辺境の地に珍しいこともあるもんだ」
腰に巻いた白いエプロンで手を拭いながらトゥーケ人であろう彼女は長い耳をぴこぴこと動かす。興味を引かれ、エディは彼女に歩み寄る。
ウィリアムは黙ってその後ろに続いた。
「また、とは。ここに訪れる者が見張りの兵士以外にいるのですか?」
「うん。うん」
彼女は頷き顎に手を立てて宙睨みながら記憶を掘り起こす。
「赤い髪で色の白い肌で露出の多い獣の皮を着た色っぽい女が定期的にここに訪れるのさ。ごつい機械に乗ってくるのさ」
なんとも抽象的な表現だ。白い肌に赤い髪か。エディは難しい顔をして更に質問を重ねる。
「その女の瞳の色は何色だ?」
彼女は肩に付くかと思うくらい大きく首を傾げると目を細めて答えた。
「ゴーグルをしていてわからないな」
定期的に訪れる色っぽい女。こんな手入れも届かない遺跡に不審すぎる。何をするために訪れているの か謎だ。トゥーケ人の女は赤い目を光らせながら新たな情報を教えた。
「女は遺跡の中に入ると暫く出てこないのさ」
わざわざ遺跡の中に?益々怪しい。その情報を元に思考を巡らせているとお昼を食べていた兵士の一人 が口を挟んだ。
「その女のことは知ってるぜ。確か雑技団ダナウの歌姫だ」
「そうそう。ここに入るのにおれらに歌を捧げるんだ。身なりは派手でお色気ムンムンだけど、歌は女神を称える賛美歌か民族歌謡なんだから驚くよな」
兵士達はその歌声と姿を思い浮かべてかうっとりと目を閉じ頬を赤く染めている。
「歌……」
その言葉に驚きを隠せない様子でエディはぽつりと呟いた。「父さん?」ウィリアムが声を掛けたが心 ここにあらずという感じだ。
「今、彼女はどこに?」
呆然とした様子で問いかけると兵士達は快く声を合わせて教えてくれた。
「彼らは今、バースキム公国とプルレタン独立商業区の境界にあるグレーゾーンにある村々を巡っているらしい」
碧い瞳に鋭い光を湛えて、エディは表情を引き締め踵を返した。
「ウィル。バースキム公国へ向かい雑技団の後を追うぞ!」
力強いエディの言葉に、ウィリアムは慌ててその後姿を追いかけた。
5男4女の末っ子として生まれたエディは獣人を束ねる獅子族の一員だったが、優秀な兄姉に恵まれ家の厳しい仕来りにそう縛られることなく伸びの伸びと育った。
戦闘能力は家族の中で誰よりも高くセンスはあったが、その力を発揮することはなく日々平穏に過ごしていた。そのことは本人は面倒だと思って誰にも知らせることなく力を誤魔化してた節もある。
帝国が周辺国に仕掛けた戦禍はエディの住まう土地にも及ぼし、狩りと種族間の小競り合いしか経験のない獣人達は次々と負傷し、大多数を失い土地勘を生かして逃げ延びることを選んだ。
有利だと思っていた戦略や土地勘を利用したゲリラ戦も、暴力的なまでに強力な重火器と圧倒的な兵士の数相手では意味を成さない。そして、自国を戦場とする愚かさを嫌というほど思い知らされる。
実り豊かで動植物が謳歌していた森は根こそぎ焼き払われ僅かな田畑も踏み荒らされた。低空戦闘機による爆弾投下により被爆中心からクレーター状に地面が抉れ、その周辺5キロ圏内は爆風で焼け野原だ。
隣接していた独立都市キカリアも戦火に見舞われ、壊滅状態だと知らせが届いている。広大な森のあちこちから炎と煙が上がり怒号や悲鳴が遠くで近くで絶え間なく聞こえてくる。
数少ない逃走経路には地雷が仕掛けられ犠牲者は増える一方だ。指揮系統も上手く機能せず、民達は散り散りに逃げ纏う烏合の衆になっていた。
