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ツカサリレーション  作者: 福森 月乃
オウラ世界編
42/48

What is ahead of prayer(祈りの先にあるもの)①

 モナルキア王国北西部。トゥーケ連邦共和国とモナルキア王国の国境沿いに存在するファナリス前線地区。ワズム渓谷を挟んで水源が点在するこの地域はその水源を巡って、奪い奪われを繰り返す激戦地で、滅ぼされた都市キカツアもこの地域内にある。

何年にも渡る小競り合いで、とうの昔に原住民たちはこの地を去り東西500kmに渡り兵しかいない不毛の大地になり果てていた。

ワズム渓谷の向こう側にあるトゥーケ寄りの土地に比べ、モナルキア側の土地は水源地の数が多く、トゥーケ連邦共和国側の住人達は谷を超えて隙あれば警らの手薄な水源地を狙い、パイプラインを勝手に引き資源を横取りしているところも少なくない。

細かく点在する水源地を全て管理するのは難しく、モナルキアの警護も全てに行き渡っていないのが現実だった。

今回の作戦はその水源の警ら状況と水質の調査、保有水源地の再確保という名目だったが念の為、渓谷を挟んでの戦いを想定して国境警備隊は弓矢、クロスボウ、砲撃などを主体としたキャンパー・クロス率いる北西部最前線師団が控えている。最前線の数キロ後方に補給工場を有し、武器や弾薬の製造を担い日々繰り広げられる戦局に対応してた。

 ワズム渓谷南西部、ファナリス45-A6西水源地。

青々とした低木に囲まれた直径500メートルほどの池は、驚くほど深く水底は見えない。渓谷に向けて設けられた番所は焼き落とされ、モナルキア王国の兵の遺体とトゥーケ軍の兵士と思わしき兵が点在していた。

奇妙なことにトゥーケ軍の兵士の体の一部は機械で、流れる血に混じり粘土の強い七色に光りを反射するオイルのような液体もその体から流れ出ている。

 池の周辺には色んな配色のドルシェアーツが歩きまわっていた。

「まぁ、覚えなくてもいいんだが。騎兵がターコイズグリーン、砲兵がオリーブドラブ、工兵がチャコールグレイ、水兵がウォーターグリーン、衛生兵がスペミアント。師団によって兵の数に偏りがあり縁取りの色で師団の区別を図っている。東が金、西が白、北東が青緑、北西は赤緑、南は黄色緑だ。ドルシェの型は要職で統一され多くは凡庸を使用している。特注なのは副師団長から上の階級からだ。」

と話しているのはパールホワイトのドルシェアーツで豪奢な金の縁取りに、美しい編み込みの彫り物が施された一際目立つ者だった。

そして、その話を聞くのは薄桃色の濃淡が美しい草花を模した繊細な細工のドルシェアーツだ。一見女性的な薄桃色のドルシェアーツは気品に溢れたパールホワイトのアーツよりかなり背が高く、二周りほど体つきも良い。だからといってけして無粋というわけでなく、均整の取れた美しい体つきをしていた。

そこへくすんだ青銅色の北西の歩兵、その中には志願兵、傭兵、正規兵なども含む数人が駆け寄ってきた。

「今、よろしいでしょうか?」

パールホワイトのドルシェアーツを着用したクロエ・ディアボロは鷹揚に頷いた。

 歩兵は跪き頭を垂れる。

「やはり見つかりました。こちらです。」

立ち上がるよう促したディアボロに従い、歩兵は案内する。その後ろから薄桜色のドルシェアーツが続いた。

数ヶ月前に配属された師団長とよく一緒にいるところを見るこのドルシェアーツの正体の詳しくは語られていない。

救護班の補助要員らしく、大体後方で救護テントの辺りで副師団長と負傷兵や衛生兵の警護にあたっていることが多い。必ず任地に来るわけでもない。

一度プルレタン商業区の国境線での盗賊討伐のさい、バースキム機械兵の偵察遊撃隊も加わった厳しい戦局で、団長を救ったらしい。こちらも、確かな情報ではないが。

後方を歩く正体不明のドルシェアーツを肩越しに時々見ながら、歩兵は目的の場所に二人を連れてきた。

池の袂の草むらが一部抉られ、土の中に直径50センチほどのパイプが埋まっているのを確認した。草むらを抜け、生け垣超え、雑木林へとその掘り起こされたパイプの先を追っていくと粘土質な岩に辿り着く。不思議なことにその岩は脈動していた。

 その岩に触れたディアボロはマスクの下で眉をひそめる。

「浄水岩だな。岩の下には簡易転送装置が備え付けてある」

確かに岩の下に鉄製のリング状の物が敷かれてあった。恐る恐るそれを指でなぞりながら薄桃色のドルシェアーツを装着したウィリアムは首を傾げた。

「これは、何?」

「パイプで水を引き、浄水機能のある岩を通して簡易転送装置で水を盗んでいるんだ。おそらく転送装置が目的の場所まで点在しているのだろう。最新の転送装置でも短距離で重いものや大量なものは転移できないからな。数量は限られている」

