Awakening(覚醒)⑤
だが、幸いなことにその下に小型飛空艇が停泊させてありぎりぎり右翼に二人は落ち、取り掛かりの少ないツルツルした羽に必死にしがみついた。頭の上で交戦が始まり、落ちた二人の存在にまだ追っ手はない。
必死でコックピットに這い上がり、ハッチコックを引くと乾いた音を立てて開いたハッチから二人は転がるようにして狭い操縦席へと乗り込んだ。
座席は3つ。合成樹脂のカバーで綿が詰めてあり思いの外座り心地はいい。
多数あるボタンやレバーを操作し、師団長は発進準備を整えた。
頭上では弾丸とレーザーが飛び交い敵機がうじゃうじゃいるのに、師団の機体は一機も飛び立った様子はない。
どうやら妨害電波が出ているらしい。
師団長が愛用する小型飛空艇はアナログ式だったが、他の団員のものは全て無線で自動操縦や遠隔操作ができるようになっていた。
戦闘機が使えないとしたら苦戦を強いるだろう。
仕方ない。
「安全ベルトは締めたか?」
「あ、はい」
丁度風之間のベルトを閉める音と返事は同時だった。
「歯をくいしばっていろ。舌噛むから」
「え?」
返事を待たずに固定器具が機体から外れ、船体が大きく揺れた。一息つく暇もなくエンジンを点火し、機首を空へ向け持ち上げ小型ミサイルを連射しながら大空へ飛び出した。
基地を取り囲む敵機が、突然現れたたった一機の戦闘機へと狙いを集める。
空へ向かっていた機体は90度方向転換して、トップスピードで基地から離れた。不意打ちなのにも関わらず、十数機の敵機がその動きに反応して後を追う。
背後から迫りくる敵機の弾道を読みながら、交差するレーザーを回転、ループ、旋回を繰り返し絶妙なタイミングで切り抜ける。
降り止まないミサイルやガンキャノンを際どく避けながらちらりと隣を見た。
大きなサンバイザーと酸素を供給するマスクで風之間の表情は読めない。
がたがたと震える体と通信機を通して聞こえる彼の絶え絶えの息遣いで今にも気を失いそうになっているのが想像できた。
悪態をつき、師団長は怒鳴った。
『息をするんだ!焦らずゆっくり深呼吸しろ!!』今にも過呼吸を起こしそうな彼に酷だが喝を入れる。いま、ここで気を失ってもらっては困る。『はぁ、はあっ!はあ、ん。。ぐ。かっはっ』まるで海中で空気を求めるかのような呼吸音が耳に響く。『シロウ、しっかりするんだ。これからもっとキツくなるぞ!!』その時船体が大きく揺れ、衝撃音が響く。大丈夫だ。まだこれは致命傷ではない。けたたましく警報機が鳴り響くコックピット内で計器に素早く視線を走らせ、モニターで損傷のチェックを素早く行う。『はぁー、はぁー、はぁ。ぼ、僕のな、名前なんで?』マスクの下で師団長はにやりと笑った。どうやら意識がはっきりしてきたらしい。
『いいか。よく聞くんだ。作戦αを実行する』『はあ?』答えなんて求めていないが、とりあえず断っておこう。『生き残りたいだろう?』無言は了承と受け取っていいはずだ。
これから向かう場所はただ一つだ。今を凌いで時間を稼げればいい。
十数機あった敵機も今は三機を残すのみ。射撃の苦手な自分にしてはよくやったほうだ。
弾の残数とエネルギーの残量を見ると作戦はαしか道はない。
ふと、前方に追いかけてきている機体より遥かに大きい影が見えてきた。
バースキム公国の司令塔と繋ぐ中継機だ。
中継機の射程距離に入る前に残りの敵機を片付けなければならない。
『いいか。言われたとおりにしろ』そう言うと操縦桿から手を離した師団長はハッチを開き外に身を乗り出した。小さく返事をしたが、きっと彼の耳には届いてないだろう。
コックピット内に風が吹き込み、体中に服が纏わり付く。自動操縦に切り替えたがいざという時は自分が動かさなければならない。大雑把な説明しか聞いてないが、今はやるしかない事に諦めもついた。
風之間は向かい風にも関わらずハッチの縁を足がかりに、黒いマントを翻しながら仁王立ちする男を見上げた。
逃げる時マントに開いた穴がやけにリアル感を出している。
そう、これは夢じゃないんだ。
肌に感じる風も。耳障りな師団長の声も。今こうして命が掛かっている危機的状況も。
風之間は急に泣きたくなってきた。視界が涙でぼやける。
怖い。
帰りたい。
怖い。
帰りたい。
『小さな方の敵機に合わせて追尾設定をしろ』耳障りな電子音に風之間は我に返った。
『はっ、はい』目の前にあるパネルに表示される敵機に標準を合わせロックオンする。機体は敵機を追って勝手に動き始める。
大きく旋回し、師団長は一瞬体制を崩したがすぐ持ち直し、脹脛に手を触れ全長20センチはある大型ナイフを両手に携えた。
陽の光を浴びて装備と同じ模様が彫り込まれてある二本のナイフがぎらりと光る。
あんなもので機械とやりあうのか?!ゴクリと喉を鳴らし、風之間は一抹の不安を覚え西部師団長の無茶振りに呆然とする。
マシン相手にナイフ二本ってあり得ない。
僕は生きて地球に帰れるのだろうか?
