Starting(始動)②
ドルシェアーツの凡用プロトタイプが並ぶ隙間から、手の平サイズのハムスターが出たり入ったり、アーツの足元から頭の上まで駆け回っていた。
何かを感じたらしく振り返るが、そこには天井のコンベアに吊るされた何百体ものドルシェアーツが並んでいるだけで何も居ない。
鼻をひくひくさせていたが、やがてまた走り回り始めた。
よく見るとそのハムスターは黒縁の丸メガネを掛けていて白衣を羽織っている。毛色は白で頭から背中にかけて銀色の短毛種だ。
アーツの間と体より大きなバインダーに挟まれた紙片になにやら書き込むという作業を繰り返し行なっている。
ドアが大きく開き、一人の人間が入ってきた。
「やはりここにおられましたか。探しましたよ」
渋々筆を置き探しに来た者の元へと走り寄る。
「東部国境師団団長が注文のアーツを引き取りに伺っています。直接説明を受けたいと」
「あの小娘か。仕方ないの」
平軍人の軍服を着た中年男性の差し出された手を駆け上り肩へと辿り着いた。
「検品などその為に雇われた労働者にやらせればいいのです。指示をされていた設計図も出来上がっているそうです。検図の依頼も来ていましたよ」
「ふん!自分で制作した新型の量産アーツの仕上がりを自分で確かめて何が悪い。納品や検図なぞ待たせときゃよかったんじゃ」
困ったように眉根を寄せて兵士は苦笑いする。
「そう言わないで下さい」
そんな会話を交わしながら工場から研究塔へと場所を移動する。
幾つかの回廊を縫うように進み、研究室と回廊の間にあるラウンジの自動ドアを開いた。
ガラス製のローテーブルに灰色のソファセットに腰掛けていた人々が立ち上がる。
誰もが兵士とその肩に捕まるネズミに注目した。彼らを待っていたのだ。
一人は白地に金縁の高貴な雰囲気を纏ったドルシェアーツ。一人はすらりと背の高い女と見間違えそうな美青年だ。長髪でいくら見目麗しくても骨格は男そのものだった。
兵士はさっと敬礼する。
「師団長殿。ドルシェ博士をお連れしました。」
「うむ。ご苦労。持ち場に戻って仕事を続けてくれ」
耳障りな電子音が部屋に響く。兵士の肩に乗っていたネズミはさっさと駆け下り、ドルシェアーツの方へ真っ直ぐ走り出す。白いドルシェアーツは膝を床に付き体を屈めると手を床の上に伸ばした。躊躇うことなくその掌にネズミは乗ると、バランスを崩すこと無く立ち上がる。ゆっくり目の高さまで引き上げられマスク越しに目を合わせられる。
「では、自分は戻ります」
そう言って任務を終え立ち去る兵士を見送り、二人の視線は青年に移った。
好奇心いっぱいに目を輝かせる博士の金色の瞳とドルシェアーツの無機質な鋭い真紅の瞳
に見つめられ、青年は居心地悪そうに佇まいを直す。
東部師団長は鷹揚に非礼を詫た。
「忙しい所に悪かったね。研究員からそろそろ出来上がる頃だと聞いたものだから、一足早く試着をさせたくて押しかけてしまったよ」
「相変わらず気が短い。急な話だし次の遠征まで日がないから優先して仕事を進めておいた。ほぼ完成しておるから、微調整が終わればすぐ使えるぞ」
ネズミは容姿とは裏腹に渋いおじさんの声色だ。
青年は何か言いたげにもじもじしていたが意を決っして顔を上げた。
「あのっ、すみません。忙しいのに無理なお願いをしてしまって」
「構わんよ。東部国境師団長から直々の頼みだ。滅多に我儘や無茶を言わないお人の珍しい依頼はなかなかないからの。久々に腕をふるって作った傑作品じゃ。こっちに来るがよい」