そう言いながら、クロエは岩を鷲掴みにすると一握りに砕いた。

そして、転送装置を回収する。パイプの空洞から行き場を失った水が溢れ出す。

膝をついていた彼女は立ち上がり、溜池の修繕と転移装置の回収を兵士たちにてきぱきと指示をした。

二人はそこにいた兵士たちとパイプの回収や掘られた地面の慣らしを一緒に始める。

ドルシェアーツ装着した団員たちは、手際よく驚くような速さで作業を進めていく。

下手な土木作業員よりよっぽど早く仕事も丁寧だ。

ウィルは感心しながら手伝っていると、渓谷の方角から雑木林を抜けて一人の団員が駆け込んできた。

よっぽど慌てていたのか、木の根に足を取られて派手に転ぶ。

膝や手に泥がこびいついたのも気にせず、素早く立ち上がった団員はクロエの前に立ちはだかった。

 軍礼も忘れるほど焦っているようで、彼女の腕を無遠慮に掴む。

「た、大変です!トゥーケ連邦共和国側の渓谷から大軍が押し寄せてきました!!南部部隊の兵士も多数含まれてます!」

「何?!トゥーケ南部の多数の種族を治めているのは保守派のターチレットだぞ。教団への寄付や南部地区の食料援護、トゥーケの台所を預り何よりも民の安寧を一番に考えているような温厚な男が兵を出しただと?!」

これまでの水源略奪は貧しさに耐えられず生活のために罪を犯した農民か、水の売買を生業とした盗賊か、反モナルキア王国を掲げる、戦争被害者が集まりモナルキアにその代償を求める被害者団体「トルッテケアの花」だった。

それに、南部の統治者ターチレット配下のトゥーケ軍も加わったということか?

明らかにトゥーケとモナルキアの微妙な戦況バランスを崩す、開戦告知と受け止められてもおかしくない状況だ。

仮面の下でクロエの顔色が悪くなるのが、手に取るようにわかった。拳を握りしめやや俯く団長に兵士は痺れを切らして言った。

「ご自分の目でお確かめください!!こちらです」

兵士に先導されながら、林を抜けると眼前が開けた。石と乾いた土の荒野が延々と広がり、数キロ先には切り立った崖が横たわっている。そして、空には数十機の戦闘機がこちらへ向かって飛来し、谷には何本もの鎖で作られた簡易梯子が渡され、既に何百人規模の上陸が目視で確認できる。

 谷の向こう側には、待機している敵の兵士が何千と控えていた。

「なんてことだ。トゥーケ軍とトルッテケアの花の民間人がいるぞ。崖の向こう側では女子供、老人が腕を組んで人の盾を作っている。何キロ先まで組んでいるんだ」

肉眼で確認できない部分を、あらゆる分析機能を用いて解析した団長の絶望的な呟きは、後を追って来た団員たちの耳に届き恐怖を掻き立てた。

 気持ちを立て直し、クロエは後ろの団員達の方を向くと厳しい口調で号令を飛ばした。

「今、ここにいる兵士はどれくらいだ?」

「砲兵が二名、弓兵が三十名、歩兵が五十名、騎兵が十五名、工兵が十名、水兵は十名、衛生兵は五名です。」

元々、水源地の修繕と警備兵の補充に来た為、戦の準備はできていない。戦闘中である南東部に人員を割かれこちらは手薄だった。

 しかし、迷う様子もなくクロエ・ディアボロは決断した。

「王国軍への救援信号は送った。ここから東で開戦している北西部最前線師団長に空軍支援要請を、そして北西部の足らなくなった戦力に歩兵二十名と騎兵五名をこれから送る」

「気は確かですか?!こちらの戦力を削ぐと?!」

圧倒的な戦力差にも関わらず、いくら空軍を借り受けるとしても減った人員をこちらから補充させるとは正気の沙汰ではない。誰しもそう思った。

 徐に双刀を抜くと、鋼の刃をちらつかせながらクロエは言った。

「私を誰だと思っている。東部最前線師団長、双剣の獅子と通り名があるのは知っているな。私がいるから歩兵と騎兵を割いたのだ。相手の数からして空の援護まではさすがに手が回らない。」

冷気を纏う覇気に思わずみんな固唾を飲んだ。

あの人数を相手にこの余裕は何だろう。そして、この団長を見ていると何故か負ける気がしない。

 彼女は部下に背を向け、敵のいる大地を見据えると片腕を高々と掲げた。

「いいか!この辺りの水源は必ず守り抜く!!」

 近づく大勢の敵の気配、遠くから轟く戦火の足音だけが聞こえ、誰も口を開かない。

「そして、国のため家族のため必ず生き延びろ!!危険を感じたらさっさと安全なところへ撤退しろ!」

噂には聞いていたが、東部最前線師団長の勝鬨は本当に国のため命を捧げる号令ではなかった。何よりも命を護る号令だった。

「これは命令だ。違反するものは私が遠慮なくこの双刀の露にしてやろう」

 少し冗談めかした声色に、思わずウィルソンは仮面の下で微笑んだ。沈黙の後、大歓声が上がった。

着々と準備は進み、押し寄せる大群にクロエ自ら先陣を切り、後に続く兵士たちの活路を開いていった。

剣戟を繰り返すたび、金縁に白亜だったクロエのアーツが返り血や泥、何やらわからない液体の色に染まり汚れていく。薄雲が覆う空に時々掲げられる日本刀に似た剣は、敵を斬れば斬るほど輝きを増し鋭さを増していくようだ。そして、序盤に見せた彼女の体捌きは、既に人とかけ離れた動きと化し、ひたすら目前の敵を切り捨てる機械のようだった。瞳に映るものは全て切り捨てるその姿は、無駄がない上に所作も美しい。それ故戦が長引けば長引くほど研ぎ澄まされる剣技は、敵にも味方にも畏怖と恐怖の対象となる。まるでそこにいるのは戦うだけの鬼神にしか見えなかった。

