Starting(始動)①
城壁を越え、城下町を抜け三つの壁を通り抜けた先にエディはいた。
壁と同じ厚さの鋼鉄の門の脇にやや、やつれた様子ではあるが細身で背が高く、金塊のような滑らかな金髪と紺碧の瞳は相変わらず澄んでいる。年相応の面持ちに更に渋みが加わった感じだ。
「父さん!」
彼を見つけたウィリアムは迷いなく駆け寄った。二人は固く抱き合いお互い無事なのを確かめ合う。
体を離し見つめ合った。
「少し痩せたんじゃない?」
心配そうな息子にエディは力なく微笑んで見せる。
「そうだな。お前は逞しくなった」
相変わらず柔らかな雰囲気のくせに、どこか精悍な体つきになったウィリアムを誇らしく思いながら嬉しそうに彼の腕を擦った。
「立ち話もなんだ。知り合いの店でお茶でも飲みながら話をしよう」
そう言って小さな売店が点在する小さな集落の中で、唯一小綺麗で店構えのしっかりした宿場宿へ案内された。
笑顔で接客をするカンガルーに似た雌の獣人とカウンター越しに調理する同じ獣人で雄らしき生き物が明るく挨拶し出迎える。
「いらっしゃいませ」
どこか南国を思い起こさせる店内にいる客はオストロピーの住人の姿が多く、かえってシェルストレーム親子の姿が目立って見えた。
従業員はカンガルー似の夫妻らしい獣人二人だけらしい。接客していた雌の獣人が笑顔でエディに近寄るとチラリとウィリアムを見た。
「あんたが狼の息子さんだね。わたしゃ旧友のガネルってんだ」
「は、はじめまして。ウィリアムです」
戸惑い気味に握手を返したウィリアムの手にその獣人の手は温かく、優しく握り返されその存在感に心臓が跳ねた。地球で実際獣人が移住している話は聞いたことはあるが、家族以外で実際会って交流したことは一度もない。モナルキア王国でも獣人は稀で、限りなく人間に近い者が大半で、数もほんの一握りで出会っても言葉を交わすことはなかった。
彼女はエディとウィリアムを奥まった個室に案内し、明るい色合いの木の板をテーブルの上に置いた。板を覗き込むと文字が書かれている。どうやらお品書きらしい。
個室は座敷になっていて茶色の斑模様の毛皮で出来た毛足の短いラグと青々とした草で編み込んだ座布団が意外なほどふわふわでラグより柔らかかった。
木の板を貼り合わせた手のあまり加えられてないテーブルに、大きな葉を何枚か重ね合わせた天井。竹のような細い幹を並べた壁には、季節の花が活けてあるコポットが幾つか備え付けてありくつろげる空間になっていた。
軽い食事と飲み物を注文して二人は居直り頭を突き合わせた。
「すまないな。他人にお前を預けるような真似をして」
「父さん」
預けられて一、二週間不貞腐れていたウィリアムだったが、もう後がない状態で学んだことは確実に実を結んでいた。厳しい仕打ちを父から受けクロエに無情な条件を突きつけられてなかったらここまで頑張れなかったのかもしれない。
今では感謝すらしている。
エディは顎をさすりながら、気まずそうに視線をそらして話を続けた。
「事情があって王城には父さんあまり近寄れないんだ。……ところで、どうだそっちの暮 らしは大分馴れたか?」
肩を竦めてウィリアムは力なく笑った。