師団長の掌で意気揚々と語るネズミはその先にある自動ドアを指差し、二人を中へ促した。この扉も厳重に施錠してありセキュリティ解除しなければ開かない代物だ。
壁に埋め込まれていたパネルを開くと小さなネズミの手と金色の瞳を認識し、自動ドアは何の抵抗もなく開いた。
二人と一匹は扉の向こう側へと入っていく。
思えば博士がここで技術を振るうようになり数年目、国境師団がドルシェアーツを取り入れ始め今では全団員へと行き渡っている。
国境を守るための隊の素性は秘密裏にされたのは部隊立ち上げの頃からの決まりであり、皇太子殿下勅命の法令だった。
ドルシェアーツがまだない頃は、昔ながらの鉱物で設えた甲冑と支給された黒いスカーフで頭と顔を隠したスタイルで素性を隠し任務していた。
国境師団はモナルキア国皇太子により発足した、身分に関係なく選抜された先鋭部隊でその名の通り他国他民族の侵入を瀬戸際で防ぎ、更には侵攻の要としてその働きは大きい。当初は実在するかどうか怪しまれていた部隊だったが、王家お達しの徴兵令やまことしやかに広まる各地方の彼らの活躍はその存在を次第に知らしめていくことになる。
そして、彼らがどの部隊にも負けない暗殺部隊とう恐ろしい異名で噂され始めた頃、バースキム公国では内乱が勃発した。
所々で黒煙と火の手が上がるビルから飛び出したドルシェは、息を弾ませながら瓦礫の合間を走り抜ける。返り血と自身の血で薄汚れた白衣を脱ぎ捨て、その辺りにいるネズミと変わらぬ姿で地面を覆う配管や配電盤などに身を隠しながらあの要塞からなるべく遠ざかりできれば国外へと逃げ延びようと企んでいた。だが、体のあちこちが痛みに軋み、背中からとめどなく血が流れ黒い地面にてらてらと血の跡を引くほどの怪我を負っている。
血の跡を辿られたらおしまいなのは分かっていたが、筋肉が引きつるたびに出血するのは止められなかった。
ここから一番近い国はプルレタン商業区。だが、できれば故郷のクラウオブナ神国へ亡命したい。しかし、バースキム公国とクラウオブナ神国の間には泳いで渡れない次元の海が広がっていた。とてもじゃないが乗り物なしでは故郷には帰れない。
バースキム公国ではやれることは全てした。他国へ被害は広がらないだろう。
故郷を憂い世話になった国に思いを馳せていたらうっかり何かに足を引っ掛けてしまった。
思いっきり前につんのめり勢い良く転び何メートルも転がった。
手足をがくがくさせながら何とか体を起こすが、あまりの痛さに気を失いそうになる。
黒い有害な霧が立ち込める前方から光の帯が幾つもこちらに向かって伸びた。
目を見開きその光の下を見ようと身を乗り出す。見る見るドルシェの表情が青褪めた。
頭から顔にかけた黒頭巾。甲冑に記された王家の紋章。男か女か、若いのか年老いているのか年齢不詳で正体不明の部隊は数十人にものぼる。
モナルキア王国の国境師団だった。
彼らは手に各々の武器を携え何かを探している様子だ。ドルシェは思わず身を隠そうとあたりを見回し不規則に立ち並ぶ一番間近な配電盤へと這い出した。
部隊の一人がネズミの存在に気付き他の仲間に知らせると光の帯がドルシェと集まる。
一斉に部隊が彼へ目掛けて集まり始めた。
モナルキア王国の過去の所業、国の体質を知っていたドルシェは戦慄する。
ここで捕まったら自分の知識を悪用されるのは分かりきっていた。使えないとわかれば躊躇いなく殺すだろう。
祖国を裏切るような真似をするぐらいだったら自害するか?
