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ツカサリレーション  作者: 福森 月乃
オウラ世界編
29/48

Awakening(覚醒)③

「試験の結果が出揃った。ウィリアム・エディソン・シェルストレーム君。よくがんばったね。どれも及第点だ」

教材を片付けながらジャーグはにこりと笑ってみせた。

窓から差し込む夕日が老人の見事な銀髪を茜色に染めている。菊の花模様の銀刺繍で縁取られた、踝まである緑の長いローブを羽織り、裾の先にはつま先が尖ったこげ茶色のブーツが見え隠れしている。小柄な体に似合わず足のサイズは大きい。

 緊張した面持ちからウィルの表情が一気に和らいだ。目には涙が光っている。

「ありがとうございます。先生」

 感激のあまり、老人の手を力強く引くと固い握手を交わした。

ジャークは目を細め大きく頷くと部屋を出るよう促した。ここ数ヶ月使いまわした教材を分けて持ち合い、思い出話に花を咲かせながらウィルは清々しい気持ちでロビーへと伸びる大階段の前に立つ。

階段には両脇に整列した講師達が彼を笑顔で出迎えた。

力比べに燃えた国軍育成部統括 ミギー。お互い汗を流しながら競い合った講師はこれから軍事演習のため新人を扱きに北東にあるトゥーケ連邦共和国国境付近に向かうという。

科学技術現役指導官 ダマラは小さいネズミの容姿ながら、卓越した知識と閃きで難しい授業も面白おかしく実験を交えながら教えてくれた愛嬌ある講師だ。ドルシェ博士のもとに帰り進めていた研究の続きに取り掛かるという。

最も苦手としていた語学を、根気強く教えてくれたのが語学博士 カムだ。チョコレート色の肌に金髪ドレットヘアという目立つ存在でありながら、誰よりも丁寧に説明し誰よりもこちらの言葉でお喋りした陽気な男で、この後学校のない地域へ学校を作りに各地に奔走する予定らしい。

クロエ・ディアボロを凌ぐほどの童女、歴史研究家 キナは誰よりも厳しく間違えたら愛のムチが容赦なくウィルの体を痛めつけた。幼い容姿と裏腹に口を酸っぱくして『過去の過ちを繰り返してはならない』と戒めの言葉を事あるごとに言って聞かせた。

クラウオブナ神国大学の教授の職に戻り、まだ解明されてない遺跡や歴史の謎の研究に戻るという。

そして、隣を歩く弱い百歳は越えるであろう老人は稀代の天才、理数学者 ジャーグだ。

全てのものは数で成され、数によって支配されている。と、豪語しあらゆるものを公式化数値化しさらなる繋がりを探求し続ける研究家だ。彼の緻密な計算による建造物や構造物、戦略や商法など関わる分野に垣根はない。

ディアボロの選出した講師たちはいずれもその分野で一流であり、人間味溢れる魅力的な人物であった。

彼らは階段で順序よく整列し、笑顔でウィルを出迎えてくれる。

階段を降りるウィルは両脇で待ち構えるお世話になった講師たちに、熱い抱擁を返しながら感謝と御礼の言葉を並べた。

 階下まで来ると、彼の後に続いて降りてきた講師たちがウィルの周りを取り囲む。

「今宵は晩餐会だ。ディアボロ家の好意に預かって食堂を使えるよう取り計らってある。熱々のスープや肉汁の滴る料理が待ってるぞ!」

ミギーは手を揉み合わせ舌なめずりしなたら颯爽と食堂の扉を押し開いた。

芳しい香りが溢れ出し、ガラス製のランタンに照らされた豪奢な食堂が目に飛び込む。

重厚な黒に近い三十人は並べそうな長テーブルには、白いテーブルクロスと真っ赤なランチマットが食器と共に人数分並べてあり、美しく飾り立てられた瑞々しい果物や朝露滴る生花が大きなゴブレットに盛られて等間隔に置かれいた