「だいぶね。父さんに見捨てられて、クロエには退路を絶たれるようなこと言われたんだ。嫌でもいろんな事必死になるよね。おかげさまで一応一人前だよ」
“クロエ”ね。エディは意味深な笑みを浮かべたが、ウィリアムはそれに気付いている様子はない。別れてからの出来事を事細かに話している。
クロエ・ディアボロはいい仕事をする。彼女に息子を預けたのは正解だった。
話が一段落してエディは口を挟んだ。
「実は店の手伝いをしながらここの二階を借りて寝泊まりしているんだが、ここは自然とオストロピーを出た獣人たちが集まって街を作った場所で、知り合いも多い。全国に散らばった仲間たちとのネットワークもあるし、それを伝に母さんの捜索をしているんだ」
「へえー」
獣人達の結束力はここでも健在らしい。ウィリアムが感心しているとエディは疲れたように溜息をついた。
「だが、十年も前の話だ。憶えている者や知る者も少ない、ここ数ヶ月それらしき人物を見かけたという噂だけで何の成果もなかった。このままでは時間を無駄にするだけだ」
「どうするの?」
「はぁ、会いたくないが転送当時そこに居合わせた人達に聴き込むしかないな」
短い前髪を掻きあげ、困り果てた様子で言った。
ウィリアムは体を乗り出し、ニッコリ微笑む。
「父さん、オレも母さん探し手伝うよ。今度クロエが担当地区へ戻ることになったんだ。そこについて行って手掛かりをつかもうと思う」
「?!、ディアボロ氏と国境に行くつもりなのか?!」
エディの表情が一変して険しくなった。頷く息子は落ち着いていて静かに告げる。
「東部のプルレタン独立商業区とバースキム帝国の国境地帯だと言っていた。キャンプ地に滞在してクロエの任務後、近隣の村や商業区で情報収集してくれるって。クロエに任せっきりにするのも嫌だからついていくことにしたよ」
「ちょっと待て。商業区の辺りと言ったら盗賊が蔓延っているという話だぞ。そんな危険な所行かせるわけないだろう。大人しくここで待ってろ!」
「何言ってるの?!何のためにここまで来たと思ってるの?母さんや友達を探すためだよ!ただ待っているなんてありえねーだろ!!」
「馬鹿!そういうことを言ってるんじゃない。ディアボロ氏は同意したのか?!」
エディの言葉にきまり悪そうな顔をするウィリアムにたたみかける。
「ま、まだだけど。これからちゃんと話すところ」
鼻を鳴らしてエディはとんでもないことを言い出す息子を見据えた。
ディアボロ氏はまだ15歳になったばかりの子供を戦場に駆り出すわけないだろう。
スパコーン、と辺りに軽快な音が鳴り響いた。
そして次には怒号が飛ぶ。
「阿呆かお前は」
丸めた報告書を片手に、頭を押さえ痛がるウィリアムを呆れた顔でディアボロは見つめ彼の後ろで控える父親をちらりと見た。申し訳なさそうにこちらを見ている。
軽い溜息をつきディアボロは重い口を開いた。
「せっかく久しぶりに会った父親と喧嘩して挙げ句の果てはわたしと一緒に戦場へ行くだと?」
王城の右翼にある会議室の一角を借りて、ディアボロはシェルストレーム親子と今後のことを話し合っていた。母親や友人たちの捜索について、軍や専門家に任せておけばいいものをこの親子は自らの足で捜すと言う。
初日、テロに出くわしたことをもう忘れてしまったのだろうか?