死を覚悟した時、頭の上から若い女の声が降ってきた。
「ドルシェ博士ですね。お迎えに上がりました」
「は?」
至極丁寧な挨拶に間の抜けた返事をしてしまった。てっきり銃口か剣先を突きつけられて鷲掴みにされる覚悟でいたからだ。
黒装束で身を包んだ小柄な女性は身をかがめ彼に視線を合わせると手を差し伸べた。
「クラウオブナ神国とバースキム公国トニム主任より救出要請が我が隊に来ています」
ドルシェの金色の瞳が一瞬潤んだ。
トニム主任。機械工学の第一人者でバースキムのオートメーション化に大いに貢献した優秀な技術者だ。惜しくもこの内乱で命を落としたが、他国に保護プログラムを送っていたとは。確か、モナルキアの第一皇太子と頻繁に交流していたのを今になって思い出した。
伸ばしかけた前足を、ドルシェは慌てて引っ込めた。
「わしは売国奴になるつもりはないぞっ!」
彼女の真鍮色の瞳がキラリと光り細められた。
「あなたは内密に保護することになっています。暫くはあなたの存在は知られることはない。信じても信じなくても構わないが、今は逃げることを考えて下さい。わたしも部下をこれ以上危険な場所に置いておきたくはない」
このまだうら若き女性は部隊を率いているというのか?困惑する彼を他所に差し迫ったように答えを急がす。
「さぁ、どうします?」
淡々と話してはいるがその声色には強い意志が感じられた。
彼女の言うとおりだ。要塞からここはそう遠くは離れてはいない。ぐずぐずしていると追手があっという間に来るだろう。
彼女の手に飛び乗り力強く応えた。
「わかった行こう」
「何れあなたはわたし達に協力するようになるだろうがな」
予言めいた言葉を残し、ねずみを懐に入れる。彼女の体温と心音が全身に感じられた。
そうして共に死線をかい潜りモナルキア王国へ亡命したのだった。
彼らは命がけでドルシェを守り国に帰還した。何人もの犠牲者を出しながらも。
今では彼女の予言通り、モナルキア国境師団専属の技術開発をしている。
何故なら、国のためだけではなく人の為命を張り戦い抜く師団の姿を目の当たりにし、師団の統括皇太子自ら頭を下げて頼まれたことに感銘を受けたからだ。
「敵であろうと味方であろうと血を流すのは好まない。死ぬなどもってのほかだ。我が隊を守る盾を作って欲しい。人を傷つける武器ではない。無事任務を終え家族の元へ帰れるよう身を守る防具を作ってもらいたい」
誰よりも返り血を浴び、彼の通った後には躯しか残らないと囁かれ、血に餓えた野獣と揶揄されている皇太子の口から出た本心だった。
国境師団の戦う姿勢と皇太子の言葉がドルシェを動かすきっかけとなった。
普段はドルシェアーツに身を包み、男っぽい素振りの彼女も今では年頃の綺麗な女性だ。
最凶の部隊と国内外で畏れられている団員達は、家族を思い、国を憂い、未来のために集まった老若男女の集まりで、隊の中では階級も隔たりもないそれぞれが只一人の人間だった。
自分の事より願うのは国の安泰と国民の幸せだ。
志の高さに驚くばかりで、モナルキア王国にはモナルキア至上主義者ばかりではないということを思い知らされる。
誂い半分で青年にドルシェアーツの装着の仕方を教えながら、師団長は低く抑え気味に笑っていた。こんなに愉しげな彼女は久しぶりに見る。
師団長は胸に手を当てると装備を解いた。乱れた栗色の髪が数本肩に掛かる。
いくらメンテナンス室は個室で窓もないとはいえ、こんな小僧に正体を明かしているとは驚きだ。真っ白いリネンのシャツに黒い軍支給の安物パンツ、ポケットやベルトが取り付けられたアーミーブーツは履きくたびれておりつま先が色あせ踵はすり減っている。
栗色の髪は編まれて項にお団子状態に纏めており、押さえつけられていたところを開放された反動でぼさぼさになっている。
珍しい真鍮色の瞳は細められた目の中できらきら輝き、新しい部下の世話を焼いている。