高い天井を支える張りには複雑な彫刻が施され、天板は濃い緑色の布張りで格調高い食堂の調度品を引き立てている。

そんな厳かで落ち着いた雰囲気の食堂に主の姿はどこにもなかった。

ディアボロ家の人間は誰一人出迎えることなく一同を招き入れた。

 召使いが現れ、彼らのために椅子を引く。

「残念ながら、ディアボロ家の方々は多忙のため出席できないそうよ」

椅子に腰掛けながら居住まいを正しキナはそっけなく説明した。

皆が座ったのを確認すると召使いは一斉に下がる。

 部屋の片隅にあった扉からコックコート姿の男が現れ、彼らに挨拶した。

「今宵、料理長を勤めさせていただきますジャンでございます。ご主人様がお出迎えできなかったことを心よりお詫び申し上げていました。僭越ながらこのジャンが皆様を心ゆくまでおもてなしいたしますので宜しく願い致します」

全員に視線を合わせ、丁寧にお辞儀をすると出てきた扉の向こうへ姿を消した。

会食は和やかに進んだ。食べ物も美味しく、出て来るタイミングも絶妙でけして会話の邪魔にはならない。会話の内容は受講中にあった面白おかしい話と、国の情勢、今後の身の振り方など多岐にわたりいずれも笑顔が絶えなかった。

メインディッシュのお肉の乗ったお皿がテーブルに並ぶ間に、入口の扉が大きく開け放たれ騒々しい足音と共に泥と砂埃にまみれたディアボロが姿を現した。

 こげ茶色のカーゴパンツに白いシャツというラフな格好だ。

「遅くなって申し訳ない。おや、メインは間には合ったようだね。美味そうな匂いだ」

 手に持った埃にまみれたジャケットを肩に掛け、大人しく座っているカムとダマラの間に頭を突っ込み皿に顔を近づけるとうっとりと肉の匂いを嗅いだ。

ダマラの食事はテーブルの上にセッティングされた玩具のような食卓とテーブルのミニチュアの上にちょこんと乗っていたものだったが。

 すぐに頭を引っ込め皆が見渡せる家督の席の椅子を引くと無造作に上着を引っ掛け、どっかりと腰を据える。

「うん、なかなかいいね、この席は」

皆の注目の的になってるのを意に介せず、クロエはニヤリと笑ってみせた。

 扉がまたけたたましい音をして開き、今度は痩せてスラリと背の高く、まるでモデルのような出で立ちの黒髪の男が現れ鬼の形相で彼女のところまで大股で歩み寄った。

「お嬢様。なんて端ない。貴族たる令嬢が正装もせず何たる姿か」

白い歯を噛み合わせながら漆黒の鋭い瞳を怒りでぎらつかせている。白いシャツに灰色のクラバットを締めた黒い正装姿の彼のセミロングの髪は僅かにみだれており、急いで彼女の後を追ってきたのは一目瞭然だ。

 彼女から目を離さないまま、椅子の背にある上着を手に取った。

「預かり世話をしたディアボロ家の者がここに居合わせなくてどうする?残業のおかげでGD(1人乗り用小型車)を飛ばして来たんだ。着替える暇を与えなくて正解だ。メインディッシュには間に合っただろう?」

得意げにナイフをくるくる回す彼女は楽しげだ。「服が皺になってしまいます」男がブツブツ言ってる合間に、クロエは立ち上がるとテーブルに準備してあったボトルを手に取り自らグラスになみなみと注ぎ入れる。

