Starting(始動)③
窓から差し込む光に顔をしかめ、何度か瞬きを繰り返した。
意識がぼんやりしてはっきりしない。体が鉛のように重く指一本動かすのも億劫だ。
どうしてしまったんだ。僕の体は。
閉じかけた瞼を無理矢理開き、薄っすら開いた隙間から視界に映るものを認識する。
中央が尖った布張りの天井、色鮮やかな幾つもの天幕が頂点から部屋の端まで伸びており真っ白い部屋を華やかに飾っていた。
気取らない素朴な植物のデザインが多く、花柄模様が多いのはここが女性の部屋だということを伺わせる。置いてある家具や調度品は蝶をモチーフにしたものが多く、黒地に虹色に輝く翅をしたものだった。
天蓋付きのセミダブルのベッド。スプレットと色違いの柄のクッションが三つ、頭の下に1つと横に2つ並んでいる。柔らかいっクッションの上で頭を巡らせ、何とか起き上がろうと肘に力を入れたが上手く力が入らない。
感覚の鈍ってしまった手足はまるで自分のものでないようだ。
風之間 志郎は小さく呻いた。
その時ベッドを囲んでいた天幕が揺れ、人影が現れた。
クセのある黒髪、白い肌を際立たせる碧眼。女の子と見まごうような美貌。
クラウオブナ神国で出会った派遣隊の兵士、ポルタ・キグナスだった。
光の眩しさに細めていた志郎の大きな瞳が見開かれる。
何故、彼がここに?西部師団長はいったいどこへ?
一瞬救助隊により保護されたのかと勘違いした志郎は反射的に体を起こした、が、また布団に沈み込む。
「団長は?!あの人もひどい怪我をしていたはず、団長はどこなんですか?!」
自分が寝ている同じようなベッドがないか辺りを見回すが、とてもここは病室に見えなかった。
呆れたように瞬きを繰り返し、キグナスはため息混じりに言った。
「落ち着けって。団長は無事。ピンピンしてる。…ところでどう?体の調子は?」
志郎の傍らで膝を付き視線を合わせると甘いメゾソプラノの声が部屋に響く。彼の揺れる瞳は顕著に志郎を心から心配しているのが見て取れた。
安心させるように志郎は微笑んでみせたが、それは弱々しいものだった。
「体が思うように動かせません。ここはいったいどこですか?僕たちは助かった?」
「まぁ、助かったぁちゃあ、助かったかな」
曖昧な返事でキグナスは言葉を濁す。
納得できない様子で首を傾げる志郎を見て言葉を続けた。
「なんとか次元の海を越えて大陸に着いたけど、小型飛空艇は不時着時に故障して捨てざる得なくって。気を失ったあんたを担いで歩いていた所、このテントの持ち主に拾われたというわけ。救助隊には会えていない。ここはバースキム公国とプルレタン独立商業区の国境に沿うバースキム側のグレーゾーンで、因みに君が気にかけている西部国境師団団長は僕ね?」
「え?!」
驚く志郎の顔を予測していたのか、キグナスは苦笑いを浮かべて意外と人懐っこい笑顔を見せた。
「本当は機密事項なんだけど、死線を掻い潜った仲だ。特別に教えてあげる。国境警備団西部師団長、王属出身ポルタ・キグナス。言っとくけど王城やドルシェアーツ着用時は西部師団長と呼ぶこと。素の時はポルタでいいよ、僕も志郎って呼ぶし」
初対面での取っ付きにくさはどこへ行ったのやら、まだあどけなさを残す少年のような顔で言った。
志郎は硬い表情のまま思わず目を逸らした。自分の事をなんて紹介していいのか戸惑っていたのだ。特に肩書もなく格好いい通り名などあるわけでもない、散々迷いあぐねたあげ く思い切って口を開いた。
「僕は風之間 志郎。藤沢学園桜ヶ丘中等部2年になっていたはずです。こっちに着いた時は1年の冬だったから。僕の暮らしていた星では仕事以外で特に階級制度はなく、僕の国では多少格差はあるけど大半は皆同じで、等しく教育を受けらて、例えるならここで言う平民かな」
「へえ、皆平等に教育が受けられるっていいね。モルナキアは血筋が物言う階級制だから絶対的な線引きがある。教育、職業、待遇などあらゆる権利は特権階級にしか与えられず労働階級といわれる大半の人々は学ぶ機会もなければ、職も選べない。生まれながら農民は農民。商人は商人だ。階級を越えての婚姻は禁止されているしね」
感心したように呟いた後、キグナスは皮肉げに口元を歪めて自国の制度を語る。