東部国境師団の結束の固さと団長の面倒見の良さは軍では有名だがこの青年とは随分親しげに見えた。
好奇心をくすぐられドルシェ博士は手にバインダーを持ったまま二人に駆け寄った。
「どうじゃ、着心地は?」
厚さ数ミリの薄いカードを胸に掲げ、ドルシェアーツを纏った青年はより一層逞しく、彼をイメージしてデザインされた可憐な野花を幾何学模様でアレンジした装飾を施された淡いパステルピンク色のアーツは、派手さはないが清楚さが際立つ美しいものだった。
姿見の前で体を動かしながら興奮した様子で青年は言う。
「あ、ありがとうございます。でも、これって女性ぽくありません?」
ちょっと高めの機械音声が部屋に響く。博士はにやにやしながら動きをチェックした。
「おまえさんらしいだろ?ん、少しじっとしていろ」
アーツの動きで彼が困り果てた様子なのは手に取るように分かる。大人しく言うことを聞いた青年の足元から這い登り太もものあたりにあるよく見ないとわからないくらいのパネルをタッチして開き、ボディの防護プレートを繋ぐ伸縮性のある素材の調整を行った。
青年が体を動かすたびに感じていた違和感が解け、肩の力が自然と抜ける。
ウィリアムは正直驚きを隠せないでいた。クロエ達が装着しているドルシェアーツは各種部隊別に色分けされており、階級が上がるほどそれに付随する装備も装飾も豪華になる。
師団長ともなると緻密な彫り物が施され、色彩も控えめながらも艶やかだ。
簡単にそこら辺の剣や銃弾を通さない頑丈な作りのアーツは意外なほど軽く機動性も普段着を着ている時と変わらないくらい優れている。
このドルシェアーツを開発、設計したネズミ、ドルシェ博士の手による微調整は体型に沿うようにぴったりに設えてもらえていた。
装着の仕方を教えていたクロエは徐に手を伸ばすとウィリアムの肩から肘にかけて五本の指先でゆっくり撫で下ろしていく。
「いいか。これは身を守る為の防具だ。貴重な鉱物を用い色んな人の手によって作られた。大切に扱え」
真っ直ぐ彼の目を真鍮色の瞳が見据える。ウィリアムのマスクの目はアーモンド型のパール色だ。
女性的なタマゴ型の輪郭、小さく上品な目と口、左側の顎から頬そしてこめかみにかけて草花の浮き彫りが施されている。そこからは彼の表情は読めない。
『バドラー研究員入室します』
室内放送が穏やかな空気を破りクロエは我に返り手を引いた。素早くカードを胸に掲げドルシェアーツを装着する。彼女のボレロが翻り静謐で冷酷さを含んだ仮面に素顔が隠れる。体も一回りも二回りも大きく男の体そのものなのに関わらず、長身のウィリアムの隣に並ぶとその逞しい体さえ華奢に見えた。
金属製の自動ドアが開きもう一匹ネズミが入り込む。黒い毛の長毛種で瞳の色は白い。体の何倍もの大きさのジェラルミンケースを軽々と片手で掲げこちらに向かってきた。
クロエの足元にケースを置くと胸を張って得意げに言った。
「ご注文のお品仕上がりました。お改め下さい」
ジェラルミンケースを開き中身を取り出しながらクロエはそっけなく返事をした。
「うむ。ご苦労」
彼女が手にしたものは鋭く光を放つ鈍色のハンドクローだった。黒い皮製のレザーグローブに滑らかな鉤爪が四本、鈍い銀色の光を放ちながら並んでいる。爪はけして細身でなく厚みがあり先細りする爪先まで緩やかなカーブを描いていた。鉤爪とはいえ、形状から引っ掛けるには頼りなげに見える。
ウィリアムに向き直ると、顎をしゃくった。
「手を出せ」
言われるがまま手を差し出した彼の腕に手を添えるとグローブを渡した。
緊張した面持ちでそれを受取り利き手に装着する。手の甲と手首にあるバンドを締め上げサイズ調節した。皮特有の匂いにほのかに金属の香りが入り交じった臭いがする。
やんわりと手に馴染む武器を眺めているとクロエが説明を始めた。