圧倒的な数だった敵兵は既に三分の一にまで減り、クロエの破竹の勢いに敵兵はやや戦意喪失気味だ。しかし、彼らの中にはなりふり構わず?というか、多少のダメージでは倒れない厄介な兵士がいた。残っているのはそんな兵士が殆どで、ウィルソンからすれば「ゾンビかこいつら」と疑いたくなるくらい打たれ強い。

やつらは揃いも揃って体に機械が組み込まれており、斬りつけると血とオイルが体から流れ出した。はじめサイボーグかと思ったが、まるで死人のような顔色に獣のような単純な格闘と噛みつき攻撃。急所を突こうが、足や腕がもげようが構わず襲ってくる。

もう、間違いなく映画でよく見るゾンビだろう。と、ウィルソンは確信していた。しかもその動きはやや鈍く、意思を完全に失っているように見える。

きっと何者かが操っているのかもしれない。

戦うウィリアムの数百メートル先に、敵に囲まれたクロエの姿が見えた。

彼女と交わした約束。

けしてオレの手は汚してはいけない。それは、敵の命を奪わないという約束。

ウィリアムは幼い頃から己の力の強さから、手加減というものを学び続けている。本気を出せば相手の生命を奪いかねない凶暴な力で、狼男の血を引く獰猛で残虐な気持ちを抑える訓練に他ならない。常に理性を保ち感情に流されないよう己を律し続けなければならない辛いものだ。怒りや悲しみに囚われず、闘いにおいては感情では一歩引き、いかなる場合でも冷静に対処しなければならない。だから、彼女の言葉は素直に飲み込めた。

では、クロエは?

これまで幾度か戦場を共にしてきた。

彼女は容赦ない。女だろうと男だろうと子供だろうと老人だろうと、戦場で敵と見なせば研ぎ澄まされた刃で切り捨てる。

味方でさえ助からないとわかれば躊躇いなく止めを刺すのだ。

兵士として国や国民を護るため、そういう行為が当たり前なのだというこの世界。

口は悪いが本当は面倒見がよくおおらかに笑う彼女は、普段は生き生きとしているが時々見せる憂いの中に自虐の念が潜んでいるのをウィリアムは知っていた。

そして、彼女の感情を捨て国を護るために剣を振るう姿に正直心が傷んだ。戦の中でしか見せないクロエの瞳の暗さは人を慈しむ心を全て奪い去ってしまうんではないかという、危うさを含んでいた。

そんな時、相反する日本での暮らしが心を過る。愛川、藤波、風之間、八嵜、神田。こうやって、戦場で刃を振り回しているといかに平和で安穏とした世界で生きてきたのか思い知った。学校でのいじめや家庭不和、怨嗟や思い込みによる理不尽な事件。現代社会のおいて大問題なのだろうが、命のやり取りの前ではくだらない争いにしか思えない。こうやって殺し合いになる前に十分できうることがあり、そうすることによって最悪の事態を回避できる確率は、この状況より格段に高いのだから。

反国王団体に連れ去られ、友人たちはいつ爆弾の駒として洗脳され利用されるかわからない事実。

生きている姿を探すのはもちろん、自爆した遺体の確認もしなければならない辛さ。

これまで何度遺体を確認し、彼らでなかったと安堵したのを繰り返したか。数えたくもない。毎日無事を祈り、彼らが地球に帰れるようなんとかしたいという思いが募る。

襲いくるゾンビを薙ぎ倒しながら、思いを馳せるウィリアムは目を見開いた。

両手を剣に鍔迫り合いをしているクロエの背後と右手から、ゾンビ兵が鉄パイプや手斧を振り下ろし襲いかからんとしている。

ウィリアムは地面を蹴り上げ、累々と転がる遺体を避けつつ一足飛びに援護に入った。

背後から襲う中年ゾンビの斧弾き返し、体当たりを食らわせ彼女から遠ざける。次は右手のまだ十代と思わしき少年ゾンビ。心の中で密かに詫びながら斬りかかる刃を手でへし折り、裏拳を頬に張ると勢いに任せて少年は数m先まで吹き飛んだ。

 両刃で相手していたクロエは容赦なく相手の急所を突き絶命させながら、振り向きざまに怒鳴った。

「余計な手出しをするなっ!お前に殺しを許可した覚えはないぞ」

 クロエは息を切らせ、唸りながら振り向いた。破竹の勢いで敵を一気に凪倒したため、お互い消耗が激しい。だが、離れたところでは少ない砲兵と弓兵、歩兵や騎兵がいまだに苦闘している姿が伺え、大砲や銃撃の音、剣戟や空を切る弓矢の唸りに混じり、自己を鼓舞する兵士の叫びや断末魔、ゾンビの言葉にならない声がそこかしらに響いていた。

 ウィリアムは胸を張り、堂々とした態度で言い放つ。

「一人も殺してないよ。これまで一人もね。それに、クロエわかってる?不死人が多い」

 足元に転がる遺体を見回しながらクロエは吐き捨てるように言った。

「わかってる。敵の中に非常に分かりづらいが不死人を操っている者が何人かいた。そいつを倒せば不死人は死人に戻るのだが、いかんせん敵兵の装束が誰も似通っていて区別がつかん」