ここまで来て大人しく知らせを待てというのも酷な話だが、父親は息子をクロエに預け、着いた当日から知り合いの伝を使い捜索を続けていたらしい、が、情報は芳しくない。
十数年かけてこちらで得た手掛かりとそう変わらなのだから仕方ないだろう。
問題は息子だ。初めて会った時から無鉄砲で、こうと決めたら譲らない頑固な所が厄介でこんなところまで父親について来た。今回も何を言っても諦める気はなさそうだ。
考えあぐねてディアボロは取り敢えず話を先に進める。
「ところで、息子さんはお母さんのことをどの程度知っているんですか?幼い時に生き別れたんですよね」
恥ずかしそうに俯いたウィリアムは言いにくそうに答えた。
「正直、顔とかよく覚えてない。朧気な記憶だけあって、転送間際の歪んだ世界で母さんの温かい手が離れていったことしか…、それから家族の中では死んだことになって話す機会もなかったから」
椅子の背もたれに体を沈めたディアボロは腕を組みため息混じりに言った。
「母親の素性をそろそろ話したらどうだ?登城した時には覚悟はしていただろう」
エディの気持ちを見抜き、躊躇いを物ともせず彼女は後押しした。ディアボロは少なからず事情を知っているようだ。そんな口ぶりで話を勧めてくる。
彼女の話の進め方は完璧で消して回りくどくもなく厚かましくもない。上手に相手の口から引き出すのだ。尋問されたら誰しも知らぬ間に秘密を喋っていることだろう。
薄っすら皮肉げな笑みを浮かべてエディが口を開きかけた時、扉が大きく開け放たれた。
入ってきたのは金縁の刺繍で装飾された真っ赤な礼服を着た体格のいい男だった。
その姿を見たディアボロは慌てて立ち上がる。
男の海よりも深いエメラルドグリーンの瞳は鋭い光を湛えながらエディを見据え、太陽のように輝く肩まで届く長めの金髪は七三分けに整えられ艷やかで美しい。男らしい顔のつくりの中にも上品さが漂う雰囲気は人を圧倒する威厳が備わっている。
鋭い目つき、日に焼けた小麦色の肌、服を着ていても分かる鍛えられた体。
男の武骨な手が伸びエディの襟首を掴んだ。
「よくも、城門をくぐれたものだな。エディ・ラーシュ=エリク・フィリップ・シェルストレーム」
喉から絞り出すような声でエディは応える。
「皇太子閣下。私のような者の名を覚えてくださるとは、光栄の至りです」
「ぬかせっ!!忘れるわけがないだろう、狼め。出会った時にお前の皮を剥いで毛皮か剥製にしておけばよかったと何度思ったことか。挨拶はもういい。どこだ?今どこにいるんだ?姉上は」
声色からして怒りが滲み冗談を言っているように見えない。視線を逸らしエディは何度か言い淀んだが、勇気を振り絞って言った。
「数十年前、遺跡で別れたっきり会っていない」
彼自身認めたくない事実だった。口に出して言いたくもない事だった。
見る見る怒りに燃えて頬を赤く染めた男は射殺すような瞳をエディに向けて怒鳴った。
「嘘をつくなっ!」
その事実を認めたくないのはエディだけではないようで、締め上げた腕を振りエディを二、三度揺さぶると歯を食いしばりながら皇太子は鬼の形相で真実を吐かそうとする。
されるがままに体を揺さぶられながら、エディは落胆した口調で続けた。
「嘘じゃない。追い詰められた僕ら家族は、星間移動装置を使って地球に向かうことにした。だが、辿り着いた遺跡にあった装置は、残念ながら転移ルームの外に操作パネルがあった。逃げるには誰かが残ってパネルを操作しなくてはならない。古い型だったためにタイマーさえもついてなかった」
「あの遺跡は試験センターだ。試作品しか置かれていない。随分危ない橋を渡ってくれたんだな」
あの日姉上を引き止められなかったのが悔やまれる。後悔の念に悩まされ男の眉間に皺が寄った。一瞬回想して視線を逸らしたが、もう一度目の前にいる優男をひと睨みした。