「勘違いしないうちに言っておくが、お前のそれは防具だ。武器ではない。分厚い爪には刃は無く常にその身を守るためにある。念を押すようだが、お前は民間人でわたしたちは軍人だ。人より優れた能力があったとしてもけして我々のように戦う必要はないことを常に心に留めていて欲しい。何があろうとも自分を守ることを優先し、時には逃げることも厭わなないことだ」
この言葉の意味をウィリアムが知るのはほんの数日後のことだった。
軍部第一会議室。
そこは石造りの城内の一角とは思えない総木造の部屋だった。コーヒー色の木材が壁にも天井にもはたまた一枚板作りの会議机にいたるまでふんだんに使われ、重厚で木材特有の芳しい香りの漂う落ち着いた雰囲気だ。タペストリー柄の彫り物が施されている椅子は深緑色のビロードが張られ、部屋を囲う壁には所狭しと肖像画が並んでいる。
そんな中、全ての椅子に老若男女が座り眉間に皺を寄せ、額を突き合わせていた。
その顔ぶれは政治の中心を担う臣属、国の象徴王属、攻防の要軍属の長たる面々だ。
その中の高価で複雑な刺繍を施したローブを纏った中年の男が立ち上がり叫ぶ。
「これは由々しき問題ですぞ!!我が領土となったコヅウィック領を獣達に奪われるとは大きな損害だ」
コヅウィックとは納税率の高い貴属の一人の名だ。オストロピーの獣人達が生活していた土地を奪い、空島へ追いやり勝手に軍事拠点を作り上げた場所だ。通称南部地域と呼ばれ領土拡張のさい反発を止めない獣人達を辟易して、当の本人は名前だけ残し城下で隠居生活を送っている。
国境警備隊内南部最前線師団が陣営指揮を担っている拠点で獣人達と領地の奪い合いで一進一退を繰り返している場所でもあった。
領土奪取のさい使用した化学兵器により土地は枯れ、劇薬の濃度が高い土地がいくつも点在しており生き物が生息するには厳しい環境だ。
それでも、戦後長年におけるバイオテクノロジーの進化により緑地化が進められ、生き物が暮らせる域までもう少しのところでオストロピーの獣人たちが反旗を翻したのだ。
そして、事もあろうに南部最前線師団団長サーシュ・ダンバルニアは敵に寝返ったという。今では空島から降りて来た沢山の獣人達と一緒に国軍と対峙しているらしい。
イライラと足を踏み鳴らしながら、カツラを被った20代の青年が爪をかみながら意見した。
「そもそも、南部国境師団の団長に半獣人を据え置いたことが間違いなんですよ」
曇った水色の瞳を金髪の男に忌々しげに向けた。厳しい視線を向けられた男は困ったように肩をすくめテーブルの上で手を組むと尊大に言葉を引き継いだ。
「確かに、仰る通りだ。十分教育を施したてきたがまさかこのような結論になろうとは遺憾ですな。しかし、相手は百戦錬磨の師団長。選りすぐりの先鋭の中からさらに選定された逸材。下手な小細工や直接攻撃などこちらの損害を換算するだけでも恐ろしい。少しお時間をいただけないか?充分策を練る必要がある」
丁寧な応答だが反省しているようにはとても見えない。
「国境師団は先のクラウオブナ神国で派遣部隊の人間が二人行方不明だと聞き及んでいます。一人は他国旅行者の少年で部隊の取材で同行していた者ともう一人は西部師団長だとか。二週間にわたる捜索にも関わらず手掛かりはないと」
一人思案していた風だった男は菖蒲色の髪を掻き揚げ、抑揚無く告げると静かに立ち上がった。
珍しい柿色の瞳がキラリと光る。
「どうですか皆さん、最近の国境師団の醜態は目に余る。一度国境師団の方々には退いていただき、由緒正しき血筋と誇り高い志と国王に確固たる忠誠を誓った騎士団に国境警備は任せてみては如何ですか?」
城内に歓声とも溜息とも取れるざわめきが広がった。その声に賛成するものもいれば異を唱える者もおり緊迫していた室内が騒がしくなる。
金髪碧眼で鍛え上げられた体躯の男は立ち上がり厳しい口調で諭した。
