What is ahead of prayer(祈りの先にあるもの)③
トゥーケ連邦共和国の南を占める、西の自治区と東のファナリス地区を隔てたワムス渓谷は深い森に覆われている。次元の海に通じる渓谷は北の大地サフラン大地にて終点を迎え、そこから北に共和国の主要都市ケッテニアへと大陸は続く。
ワズム渓谷を囲う森をファナリス地方側に抜けたウィリアム達は、一人の男に出迎えられた。くたびれてあちこち汚れた辛子色のマントは綻びや破れがひどく、その下に着込んだ襟なしの白いシャツには泥とおそらく血であろう赤いシミで汚れていた。両サイドにポケットがある黒いカーゴパンツの下には、使い古した焦げ茶の編み込みブーツが泥にまみれていた。気軽に手を上げ、挨拶してきた彼は目深に被ったフードを取り人懐っこく笑ってみせた。短くツーブロックに刈り上げられた燃えるような赤みが強いオレンジ色の髪が一番に目に飛び込んだ。堀の深い男らしい骨格の顔、横長のアモンドアイはくっきり二重でその瞳は濃い色あいのエメラルドグリーンだ。
ウィリアムは思った。この人すごく目立つ容貌だ。そして、金髪赤眼のオレといるとますますこの場は目立ちすぎるのでは、と。クロエは栗色の髪に真鍮色の瞳でサナリは焦げ茶色の髪に赤みを帯びた茶色い瞳でごく一般的だ。
ひと目で軍人とわかる、白いシャツから覗く大胸筋ムキムの体躯で小麦色の肌の男と、狼男もどきに変身中の明らかに軍医のサナリより、筋肉も身長もありますよね的なウィリアムとクロエ達との対比がすごかった。
男がフードを頭にかぶるのと同時に、ウィリアムは思わず自分もマントを羽織、フードを被る。
クロエは驚いた様子で男を見上げ、瞬きを繰り返していたが彼の名を呟いた。
「イオ?」
「おー、よくオレの名前を覚えていたな。実際顔合わせるのは何ヶ月ぶりだ?」
男の声は腹の底まで響くような低い美声だった。厳つい顔に似合わず声がやばい。
クロエは一歩踏み出すと、イオと呼ばれた男の襟首を掴み激しく揺さぶる。
「は?なんでお前がここに?タニア・ガルモアはどうした?」」
ガクガクと身体を揺すぶられながら、イオはニッカリ笑って襟首を掴む彼女の手に手を添えた。
「ま、落ち着いて話を聞けって。お互い近況報告も兼ねて休憩がてらピクニックしようぜ。さぁ、お茶、お茶」
そう言って手招きする彼について行くと、案内されたのは雑木林の中にある小高い丘で緑の絨毯に色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だった。
そこだけすっぽり木々がなく、青空が広がる見晴らしの良い空間になっていた。
背負っていたバックからシートやミニトランクを取り出し、大きなパラソルを広げあっという間にピクニックの準備をしてしまう。まったく手伝う隙きもない手際の良さだ。
準備の間に、クロエとサナリは広場を手のひらサイズの機器で囲い目くらまし用の防御壁を張り巡らした。水と光を使いその特性を生かした迷彩装置らしい。
燃料が必要なため長時間は使えないが、ちょっとした時に活用できるのだ。
綿が詰めてあるクッション素材のレジャーシートに、それぞれ適当な位置に座り、白地に青い花柄の繊細な茶器に注がれたお茶を早速みんな口にした。
イオは居住まいを正し、ここで合流した経緯を話し始めた。
「ディアボロ師団長。伝令係から大怪我して寝込んでいると聞きましたが、今見てきる限り、元気に歩き回っているようですね。あの情報はガセネタだったんですかね」
「…!あー、そりゃガセだな。ガセ」
舐め回すようにイオに全身を観察されながら一瞬言葉をつまらせたクロエだったが、泳がせた視線をサナリに向ける。
サナリはさっと視線を逸し明後日の方向を見ながら茶を啜った。キリキリとクロエの瞳が座ってくる。そんな二人の様子をにやけた顔で眺めながらイオは言葉を続けた。
「まぁ。元気そうでなにより。あ、そこの二人。初顔合わせだよね。挨拶が遅れたがオレは国境警備隊北東部最前師団 副師団長イオ。よろしくな。副師団長から上は顔合わせしてるのは知ってるよな。ま、お互い基本会ったら挨拶する程度だけど」
通常、覆面部隊として活動している国境師団の団員同志は顔を合わせてもわからないのが普通だ。団長同志も城内で顔を合わせたとしても頭を下げる程度。名前で呼び合うことはめったに無い。ドルシェアーツを装着したら基本役職名でしか呼び合わないのだ。
ぱっと立ち上がったサナリは緩んでいた表情を引き締め、軍人特有の無表情に近い硬い表情に変貌した。背筋を伸ばし、正式な礼を取る。
「国境警備隊東部最前師団 第三医師団団員サナリ・バルドです。階級は第二氏貴属で団員になって三年の新米です」
「へえ」
顎に手を当てイオは興味深そうにサナリを見る。履いだフードの下にある茶色の髪が太陽の光を浴びて赤味を増していた。それに習い、ウィリアムも彼に並んで礼をした。