その気持を払拭する出来事が目の前で繰り広げられる。
急旋回した敵機がマシンガンのように弾丸を連射しながらこちらに向かってきた。師団長のマントに続けざまに三つ綺麗に穴が開く、すれ違いざまに師団長は足場を蹴り上げ華麗にジャンプするとナイフをゆっくり振り抜いた。
黒い敵機がまるで豆腐のように何の抵抗もなく真っ二つに切り裂かれる。師団長は手を緩めることなく次なる獲物を捉えていた。
いつの間にか現れたもう二機目に馬乗りになると、機体の両腹にナイフを突き立て力任せに斬りつける。鋼鉄の板が悲鳴を上げ歪な音を立てながら壊れていくさまは、何かの生き物の断末魔を思い起こさせる。割かれた空洞から何かの液体が吹き出し辺りを緑色の蛍光色に染めていった。
揚力を失った敵機を捨て、迫ってきた最後の一機の下腹にナイフを一本突き立てるとそれに乗り移った。体を翻し敵機の左翼に足をかけると右手のナイフを口に加え、後部腹部にある小さいパネルを左手のナイフでこじ開けるとはめ込み式の蓋が次元の海に消えて行った。ぽっかり開いた腹部に手を突っ込み配線や基板などが詰まった心臓部を引きずり出す。火花が散り奇妙なエンジン音が辺りに鳴り響き、やがて敵機は沈黙しゆっくり降下し始めた。
追尾設定された風之間の乗った小型飛空艇は僅かに残った、残機の機械音を頼りに止めを刺した敵機に寄り添う。
操縦席に戻った師団長は追尾設定を解除し、離れてしまった中継機に向かって操縦を開始した。
なんてえげつない戦い方をする人なんだ。薄ら笑いを浮かべる仮面の下を見るのが末恐ろしい。既に半分しか形を成さないボロボロのマント。返り血を浴びたかのように頭から腹まで緑の液体を被っている。さすがに味方だとしても悍ましい姿だ。
『もうひと踏ん張りだ。あいつを叩いたら、基地に戻ろう』
『まだ、やるんですか』うんざりした様子で顔を上げると先程相手にした戦闘機よりはるかに大きい要塞のような物体が空に浮かんでいた。
無理だ。今度こそ絶対無理だよ。
真っ青になった風之間は口をぱくぱくさせたがそれはマスクに隠されていて誰にも見られることはなかった。
菱形だが凸凹と歪であちこちで眩い光を放つその物体は得体が知れず、どこをどう攻略していいのか何をしたらいいのか見当もつかない。
だが、師団長は小さな飛空艇一機で乗り込んでいるのにも関わらず、落ち着き払い何一つ諦めている様子はない。次なる作戦を打ち出し、絶対なる勝利を確信しているのだ。
なんて心強い存在なのだろう。
『オレはあのでっかいのに乗り込むから、お前は後ろから援護しろ。』『え、援護?!』師団長の話はこうだ。あの物体の周りを旋回しつつ、敵の発射口を残りの弾で打つというもので半マニュアル式の回避システムを起動させ、いざという時は自動で弾を避け最悪一番近い陸地へと帰還するよう設定した。
考える間もなくあの物体の射程距離内に突入した。
中継機のあらゆる所が光だし発射口が開き始める。まだ距離があるというのにお早いお出迎えだ。飛空艇たかが一機を派手に歓迎する中継機に近づけるところまで近づいて、師団長はそれに飛び乗り軽快な足取りで表面を駆け出した。まるでモグラたたきのモグラの様に次から次へと彼を狙う砲台を打ち砕き、その姿が見えなくなるまで叩き続けた。
風之間は言われた通り中継機の周回に軌道を乗せると、移動しながら発射口へと攻撃を仕掛ける。さすがに一発でというわけには行かなかったが連続して打ち込めばなんとか当たった。しかし、このやり方だと弾切れのカウントダウンが早まるのは目に見えている。
弾を節約しながら師団長が戻るまで持たすにはピンポイント攻撃しかない。
残念ながらそんなスキル風之間は持ち合わせていなかった。
自動で回避させているものの多勢に無勢、機体の損傷はますます激しくなり、がたがたギシギシと今までにない奇妙で嫌な音が耳についた。
傍から見ればこんなボロボロの機体で攻撃している事自体無謀だ。
このままではそう長く持たない、一刻も早く師団長に戻ってきて欲しかった。