「ポルトレイク財務大臣。わたしが指揮する部隊が問題を起こしたことを皆に申し訳なく思っている。国境警備隊内最前線師団西部の団長とその客人の捜索は今も続き、南部師団長とも話し合いの場を持てるよう交渉中だ。せめてこの失態を自分たちの手で払拭させて欲しい。国境警備は国防の要だ。辺境の地で血と泥にまみれて働いている。そんなところへ王属を守る誇り高き騎士団を送るなどとそんな酷なことを申すな」
短めに刈られた菖蒲色の髪、他に類を見ない珍しい柿色の瞳。真っ青な礼服に身を包み背筋を伸ばし堂々と金髪碧眼の皇太子と対峙しているのは間違いなくリジュエラ(時子)をオウラ星に拐った男、アカツキだった。
モナルキアではクレス・ボルトレイク・タシニアムと名乗り、この国の財務を一手に引き受ける大臣だ。タシニアム家は前大戦で軍事費用を捻出した功労者で軍との繋がりも深く今では国の金の流れをも操れるほど権力を拡大していた。
騎士団長はラブドゥール皇太子の言葉に安堵のため息を漏らす。ならず者の集まりで辺境の地で命の駆け引きをしている連中と同じ仕事をするのは家名を汚しかねない。
招集がかかったとしても誰も行きたがらないだろう。
心の中で舌打ちしながら、クレスは困ったような表情を作って頭を下げた。
「ラブドゥール殿下。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありませんでした。騎士団の方々の活躍が耳に入る度、お忙しい警備隊の仕事のお手伝いも出来るんではないかとおこがましい提案でしたね」
ここで国境警備隊の力を少しでも削ぐことが出来たならばと進言したが、殿下に悪い印象を与えてしまったかもしれない。
頭を下げたままクレスはちらりとラブドゥールを盗み見た。肩まで伸びたプラチナブロンドは照明を受けて輝いており、鋭い眼光は鮮やかなエメラルドグリーンだ。
無表情で感情は読めないがこちらの出方を伺っているに違いない。
不意に背中を叩かれ思わず体を起こした。
振り返ると、中肉中背の華奢な中年男性がにやけた笑顔をこちらに向けていた。
七三に分けられた白髪と茶髪が入り乱れた頭髪に痩せこけた頬。節々が骨ばっており手足が長く少し猫背だ。昆虫で例えるならラブドゥール殿下がクワガタならこの男はナナフシという感じか?その男は黒い詰め襟に金縁の制服を着ており、胸や襟にコレでもかと勲章をぶら下げていた。
「ファナリス衛兵隊長」
彼は王城、城下町周辺を取り締まる兵団の頂点に君臨しており、あらゆる権限を王から授かっていた。ファナリスが兵団の法であり絶対なのだ。
ファナリスは笑い顔のままクレスとラブドゥールを交互に見る。
「まぁまぁ。我が騎士団を買ってくれてるのは嬉しい限りだよ。でも、こちとら少数精鋭でねぇ、バカみたいに民間人やら異種族やら誰でもお構いなく兵に取り立て、大所帯の警備隊とはわけが違うし微妙に職種もね。我々は選ばれた人により選ばれた方を護る。これ、鉄則なの。よく覚えておいて」
ラブドゥールの右眉がぴくりと持ち上がる。何の感情も表さなかった彼の瞳に軽蔑の色がありありと浮かんだ。
国境警備団はファナリスの配下でなく皇太子殿下直属の部隊だ。
階級や種族に関係なく仕事の能力で採用される実力主義であり、職権階級が唯一口出しできない集団でもあった。匿名性も高く、同じ団員以外は誰も素性は知らない。
彼らとは対象的に国を守る騎士団は名を売り、顔を売り特権階級に媚び諂うことに余念がない。
クレスは生暖かく微笑みながら優雅にお辞儀をした。
「御意。、御心のままに」
その様子に満足したのかファナリス衛兵隊長は大きくうなずき挑発的な視線を皇太子に向けた。目を細め視線を逸らしたラブドゥールは会議室を一蹴した。
広い会議室に朗々と皇太子の凛とした声が響く。
「これにて会議は閉会。書記官は報告書をまとめ上げ本日中に提督に提出すること。この会議の内容は箝口令を敷くにあたり、令を破ったものには厳罰に処する。解散!」