「同じく国境警備隊東部最前師団 団員候補生 ウィリアム・エディソン・シェルストレームです。階級は特にないです」
イオの瞳が大きく見開かれた。宝石のような色合いのエメラルドグリーンの瞳にウィリアムの姿が映し出される。彼がサナリに視線を移すと知らないとばかりに頭を横に振られた。クロエを見ると何か思うことがあるのか含み笑いをしている。ウィリアムに視線を戻したものの、自己紹介をした本人も戸惑っているようだ。
軽くため息を付き苦笑いを口元に浮かべたイオは目を細め呻いたが、話を続けた。
「階級ないってーと逆に怖い気もするが….、ま、深く突っ込むのはやめとくか。因みにオレは商家の用心棒をやってた家の生まれで、確か第六氏だったけな、平民だ!」
国境師団では階級はあまり関係ないが、上位階級の者ほどその名乗りを上げる傾向が強い。覆面部隊なだけ特別なことがない限り面合わせはないので、こういった場は少なくイオは己の階級を忘れがちだった。
クロエとサナリは顔を見合わせ乾いた笑いを漏らした。ウィリアムとサナリが腰を落ち着かせたところで本題に入った。
「オレがここに来た理由は、ファナリス戦線で大きな動きがあったからだ。そのきっかけは『トルッケティアの花』代表のガルマが暴走し、師団に捕縛されたことにある。」
トゥーケ連邦共和国南部はモナルキア王国に面しており、資源の奪い合いで長年小競り合いが絶えないところだ。その最たる場所がワムズ渓谷とファナリス地方だ。
王国は領土拡大のため一時期トゥーケ連邦共和国南部へ侵攻を進めていたが、二国を隔てる次元の海と深い渓谷、内陸に連なる森林と点在する台地という複雑な地形ゆえ攻略に難航を極めていた。
因みに、あちこち侵略を進めていたため各地の拠点が弱体化していたこととドルシェ部隊がまだ設立したばかりで、人員も少なく局地的にしか使えなかったということもある。各国のモナルキア王国への制裁と糾弾により、領土拡大目的の侵略を諦めたモナルキア王国は休戦条約を周辺の国々と結び、今に至ってるのは周知の事実だった。しかし、トゥーケ連邦共和国南部は土地はあるものの、非常に水源に乏しい場所だった。毎年襲う干ばつに住民たちは絶えられず、危険を犯してまでモナルキア王国の北西に位置する水源へと資源を盗みに度々訪れていた。
モナルキア王国は国境師団を結成し、ドルシェアーツ部隊の先駆部隊として得た土地の維持管理と、周辺諸国への牽制のため国境に師団が拠点施設を各地に配置し始めた頃だ。
北西部の度重なる農民による侵入に、その地域の国境警備を任されていた警備隊の中でも最年長の師団長キャンパー・クロスが乗り出した。西を守るポルタ・キグナスも加わり、農民の代表として話のテーブルに付いたのがターチレットだった。
お互いの現状を語り合った結果、お互いの国とは関係なく内密に約束が交わされた。
それは有り余る資源を独占する王国側から水質資源を分け与えるというものだ。
トゥーケ連邦共和国共和国南部の惨状に、おおいに同情し自国モナルキア王国の政治的事情を踏まえたうえでの温情だった。
そのためクロエ・ディアボロの水源調査と警備体制の現状と改善報告などはあくまでもパフォーマンスのひとつだったはずだが、その様相が違った為、彼女は動かざる得なくなったのだ。
そこへクロエが口を挟んだ。
「確か、ファナリス地方は戦時下モナルキア軍が上陸した激戦区でもあり、お互い多数の犠牲者を出したと記録にあったな」
イオは神妙な面持ちで頷き顎に手を当て軽くこすった。
「そうだ。当時ファナリスに攻め入ったモナルキア軍はその地形に苦しめられるのと同時に背後から援護射撃を仕掛けてくるバースキム公国の機兵部隊にも苦しめられた。王国がファナリスから引き上げた後は、地区で犠牲になった遺族たちが被害者団体を立ち上げ「トルケッティアの花」を名乗り、賠償責任を求め報復を始めた。それを抑えるために王国が軍を出動させ沈静化させようとしたため、火に油を注ぐこととなっている。さすがにバースキム公国がその争いに直接加わることはなかったが、応援物資は流しているようで、ファナリスの連中が手にする武器は機械仕掛けで強力だ。今回の戦もファナリスの手に新たな武器が渡ったと情報を得て、警備地区団長のタニア・ガルモアはもちろんのこと北西部国境師団のキャンパー・クロス師団長も駆り出されたってわけだ」
「それで、戦局は?」
相変わらずせっかちだな、とイオは軽く肩を竦めると言葉を続ける。
「部隊も大将もお互いボロボロで、最期には大将が顔を突き合わせて殴り合いに…。手持ちの武器なんてボッコボコだったからね。みっともないタイマン勝負にもつれ、終いにはお互い力尽き、一時休戦して改めて再戦をと」
最後の方はイオの目が泳いでいた。ぽかーんとそれを聞いていた三人は間抜け面だ。
「な、何だそりゃ。…………..タニア・ガルモア~ッ」
ぽかん顔からいち早く抜け出したクロエは頭を抱え眉間にシワを寄せた。