「そうだね。オレも正直死人か生きてる人がわからず戦うのは面倒だし、つらい。死人は倒してもまた襲ってくるから。間違ってこのクローで引き裂いてしまうかも」

 ウィリアムの不穏な一言にクロエは目をむいた。だが、それは仮面の下で隠されている。そして、ウィリアムの表情も仮面の下で読み 取ることができないが、その声色からなにか言いたいことがあるのは察することができる。

「何?」

 わざと邪険な言い方で返したものの、ウィリアムは落ち着いた口調で言葉を続けた。

「クロエは部下に言うよね。必ず生きて帰れって。危険を感じたら撤退してでも引けって。後ろは絶対クロエが護る。と言うよね」

 胸に手を当てウィリアムはドルシェアーツを解いた。

「正気か?!戦場でアーツを脱ぐとは!っ」

 そう言ったクロエは思わず息を呑んだ。

馬鹿な何故あの方がこのような所に!

風に揺れる金塊の如き長い金髪。眉間に寄せられた整った眉はきりりと眉尻が上がり、その下にある切れ長の目を縁取るのは金の混ざった赤茶色のまつ毛だ。そしてその下にある瞳はルビーのようなダークレットの輝きを放っていた。

体は一回り大きく程よくついた筋肉は、鍛えた戦士に劣らずとも勝っている。

驚いたことに、頭の上には獣の耳とよく見れば毛足の長い尻尾が尻に付いてるではないか。

うっすら微笑んだ口元から犬歯が覗く。顔そのものはモナルキア王国第一王子ラブドゥール殿下に生き写しだったが、明らかに殿下より若いし、獣のそれがついて、瞳は赤く髪も長い。そう、殿下はもっとピンクがかった金髪だし、瞳の色はエメラルドグリーンでもっと男臭い雰囲気だ。ウィリアムの姿を凝視しながら呪文のようにクロエは何度も殿下との違いを心の中で繰り返した。

「オレはね。そこのとをクロエにも言いたい。生きて一緒に帰りたいし。危険を感じたら即逃げてほしい。それに、あなたの背中はオレが護る」

「!!」

 歯の浮くような言葉だ。常に人の背中、国の背後を守ってきたクロエにとって自分が護られることに慣れていない。

「お、お前ごときがわたしの背を護るなど百万年早い」

 動揺を抑えきれなかった彼女は思わず言葉をつまらせてしまった。ウィリアムは目を細め彼女の手首を取った。

「そうだね。百万年早いかもしれない」

 そう言いながら少し愉しげに微笑んだ彼は、切なげに赤い瞳を揺らした。

「オレはクロエとの約束は必ず守る。いかなることがあろうとも絶対破らないと約束しよう。でも、クロエも約束して?」

「何をだ?」

 疑念を抱くクロエの真鍮色の瞳から視線を外すことなく、ウィリアムは彼女の手を胸元まで掲げた。

「オレと同じように殺す権利を放棄して。血で血を洗っても戦争の怨嗟はこの世が滅びるまでなくならない」

 掴んだ彼の手を振り払おうと動かしたが、固く握りしめられ外れることはない。クロエの胸の内から苦いものと重苦しいものが込み上げ吐き出した声は情けなくも震えていた。

「何を今更!!これまでどれでけ屠って来たと思う?!これから先どれだけこの手を血に染めようと何も変わらない!!」

「変わる。変わろうとしないから変わらないんだ」

 ウィリアムの口から出た言葉はもっともな正論だ。怒りのあまりクロエは掴まれた方の手で握っていた剣を離してしまった。金属が転がる乾いた音が辺りに響く。

「貴様っ。何も知らないくせに」

 ほんの少し戦場に出ただけで分かったような口をきく生意気な男に、クロエは普段の冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。だが、ウィリアムは喧嘩に乗るどころか、優しくクロエの指に指を絡め腰を抱くとこれまでにない近さで囁いた。

「そう、オレは知らない。だから、これから知っていくし学んでいく。教えて?クロエ。そして、オレと約束して。もうこれ以上この手を汚さないって。殺す道より活かす道を選んで、じゃないとオレはいずれ君と同じように染まることになる」

 末尾の言葉にクロエの背筋が寒くなった。汚れを知らない生き物のようだった日本人の手を血で染めるなぞ、考えるだけでも恐ろしい。この世界では全く関係ないはずの者たちが傷つくのも耐え難い。

「くっ」

 脅しているのかと顔を上げれば、苦しいような悲しいような苦悩に満ちた表情のウィリアムの顔があり、潤んだ瞳から一滴涙がこぼれ落ちた。

「お願い。クロエ」

 懇願する彼の気持ちにやっと彼女は気付いた。

この国の状況を知り、人々と触れ合い、肌で感じ、彼はわたしたちと同じ苦しみを分かち合ったのだ。そして、心を痛めている。

やはり、連れ回すべきではなかった。

ただ、この世界の表の部分だけ触れさせ旅行客のように接すればよかった。そうすればなんの疑問もなく楽しい思い出だけ持ち帰ることができたのかもしれない。しかし、それは彼の友人が誰彼時の旅団に連れ去られた時点で叶わないものだった。彼は、ここに観光に来たわけではない友人を助けに来たのだ自らの手で。