混乱するこの地の中で、二頭の黄金の毛並みを持つ三メートルはあると思われる大型の狼とそれに付き従う年若い同じ毛色の狼四頭。その後に武装した戦闘に従する獣人、人型獣型などあらゆる種類の亜人の達が続いて森を駆け抜ける。総勢五十はいるだろうか。その後方にも護衛が辺りを鋭く窺いながら追従していた。
一糸乱れぬ統率した動きで、迷うこと無く阿鼻叫喚が渦巻く住み慣れた森を抜けると、巨大な岩山が現れた。
獣の集団から遅れること数キロ先、その痕跡を追う獣の群れがある。約数百メートル置きに森に身を隠し待ち構えていた道案内と合流しながら、先頭集団との合流地点に急ぎ走る。
しかし、その歩みはままならず縮まるどころかその差は開く一方だ。
その集団は年老いた者が多く、若くても負傷しているものがほとんどで、四肢満足な獣は数匹背に負いながらかけ続けている。
先頭にはやはり黄金の毛並みを持つ狼が二匹先導して率いていた。森の窪みや尾根沿い、手入れの入っていない藪に覆われた森を経路に身を隠しながらの逃亡だ。先頭集団と目的地が同じでも約束の刻に間に合うのか難しい進みだ。命の現場における優先順位はお年寄りや女、子供と負傷者だが亡命においてはそれは真逆になる。より未来を紡ぐ若者と女子供が優先され戦闘に向かないお年寄りや負傷者、弱者に当たる者は見捨てられる。彼らに足並みを合わせれば最悪全滅を招くからだ。
それぞれの避難所で組み分けされ、親兄弟知人など短い別れを告げ幸運に生き延びれたのならば逃亡の足がかりとなる集合場所で落ち合おうと誓いあった。
このグループは既に半数近くの命が失われている。休憩の度、弱者を切り捨るか否か何度も話し合ったが、それを率いるリーダーが頑として首を縦に振らなかった。耐えて耐えて目的地まで後数キロ。そこへ辿り着けば仲間と共に助け手が待っている。はじめは蜘蛛の糸のように細い希望だった目的が今では強固な鋼鉄で出来た梯子が目の前にぶら下がっている気分で、彼らの足取りは自然と速くなっていた。
木々の合間に蔓延る藪を掻き分け急いでいると突然頭上を大きな影が横切った。空を覆う木の葉の隙間から仰ぎ見た巨大な黒い影に獣人達の顔が青ざめる。
『低空飛行戦闘機だ!まさか、ドルシエ部隊が…』かつてバースキム公国とトゥーケ連邦共和国を蹂躙したと言われる吸血部隊。この、広くも無い領土と野となれ山となれと人を害すること無く生きてきた獣人達の野生の王国を手に入れるための容赦なさ。背筋が凍る思いがした。一匹の狼は獣から人の姿に変化し、体に纏った迷彩色のマントのフードを深々と頭直すと目立つ金の髪を素早く隠した。そして、いまだに獣の姿を解かないもう一匹の狼に吠えるように言い放つ。
『その色は目立つ。早く人化して先へ進むぞ』その言葉に若き黄金の狼は、耳まである大きな口を開け、牙を剥き出しながらあざ笑うかのようにそれに応える。『そうだ古から受け継がれるこの誇り高き黄金の色はさぞよい目印になるだろう』『エディ!!ダメだ』狼の意図を悟った男は叱りつけるように怒鳴った。黄金の狼は歌うように言葉を続ける。
『少し攪乱するだけだ。すぐ合流する。目的地に着いたら旧友とすぐそこを離れろ。大丈夫僕が追いつかなくてもそのうち必ず会いに行く』伸びてきた男の手が狼を捕らえる前に、獣は大きな体とは違反した身軽さで体を翻すと集団から大きく距離を取った。唖然とする集団の中で、猪と熊、兎の獣が狼に続く。『若!お供します。お一人より敵を引きつけやすいでしょう』
数匹の部下を引き連れ、否を認めない勢いで嘗て前線で活躍していた老齢な兵士達は名乗りを上げた。