命のやり取りが常の戦場で安い青春劇を繰り広げられていたとは、正直頭が痛い。
しかし、あの、熱血単純な脳みそ回路しか持ち合わせていない男。国境警備隊北東部最前線師団団長 タニア・ガルモアならやらかしそうなことだ。青灰色の強い銀髪はベリーショートに刈り上げられ、横一直線の長四角の目の中の瞳は明るい赤茶色、イオをも細く見せる超筋肉つきまくりの身体は浅黒く男臭い。その肌のせいで無駄に白い歯が更に白く輝き、そこから発する声は地鳴りかと思うほど大きかった。容姿、行動すべてが暑苦しいヤツの姿が目に浮かび、クロエは気分が悪そうに頭を振った。
「というわけで、休戦することになり敵同士同じテーブルを囲んで茶を飲んで雑談していたら東部最前線師団から伝令が来て、ガルマの件と西部の騒ぎの内容を伝えたんだ。そうしているうちに、「トルッケティアの花」の被害者団体が一台の貨物用飛行船に乗って帰ってきた。みんな元気がなくて意気消沈というかどこか戸惑っている様子だった。不思議なことにモナルキア軍を見ても反応するものはほとんどいなかったくらいだからな。事情を聞くと東部最前線師団の団長から約束を取り付けたらしい。内容は、聞くも涙語るも涙の…」
「やめろ。そこは、割愛して早く結論を言え」
彼らを前に熱弁した記憶のあるクロエは、顔を少々赤く染めながら手を上げると、イオの言葉を遮った。ウィリアムとサナリは顔を見合わせてクスクス笑う。
エメラルドグリーンの瞳を潤ませながら、どこか不満げなイオだったがさらに続ける。
「トゥーケ連邦共和国側のファナリス戦線を取りまとめていたのが『クティ』という名の青年だ。両親が被害者団体に参加していたため、彼らを守るためにリーダーを買って出ていたようだった。まだ十代と若く、思春期特有の生意気さはあったけど、冷静で頭が良くていざとなると度胸も決断力もある青年だった。もちろん良い協力者にも恵まれていて今までファナリスが落ちない理由がわかった気がした。クティは両親と会い、被害者団体と仲間たちと話し合い、我々が元々提案しようと思っていた案を提示してきたんだ。『ファナリス地区・ワムズ渓谷停戦協定』をね。王国や共和国の許可は後回しにしてお互い内容を吟味、協議のうえ協定の内容を決定し、仮の協定を結ぶことができた」
まさに、歴史に残るような功績にイオは興奮冷めやらない口調だ。
そこへ、クロエが水を指すように低い声色で警告する。
「しかし、正式に協定を結ぶとしたら、トゥーケ連邦共和国の代表たちとモナルキア王国の有識者および大臣職の方々の承認が必要となる。承認の前に議会を開き協定書を審議にかけると思うが。トゥーケ連邦共和国はどうかわからないが、モナルキア王国ではまだまだ戦がし足りない軍人や手持ちの財では満足しないお偉方がわんさかいる。侵略の口実となる火種が消えるのを嫌がるだろう」
イオは腕を組み、ため息を付きながらおおいに同意した。
「まったく、そこが頭の痛いところだ。うまいこと協定書を両国の会議にかけるまでに持ってかないと落ち着かないよなぁ」
そう言いながら、意味ありげな顔をしてローブの下から筒状のものを覗かせる。クロエの頬がひくりと引きつった。彼女は震える指先でそれを指差す。
「お前、まさか。それ」
イオは懐にそれを隠すとにっこり笑って宣言した。
「というわけで!オレもご同行するのでヨロシク!!」
ツッコミどころの多すぎるイオの「というわけで」は置いておいて、せっかくのお茶が苦く感じるクロエであった。その様子をどこか他人事のように眺めながら、長い旅路になりそうだなとウィリアムとサナリは用意されていた茶菓子を美味しく頂いた。
トゥーケ連邦共和国共和国南部と大陸の中心部にある主要都市ケッテニアを結ぶ宿場町ノルカソはサフラン台地に差し掛かる途中にある。切り立った台地の側面を縫うように首都まで続く主要街道が続くのだが、その街道沿いに首都や南方、他国へ向かう旅人たちが足を休める宿場が集まった町がノルカソだ。ノルカソを南に十キロほど進むと街道は途絶え、獣道へと変わっていく。ただただ森や草原、荒野が広がるばかりで人の住む領域ではなくなるのだ。
そんな険しい道程を野宿を繰り返しながらここまで来たウィリアムは、久々のベッドに思わずダイブした。当たり前だが地面より柔らかいマットのスプリングが鈍い音を鳴らしながら沈み、彼の身体を支える。
程よく詰まったマットレスの綿が身体を優しく包み、洗いたての真っ白なシーツは日向の香りがした。
シーツと同じく真っ白な長方形のクッションを両手で思わず胸に掻き抱き、思う存分ゴロゴロ転げ回り、枕を片手に大の字になると寝心地を満喫する。
「うーーーん。たまんない。ここは天国かっ。もう、絶対動きたくない」
見上げた天井には年数を経た木目が鮮やかな太い丸太の梁が張り巡らされ、天井からy化を囲う荒削りされた灰色と白の斑模様の石材がむき出しになっており趣がある光景に思わす目を細める。