 クロエはそっとウィリアムの手を握り返した。

「わかった。そうしよう」

 血と鉄と腐敗した肉塊の腐臭漂う戦場で、微笑み合う二人の間に温かい空気が流れた。クロエは彼の手を解くと彼の頭上へ伸ばし金色の毛に覆われた獣の耳にもふもふと触る。

「ところで。これは何だ?」

 ウィリアムは触りやすいように上体を折り、彼女に頭を差し出した。少し頬を赤く染めながら説明する。

「み、耳だよ。獣の。オレの父さんが狼の獣人だって知ってるよね。双子の妹と父さんは完全に狼に変貌するけど、オレはこうなる。完全な狼にはなれない。地球の衛星、月っていうんだけどそれが太陽の光を反射して満ちたり欠けたりするんだ。その月が満月だったり気持ちが高ぶったりすると変貌する。そして、理性を保つのが難しくなる」

 そう言いながら彼は零れた涙を気付かれないようにそっと袖で拭いた。

「理性ね。さっきはわたしよりずっと冷静だった気がしたが」

 手が離れたのを見計らって、体を起こすとウィリアムは焦って言い募った。

「冷静じゃないよ。本当は言うつもりはなかった。生きてる世界が違うし、価値観も違う。でも、それでも言わずにはいれなかった」

「すまない。ありがとう」

 愁傷に礼を述べるクロエに、照れたように笑いながらウィリアムは言った。

「どうして、クロエが謝るの?オレも手伝うから早く戦を終わらせよう。そして友達を探すのを手伝って」

「あぁ。わかったって!お前!アーツは?」

 身を翻し生身で戦場を駆け出そうとした彼をクロエは引き止める。

「あれ、オレには重くて敵わないよ。こっちのほうが身軽だから勘弁して」

 本当に身軽に、まるでネコ科の動物のような靭やかな動きで戦場を駆けていく。確かに早い。

そうこうしているうちに、完全にモナルキア側の敵兵は追い出し、残るは対岸の敵のみとなった。

北西部弓部隊と砲撃隊も加わり、戦況は勝利に傾いている。

ここで引くか、深追いをするか。

いつもならここで潔く刀を収めるのがクロエだったが、今回の戦にサイボーグ化した不死人が加わり、南部を守るトゥーケの正規兵が参戦していたのに引っかかりを感じていた。

サイボーグに正規兵。極めつけはトルッテケアの花だ。

この奇妙な組み合わせに、いつものらりくらりと会話を交わし、細かい問題を地道に解決し、この地を治めてきたターチレットがこのような愚行に走る意味がわからない。向こう側で何が起こっているんだ。

 渦巻く疑問を確かめる手段はただ一つだ。

「これから対岸に渡り、敵の本拠地を叩く!」

クロエの決断とともに、敵地への侵攻が始まる。

背後には補給基地が立ち上げられ、空からの空軍機が数機渡来する。

敵地に乗り込み真相を掴まなければ。

谷間ぎりぎりに部下を等間隔で配置し、飛距離があり口径の広いグレネートランチャーで一斉に簡易梯子を放った。

一方、ターチレットの詰めるレンガ造りの3階建ての屋敷の周りには、例のサイボーグゾンビが何体もうろついていた。

門前と玄関前には警備兵が二人立ちふさがっている。

そして、建物の中の一部屋。執務室件管制室には囚われたターチレットの姿があった。

簡易なパイプ椅子に座り、椅子の背に腕を回され手錠が架せられ、足も同じように鎖で束縛されている。

ゆうに二メートルは超える長身と、浅黒い肌に大きな耳、金色の目は典型的なトゥーケ人の姿だ。黒く縮れた髪は後ろで束ねてある。

「もうやめろっ!!話が違うぞ!こんなことしては国家間の戦争になるっ!!」

大きい体を左右に揺らしながら、ターチレットは叫んだ。

壁には沢山のモニターそして制御装置を操作するスイッチ類が所狭しと並んでおり、それらに関する資料棚も備え付けてあった。

 一番奥のモニターに、ハムスターが張り付いて悔しげにボタンを連打している。

「また、あの気取ったドルシェだ。白と金の小さいヤツ。以前バースキムでドルシェを助けた部隊の一人だと聞いたことがある。剣を二つも振り回し大暴れして、大事な実験台をめちゃくちゃにして!許せない」

その後ろには小太りの大男が鼻の下を人差し指で擦りながら怒れるハムスターを宥めた。

「まぁー、落ち着けや、ちっこいの。お前さんのかわいい不死人サイボーグはよくやったほうだよ。あのドルシェ相手に。それに今回は珍しい獣人まで暴れてるじゃないの?トルケッテアの花名物、人間の盾の出番だ。」

「ちっ」

折角、不死身に改造し、戦に不必要な感情を排除し、戦闘能力を最大限まで引き上げた不死人サイボーグの軍隊は、最後は結局生きている人の手を借りねば幕引きが出来ないとは。あの、ドルシェアーツのせいで。レイラは物心ついた頃から、何事にも勝てないドルシェの才能に雪辱の思いに歯ぎしりした。