 遅れを取って唖然とする男を無視して、高々とグラスを掲げた。

「では、無事講義を終えて覚えの悪い悪ガキから開放されることを祝して!」

一同に笑いの渦が湧き上がる。

失礼な言葉にウィルは顔を上げ抗議しようと口を開きかけた。

甘いミルクチョコレート色の瞳と憂いを湛えた真鍮色の瞳がぶつかり合う。

ウィルを見つめるクロエの瞳はどこまでも優しく温かかった。

辛辣な言葉とは裏腹に、目が合うとゆっくり頷き満足気に微笑む彼女に、もう何も言えない。口よりその瞳が多くを語っている。

よくやったな。ウィリアム。

 一気に体温が上がった。ウィルは頬が熱く火照るあまり、思わず手の甲を当てる。

「乾杯!!」

祝杯の音頭が取られさらなる盛り上がりか部屋中を満たし、晩餐会は夜遅くまで催された。

翌日。

 ノックの音でふと顔を上げ、肩越しに硬く閉じていた木製の扉をちらりと見た。

「どうぞ」

返事をしながらすぐ机上へと視線を戻す。そこには昨日までここで教鞭を振るっていた講師たちへのお礼状を書き綴られた便箋が折り重なっていた。

窓際に設えた机に朝日が差し込み、窓枠の影が机上に濃く浮かび上がっている。

遠慮がちに開くドアの様子に、執事のアルでないことに気付きクロエは上半身を捻り予期せぬ来訪者を確かめた。

 そこには意外な人物が立っていた。

「お、おはようございます」

ドアの前で居心地悪そうに居住まいを正し、不安で陰った視線を向けたのはウィリアムだった。寝起きのまま来たのか、いつも1つに三つ編みされていた髪は下ろされ少々みだれており、上下セットの白い部屋着は皺が寄りサイズが小さかったのか手首や足首がむき出しだ。

クロエも人のことを言えない格好で、ヒザ下まであるブラウンのガウンの中身は着古した白いワイシャツ一枚だ。おまけに裸足で薄暗い部屋の中に白く浮かび上がっている。

栗色の髪は耳の下で1つに艶のある白いリボンで一つに結ばれ、肩から胸元にかけて無造作に垂らしてある。いつもは編み込みして襟足より少し上でお団子ヘアにしているが、家でくつろぐ時は大抵このスタイルだ。

部屋の中で昨日まで座っていた椅子にクロエがおり、穏やかな表情で書類を書き進める姿に正直ウィリアムはドキッとした。

職場や使用人の前でどこか張り詰めた空気があるのに、今の彼女はリラックスしている様子でいつもの鋭さは微塵も感じない。まるで別人のようだ。

先の言葉を促すようにクロエが少し首をかしげた時、彼女の顔半分を覆っていた前髪がふわりと揺れる。ゆるくカールした柔らかそうな髪が頬を撫でた。

司はまるで甘い香りの漂う花の蜜に惹かれる蝶のように、彼女から目を放すことなくふらりと歩み寄る。

気が付いたら座っているクロエに触れそうな程近くまで来ていた。

 机に手を突き、体を屈め彼女の頬に触れそうなくらい唇を寄せて呟いた。

「感謝の気持ちを伝えたくて。」

柄にもなく心臓がうるさい。そして緊張している。

ウィリアムの返事を待っていたクロエは、自分を見つめたまま歩み寄る姿を黙って観察していた。こんな早朝に訪ねてきたのだ。困ったことでもあったのかと思ったが、彼の口から出た言葉は感謝の言葉だった。想定外の状況に彼女は暫し呆然とする。