この街の宿屋や商店、住居は切り立った台地の断崖を削り出し、空洞を人工的に作りそこに建物を立てているスタイルのものがほとんどだ。場所によっては自然に空いた洞窟や空洞を利用した趣のある建物もあり、いずれも自然のまま生かした材料をそのまま建材として利用するため街全体の統一感は抜群だった。宿泊するこの宿もよくある掘った場所に建てた形で、それを構成する建物や室内で使われる家財など、地方特有の形や文様があるものの地球で言うプチリゾートホテルといった具合だ。
トゥーケ人の習慣や身体に合わせた作りなので、通常より総てが二回りほど大きいのは異国に旅行に来ている実感が湧いて、内乱や戦争している国があるというのに不謹慎にも心が踊った。
お尻の下のしっぽを恥ずかしながらぶんぶんと振ってしまう。
「ははっ。まだ寝るの早いと思うヨ。って、アレ?」
荷物をクローゼットに片付けた同室のサナリは隣のベッドに腰を下ろし声をかけてきた。
一呼吸するとウィリアムの身体から力が抜け、変身が解かれていく。
輝くようなゴールドブロンドの髪が濃淡のある琥珀色に。血のように赤い瞳は甘いミルクチョコレート色に。鋭い爪を携えた手は人のものに。赤味のある唇の合間に覗いていた鋭い犬歯はもう見えない。狼特有の尻尾と耳はすでに消え去り、体つきは大きめではあるが十四才という大人と子供の間という年齢相応の姿に変わった。
額に手首を乗せ、ウィリアムは視線だけ隣に向ける。唖然とした顔で頬をバラ色に染めたサナリの顔が目に飛び込んだ。
ウィリアムはそのまま気怠げに微笑み、吐息をつく。
「ごめん。驚かせたね。ここまで緊張しっぱなしで獣人が解けなかった。えっとこっちが本当の姿かな?」
父には獣人の姿が本来の姿だと告げられたが、ウィリアムは人で在りたかった。だからせめてこの姿を本当だと言わせて欲しい。
そこへ、サナリがとんでもないことを言い出した。
「ウ、ウィルッ。君、女の子だったノ?!」
「ちがーーーーうっ!!」
慌ててベッドから起き上がり、胸を高鳴らせているであろうサナリの目の前に立ちはだかると思いっきりシャツを捲ってみせる。やや白い肌と、ある程度鍛えられた身体や首の鎖骨辺りまで顕になった。そこには女性特有の丸みもなければ儚げな細さもない。
なのに、増々サナリの顔が本格的に真っ赤に染まり、絶えきれないという仕草で両手で顔を覆った。
恥ずかしそうに悶えるサナリに苛ついたウィリアムは彼の腕を強引に掴むと彼の手の平を自分の胸に押し当てる。
「あなた、曲がりなりにもお医者さんでしょう!ちゃんと見て触って!!男だからっ!」
不埒なサナリの手が本能的にウィリアムの胸を揉みしだいた。気持ち悪くて身体を引いたウィリアムに、サナリはギラギラとした赤茶色の瞳を向けると立ち上がり、彼の頬を両手で挟んだ。
「なんてことだ。この長いまつ毛、蕩けるような瞳の色、この成長しきっていない柔らかい頬、少し高めの中性的な声色。そして、どんな宝石よりも珍しいアンバー色の髪」
「だ、大絶賛デスネ。語尾のカタカナ忘れてますよ」
視線を逸しながら棒読みで注意するウィルに構わずサナリは続ける。
「これまで一緒だった青年だとは信じられん。人を射殺しかねない視線を投げる鋭い目に恐怖を煽る赤い瞳はどうした?!触れられたら一撃で腕の一本や二本もぎ取りそうな凶器を携えた手はどこへ?!近づく者を燃やし尽くし灰にしかねない陽の光より眩しい髪色はなんでこんな色に?身体だってほら、ぜんぜん違う!囁き声も逃さない獣の耳も、如実に感情を表し威嚇する獣のしっぽもどこへ消えた?!」
聞いていると凄く怖い獣人ですね。その人。
オレってそんなに凶暴な雰囲気が漲ってましたか?と、ウィリアムは改めて聞き直したくなった。熱い吐息をついて切なげにサナリはウィリアムを見つめる。
いや、そんな熱視線を向けられてもですね。気のいいお兄さんはどこ行ったのかウィリアムは探しに行きたくなった。
まだ納得できないのかサナリの独り言?は続く。
「まるで魔王と聖母を一元化したような存在だなお前は。なんだこのどこまでも優しげな眼差しは」
いや、タレ目なだけで瞳の色もぼんやりとしたよくある濃い茶色ですよ。
「長いまつ毛の色までもが琥珀色とは男としてはどうなんだ」
無駄に多くて長めなので時々切って捨てたい時がありますが。
「女も嫉妬する色気成分と誰もが傾倒しそうな癒やしオーラが何もしなくても漏れ出しているとは、罪深いなお前。…..常に一緒にいて世話している団長の精神力の強さに尊敬の念を禁じえない…..」
「も、もうやめてください。そんなんじゃないですから、オレ」
シャツを戻しズボンに裾を入れ込みながら、ウィリアムは慌てて否定した。
見た目が良いのはわかっている。幼い頃は女の子によく間違われ、最近では同級生に告白され迫られるという事件も起きていた。しかも、男にだ。