これだったらバースキム公国の機械兵たちのほうがどんなに御しやすかったか。またこれも、ドルシェ博士による制限で稼働率は三十%にも満たない状態だった。

悔し紛れにボタンを殴りつけても自身の手が痛みに痺れるだけで、忌々しいあの男への積年の恨みは晴れるどころか募るばかりだった。


『いいか。人間の盾を組むトルッケテアの花には手を出すな。攻撃されようと何を言われようとな』

内部通信器で告げられた師団長の言葉に団員達は驚いた。国内ならまだしも、戦場で我先に敵を打ち負かしてきた団長の言葉とは思えなかったのだ。

『しかしながら、ソンビ兵は排除してよし』

どっちにしろ死体なんだからな。と、クロエは心の内で思った。

対岸に渡ると、腕を組んだ非武装の人々が声を揃えて訴えていた。

あらゆる年齢層に、男も女もいる。人種もさまざまでまるで国際会議上のようにこの世界中の人々が集まってきたかのようにバラエティ豊かだ。そして、みんながみんな口を揃えて王国への恨み言を吐き出している。

まるで周辺諸国に悪行を繰り返してきたモナルキアが世界中を敵に回しているような様相だ。まぁ、強ち間違っているとは言い難い。

「父を返せ」「母を返せ」「家族を返せ」「その罪を血で贖え」「死を以て誠意を見せろ」「奪ったものを全て返せ」などなど。

被害者の会から発足した団体だけあって、こちらの良心を突き傷口を抉るやり方が上手い。この中に本物の被害者がどれだけいるのかは見当はつかないが。

これまでの経験上、揺さぶりをかけて後ろから刺されるなんてざらにあった。

不意に横からボレロを引っ張られた。見上げると耳を垂れて、所在なく視線を彷徨わせるウィリアムの姿があった。

「ど、どうしよう」

明らかに動揺している。どう見ても戦闘員に見えない言葉で訴え続けている彼らに成すすべもなく困り果てている様子だ。まあ、確かに拳や剣で話し合える相手ではない。こんな時に不謹慎だが、いつもは大人びて見える彼が年相応で可愛く見えた。

 仮面の下でにやけながらクロエは彼の胸を拳で突いた。

「まぁ。大人しく見ていろ。」

少々骨は折れるが、久しぶりに試すとしよう。

クロエは一息ついて、立ちはだかる被害者たちと話し合いを始めた。

朗々と響く機械音の交じる演説は、相手の心を揺さぶるのに十分な内容だった。徐々に喧騒は止み静寂が辺りを支配し始め話が終わる頃には誰もが静かに聞き入っていた。

暴れ続けるゾンビ兵士は部下たちが退治するなか戸惑う被害者たちの姿があった。

誰もが抗議する声を上げるのをやめ、ひそひそと小声で話合ている。人相の悪い何人かは顔色を悪くして、視線を交わす。

オパールホワイトの美しいドルシェアーツは、電子ボイスながら朗々とした響きで言い放つ。

「我が国の歴代王属が諸外国にしてきた仕打ち。謝罪や金銭でもはや解決できないのは誰もが分かっているはずだ。だからと言ってその血族、戦に関わった戦犯を処刑したところで死人が生き返るわけではない。血を血で洗う戦が生む、恨みや憎しみの連鎖はこれから先何世代にも渡って国を介して続くであろう。それによって苦しむのは各諸国の民であり、未来の子供たちだ。私は、一兵士ながらそうなることを望んでいない。お互いの国に足りないものを補い合う関係に、手を取り合い困っときには助け合う関係を築いていける未来に向けて、同じ思いの道志たちに微力ながら協力し、努力している」

いつの間にか固く組まれていた陣形もほどけ、動揺の波が広がった。ドルシェアーツは王国の兵器で、国命に忠実な機械じゃなかったのか?享楽と侵略に明け暮れる者だけを優先して守り、領土を侵す者には容赦ないと噂の恐怖の対象が今目の前で、自分たちと変わらない一人の人間として立っているのだと実感した瞬間だった。

群衆の中から団長に向けて何かが投げつけられた。

それは複数で、右胸や肩に当たると崩れて液体が体を汚す。粘り気があり透明なものと鮮やかな黄色の混ざったもの、卵だった。

古典的な。

そう思い、クロエは仮面の下で苦笑した。

「綺麗事を言うな!!!そんなもの実現するわけがねぇっ。」

「詫びるんだったら、その鎧を脱いで死んで詫びろっ。お前ら存在そのものが悪なんだよ!」

そして、次にはクロスボウの矢が三本脇腹に立て続けに刺さった。インカムで団員達の息を呑む音と、一斉に向きをこちらに変える部隊の姿が目の端に写った。

『構うな』

 団長はゆっくり右手を上げて部下たちを牽制すると話を続けた。

「言ったはずだ。そんなものでお前たちの気持ちは満たされないと。私が死のうが、軍が壊滅しようと、国が滅びたとしても、それに関係した人々が子々孫々に語り継ぎ呪いの言葉を紡ぐ限り、命や金で解決できないことだということを。それがお前たちの本当に望みなのか?!誰に脅かされることなく、食べることに困らない。小さな喜びも苦しみも分かち合える家族と幸せに暮らすのが本当の望みではないのか?!」