森林の枝を尖閣近くを渡り歩いただけで、目立つ標的をサーチして空を支配していた戦闘機は面白いように彼らを追跡し始める。なるべく距離を稼ぐべく、誘い込むように木々から見え隠れしながら移動して、相手と間合いを取らねばならない。
戦闘に持ち込むのは極力避けたい。時間を稼ぎ、余力を保ちながら出来れば逃げの一手に徹したいところだ。何故なら戦闘開始と共に僕らの足が止まり、避難する彼らに危険が伴うからだ。
やがて追いかけっこに焦れた戦闘機から、とうとう大量の兵士が地上に降り立ち囮の獣へと手を伸ばし始める。人の動きとは到底思えない素早さでその距離を詰めてくる。木の上で先導するのは黄金の狼エディと熊の老兵数体。その真下の地上では比較的若いが負傷してまだ傷が癒えない猪の一部隊と暗殺を得意とする日頃は密偵に徹する兎の家族だ。
戦える兵士は戦場か亡命する団体の護衛に回っている。
獣と大差ない動きで枝と枝を渡り距離を詰めるドルシエアーツの兵士達は、全身装備でその表情は見ることは出来ない。ギラギラと光を反射し艶やかで重みを感じる毛並みと対照的な、凪いだ色の碧色の瞳を狼は眇、一際太い枝を蹴り上げると敵に向かって体の向きを変えた。それを合図に兵士達を誘導していた熊の獣も剛毛に覆われた丸太ほどの太さのある腕を振り上げそこら研ぎ図増された鉤爪を嬉々として振るう。
黄金の狼も負けじと鋭い牙と屈強な顎で敵を噛んでは千切り、強靱な足で蹴り飛ばしては鋭い爪で相手を抉る。鋭い傷跡を食らいながら吹き飛ばされる敵兵からは、それを形作る血肉が舞い散ること無く、奇怪な金属音と火花を散らしながら再起不能となって眼下へ消えてゆく。相手は遠隔操作された機械兵だった。そしてやっかいなことに、クロスボウやバリスタを持ち出し重火器で森を焼き払いながら迫ってくる。大きな体が的となり熊の獣人兵は次々とバリスタで打ち抜かれ、地上で応戦していた猪と兎は空から雨のように降り注ぐクロスボウや弓矢の餌食になり狼の背を守る援軍はあっという間に数を減らしていく。危険察知能力の高い兎の獣人は犠牲を多少出しながら、さっさと逃亡したらしく視界の隅にも映らない。ガンガンに投入され増え続ける敵兵を蹴散らすが、圧倒的な数にどんどん押され逃げの一手に追い込まれた。
足を止めて戦っている場合では無くなりせめて仲間が集う場所とは反対方向へと誘導しながら移動するが、砂糖に群がる蟻のように獣へと伸ばされる手の数は増え続け、銃器の矛先とその狙撃回数は極限を極めとっくの昔に体力と気力の限界は超えている。
神がかった動きでかすり傷程度で動き回るエディの背後から、くぐもった獣の呻き声と大量の血飛沫が降りかかる。振り返ると熊の老兵が巨大なバリスタに胸を貫かれていた。黒々と雄々しく光る眼光と目が合うが瞳からあっと今に光がなくなり、地面へと落下していった。重い地響きと共に地面に熊の兵士が叩き付けられる鈍い音が辺りに響く。
エディは表情を歪めた。彼は祖父の代から長に仕えていた警護兵だった。視線を落とし感傷に浸る間もなく敵の追撃が降りかかる。
右肩と太ももをクロスボウの矢が射貫き、脳天へと回転しながら矢尻が迫る。数本まとめて掴み取り、その後を追う矢を腕を振り無造作に薙ぎ払い、近くにあった太い幹をおもいっきり蹴り上げ宙に体を投げ出した。
その勢いに任せて眼下に広がる木々の枝や幹を足場に右往左往、上へ下へと不規則な動きを繰り返し、近づいているようで近づけない微妙な距離を保ちながら捕まらないように先に進むしか無い。