容姿を褒められるのは昔からなので聞き流せるが、そこへ色気やなにやら絡んでくると妙に擽ったい気持ちになるし恥ずかしさに赤面ものだ。落ち着かない気持ちを持て余してしまう。慣れた風にかっこよくあしらいたいのに、無理だ。気持ちが追いつかない。
こんな話に慣れたいとも思わないし。極力避けるのが無難だろう。
丁度、クロエを称賛するつぶやきで話が途切れたのを良いことに話の方向転換をした。
「ところで、団長は聖堂に用事って何だったんでしょうか」
聖堂とは「ラーナ経典」という人の道徳や生活のあり方を説く書物を主体とした宗教色の強い団体の集会所のような場所だ。
やっと衝撃が治まったのか、サナリは乱れた寝具を整えながら落ち着いた声色で言った。
「知り合いに会うと言ってたヨ。聖堂だからそっち方面の関係者でしょうネ」
「ラーナ」と呼ばれる女神による教えを経典にし、その内容を遂行し準ずることで、より幸福が訪れ財を成し救いがあり、奇跡が与えられるという話だ。神様や仏様に祈ることで幸福やお金持ちになれるとかよくある話だが、奇跡が与えられるとは驚いた。
その奇跡の代表的な力が「予知能力」らしい。特にその能力の発生率が高いのが女神神話の発生地トゥーケ連邦共和国ではなくモナルキア王国だった。能力者たちの功績により国が栄え資源に恵まれているという。世界各地に存在す信者達より信仰心が深いゆえその恩恵に賜っているのだという話だ。
モナルキア王国の預言者たちの的中率は非常に高く、国王から絶大な信頼を受け高い身分を与えられ政に欠かせない重要な存在となっている。より信憑性と公平性を維持、向上するために、より優れた預言者たちが集まり、儀式を行い内容の精査、検証をして王国の審議会で話し合い結果、初めて執行する仕組みになっていた。
ウィリアムは家庭教師の歴史研究家 キナの講義を思い出しながら言った。
「確かこの世界の教えはラーナ女神の一つだったよね」
再びベッドに腰を下ろしたウィリアムを見ながら、サナリは腕を組み彼に対峙する。
「まぁ。そうだネ。勉強と違って教えを説くのは「ラーナ経典」くらいだネ。実はボクの両親は熱心なラーナ神の信者で、予言があるたびに一喜一憂するような人たちだったヨ。そんな環境で育ったボクは将来神官になるよう「ラーナ経典」を教え込まれて自分もいつか能力を授かってその道に進むものだと思っていたんダ。いくら祈っても心を捧げてもボクに能力が授かることはなかった。信者の一人としては認められたけど、神官としての器量はボクにはなかっタ」
軽く肩を竦めてサナリはクローゼットへ足を進める。
「人を助けたい仕事に付きたかったカラ、神官を諦めて華麗に医者に転身!これがまた性に合っていたみたいで現在に至るってワケだ。…まぁ、国境師団に配属になって吃驚することがたくさんあったけどネ。特に神殿絡みでは….」
最後の方の言葉は小さくてよく聞き取れなかったが、彼はニヤリと笑って言った。
「退屈だから観光スポットでも行こうヨ。眺めが良いところがあるんだ。その後聖堂まで団長とイオ師団長を迎えに行こう?驚かせてやろうゼ」
「はは。わかりました」
含みがある内容を言っていた気がするが、ウィリアムはそれ以上聞き出すわけでもなく彼の話に乗った。快適な部屋で過ごすのもいいが、宿場町を見て回るのも悪くない。このところずっと一緒に行動していたクロエと別行動ということで寂しさも感じていたしいつも彼女の方から迎えに来るのが常だ。自分から会いに行くのも新鮮で良いと思えた。
軽く身体を濡れた布で拭き、旅路で汚れた服を二人は脱ぎ、目立たぬようにとこの地域特有の民族衣装に身を包み宿場町に繰り出した。
トゥーケ連邦共和国の主流の衣服はとてもシンプルで、モナルキア王国ほどバラエティ豊かではない。男性は袖や裾、ステンカラーの襟に繊細なレースを施した真っ白いシャツに、パンツは股下が深く股下から膝まではゆったりして足首は絞られている黒や焦げ茶という地味な色合いのサルエルパンツが主流だ。そして腰にベルトや装飾品(金属の加工したものや宝石をあしらったもの)を巻いている。
女性は淡い色合いのパステルカラーのロールカラーシャツで、男性とは違い袖や裾、襟にはフリルがあしらわれ、そのボリュームは人によって違う。フリルの代わりにリボンの人もいる。裾の広がった7分丈のパンツ、ガウチョを履き色は違えど濃い色合いに統一されている、意匠の凝ったベルトや装飾品で腰回りを飾る男性とは違い、女性は羽のように軽く繊細な手触りの太めの帯を腰に巻き、それを結んでいた。結び方には決まりはなく大きな蝶々結びの人や複雑な結び方をする人、いくつもの帯を組み合わせて編み結ぶ人などバライティ豊かだ。
そして、その上から男も女も踝まである広袖付きのポンチョを羽織る。
男性は黄色みがかった白で鳥の子色、女性は限りなく黒に近いマホガニー色だ。