碧い澄んだ目が潤み自分と同じ後悔の念で曇っている。同じ金髪だがプラチナブロンドの自分と違いまるで金塊を思わせる厳かで独特な光沢がある黄色に近いハニーブロンドだ。鍛え上げられた戦士の体つきの自分と比べて、程よくついた筋肉と長めの手足はどこか靭やかな猫科の動物を思わせる。
彼は脇に垂らした両手に握りこぶしを作り渋々話した。
「装置は王家の血なくては動かない。彼女は転送ルームに僕達を閉じ込めて僕達だけ地球に送ったんだ。その後どうなったかは知ることはできなかった」
一息つき皇太子は目を細めると、エディから手を離し立ったディアボロの隣の席の椅子を引き、腰を据える。
「言っておくが、転送された十数分後に追跡チームが試験センターに到着している。転送ルームの扉の前に残されていたのは王家に伝わるブレスレットと大量の血痕だけだった。現場を検証し抵抗した姉上をお前が食い千切り連れ去ったという見解が下されたわけだ」
「ラブドゥール殿下、それは…」
ディアボロが慌てて口を挟もうとしたが、片手を上げて制される。何か言いたげだったが諦めて彼女は皇太子の隣に座った。
唇を引き結び青褪めたエディに返す言葉はない。
さらに追い打ちをかけるようにラブドゥールは言った。
「遺体を発見する間もなく早々に葬儀が行われ、盛大な追悼式典を毎年開催している。姉上が亡くなり半年もしないうちに戦争が終わったんだ。彼女が命を賭して閉鎖的で独裁主義国家だった侵略国の暴走を止めたと今では伝説になっている。」
「嘘だ!!」
机に両手を置きエディは悲鳴に近い声で叫んだ。
「僕は彼女に傷一つ付けてないし、彼女を犠牲にしようなんて思ったことは一度もないっ!不本意だが彼女が僕らを助けたんだ。信じてくれっ!本当だ。……っマティに何かあったとしたら僕は……っ!!」
感に堪えない様子で激しく震えだしたエディは前髪を右手で掴み俯いた。
急展開に呆然と見ていたウィリアムは見るに見かねて父に駆け寄ろうとしたがタイミングを逃した。
ラブドゥールの口から意外な本音が吐かれたからだ。
「お前を信じているわけではないが、わたしは姉上が亡くなったことに関して信じ難いと思っている。遺体を見たわけでもないしね。早々と葬儀を行ったのは父と父を崇拝する臣下達の決定事項だった。賢く行動力のあった姉上はいつも国を憂い、国民のためと国政に積極的に参加するような方だった。都合の良い決まり事で塗り固められた政治を変革されるのを国王達は畏れていた。これを機会に遺品を残して消えた邪魔者をさっさと亡きものにしようと死亡認定を下したんだと思っている」
「どういうことだ?」
険悪な表情でエディは聞き返す。
今までの剣幕が嘘のような笑みが皇太子の顔に広がった。
「要するに、あなたと同じ。姉上が死んだとは信じてないということだ。わたしの部下を使ってあの日から秘密裏に探し続けている。正直、行き詰まってもいるが。なんせ皆仕事の合間に捜索しているからなかなかね。わたしはね、この目で見るものしか信じない。姉上の遺体でも体の一部でも見つかるまで死は受け入れない。どんな形であろうと必ず見つけ出す」
「あぁ、そうだな。僕も諦めきれない一人だ。こっちはもう一度遺跡とその周辺を洗い直して見ようと思っている。モナルキア人だと警戒されがちだが、僕だと動きやすい」
やや間があってラブドゥールは頷いた。
試験センターの遺跡がある場所はモナルキア王国になく王国の北西にある大陸を制するトゥーケ連邦共和国だ。幾つもの国が協定を結び、モナルキア王国の侵略戦争から自らの土地と資産を守るために立ち上げられた共和国だった。
滞在許可書には厳しい条件が並べてあり、その中の滞在期間は国や身分によって大きく隔たりがある。敵国だったモナルキア王国の在籍者や出身者、もしくは関係者にはとりわけ多くの条件が揃えられていた。
新たな決意を胸に二人の間にモナルキア王国のたった一人の王女により絆が生まれようとしている。
怒鳴り合っていたと思った二人が共通の目的のために手を取り合う様子を、ディアボロはため息混じりに眺めて面倒事が増える心配をしていた。