重厚な両開きの大きな扉が全開し、政治の中心を担う重鎮達がいそいそと会議室から出ていく。誰もが口を噤み複雑な表情をしていた。
書記官と最後まで残っていたラブドゥールは、やっと重い腰を上げ会議室を後にしようとした時、人気の無くなった回廊に一人ただずむ小柄な女性に気がついた。
「クロエ」
驚いたようにエメラルドグリーンの瞳が見開かれる。
クロエは思わしげに微笑むと言った。
「行くんだろう?あそこに」
彼女が顎で指し示す方向に視線を泳がせ、ラブドゥールは溜め息を付いた。
「そうだな。行こうか」
二人の視線の先には希少な石を敷き詰めた回廊が延々と続き、黒地に銀細工が鈍く輝くアーチ型の支柱が等間隔に並び、絵師による精密な天井画は長いモナルキアの歴史を延々と刻まれている。今もなお専門の絵師が定期的に描き続けていた。そんな豪奢な城内の政務区間から王族の居城へと場所を移る。
城の中心に位置する五角形の建物は王族しか潜れない城内の門の先に中央に白亜の螺旋階段があり、各階にゲストルームとそれぞれの寝所が並んでいた。
何階か昇った階段の途中にある踊り場にさほど大きくないが濃い茶色の立派な扉がありそこを開く。その先には真っ直ぐな白い回廊、突き当りに蔦植物が絡まった白亜の木製の扉があった。金色のドアノブを回し、ノックもなく二人は部屋に足を踏み入れる。
その部屋が光と緑で溢れていた。
部屋の中だと言うのに水のせせらぎ聞こえてくる。
壁には隅々まで本が並べられ、観葉植物がその合間を縫うように置かれてあった。
南側の窓は開け放たれ、明るい日差しが部屋に差し込んでくる。
繊細なレース編みのカーテンが風を受けて幻想的に揺れていた。
部屋の殆どを占める天蓋付きのダブルベッドに、実務的な白い机とそれに付属する飾り気のない椅子。広さもさほどない割に、窓の向こう側あるテラスは部屋の倍以上の大きさを締めていた。
入って来たラブドゥールとディアボロの視界には人の姿はなく、もぬけの殻だ。二人は迷うこと無く広々としたテラスへ足を踏み入れると、美しく手入れされたガーデンに目を細める。来客用の陶器でできた円テーブルには艶やかな赤い花が中央に活けられており、それに付属する4つの椅子は複雑で華麗な彫り物が成されている。
季節の花々が競うように咲き乱れ、所狭しと緑が生い茂り陽の光を浴びて輝いていた。
テラスを挟む形で左右に片屋根型のガラス繊維で建築された温室が設けられており、右には実験農場、左には研究室に使われいた。
実験棟から腰まで髪を伸ばした淡い金髪の人物が現れる。
音もなく唐草細工が施されたガラス扉が開き、金地にベージュ色のゆったりとしたローブを着たその姿は幻のようだ。
陶磁器のような白い肌は陽の光を浴びて薄紅色に染まり、ラブドゥールより淡い色の碧眼はまるで南の島を囲うサンゴ礁の海を想像させる。
二人に気づいて穏やかな顔に華のような笑顔が浮かんだ。
「久しぶりだね。いらっしゃい」
爽やかな声色でまるで歌うように話す。
低くセクシーな声色のラブドゥールとは対照的だ。
二人を白磁のテーブルに手招きし、座るように促す。軍服をきっちり着こなしている第一皇太子ラブドゥールにシャツに軍支給の安物チェニック、地味な灰色の半ズボンを着たディアボロと部屋着のようなローブを羽織った第二皇太子カルバディの姿はどことなくちぐはぐな組み合わせに見えた。
だが、彼らはそんなことを気にする様子もなく定位置に着く。
一番外にディアボロ。その正面に兄弟は並ぶように座った。建物を背にする形だ。
幼い頃からの定位置だった。外敵から二人の王子を護るためディアボロはわざと外に背を向ける。その背後の敵をいち早く知るために兄弟王子は正面に並んで座るのだ。
昔は湖面から対岸が見えるほど見晴らしが良かったテラスは、今では緑に覆われ水面が木の葉の間から見え隠れする程度だ。
外からは容易にこの場所は見えないようになっていた。