左胸には小さく部族の紋章や家紋が刺繍されている。
トゥーケを往来する旅人にもそれぞれの国の証となる模様が刺繍されたポンチョが支給され、国内で部屋から出るときは必ず着用するよう決められいた。国外に出るときは返却する仕組みとなっている。
ウィリアムとサナリが支給されたポンチョには、モナルキア王国直属の正教会の紋章が刻まれていた。教会の巡教使徒という扱いだ。
ホテルを出ると、一番始めに目につくのは一メートル以上はあるフェンス。
その向こう側に街道があり乗り物が往来している。青空に面しているのは切り立った崖で崖沿いに設置された公共駐車場があり、そこに虫食いのように個性豊かな飛行船がランダムで駐車してある。
飛行船の色は黒で統一されて空の青色と対象的に重圧感がすざましい。
戦闘用から貨物用、旅客用など形や大きさはさまざまでこれほどまでの機種を眺めるのは圧巻だった。
左右を見れば崖下に宿屋や飲食店などが建ち並び、フェンスの内側にある広い歩道には人が溢れ建物からの人の出入りが激しく活気に満ちていた。
「こっちだ」
そう言われてサナリに案内されたのは地下道の入口だった。地下道の明かりは足元を照らすフットランプのみ。街道を横切るだけの地下道なので出口のドアにはめ込んである窓から日差しが床へ注がれているのが見えた。
ドアが頻繁に開閉され、人の出入りが激しい。行き交う人も多く、トゥーケ人が八割残り二割がその他の人種だ。それでも、獣人やサイボーグを見かけないので各国の人種、生き物が集まるモナルキア王国と比べると偏りはあるようだ。
「この地下道の出口は二ヶ所あって一つは展望台、一つは駐車場へ続く階段へとつながってイルヨ。飛空艇を持つのは軍と商人という決まりがあって、民間人は徒歩か乗り合いのバスに乗るのが定められていル。街道の道は低空飛行艇のためで、高く飛べないため街道を這うように走るんダ。軍以外の飛行艇は地上からの距離も制限されていて、離着陸以外高低差が出ないよう制御されてイル」
地下道の壁に描かれている入り口から出口に向けて流線型の模様を眺めながら、ウィリアムはサナリの話を聞いていた。すれ違う人に気を使いながら歩き進め、風をイメージしたデザインなのかななどと考えているうちに出口に差し掛かった。
右手には出口と同じドアがもう一つある。
なるほどこのドアが駐車場への入り口なのか、と思っているうちにサナリの手により展望台への入口のドアが開け放たれた。
「ほら、ウィル!風が気持ちいいヨ」
開け放たれた出口から光が溢れ、その中へ一歩二歩と踏み出す。
全身に風が吹き抜けクリップ一本でシニョンに結った頭から溢れたおくれ毛を揺らした。
ウィリアムは体中に心地よい風を受けながら、目の前に広がる光景に瞳を輝かせた。
街道下とは思えないほどの広さを誇るホールはきっと谷を張り出す作りになっているのだろう。谷に面した部分は全面ガラス張りで湾曲した柱に区切られている、風が通るのは上部に数十センチの隙間があるからだ。
天気が良いので遠くまで見渡せそうだ。既に展望台の手すりに身体を寄せて、眼下の眺めを楽しんでいるサナリを追ってウィリアムはデッキへと足を踏み入れる。
下界とを隔てるガラスに続く床は、通路から続く石材から格子状に組まれた床材へと切り替わり、木目の柔らかなバーチ(白樺)材と谷とその合間に見える街道を覗くことが出来る強化ガラス、色調に斑がありざらつきのあるグレーの石材の組み合わせだ。
展望ガラスに沿った床は三十センチのガラスにより縁どられいる。
サナリと肩を並べウィリアムは感嘆した。
「すごいな。ここ」
モナルキア王国首都の中心にあるドルトニクス城の監視塔を案内された時、国の保有する大陸で一番大きな湖と造りや色を統一された美しい城下町、外郭に広がる色のコントラストに純粋に感動したものだが、ここはその比較にもならない。
ここから次元の海の先の大陸まで見渡せる大パノラマなのだ。雲海が眼下を漂い、谷あいの先は勿論のこと点在する緑地帯やジオラマのような町や村はまるで玩具のようだ。
なかなかこの高さと障害物のない視野で眺めることは飛行体で撮影しなければなかなか見れないだろう。目の端に映る大地がわずかに湾曲していることからこの星も丸いんだなと何気に感慨深い。
二人連れだって展望台を堪能した後、カフェで軽く食事を摂り、薄暗い回廊を引返し日も陰り、人でも多くなった街道沿いの歩道へと歩みを進めた。
目的地は聖堂だ。クロエとイオはそこに用事があると言って宿屋に立ち寄る前に、途中で別れたのだ。
行き交う旅人たちは露天や土産物屋、宿屋の設営しているレストランなどに足を止めながら束の間の観光を楽しんでいる。崖を削り出して立ち並んだ建物は、横一列というわけでもなく、場所によってはちょっとした区画を形成している場合もある。そんな区画に差し掛かった時、建物間の路地に人が集まっている場所があった。
右手が土産物屋で左手が雑貨屋だ。