援軍はいない。自身の爪激が敵の重火器を薙ぎ払う音と、枝葉を振り払う音しか耳に入らず、後方から送られる気配はひたすら殺意だ。振り返らなくても分かった。後ろを振り向いて確認する余裕も無かった。
徐々に後方の追撃も弱まり、追っての気配が遠ざかっていく。
次第に足下の木々がまばらになり、突如として足が空を切った。
踏み込んだ勢い余って地上へと体が傅く。重力に逆らえるはずも無く、あっけなく地面へと投げ出された。
落下直前、体を丸めて受け身を取る。全身に衝撃が走り視界が回り、低木に突撃し藪を突き抜け地面を無様に転がり、やっと止まったところは何も無いだだっ広い草原だった。
体を起こし顔を上げエディは自分の状況を確認して顔を青くする。
迂闊にも森を抜けてしまい、見晴らしの良い草原に出てしまった。遮るもののないこの場所で彼は格好の獲物。
思わず振り返ったが逃亡の場として踊っていた森は遙か彼方にあった。
情けなくも限界を超えて動かしていた体は小刻みに震え、負傷した体から失った血は少なくは無く全身が氷のように冷え切っている。
逃亡という戦場から抜け出したとは思えない空気が流れていた。
草原を駆け抜けるそよ風。色とりどりの小さな花々が咲き乱れ蝶や蜂が飛び交っている。追っ手に怯えて空を見上げるも、黒い船影、敵兵一人見当たらず、真っ青な空にのんびりとちぎれ雲が流れ行くだけだ。
思わず脱力したエディは地面に膝をつく。
呑気に小鳥が囀りながら、草原と森を行き来している。細く息を吐き出し、乱れていた呼吸を整える。顔を上げたエディの表情は疲労が滲むものの決意に目が輝いていた。
見晴らしの良いこの場所から離れ、傷を癒やせる場所まで移動しなければ。
エディの姿がみるみる狼の姿に形を変える。
滑らかな金塊の輝きを思わせる豊かな毛は風を受けて優雅にうねり、宝石のような赤い輝きを放つ瞳は熟成した濃厚な味わいを思わせるワインを想像させた。
金色の狼になったエディは大きく身震いをして、体にまとわりついていた枝葉や泥汚れを弾き飛ばした。粗方汚れは落ちたが体中に負った大小の傷からは血が流れ、青々とした草葉が茂る地面に血糊が滴る。
体中の筋肉が軋み、血が流れる傷口はズキズキと痛んだが、エディは力強く地面を蹴り草原を駆け出した。戦いを繰り広げていた森がみるみる遠ざかり周りの景色が万華鏡のように色や形を変え後ろへ流れていく。
やがて色とりどりの花々が咲き乱れていた草原は姿を消し広大な穀倉地帯へと変わった。
黄金色の海原に点在する石造りのサイロ。
海原を縫うように緑のあぜ道が無尽蔵に伸び、その横を水路が寄り添うようにある。
水源の川から等間隔で水を引いているようだ。
そしてその一角に水車小屋が小さく見えた。遠くからも羽車が回転している様子がうかがえる。畑の規模と設備からここは帝国内なのだろう。
エディは周囲を警戒しながらさらに速度を上げ水車小屋へと向かう。
身を隠すのと体を休めるのに最適な場所だ。王都に近く兵士など立ち寄る機会はめったにないだろう。鉢合うとしても農民だ。犬のふりをすればいいだろう。
瞬時にそう判断したエディは水車小屋に潜伏することを決めたのだった。
エディソン・シェルストレームの回顧禄です。
本文の構想ではあったものの、掲載する予定は無かったのですがこのエピソードは気に入っているので本文に組み込むことにしました。
外伝か番外編でも良かったのですが、物語の流れ的にはこのシーンに加えるのが最適かと。
お楽しみいただけたら幸いです。
福森 月乃