ディアボロは思い出したように口を開いた。
「まだ寝ていると思ったよ」
真鍮色の瞳は誂うような笑みが浮かび、すぐさまカルバディは冗談で返す。
「毎日寝すぎですよ。今もモニターの中では熟睡中です」
病弱で寝たきりの第二皇太子カルバディ。
幼い頃第一皇太子を時期皇帝に押す一派により繰り返された毒殺未遂で、動くことも愚か喋ることも出来ない生きる屍となったというのは有名な話だ。
実際は、何人もの毒見役が犠牲となり、我が身を守るために早い段階で大芝居を打ち続けた結果眠り姫ならず眠り王子になった。
いつ目覚めるとも知れない第二皇太子を監視下に置き常に王に監視されている身だが、そこは科学技術の最たるものでうまい具合にごまかして、実は自由に動き回っているというのが真実だ。
一息ついてラブドゥールは重い口を開いた。
「噂は色々と聞いていると思うが、南の方で動きがあった。獣人達を扇動するものが現れて予定が繰り上がる形となってしまった」
「南部の土地開放ですね」
あっさりと言い当ててカルバディは微笑む。頷きながらラブドゥールは言葉を続ける。
「会議ではクラウオブナ神国エネルギー基地奪還作戦で行方不明となったキグナスと神国の客人シロウ・カザノマは未だに見つからず、捜索は明日で打ち切りとなる。自力で自国に戻るしかなさそうだ。正直こっちもそこまで手を回せない」
テーブルに置いた手を固く握り拳を作ったディアボロは小さく呻いた。
「キグナス…」
時間の許す限り捜索にあたりたい彼女の気持ちが痛いほど伝わる。彼女の小さな拳に手を重ねラブドゥールは目を細めて言った。
「大丈夫だ。あいつはきっと生きている。見かけによらず図太い根性してるから、ある日ひょっこり戻ってくるさ」
その言葉に相槌を打ちながら、カルバディは話を戻した。
「緑化計画が完了した時点で引き渡すつもりだったのに、志半ばでとは残念だよ」
「その点は、サーシュとオトが現地に寝返ったから、いつでも好きな時に手を加えに行って構わないよ。もちろんいつも通り護衛は付ける」
カルバディの瞳が輝いた。
「本当?!引き続き作業が出来るなんてそれは嬉しいね。でも、気の毒に。何でも堅実に兄上の命令に忠実なサーシュにとって今回の件は胃が痛いところじゃない?」
弟の表情の変化を眺めながら、ラブドゥールは事件前後に連絡してきたサーシュの顔を思い出しクツクツと笑いだした。
突然思い出し笑いを始めたラブドゥールを不思議そうに見ていたディアボロとカルバディは顔を見合わせる。
片手を上げ、片手を口元に当てながら可笑しそうに顔を引きつらせ二人に告げた。
「そ、そうだな。血相を変えて青い顔をしながら報告してきたサーシュの顔は、そりゃ傑作で…ぷぷっ」
王族ならざる笑いっぷりでぶるぶると体を震わすほどだ。
「計画通り行かなかったことでおれに切られる覚悟でいたらしい。まったく、信じられないよ。不測の事態なのにそんなことで大事な部下をザクザク切り刻むわけがなかろう。この際だから国を裏切り、とことん獣人達と付き合って南の地を護るよう命令しといた。」
唖然として返す言葉もない二人はサーシュとオトのことが本当に気の毒に思えてきた。
獣人ながらラブドゥールを誰よりも崇拝し部隊でも一番の忠誠心の厚いサーシュに国を裏切る命令をするとは。その部下のオトはきっとその状況を面白がっているだろう。が、伊達に剣を部隊に捧げているわけじゃない。オトも負けず劣らず国を愛する一人だ。
ある意味コイツ酷い。
「まぁ、暫くは軍とにらめっこしていてもらおう。そっちに気を取られている間にこちらは計画を進めるだけだ」
部下に国を裏切らせといて、何でもない風に言ってのけた。
モナルキア王国のテロが激化。
行方不明のキグナスと志郎の運命を握る美女。
そして戦場での現状を知ることとなるウィリアム。
オストロピーの獣人達の南部への帰還。
運命の歯車は廻り続ける。