彼らが目立つのは、お決まりのポンチョを羽織っているものの、体格が良く武器を携帯した男たちが数人、聖堂の宣教師とおもしき神官独特の服を着ている者数人、その後ろで地元と旅人の野次馬が物珍しげに眺めている。
その中に、頭一つ飛び出た赤みの強いオレンジ色の髪の男がいた。
国境警備隊北東部最前線師団 副団長 イオだ。彼は時々下に顔を傾けては喋っている。
きっと隣にはクロエ・ディアボロがいるに違いない。
思わず歩みを止めたウィリアムの脇をすり抜け、サナリが場違いなほどの明かるく大きな声で呼びかけた。
「ディアボロさん!イオさん!遅いから迎えに来ましたヨ」
大きく手を振る彼の様子は深刻な場の雰囲気に場違い過ぎる。慌てて窘めようとサナリの腕を取り、引き戻そうとしたウィリアムの手が空を切った。それより早くサナリが動き出したのだ。
仕方なくウィリアムは彼の背中を追いかけ、集団の和に加わった。
「遅くなって悪いな。もう少し時間がかかりそうなんだ」
屈強な男たちに混じって立つクロエは、年若い十代の少女のように小さく見えた。
踝まである黒に近いマホガニー色のポンチョが童顔の彼女をいっそう幼く見せているのかもしれない。ドルシェアーツを装着していないため尚更華奢に見える。
本人に話したら殺されそうだが。心のなかでウィリアムは勝手に思いながら彼らの話に耳を傾けた。
彼女たちの話からするとどうやら人探しをしているらしい。
探し人の最終目撃情報はここで、足取りが途絶えているらしく近隣のお店からの情報も芳しくなかった。
この先は色町になっているらしく、際どい衣装を纏った男女が客引きをしている。
「昨日はこの辺の労働組合の協定で軒並み閉店となっておりまして、微かな人の話し声がしたとか、ちょっとした物音などよくあるもので。なんとも」
この地域を警らしているらしき、ポンチョの下に武装した男性が肩を竦めた。
「しかし、神官とあろうお方がこんな所に訪れるとは、どういう了見でしょう?」
イオはもっともらしい疑問を投げかけた。それに答えたのはクロエだった。
「色町の中には心と体に傷を負ったものが多い。彼はこの町の代表に依頼され、定期的に訪れ相談役を引き受けていたのだ。定休日に訪れてもおかしくないだろう。だが、通常は昼間に活動をしていると聞いたことがある。真夜中に何故ここに戻ったのか。急な呼び出しでもあったか」
「なるほど。それは考えられますね。緊急を要する相談事があったのかもしれません」
そこへ警らの男が口を挟む。
「その日、相談をした色町の方々に話を聞いたのですが、それと言って有力な情報はありませんでした。いつものように医者の紹介状を持たせ次にくる約束をして変わりなく夕方には帰っていったそうです。」
そんな話を繰り返している。通りの奥に顔を向けると鼻を突く匂いが漂った。
ウィリアムは思わず掌を鼻に当て、眉間にしわを寄せながら呟く。
「血のにおいとおう吐物のにおいがする。しかも相当な量の」
「なに?!」
あまり大きな声で言ったつもりはなかったが、漏れ聞こえていたらしい。みんなの視線がウィリアムに一斉に集まった。みんな頭を振りながら鼻を動かしている。
彼は慌てて両手を上げると苦笑いしながら言った。
「あ、オレ獣人なんで鼻が利くんです。普通はわからないかも」
そう言いながら匂いの元に歩み寄る。表通りから約百メートルほど先の何もない道端だ。
そこに濃く残る人物の匂いと血の匂いを嗅ぎ分け、そこら辺の壁に立てかけてあった箒の柄で匂いの残る範囲に図を描いた。
「これは…」
誰もが息を飲む。ウィリアムが描いた図は横臥する成人の人物と思われる形とそこを中心に広がる血痕やおう吐物の痕を如実に表していた。
集まった兵達は図の周辺を検証し始める。それにクロエ達も加わり、やや大掛かりな捜索となった。詳しく事情を知らないウィリアムとサナリは大人しく見学だ。
図に沿うように建ち並ぶ建物を調べていたクロエは、ふと顔を上げるとおもむろに近くで探索していた兵の剣を引き抜いた。平たい両刃の西洋風の剣だ。
「おい、きさま!」
不意を突かれ驚いた兵が咎める声を上げたが、構わずクロエは剣を振り上げる。
その切っ先は指一本も差し込めない、建物と建物の隙間に入り込んだ。
がりがりと建物を構成する石材が削られる嫌な音を立てながら、刃の部分が隙間に完全に埋まり、それを彼女は斜めに構え掻き出すような動きをする。壁がこすれる音と別に何かが引きずられるような音が交じった。やがて剣によって掻き出された物が地面に現れた。
それは、千切れた布と皺くちゃの紙切れだった。拾い上げたイオが神妙な顔つきで検分する。品物を表裏に返したり手触りを確かめたり、その合間にクロエは借りていた剣を兵士に返した。
イオの手からクロエは紙片を受け取り広げて見てみる。そこに書かれてある文字を目で追ううちに、真鍮色の瞳を見開き眉間に深く皺を刻まれていった。