暫くすると攻撃がやみ始め、小さな爆発音が徐々に大きくなってきた。音と共に足音が近づいてくる。黒い影が目の前に現れ機体の頭に足を掛けた途端、師団長の背後で中継機が大爆発を起こした。
反動でハッチに師団長は叩きつけられ、乗っていた戦闘機は爆風に巻き込まれ錐揉み状態で吹き飛ばされる。
必死で機体にしがみつきながら、ぐるぐる廻る視界の中で師団長はミッションを無事終えたことに安堵していた。
中継機を潰しておけば基地の方は当面安全だ。司令塔の通信が途絶えた敵機はただのガラクタで今頃次元の海に真っ逆さまだろう。
爆風と飛んでくる破片を喰らいながら、徐々に速度が落ち大きく左に傾いたまま飛空艇はゆっくり航行始めた。機体が歪んでしまったため、軋んだ音を上げながら力任せにハッチを開くと、とうとう限界が来て根元からつなぎ目が折れ、操縦席を囲っていた蓋がなくなってしまった。風が吹き込みヘルメットの隙間から覗く風之間の黒髪が激しくはためいた。この状況でさすがに気を失ったらしい。
師団長は彼の肩に手をかけ大きく揺さぶった。
『おい、起きろ。目を回してる暇はないぞ』『うぅうっっ』無線から聞こえるのは唸り声だけだ。だらしない奴だと思いながら視線を落とすと、シートの脇に血溜まりが見えた。
息を呑み彼の脇腹を覗き込む。大きく裂けた簡易防護スーツの辺りから今もなお血が滴り落ちている。防護スーツが黒かったため出血に気付くのが遅れたのだ。
『んだよ。ふざけんなっ』悪態をつきながら座席の後部に手を伸ばすと肩に鈍い痛みが走った。どうやら自分も怪我をしているらしい。だが、それを気にしている場合でなく痛みを無視して腕を動かし、救護ボックスを用意した。
応急処置だがしないよりマシだろう。本当は傷の深さから見て縫ったほうがいいのかもしれないが内臓の損傷具合はわからない。下手に塞ぐより止血が先決だ。
ガーゼと装備していたタオルを大量に引き出し、腹を圧迫するように巻いていく。
白いガーゼはあっという間に赤く染まり、この手にずしりと重くなる。
止まれ。止まれ。止まれ。止まれ。誰に祈ると言うわけでもなく、師団長は心の中で唱え続けた。数十枚使ってやっと出血が治まり、色を失い続け紙のように白い顔だった風之間の頬へ僅かに色が戻ってきた。
どうやら大きな血管は傷ついてなかったらしい。運のいいやつだ。
シートを倒し、風之間をそのまま寝かせる。
この機体ではそう長くは飛べないことはわかっている。燃料は僅かで操舵システムがイカレて思った方向へ進めない。所謂漂流ってやつだ。
ナビシステムを起動しようにも下手したら敵に位置を知られるおそれがある。この状態でそんな危険は冒せない。
幸いなことに最後に設定した一番近い陸地への帰還命令が生きていて、時々弱い信号を送りながらその方向へと進んでいる。
発した信号の反射により陸地をサーチしているのだ。後は陸地に着くまで燃料が持てばいい。師団長は船の積荷を次元の海へ投げ捨て始めた。
燃料を持たすには船を軽くする必要があった。そして、もう一つ起動しないといけないシステムがあったのだ。
迷彩防御壁システム。
子供騙しのようなシステムだが、万が一バースキム公国のテリトリーに侵入した時のため目眩ましをしなければならない。高度な技術を有した戦艦には通用しないが、偵察機や民間機くらいは誤魔化せる。
師団長は首元に手をやりドルシェアーツを解いた。
彼の首元にはネックレスが下がりそれには銀色の金属片が下がっている。
指でそれを弄びながら体の力を抜く。
「頼むから。死ぬなよ」
碧い瞳が横たわる風之間を捉え、じっと見据えた。
次元の海を越え、何とかどこかの砂浜へ不時着した。
機体の大部分は砂に埋まり、燃料が殆ど無い飛空艇はここに捨てていくしかない。
なんとか操縦席からシロウを引きずり出し、背中に背負うと師団長は砂浜を内陸へと歩き始めた。ここは見晴らしが良すぎる。敵に見つかったら死ねる。
砂浜を彷徨っていると風に乗って女の歌声が聞こえてきた。
幻聴か?