静寂の後、地面に崩れるように座り込み号泣する者、啜り泣く者が現れた。

 クロエは荒げた声を落とし、やるせなさそうに呟いた。

「わたしもそれを望んでいる」

その一言にたかが外れたように男も女も年齢に関係なく哀悼の波が被害者の会全体に広がる。その中で数人目配せし、その場から離れようとした者たちがいた。

『今、逃げ出そうとするものは殺さず捕らえよ。』インカムでクロエは命令を下した。動揺する被害者たちに紛れて、不審な動きをする者たちを団員達は見分け速やかに捕獲する。

「わたしは、その望みに生命を賭けると誓う。だが、機は熟してない。申し訳ないが、もうしばし辛抱されよ」

団長の言葉に、神妙に頷いたり涙を拭い顔を反らしたり、反応は様々だったが敵意を抱くものはもういなかった。


 クラウオブナ神国歴代の教授の中で、稀代の秀才と謳われた種族の中でも美人の類に入るレイカの退路は、血染めの妖刀により絶たれている。目の前には金縁の壮麗なドルシェアーツ、両脇には鋭い剣、背にあるのはモニターだ。

 血痕や泥、オイルで汚れているが細く鋭い赤い瞳が逃すまいと彼女を見つめていた。

「おや、城内軍事施設にお勤めのレイカ博士ではないですか。確か、内勤でしたよね。しかも、今は勤務中で外出届けも出ていない」

「ドルシェの犬。こんなところまでお迎えご苦労様。実はそこにいる『トルッケテアの花』の代表ガルマが優秀な私を誘拐したのよ。被害者の気持ちを訴えるためと泣きつかれ、水源を独り占めするモナルキア王国に報復を企むターチレット代表と手を組んで、私に無理やりサイボークを作らせて攻撃させたの」

 俯き加減で、涙を目尻に溜めながらレイカは連行される後ろのガルマに聞こえないくらいの声で言った。

 返ってきたのは冷ややかな声だ。

「ほう、ガルマとターチレットがね」

 突然右側の刃が抜かれ、鋭い鋼の切っ先がレイカの顎の下へと突きつけられた。全く信じていないのが全身から感じられる。

 椅子に後ろ手を縛られ拘束されていたターチレットが開放される姿を横目で見ながら、刃物の切っ先を豊かな毛並みに覆われた喉元に押し付けた。

「では何故、ターチレット殿が縛られているんだ?」

 冷たい機械の音声からはなんの感情も読み取れない。乾いた喉を鳴らし、緊張のため口内に溜まった唾を飲み込むとレイカは飄々と言ってのけた。

「ガルマとターチレットは作戦の途中で仲間割れしたのよ。あんた達を殺す殺さないで」

 さっさと始末してくれればよかったのに、ドルシェアーツ部隊が生きながらえてここまで来た上にこの無礼は許せない。

内心穏やかでないレイカの気持ちを知ってか知らずか、血と肉と生ゴミのような匂いの漂うこのアーツは微動だにしなかった。

 まるで、三文芝居を見ているかのような興味のない声色が返ってくる。

「へぇ、仲間割れ」

「ターチレットは国際問題に発展するから脅すだけでいいって言ったのに。ガルマは少人数で調査に来ただけで装備も緩い今なら、国境警備隊最前師団の中でも厄介な東部最前師団の団長のあんたを殺って、少しでもモナルキアの戦力を削ぐことにしたのよ。あんたも大変よね下手に強いから各国から首を狙われて」

全く哀れんでもいない口調でレイカは言った。レイカは目を眇め命を取り損ねた団長を舐めるように見つめる。

薄汚れていると思ったら、左半身は崩た卵塗れで左の脇腹あたりには矢が三本も刺さっている。出血が少ないのは矢が挿しっぱなしだからなのだろう。その矢を抜いてコイツが痛みで藻掻き苦しみ、出血で命を奪われるのを見たくてレイカの手が疼く。

「良からぬことを考えているようだな。」

レイカの心を読んだかのように、冷たい仮面の赤い瞳が鋭い光を放った。睨み合う二人の間に、拘束を解かれたターチレットが背後から割り込んできた。彼は腕を伸ばしレイカを掴もうとしたところ、やんわりと手首を掴み抑えられた。

ターチレットは我に返り顔を上げると白い能面のような師団長の顔が目に映る。

一気に彼の顔が青ざめた。

「東部最前線師団長!!こ、これはっ、この事態はっ」

事の発端を説明しようとしたが、ターチレットは焦りと乾いた喉に舌が張り付き上手く言葉を紡げない。

 悔しげに顔を歪めると怒りの籠もった鋭い眼光をレイカに再び向けた。

「このねずみがっ!このネズミがあぁあぁぁあああっ!!!オレの部下を、兵士達を返せぇ!!」

あまりにもの剣幕に、さすがのレイカも怯えた顔をしてクロエにしがみついて来た。掴みどころのないドルシェアーツの首元を飾るボレロに間抜けな姿でぶら下がる。

 それを逃すまいと、クロエは空いた手でレイカを捕まえた。

「落ち着いてください。ターチレット殿。」

 そう言って掴んだレイカを一瞥すると首を横に振り、申し訳無さそうに告げた。

「トゥーケ軍の兵士は全員機械化されこのねずみに操られる傀儡となってました。打ち据えても何度も挑みかかってきたところを推察すると、機械化のさい既に命は尽きていたものと思われます。」

「くっ…」

がくりと床に膝を付くとターチレットはうちひがれた。顔を覆う緩やかにカーブを描く黒髪が揺れ、彼の金色の瞳を隠す。獣の皮と毛で作られた民族衣装の上からでも筋肉質で浅黒い大きな体が今では小さく見える。