ごくりと喉を鳴らし、志郎はシーツの端を握りしめた。
「王属と言えばモナルキアの最高位。それほど身分の高いあなたがどうして軍の末端国境警備隊の師団長に?」
その質問にニヤリと笑みを浮かべキグナスは答える。
「王属と言っても直系ではない、王の7人いる兄弟の内の一人が僕の父だ。因みにこの仕事は自分から志願して就いた。なんせ階級の関係ない実力主義、師団長の座を射止めるのに苦労したよ」
「そ、そうなんですか」
答えになっているようでなっていない返事。納得出来ないまま話題を変えられた。
「まだ、起き上がるのも辛そうだね」
「はい。僕はどれくらい気を失っていたんでしょうか?」
舐めるようにキグナスは志郎の全身を眺めて、顎に拳を添えると思案するように言った。
「2週間ほど眠っていた。体力を戻すのにリハビリも必要だね」
「そんなに!?」
小型飛空艇での死闘がつい数分前のような感覚だった志郎にとって、それは衝撃の告白だった。がっくりと肩の力を落とし、脱力してベッドに再び横たわる。
腕を額に乗せ天井を見上げて目を細めた。この星に来てかなりの日数が過ぎており、クラウオブナ神国の頃の意気込みはかなり萎んでいた。手がかりを掴むために無茶なお願いしたらかえって遠回りしてしまった。故郷での記憶が時間とともに遠くなり、非現実なこの状態が普通に取り変わる。思ったより楽観視していた帰還に自分が情けなくなった。
この世界に投げ出されて独り、孤独に押しつぶされそうになる。
不意に頭をふんわりと撫でられた。キグナスが労るような視線を向けてくる。
「お腹が空いたろ?人呼んで処置してもらったらご飯にしような」
猫っ毛の志郎の髪を一通り撫で回した後、柔らかで暖かな手を頭から離した。
そこで志郎は自分の体の違和感に初めて気付いた。お腹に管が突き刺さり、お尻にも…みるみる顔を赤らめた志郎は思わずぼやいた。
「嘘でしょ」
始めは起き上がるのも大変だったが、日が立つに連れ目に見えて志郎は元気を取り戻していった。地道なストレッチから歩行訓練、筋肉トレーニングや走り込み、数週間後にはキグナスの指導により銃火器を手にして狙撃の練習までさせられていた。
最初は武器を持つのを嫌がりずっと断り続けていた志郎だったが、キグナスの一言でそれを手にとることを決意することになる。
荒野で二人肩を並べ夕日を眺めながら今後のことを話し合っていた。
「シロウ。あんたが住んでた世界と違ってここは厳しい。普通に命のやり取りがどこにでもあるところだ。僕も片手間で君を守って戦い続けるほど強くはない。人を殺せとは言わない。ただ…自分の身は自分で守るんだ。自分のためだけでなく周りにいる人達のために」
キグナスの言わんとしていることに気付き志郎は息を呑んだ。確かに彼の言っていることは正しい。ただ守られているだけではいつか自分のために犠牲者が出る可能性があることを遠回しに教えているのだ。
頭を振ると夕日を見つめたまま返事を待つキグナスの横顔がすぐそこにあった。
少しクセのある漆黒の髪を風に遊ばせ、碧い瞳は夕日を受けて朱く輝いている。志郎より小柄でまるで少女のような可愛い顔をしているが、今は年相応以上の貫禄と幾つもの戦場を駆け抜けてきた戦士としての精悍さが表情に滲み出ていた。
志郎の視線に気付きキグナスは視線を合わすと物問たげにまばたきを繰り返す。
大袈裟に溜息を付き、わざとらしく大きな声で志郎は応えた。
「あぁ、わかりました!やります。本当は物凄く気が進まないけど、あなたと一緒に行動して嫌というほど自分が無力だというのを知りました。それに沢山ご迷惑おかけしたし、モナルキア王国で故郷に帰る手立てを得るまできっとお世話になるだろうし。自分の身ぐらい守れるくらい戦えるようになります!」
目を瞑り半場やけくそ気味に宣言すると、キグナスの手が伸び志郎の頭をくしゃくしゃに撫でた。驚いて目を開けると満面の笑みが飛び込む。
「よく言った」
それから、幾度となく時間の許す限り訓練を重ね、キグナスの見立てが正しかったのを証明するかのように銃火器を扱う腕前を上げていった。
明くる日、点在するテントを縫うように1台のバイクが現れた。