自分の耳を疑ったが、その声を頼りに向かっていくと次第に大きくなってくる。
のびやかで、よく響く、透明感のある美しい歌声。
その旋律はどこか懐かしさを感じる。
足も腕も限界だった。砂に足を取られ思わず膝をつく。痛めた腕でシロウをこれ以上支えてられない。何やっているんだオレは。
得体の知れない歌声に誘い出されるなんて、間抜け過ぎる。
重くなりかけた瞼を閉じまいと師団長は目を上げた時、いつの間にか歌声は消え、長いロープで全身を包んだ謎めいた女が倒れかけた彼の体を優しく支えた。
「大丈夫?あなた達。……大丈夫じゃなさそうね」
頭の上からつま先まで薄い肌色の一枚布を体に巻き付け目には、遮光付きのゴーグルをしており、目の色や髪の色は分からない。
色白で真っ赤な口紅を引いたセクシーな厚い唇が印象的だった。
「君はいったいー。ここはどこ?」
「ここはバースキム公国とプルレタン独立商業区の間にあるグレーゾーンよ。取り敢えず、あなたの上着と背中の彼のプロテクターを脱ぎなさい。モナルキアの軍人だと分かるものは隠すのよ」
前者の答えはなかったものの、女は懐から布製のショルダーバックを引っ張り出した。
女の答えに全身の毛が逆立ち頭のなかで警鐘が鳴り響く。
腕の痛みを推して情けないことに震える手で、背中のシロウを地面に下し慌ててプロテクターを外し、自分が着ていた上着も脱いだ。空かさず彼女が脱いだ衣類をバックに詰めてまた懐にそれをしまいこんむ。手早くて助かる。
悲鳴を上げる肩を無視してシロウの腕を取り首に回した。意識のない人間ほど重いものはない、背負うのは無理だが引き摺って連れて行くことは出来るだろう。
反対側に並んだ女は、師団長と同じようにシロウの腕を取り首に回した。
「ここは安全ではない。早く立ち去りましょう」
女の案内で砂丘を歩き始めた。
モニターに囲まれた作業机に備え付けられたアームチェアに深く腰掛けていた男は、忌々しげに舌打ちした。
N-395・S-195地点にあったTGエネルギー基地の通信が途絶え、そのモニターだけ砂嵐になっている。画像が砂嵐になる直前、妨害電波の合間にちらりと見えたのはモナルキアの紋章を刻んだ戦闘機だった。クラウオブナ神国寄りの海域であったが、海底調査によりエネルギー資源を探り当て掘削施設を立ち上げ、せっかくエネルギー基地を築いたのにまたもやモナルキア王国に奪われてしまった。鉱物資源は豊かだがエネルギー資源に乏しい我が国にとって大きな痛手だ。
生物より人工知能を携えた機械の存在が大半を占める我が国では、エネルギー資源の確保は死活問題に直結する。でも、今は機械の半分は眠ったままだ。どの機も人工知能の全てが開放されているわけではない。こうやって命令や質問、更新プログラムを与えなければろくに動かないのだ。とても人工知能が備わっている代物とは言えない。
この国を支配する機器は、あの、天才で変わり者のドルシェの手により本来の機能を失ったままだった。共にこのシステムを立ち上げ構築し、新たな生命を生むがごとく研究に夢中になっていた頃が懐かしい。
邂逅に耽った男の口元に笑みが浮かんだ。だが、それはすぐ引っ込み何か考えあぐねるように人差し指で机を叩く。その時、警備システムが働き部屋に何者かが近づいてくるのを知らせた。
デジタル時計に目を配り、施錠を解除する。
よし、時間通りだ。
パネル越しに来訪者が名乗り、自動ドアを抜けて室内に足を踏み入れた。
椅子を回転し振り返った男の体の半分以上が機械で出来ていた。
特に右半身から下半身にかけては機械じかけで彼が動く度関節が擦れる独特な音がする。