その姿は泣いているのか怒りからなのか打ち震えていた。

なんとも言えない空気が漂う中、複数の足音と共にフロアへと繋がるドアが開け放たれた。

皆の注目を浴びる中、桜色のドルシェアーツを装着したウィリアムと新たな団員達が入って来た。各々手には大きなBoxを持っている。

 ウィリアムはクロエに駆け寄り心配そうに彼女の体を頭の先から爪先まで確認する。

「衛生兵を連れて来たよ。あ、この人も診てもらったほうがいいよね」

視線をターチレットへ向けウィリアムは立とうとした彼を手伝いながら、連れてきた兵士達の仕事を眺めている。

衛生兵たちは部屋の三分の一を占める白いテントを手早く張り巡らせ、奥に送風機を二台備え付けると稼働させた。テントの入り口に向けて空気が吐き出され、部屋の中心に置かれた機械のスイッチを入れテント内を無菌状態に整える。

数人の兵士が、ウィリアムとターチレットを白いテントから追い出し、師団長から手当をすることを伝えた。

捉えたレイカは拘束されたままモナルキア王国へ監視付きで輸送されることになった。

無菌室に整えられたテントを出ると兵士達が行き交うフロアで、壁に寄り掛かりウィリアムが所在なさげにクロエを待つ姿があった。

 入れ替わりにターチレットが会釈をして臨時医療テントへ入っていく。

「師団長!体の具合は?」

普段名前で呼び合っているので役職名で呼ばれると胸のあたりにもやもやとした違和感を感じる。

 痛む脇腹に手を添えて、クロエはマスクの下で微笑んだ。

「あぁ、掠り傷だ。アーツに穴が空いてしまったが研究所に戻らなければ治せないから暫くはこのままだな。アーツが綺麗になっただけでも良しとしよう」

 脇腹に当てた彼女の手に手を添えて、屈んでクロエに視線を合わせるとウィリアムは強い口調で言った。

「じゃあ。今すぐに王国へ帰ろう。もう戦争は終わったからいいよね」

間近で見た矢の刺さり具合から「掠り傷」だという団長の話はとても信じられなかった。 クロエはウィリアムの手を払うと

「いや。まだやることがある。傷は治療したんだ。このままトゥーケの動向を探る」

聞こえたのは拒絶の言葉だった。

 ウィリアムの顔は青ざめた。とても正気の沙汰とは思えない。

「何言ってるの?!傷が化膿して破傷風になったらどうするの?」

「は?はしょうふう?なんだ、それは」

この世界には軍事に特化した技術は発達していたが、それを医療技術に活かすことはなかった。体の内部を検査する装置や病気や怪我に対する医薬品や施術は遅れていた。

 ウィリアムは歯ぎしりして手振り身振りで説明した。

「傷口が膿んでそこに細菌が入り体内で繁殖して、病気になるんだ。熱が出たり傷口がひどく痛みそのうち感覚がなくなり、最悪、傷の周りごと切り落とさないといけなくなるんだ」

「あぁ。怪我をした者がよくかかる症状だな。幸いこれまでわたしの傷はひどくなることはなかったが、可能性は十分にある」

「よくかかる症状って。下手したら死ぬんだよ」

 言い募るウィリアムを振り切り、次の行動に移ろうとしているクロエに重ねて言った。

「帰るつもりがないんだったらせめてお医者さんも連れて行って!もちろんオレもいくけどね!」

「ちっ。傷口が悪化して死ぬのはよくあることだ。王都にいるより国境の戦地にいることが多いんだ。死はいつも側にある」

 どんな冷たい言葉を吐いてもウィリアムは引き下がらない。

「それでも、命を軽く扱わないで。約束したよね、もう敵を殺さないって。それはクロエの命のことも含んでいるんだよ」

 言い合いながら歩く二人を兵士達は驚いた顔で珍しそうに見ている。クロエは足を止め疲れたようなため息を長く付く。

「はぁーーーーーーー。わかった。わかったから」

明らかに面倒くさそうだ。

ターチレットとガルマを事情聴取し、ガルマは拘束され王国へ連行され、裁判で裁かれることとなった。ターチレットはトゥーケ連邦共和国の南東部統治に戻り、共同声明を結んでいる各地域の代表たちに事の詳細を報告しなければならない。そして、クロエとウィリアムは軍医のサナリと共に率いていた軍を離れトゥーケの中枢部へ向けて旅立った。

 こうして、この後クロエ配下の国境警備隊東部最前線師団は殺さずの部隊として名を馳せることとなる。東部最前線師団により囚われた敵兵は大半が捕虜となりながらも、手厚い待遇と温情を受け国に返されることが多く、少数だが団員として迎える兵士もいた。

それにいい顔をする上層部は少なくなく、問題視され審問委員会を開く訴えもあったが、国王の近衛兵を指導する父を持ち、文官で宰相の補佐を務め神官の資格のある兄、双子の王子の幼馴染というクロエの強力な後ろ盾には叶わず、快く思わない者は多かれど声を大にして異を唱えるものは誰もいなかった。


新たな誓いの先にあるものは?

希望か絶望か


えーと、ちびっ子クロエ・ディアボロが出てくるとどうしても軍人なので血なまぐさい話になりますが温かく見守ってあげてくださいw

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