窓の光を映したチョコレート色の甘い瞳が迫り、背後から覆いかぶさるように寄せた彼の体は体温をお互い感じるほど近く、頬の辺りを熱い吐息がくすぐった時、我に返った。

彼特有のひなたの香りと爽やかな花の香りに包まれている。腰まであるウィリアムの琥珀色の長い髪が視界の半分を覆い、残りは彼の顔がすぐそこまで迫っていた。

まっすぐな高い鼻。いつも笑みを湛えているようなたれ目。口角を薄く縁取るピンク色の唇はどことなく気品がある。健康的な蜂蜜色の肌はどこまでも滑らかで柔らかそうだ。

綺麗だな。髪が単純に長いからだけではない。彼には男性とも女性ともつかない中性的な魅力があり、長身にも関わらず男臭くないのだ。中身は男その物だとしても。

 突然ウィリアムの顔を掴むと近すぎる顔を遠ざけた。

「邪魔だわ。そんなに近づかなくても聞こえるから」

クロエは綺麗だと思ったことを悟られぬよう視線をそらし、馬鹿にしたように鼻を鳴らすと口元には笑みが浮かべウィリアムの思いがけない行動を面白がっている風を装った。

それが功を奏したのかウィリアムの口元が少し引きつる。

こっちは緊張で心臓がバクバクいっているというのに余裕の表情だ。

 ウィリアムはなんだかそれが悔しくて、今度は頬ではなくて彼女の耳に唇を寄せた。

「ありがとう」

言葉と一緒に熱い吐息が耳元をくすぐる。低く甘い声色は妙に色っぽく、ほんの数か月前に出会った頃、 お互い反発しあい嫌味や憎まれ口を叩いていたのが懐かしく思えた。

ふんわりと甘い菓子のような匂いがウィリアムの鼻をくすぐった。近づいた時何度か嗅いだことがあるクロエの香りだ。

少し赤くなった耳を見つめているうちに思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。無性に彼女の栗色の髪に触れて小さめの耳を食みたい衝動に駆られる。

ちらりとクロエが視線だけウィリアムに向けた時、このタイミングを狙ったかのようにノックの音と共に遠慮なくドアが開け放たれた。

 二人を纏っていた親密な空気があっという間に掻き消される。

「クロエ様!寝室にいらっしゃらないので心配しましたよ」

 開口一番小言を言って入ってきたのは、昨日クロエを食堂まで追いかけて世話を焼いていた執事だった。今日もきっちりと制服を着こなし、漆黒のセミロングの髪は整えられ豊富な髪は一部一つにまとめられている。

 寝起きのウィリアムとクロエとは対照的だ。

 彼女は肩越しに首だけ動かし後ろを見ると軽い口調で挨拶をした。

「おはよう。早く目覚めたから、昨日の客人に礼状を認めているところだ」

 クロエに覆いかぶさるように立っているウィリアムに気付き執事は顔をしかめた。

「貴様っ、ここで何をしている!」

鬼の形相で足音も荒く歩み寄り、ウィリアムの襟首を締め上げた。

切れ長の目をさらに細めて執事は寝起きで着乱れた二人の様子を交互に見比べた。

父が仕えていたディアボロ家の5才年下のお嬢様は、可愛らしい女性に成長したものの戦争で亡くなった父の遺志を引き継ぎ私が彼女付きの執事になって数年後、志願兵として城へ上られてしまった。その容姿と裏腹に女と思えない破竹の勢いで勝ち上がり、今では師団長の座を射止め、歴代団長の権威と計り知れない責任を背負っている。『双剣の獅子』と恐れられるその姿は男顔負けだ。

それに比べて、彼女の傍らに立つ青年はとても15才とは思えないほど大人びていて、そして憎らしいほど美しい。腰まで伸びた長い髪はざんばらで伸ばし放題なのに、光の加減できらきらと色の変わる宝石のような琥珀色。他で見ない色合いだ。優しげな目元を縁取る、髪と同じ色の長い睫毛の下には柔らかな光を湛えるミルクチョコレート色の瞳があり見る者を捉えて離さない不思議な甘さがある。

凛とした空気を纏うお嬢様と対象的に、陽だまりのような温かさがぴったりな雰囲気の青年だ。胸ぐらを掴まれたことに驚いたようで、戸惑った顔をしていたが一瞬名残惜しそうにお嬢様の顔を見た後青年は不敵な笑みを激昂する執事に向けた。