部屋に招き入れたのは、十足以上細い足を持つ本体が細長いG3型と二人の少年だった。
一人は黒髪で綺麗に整えられた七三分けの短めの髪の真面目そうなのと茶髪で肩まである髪中肉中背の優男だ。
国内で彷徨っていたところを拾い、育てた二人はこれから国を左右する鍵を握っていると男は確信していた。
等身大ほどの大きさがあるゲジゲジ型の昆虫機械に連れられて、八嵜達は今まで訪れたことのない区画に案内された。幾つものゲートと警備システムを潜り抜け、まるでこの国の最深部に来たような遠さだった。そして、幾つものモニターと操作パネルの並ぶ作業机、座り心地良さそうなアームチェアに座ったサイボーグに迎えられた。
元は人間なのだろうが、片目と後頭部の四分の一、左腕を含む腰から下の下半身は完全に機械でコーティングやプロテクターなど着けておらず可動部と骨組みが丸見えの状態の一瞬目を目を逸らしたくなるような様相だ。
いち早くそのサイボーグを目にして反応したのは神田だった。
短く悲鳴を上げ、またもや八嵜の背後に身を隠す。ここに来て何度めか数えるのもうんざりするような見慣れた姿に腹を立てた八嵜は腕を掴んだ神田の手を振り払った。
こいつは僕を盾にすることしか考えてないのか。
忌々しげに睨むものの、神田は怯えた顔して歯の根が合わないのかカチカチと歯を鳴らして縋るように八嵜を見上げるばかりだ。
サイボーグは顔を引きつらせ、明るい声で陽気に言った。
「お恥ずかしい姿で迎えてしまい申し訳ないね。わたしもこの体になってから、粘土やシリコンで見栄えを良くしようと努力したんだが美術力が低くて、今以上に醜くなってしまうのでこの姿で我慢しているところだ。勘弁しておくれ」
きっと彼は笑顔なのだろう。機械と生身の体を繋いでいる部分が引き攣れて、上手く表情を作れないらしい。声は完璧人間のもので、人を不快にしない爽やかな声色だ。
用心深く自分を見つめる少年達を意に介さない様子で喋り続けた。
「どうだい?快適に暮らせているかい?生物が少なくて機械ばかりに囲まれているからとても不安になっただろう。この国では生き物らしい生き物はもう存在しないに等しいからさぞ寂しかったよね。わたしも毎日こうしていると人恋しさに泣きなくなるものさ」
ぺらぺらと話し続けるサイボーグは、椅子を左右に揺らし始めた。
椅子が軋み、長い足がブラブラと左右に揺れる。だが、突然動きを止め、手を組むと二人を舐めるように見つめ凶悪な笑みを浮かべた。
「本当は連れて来た日に燃料にしてしまう予定だったんだけどね」
サイボーグは正直者だ。強張った二人の少年の反応に悪びれもなく言ってのけた。
作業机の引き出しを引くと、色別に整理されたファイルの1つを取り出し開いてみせる。
「ここ数ヶ月、仕事と勉強、食事を与え続けた成果がここに記されている。なかなか優秀じゃないか」
しきりに頷きながらページを捲り満足気に顎を擦った。
「カンダはいい働きをするし、ヤザキは頭がいい。それに、旧区画の開放にかなり貢献してくれているね」
確かに仕事に関しては神田の業績が著しく良く、勉強は八嵜の学び具合は半端じゃなかった。下手したらシステムにハッキングできるくらい腕を上げていた。
サイボーグは二人の観察ファイルというか業績ファイルらしき資料に頻りに目を走らせながら、正しい評価を下している。明るい赤茶色の目と機械仕掛けの金色の目が忙しく左右 に動き次にピタリと止まって二人を見つめた。
「そろそろ大仕事をしてみないか?この仕事を成功させたら望みを何でも叶えてやろう」