銀色のバイクに運転手は黒いケープを頭から被っている。サンバイザー付きのゴーグルで顔の半分は見えない。
バイクはストレッチをしていた志郎と木の的にナイフを投げていたキグナスの目の前で停車した。
踵でスタンドを下げて二人の前に歩み出る。
「客人よ」
そう言って差し伸べられた掌にキラキラ日に照らされて輝く銀毛の子ネズミが灰色の小さな瞳を輝かせながら二本足で立っていた。赤い蝶ネクタイが可愛らしい。
志郎の顔を見た子ネズミは堰を切ったように涙を流すと、掌から飛び出した。
「シロウ殿~~~~~!!!!生きておられましたかぁあああっ」
突然自分の胸にダイブしてきたネズミを慌てて捕まえる志郎を横目に、キグナスが呟く。
「死んでいてたまるか。誰が命がけで守ってやったと思っているんだ」
正直、クラウオブナ神国の客人をこっちの任務に巻き込んで死亡しましたなんて洒落にならない話だ。いくら本人が望んで同行したとしても国際問題になりかねない。
しかし、今度はネズミまで来た。
うんざり顔でキグナスは責めるような眼差しをゴーグルの人物に向ける。肩をすくめて頭のフードを取ると燃えるような赤い巻き毛が顔の周りに広がった。
マントの下から覗く豊満な胸、細い腰の括れ、ショートパンツから覗く白く長い華奢な足、そしてゴーグルの下で大きく円を描く赤い唇は見間違いなく女のものだ。
彼女は色っぽく唇を尖らせ、悩ましげに眉根を寄せると甘えるような声で言う。
「だって、また拾っちゃったんだもん。アンタ達と同じように」
「~~~。その演技も癇に障るんですよ」
苛立った様子で言い捨てるとキグナスはそのまま黙ってしまった。女は腰をくねらせながら天幕の中に姿を隠す。
風之間とキグナスを助けたのは、地方巡業中の雑技団で働く歌姫だった。
飾り立てた燃えるような赤い髪、真っ赤な唇に素顔がわからないくらいの厚塗りの化粧。印象深い赤紫色の瞳。彼女は派手で露出度の高いセクシーな衣装を着て舞台の上に立つ。
彼女の歌声は高音域5オクターブ~6オクターブの幅広い声色で、軽やかに天にも届く天使の声も人々を惑わせ甘言を繰り返し、堕落を誘う悪魔のような声も自在にあやつり歌うのは神を称える賛美歌、聖歌、放牧的な地方民謡などだ。
人々は彼女の派手で魅惑的な容姿と似つかわしくない、美声に聞き惚れ、癒され、慰められる。心の奥底の琴線に触れるその声は確実にファンを増やし続け、今では雑技団の目玉の一つとなっていた。
志郎の快気祝いにと歌姫に誘われ一度雑技団のステージを見に行ったが、圧巻の一言だ。
珍しい武具を使った剣技、布と光を利用した軽業は華麗で、世界中から集めた楽器が奏でる生演奏は心を浮き立たせる。そんな多彩なショーを締めるのは歌姫だった。
派手な衣装と髪の色は然ることながら、彼女の舞台は幻想的で演出に凝っており、歌声は公演が終わった後も心の中に強烈な余韻を残した。
素朴な野花ラインのテントの中から微かに歌声が漏れる。
銃火器の手入れをする志郎の横で、キグナスの視線は彼女のテントに釘付けだ。
厚化粧と派手な髪で誤魔化しても隠しきれない風格、聞き覚えのある独特な歌声、一度見たら誰もが忘れられない赤紫色の瞳。
彼女は間違いなく深窓の歌姫と噂されたマティラウナ王女その人だった。
ラブドゥールとカルバディの姉で、双子の兄弟の従兄弟にあたるキグナスは彼女が行方不明になるまで何度も会って会話も交わしている。獣に喰い殺され、盛大な葬儀で見送り、毎年慰霊祭により霊を慰められている彼女が貧乏雑技団で元気に歌を披露して居たとは。
ちらりと今度は地べたに座り込む志郎と彼の肩の上でペラペラ喋るネズミ、クラウオブナ神国女王の側近マーロッジ宰相をジト目で見る。
わいわいとくだらない話で盛り上がり声を立てて笑う二人から視線を逸らし空中を睨んだ。
あぁ、面倒だし厄介だ。
何事にも無関心で淡々と仕事をこなすのがキグナスの常なのに、これからこなす業務の事を思うと胃が痛んだ。
無事少年とネズミをモナルキア王国に入国させ、王女は…もちろん連れ帰らなければならないのだろう。
大きな溜め息が口から漏れ、その意味を知るものはここには誰もいなかった。
南部国境師団の裏切りの真相
それは歴史をゆるがす引き金にすぎなかった