「起きたついでにこれまでのお礼を言いに来たんです。早朝失礼かなと思ったんですけど思いついたら、居ても立っても居られなくなって。ごめんなさい」

 言葉では謝っているが悪いと少しも思っていないような口ぶりだ。

 アルは歯ぎしりして青年の首を締め付けたまま牽制した。

「ウィリアム・エディソン・シェルストレーム。もう既に学んだはずだ。無階級のお前など農民や商人以下の存在だということを。わたしは第三氏族貴属であり、ディアボロ家は古から正統な血筋を受け継ぐ第二氏族臣属に属する。いい加減身分を弁えろ」

ウィリアムの顔から笑みが消えた。

一番始めに教えられたのはモナルキアの厳しい氏族制度と単一種主義国家だった。

国民は生まれで全てが決められる。

親、友達、学校、職業、結婚相手に至るまで。生まれ落ちた時に決定するのだ。

第0~第7の氏族に分けられ、実際本当の氏族で成り立っているのは0~3氏族までで特権階級と呼ばれ最も強い権力を誇示している。第4氏族から下は労働階級に分別される。

住む場所も階級別に強固な壁で区切られ、簡単に行き来できないようになっていた。

特権階級と国の人口殆どを占める賢く自尊心の高いモナルキア人は、同種しか尊重せず他種を迫害し奴隷のように扱った。

それは侵略先の他国でも同様で徹底した人種差別は世界に物議を醸し出した。国内外から強い反発を受け、当時強軍を誇っていたモナルキア王国は全世界を敵に回してしまう。

内乱と他国連合軍との激しい戦争を十余年あまり続け、次第にモナルキアの勢力は衰え国を失う前に国王が話し合いのテーブルに付き条件付き降伏を強いられる。

しかし、この星の95%の水源を有するモナルキア王国の権限は大きく、僅かな領土返還と一部地域の水源の開放にとどまる程度の条件だった。

なくならない格差社会。これはこの王国での絶対の掟だ。

 クロエの落ち着いた諭すような声がウィリアムの物思いを中断させた。

「いい加減にしろ。アルフレット・ジャンクルーノ。彼は他国から来た大事な客人だ。我が国のしきたりに無理やり当てはめようとするな。それは、モナルキア王国の外の人々にも言えることだ。礼儀を忘れるな。」

アルの手から力が抜け、忌々しげにウィリアムから身を引いた。

アルは消して悪いヤツではない。忠実で気配り上手な執事だ。ただ、この国で徹底的に教えられる階級制度とモナルキア人至上主義は、特権階級の子供たちにとんでもない偏見と優越感を植え付けそれが当たり前の生活を送ることになる。

幼いころに刷り込まれた教えはそう簡単に払拭されるものではない。

 クロエはここでその特権とやらをフルに活用することにした。

「支度は自分でする。もう下がっていろ、アル」

 上の階級からの命令は絶対だ。アルは悔しそうに唇を噛み表情を歪めた。

「畏まりました。お嬢様。旦那様と奥様が数日後に開催されるチャリティイベントについて話があるそうです。数刻後お二人は緑の間でお待ちです」

「わかった」

短く返事を返したクロエはいつもと変わらない事務的な態度に戻っていた。

静かに扉が閉まる。

クロエの口から長いため息が漏れる。

 呆然と立ち尽くすウィリアムに気付き、彼を見据え頬ずえを突くとにやりと笑った。

「で、どういう心境の変化だ?君は私を毛嫌いしていたと思っていたが。今日はやけに親しげで素直じゃないか」

 彼女の真鍮色の瞳が好奇心で煌めき、興味深げにウィリアムを見つめる。ウィリアムは自分がクロエに触れそうなほど近づいてしまったことや、小さく形の良い彼女の耳を食みたい衝動に駆られたことに今更ながら恥ずかしさが込み上げてきた。