一方、口をぱくぱくさせていたウィリアムはやっと言葉を発した。
「ちょっと待って。急展開すぎて頭がついていけないんだけど…?整理すると、その人は母さんの弟ってこと?」
鋭い眼差しをウィリアムに向けそっけなく男は答える。
「そうだ」
「ということは、オレの叔父で……。皇太子って呼ばれてなかった?」
困ったような笑顔を浮かべエディは肩をすくめる。
「そうだ。この方はモナルキア王国第一皇太子殿下でマティは、彼のお姉さんに当たる。母さんはモナルキア王国ただ一人の皇女マティラウナ殿下だ。」
「…………!!」
鋭く息を吸い込み再度言葉を失ったウィリアムの肩をつついたクロエは、壁を指差した。
彼女の視線の先を追ったウィリアムの目が大きく見開く。
濃いアイボリー色の壁には肖像画が一枚飾られている。そこには二人の男性とその間で微笑む女性の姿が描き出されていた。
眩しい金髪の二人の男ととは対象的に女性の髪は銀髪で、華やかなエメラルドグリーンの瞳の男性たちと違い神秘的なロイヤルパープル、赤紫色の瞳をしていた。
言わずとも分かるその面影は間違いなくウィリアムが濃く引き継いでおり、誰が見ても親子だと疑いようもない。
ウィリアムと肖像画を見上げクロエは目を細めて呟いた。
「マティラウナ王女だ。お前はよく似ている」
どこか彼女の懐かしげな眼差しにウィリアムの心臓は跳ねた。
「もしかして、よく知っているの?」
思わず問が口をついて飛び出していた。
クロエは皇太子に歩み寄り、彼の背後にぴたりと寄り添い親しげに肩に手を添えた。
「皇太子兄弟とは幼馴染だ。城勤めだった父に連れられ、城の託児施設によく預けられた。ついでにラディ達の面倒をよく見たものだ」
「面倒を見るとはよく言うな。子犬のように尻尾を振ってじゃれて来たのはおまえのほうじゃなかったか?」
ラブドゥールとクロエが幼き頃の思い出の話で笑いあっている姿にちりりと胸が焼ける。思いもよらない感情にそれを確かめるかのようにウィリアムは二人の姿を改めて見る。
皇太子はさっきまでの張り詰めた様子と打って変わって、温かな瞳でクロエを見つめクロエは勝ち気な光を湛えた真鍮色の瞳を燦かせながら毒舌を奮っている。気心知れた間柄でしかない親しげな空気にまた胸が痛みを伴った。
ラブドゥールの手が伸び肩に置かれたクロエの手と重なった時、ウィリアムは思わず身を乗り出しそうになった。
そこへエディの声が割って入った。
「ここに来てすぐ人に預けてすまなかった。今度は僕と一緒に行こう」
「……」
オレは今、何をしようとしていた?
何を言おうとしていた?
冷や汗が額から流れ落ちた。
『触るな!』そう言って二人の間に割り込もうとした衝動にウィリアムは正直驚いていた。相手が皇太子だろうと誰だろうとクロエに触れてほしくなかった。
なんだよ、この自分勝手な感情は?
既にクロエの手は皇太子の肩にはなく、二人は並んで彼の答えを待っている。
我が物顔でクロエを隣に携えるラブドゥールを睨みつけると彼は片眉を上げて冷ややかな視線を返してきた。
エディは分かりきった答えがすぐ出ない息子を不思議に思いながら腕を組む。
「いや、オレは父さんと行かない」
その答えにその場に居た全員が息を呑んだ。いや、ただ一人ラブドゥールだけがニヤリと笑った。
文句を言われる前にウィリアムは言葉を続けた。
「手分けして探したほうがいいと思う。これまで有力な情報は得られなかったのなら違う角度から探ってみたい。少しでも可能性が広がるなら試してもいいんじゃない?」
「で?君はどこを捜すんだ?」
試すような口調で先を促した皇太子にウィリアムはきっちり優雅に頭を下げた。
「会ったばかりの叔父上に縋る勇気はオレにはありません。右も左も言葉すらも分からなかったオレを辛抱強く教育していただいた尊敬するクロエ・ディアボロ師団長にこれからもついて行きたいと思っています。お許し願えないでしょうか?」