さっと文面に目を通すと顔を上げ、集まっていた街の警ら担当の兵士や神殿の使徒およびその警護兵相手に向けて声を張り上げた。
「ただのゴミだったようだ。ご足労した。ここにはこれ以上の手がかりがないとみて、本日は引き上げるとする。明日から各々与えられた仕事に戻ってくれ、この件はモナルキア王国も関係する故、中央政府及び大神殿の預かりとなる。ご苦労だった」
いかにもモナルキア王国分社神殿の使徒らしい判断と声色で彼女はその場を治めた。
納得のいかないもの、肩の荷が下りて自らの任務に向かうものと彼らの表情はそれぞれだったが、振り向く者は少なくそれぞれの職場えと散っていく。
その後ろ姿を見つめながらクロエは誰に言うとでもなく呟いた。
「宿屋に行こう」
皆を宿に帰したものの、クロエは定期連絡のために人気の少ない展望台の一角に来ていた。ここからの眺めは眼前に崖が張り出し、視界の三分の一を岩が占めるうえ景色は点在する森と青い空だけという景観的によくない場所だった。
そのため、ここに立ち寄る旅行客はほとんどなく、迷い込んだか通りすがる人がほとんどで人気がめったにない。
監視カメラの死角に立ち、クロエは通信装置を立ち上げた。手のひらサイズの小さな箱状の物だ。プラスチックに近い材質で覆われ、黒々としている。側面にあるスイッチを入れると転送の時に現れた今度はオレンジ色に光る文様が浮かび上がった。
地球で通信していたものと違い、国王軍率いる軍総督ラブドゥール殿下直通の通信装置で声のみ対応の専用機器だ。
『検索』表示からしばらくして『通信開始』へと変わる。他国からの通信のため、妨害電波及び他の傍受電波のブロック機能はついているものの、長い時間の通信は控えたい。
「クロエ・ディアボロです。HS-135.271地点にて定時連絡」『了解。続けよ』声色は変声機能により電子音に変換されている。
「任務No.A-585。対象は消滅。これまでの進捗をまとめて報告します」
『許可する』
「対象R-G。とある農村にて納屋火災に巻き込まれ死亡。対象S-K。配属先の辺境伯警備担当中流行り病にかかり死亡。対象S-T。巡礼中に行方不明。最終目的地の調査から推測すると、事件事故に巻き込まれ重傷、または死亡している可能性大。捜索の継続は不可能と判断。以上」
『見解は』
暫く間を置き、クロエは正直な意見を述べた。
「これまで選出された対象は病または事故死、行方不明と不審死を遂げていることから何らかの妨害を受けている可能性が高いと思われます。数値的にもおかしいでしょう」
『打診した六人中、接触を図った三人を全員失うとは。残り三人の確保と保護が急がねばなるまい』
「しかし、内密に動いているためこれ以上の人員を動かすのは危険を伴います」
『別動隊をを少人数で動かすとしよう。こちらの情報が漏えいし動きを読まれている可能性が高い』
「同意見です。わたしはDプランに切り替え別方面から当たろうと思っています。それともう一つ報告が。対象S-Tは情報を残していました。これにより一つ問題は解決するかと」
『そうか。確かイオと一緒だったな。あいつが王都に帰還するときその情報を渡しておくように』
「はい。それと確認ですが。方針に変わりはございませんか?」
『状況が如何に変わろうと方針が変わることはないという前提で動いてくれ』
「御意」
『以上だ。体を労われ。でないと減給だからな』
「ありがとうございます。肝に銘じます」
馴染みらしい温かい言葉に、思わず少し笑いを含めた言い草になったクロエは苦笑いするそこで通信は途絶えた。
通信装置を手で弄びながらクロエは物思いに耽る。
建物の隙間に残されていたのは紙片と布。
布は薄紅色の生地に金の縁取りのついた神官のみ許された装飾、ストラだった。手に取ったのは五分の一ほどの長さでモナルキア王国の紋章が刺繍されていた。端の方は炎で焼かれたかのようにボロボロだった。しかし、不思議なことに焦げ跡はない。
紙切れは、ページ数が残されていたところを見ると冊子か記録帳の一部だと思われる。しかし、重要なのはそこに書かれていた内容だ。明らかに手書きで筆跡の違う数人の手の者に書かれたものだった。正直持ち歩きたくないレベルの物だ。
神官長候補として密かに選出されていた神官補佐のシロキ・トウマ。これほどの証拠を掴んでくる男だ。将来有望なだけにやっかみも多かったであろう。
近々、古参の人事神官委員による指令で地方の農村への転属が告知されていたのだから。 彼はその正式な手続きに神教本殿を構えるトゥーケへ足を運んでいた。
「さてと、次のミッションに行きますか」
黒く四角い通信装置を一度空中に放り、勢いよく横から掴み取ると懐にしまいクロエは歩き出した。
トゥーケ連邦共和国に足を踏み入れたウィリアム達。
広大な大地を南北に横断する旅は続く。
明かされるいくラーナ本来の教えと聖地の歴史。
神から与えられる奇跡とは何か。