「じゃあ。ここから出してくれ。そして元居た場所に戻して欲しい」
八嵜は待ってましたとばかりに開口一番望みを言った。後ろで神田は必死で頷く。
サイボーグはゆっくり長い溜息をつくと目を閉じ椅子の背に体を預けた。
「あぁ。地球に帰りたいんだね」
八嵜と神田は息を呑んだ。
そういえば、ここの連中は地球を知っていた。心臓が早鐘を打ち得体の知れない恐怖が湧き上がりじっとり掌に汗をかいた。
何故知っているんだ。これから自分たちをどうしたいんだ。
二人は無意識のうちに体が震えるのを止めることができなかった。
サイボーグは立ち上がり揺るぎない声で言い放った。
「いいだろう。成功報酬は地球への帰還。失敗したら燃料だから無駄がないよね」
ごくりと生唾を飲んだ八嵜と神田は、今にも気を失いそうなプレッシャーに目眩がしそうだった。
作業机の前から退いたサイボーグはアームチェアを差し出し楽しげに言った。
「さあ、ヤザキ。ここに座り早速仕事を始めてくれたまえ。カンダにはこの仕事で別の作業を用意してある。数台の作業機械と一緒に現場へ向かってくれ」
ゲジゲジ型機械の足が伸び神田を捕らえると引き摺るようにして部屋を連れ出された。
サーボーグの座っていたアームチェアに腰掛け、メインモニターと向き合った八嵜は横目で彼をちらりと見た。
部屋の片隅にあったパイプ椅子を八嵜の隣に並べるとそこに座り、作業机の上にあるパネルを叩き始める。モニターに文字が浮かび、いくつも連なる幾何学模様と文字が表示されたが、サイボーグの扱う小さめのモニターには細かい文字が羅列していた。
「共同作業ですよ。わたしが囮になって撹乱させている間に、そちらのブロックのシステムファイルを解読し予め準備しておいたウィルスを侵入させ機能停止させるのです」
「この六角形や八角形などの図形がブロックですか」
「そうです。形や色によってウィルスは使い分けなければならない。それはその度にこちらで用意してそちらに転送します」
八嵜の飲み込みの速さにサイボーグは思わず嬉しくなった。一画面で終えそうにない莫大なブロックの数に八嵜は軽い吐き気をおぼえた。
死ぬか生きて帰るか。選択肢は二つに一つ、そんなの答えは決まっている。
覚悟を決めて作業に取り掛かった。
一方、昆虫型機械に連れ去られた神田は、更に古く薄暗い区画に連れていかれ既に集まっていた機械と合流した。
ここには人はいないのか?不毛で無意味なことかもしれないが、女の柔肌に何ヶ月も触れていないのに急に苛立ちを感じた。
ここにあるのは柔肌でもなく女の笑顔でもない、地面や壁を這いずり回るカナブンやゲジゲジ、ムカデのような奇っ怪な形をした機械だ。
甘く芳しい雌の匂いは思い出すのも遠く、半田の焦げと機械油の酸っぱい匂い、鉱物特有の錆臭い香りでいっぱいだ。
あぁ、ここは気が狂いそうだ。
神田が気分を悪くしているのも構わず、せっせと働く虫達は壁を食い荒らしその中の配管や配線、もしくは基盤部分を剥き出しにすると、配線部分を剪定し始めた。
ゲジゲジ機械が虫に混ざって作業をするように促す。
帰るまでの我慢だ。神田は前に進み、虫達と一緒に基板の配線の引き直しや配管内部のブロック解除、ブレーカーの修理などハード面の作業に追われた。
しかもそれは、一箇所だけに留まらず更に区画の深部へと歩み進み作業は延々と続くことになる。
次回予告
機械帝国で八嵜達によって最悪の事態が引き起こされようとしていた。
そんなさなか、いよいよウィリアムはクロエとともに戦場を駆けることに。
西部師団長と志郎を助けた謎の女。
そして、万を期してオストロビーの獣人たちが反旗を翻す。