あからさまに顔を引きつらすクロエを見て含み笑いを交えながらラブドゥールは言った。
「だそうだ。これはまた優秀な部下が一人増えたじゃないか?羨ましいかぎりだ」
「部下じゃないっ。あなたの甥っ子じゃないですか!」
すごい剣幕で怒り出したクロエに構わず、面白いものを見るようにラブドゥールはウィリアムを見ながら立ち上がると腰に携えた剣を抜き取った。
ウィリアムは脳裏に浮かんだものがあった。空かさず皇太子の足元に跪き頭を垂れる。片腕は立てた膝の上に掛けたままだ。
冷たい金属が肩を叩いた。
「名前は?」
「ウィリアム・エディソン・シェルストレームです」
頷きラブドゥールは高らかと宣言した。
「あくまでも仮の騎士叙任式だから神職の宣誓は省略させてもらう。まさに騎士になろうとする者に、真理を守るべし、公教会、孤児と寡婦、祈りかつ働く人々すべてを守護すべし、王国の法に従い正義を貫くことをここに宣誓せよ」
「はい」
執式者ラブドゥール皇太子により剣を吊した帯を付けてやり、ウィリアムは(かつて皇帝が戴冠式で行ったように)三度剣を引き抜いて、また鞘に収める。そうして厳かに剣を腰に帯びた彼に対し、皇太子は平和の接吻を与えた後、彼の首または項を素手で打ち据えた。
少し間があって、弱々しく微笑んだラブドゥールは肩を竦める。
「本来なら貴族から祝別された拍車を授け、最後に旗幟が渡される手はずだが一時入隊だ。宣誓だけでいいな」
ウィリアムは俯いたまま小さく頷く。
「ここにウィリアム・エディソン・シェルストレームを期間限定で国境警備隊最前線師団内東部最前線師団にて民間臨時団員としてここに任命する」
「謹んでお受けします」
間髪入れず返事をしたウィリアムを見てその覚悟の程を知れた。
クロエ・ディアボロからの報告にあるようにただ恋情に任せて衝動的な行動を取っているわけではないらしい。面を上げて真っ直ぐ見つめるチョコレート色の瞳には必ず成果を手にして任務を果たす決意が見て取れた。
いい結果が出ることをラブドゥールは他人事ながらも願わずにいられなかった。
剣を鞘に収めマントを翻すと去り際に一言添えた。
「任務については東部師団長に司令を受けるといい」
彼の後を追いエディは部屋を飛び出した。
「いいんですか?これで」
「本人がその気なんだ。それに任命してしまったしね。無事仕事が終われば即解任してやるよ」
少し意地の悪い笑みを浮かべたラブドゥールを信用しきれない顔でエディは見送る。
背中に視線を感じながら姉の人生を狂わせた男の息子を利用することに少しも抵抗はなかった。今、大事なのは姉の行方とクロエ・ディアボロの身の安全だ。
彼女の盾は何人居ても足りないくらいだ。望みを叶えるために参戦するらしいが、国境師団に入隊したからには命は任務の二の次だ。可哀想だが志半ばで死にゆくのは分かりっきている。なにせ素人だからな。
3戦くらいは持ってくれよ。
ラブドゥールは涼しい顔をして回廊を歩いて行った。
「なんだ!あれはっ!!」
モナルキア国境最南端にある荒野に詰めていた監視部隊は空を見上げた。
何十、何千と数え切れないほどの黒い影が見る見る空を覆い尽くす。それは暗雲が突如現れ青い空を占拠し今にも豪雨をもたらしそうな勢いだった。
「南部最前線師団へ知らせろっ」「急げ!!あの数じゃ敵わないぞ」「なんだって大人しくしていたのに」そうこう騒いでいるうちにとうとう石と矢の雨が降り出した。
防御を得意とする鋼殻部隊が先に立ち、逆V字型に陣を組むと地上部隊と空中部隊に分かれ監視部隊の盾となり原始的な投石と鏃の攻撃を甘んじて一心に受ける。
実のところ監視部隊と鋼殻部隊には攻撃に出るような武器を携えてなかった。南部最前線師団団長の意向で単純な監視と身を守るだけの部隊しかこの場所には据えられてなかったのだ。こういうことを予想して実働部隊を置いておくべきだという意見は毎年議題に持ち上げられていた。だが、団長は頑なに拒否し承認しなかった。
監視部隊と鋼殻部隊が耐え忍んでいる頃、切り立った谷間の向こう側で本陣を組む国境警備隊最前線師団本部では慌ただしい動きを見せていた。
ドルシェアーツ数体が本部の数あるテントを行き来し、その近くにある三階建てと二階建てそして一階建ての三つの建物にも一個小隊や工場内の作業員乏しき人々が走り回っている。その様子を、口をもぐもぐ動かしながら眺める小太りの男がいた。
彼の手にはかじりかけの特大の肉まんが握られている。
「わー、こんなに早く動き出すとはねぇ。面倒なことになりそうだわ」
「間違いなくなるだろうね。きっと明日には国王派の密偵が喜んで報告に行くだろう」
真っ白な両耳を力なく垂らしたサーシュ・バンダルニアは涙で潤んだ瞳で、肉まんを頬張る男に縋り付いた。
「どうしよう!悪い報告しか頭に浮かばないよっ。国境師団はまだ全っ然計画通りに物事が整ってないのに、ラブドゥール殿下に怒られるぅ」
しゃがみ込んで弱音を吐きまくる師団長を、動じることない小さな目で見つめながら副師団長オトはバッサリ切り捨てた。
「覚悟を決めてこっちは先に計画を進めていくしかないよ。お先に失礼~って感じにね」
あまりにもお気楽な言いっぷりにサーシュは歯ぎしりする。正直胃が痛くなってきた。
最後の一口を放り込みペロペロ指を舐めながらのんきにオトは笑ってみせる。
「あぁ、そうだね。ものっすごく気乗りしないけどやるしかないよね」
トボトボと一階建ての建物に向かい、パネルを開き網膜認証すると両開きのスライドドアが大きく開かれた。
あの方はきっと喜ぶだろう。時期尚早だがあの方の望み、希望が実現しようとしているのだから、それにどれだけの人が賛同し理解してくれるのかが未知数だが賭けてみる価値はあると思った。
久々に部屋から出た男は数機の機械とともに、高層ビルの深淵へと足を進める。普段足を踏み入れないような倉庫や、プロトタイプの保管してある工場、整備場などが配置されている区間には幾つも使われず放置されている部屋がある。
その中の一角に幾重ものセキュリティに守られた廃版部屋に目的の物は隠されていた。
八嵜に協力させてこの部屋を探り出すことが出来たが、問題は最後のセキュリティが解除されないことだった。実際彼らが先に現場に向かい直接解除に乗り出している。
半ば解体された状態のパネルを弄りながら八嵜と神崎は困り果てていた。
彼らの後ろには見張りの昆虫型マシンが控え、銃口や刃先を突きつけ仕事を早くするよう焚き付けている。
その様子を見ながらサイボーグはくぐもった声で言った。
「手こずっているようですね。この作業に何日かかっているんですか?ここを見つけた時の閃きと仕事の速さはどこへ行ったのやら」
振り向きざまに八嵜は怒鳴った。
「これ以上はもう無理だと言ったはずだっ!!このシステムを構築し設計した本人でしかこの先のプロセスは進まない。本人を連れてきてくれ」
「何度言ってもその一点張りだな。仕事も大詰めに入ったところで駆け引きを始めるとは小賢しい生き物だ。出来なければ殺すぞ」
冷酷な宣言に怒りで頭が沸騰して八嵜は思わず工具を投げつけた。
「じゃあ、殺せよっ!!何日経とうが今のままじゃ無理なものは無理なんだよっ!!!」
工具はサイボーグの体に辺り金属音を響かせながら床を転げ落ちた。
今、ここでこいつらを殺すのは簡単だ。だが、本当にドルシェでなければ開かないのかもしれない。
体の半分と人としての意志を奪われてサニー部隊長の殻を被ったサイボーグは思案する。
「仕方ないな。もしこれが嘘だったらどういうことになるかわかっているよね」
逃れるための虚言かもしれないが、今この状態で死なれても困る。
この国を裏切りモナルキアに亡命したドルシェ博士を奪還すべく作戦を立てねばならなくなった。
次回予告
それぞれの目的を果たすため動き出したウィリアム達。
運命のいたずらかすれ違う彼らにさらなる試練が訪れる。
一枚岩だった国境警備隊にも暗雲が立ち込め、亀裂が生じ始めた。