 慌てて彼女から離れた勢いですぐ後ろの本棚に背中をぶつけてしまう。

「さ、さすがにここまでしてもらったらお礼を言うのは当たり前だろ。それに…この国の事情やあんたの事をよく知らないで先入観で見てたから。今は、少しは分かるさ。あんたが上の立場の人間で人に命令口調で話すのが癖になっているとことか、厳しいことや皮肉を交えて冗談言う割にオレのこと考えて言ってくれていたとか」

「ようやくわかったか」

「くっ!」

 ドヤ顔のクロエにウィリアムは歯を噛み合わせ素直に話したのを後悔した。本棚に張り付いたままのウィリアムから視線を逸らさず、彼女は手にした羽ペンの羽で自分の顎を撫でながら言葉を続ける。

「ところでウィル」

 愛称で呼ばれウィリアムの心臓が跳ねる。相手は顔色1つ変わらない。

「あんたじゃなくてクロエな。わたしもウィルと呼ぶからそれでいいだろ?それに、せっかく休戦協定を結ぶんだ。ここでお互いの立場をはっきりさせようじゃないか」

消して優しい話し方でもないのに彼女の低めの声色から、どこか面白がっているフシもあり何を言い出すのか不思議に思っていると、彼女は体の向きをくるりと変え立ち上がると本棚に張り付いていたウィリアムと向き合った。

「アルに言ったように、お前は異星から招いた客人だ。地球では世話になったし、こっちでゆっくり観光案内してあげたいところだが、今すべきことは母親探しが先決だな。母親が見つかるまで暫くは大変だと思うが、大丈夫。全面的に協力するし、いざとなったらお前を守ってやる」

「守ってやるって。こう見えてもオレ一応男なんですけど」

 不機嫌顔で唇を尖らすウィリアムの頭のてっぺんを二回軽く小突くと、クロエは朗らかに言った。

「まぁ、そう言うな。この国は治安が良くない。それに一般人を守るのは武人の務め。お前は黙ってわたしに守られていろ。それに、お友達も連れて帰らないとな?」

 いまいち納得できていない表情のウィリアムを尻目に、彼を見上げたクロエの真鍮色の瞳が一瞬キラリと光った。

「そんなに恩を感じているんだったら1つ借りを返してみないか?」

「え?」

なにやら企んでいるクロエの話に彼は興味をそそられた。思えば彼女には借りがたくさんある。何でもというわけではないが1つでもそれを返すことが出来るチャンスができれば言うことはない。

ウィルはその話に乗ってみることにした。


 クラッシックとジャズを合わせたような異国情緒溢れる優美な調べが、シダやソテツ、南国の観葉植物に似通った花々で飾り立てられた小さな特設ステージで奏でられていた。弦楽器の繊細な響きとさり気ない打楽器のリズムは正装した人々と広大なダンスホールに雰囲気がぴったりだ。

ディアボロ家の別邸は本邸から3ブロックほど先にある住宅地が見渡せる丘の上にあり、今日は盛大なチャリティ舞踏会が開かれていた。

クリーム色の温かみの感じる本邸とは対象的に、白亜の陶磁タイル仕上げの別邸は円形の有心型ルネサンス建築形式に似た造りで、幾つもの建築比例を組み合わせた幾何学模様の繰り返しが壁や柱、天井に至るまで建物の細部に渡り施されおり、訪れた人々の目を飽きさせない。真新しい建物とは言いがたかったが、手入れが行き届き細部に渡り意匠を施されたディアボロ家の別邸の価値は国の指定文化財産に指定されているほどだ。

古くも新しさを匂わせる別邸の建築様式は建物だけにとどまらず、類似色で揃えられた上品な調度品も圧巻だった。

正方形の舞踏場は三階までの吹き抜けの造りで、ニスで磨かれたピカピカの床は、濃いブラウン色のフローリングで歩いていても継ぎ目を感じないほど滑らかだ。

吹上天井には葡萄に似た植物をモチーフにした彫刻が施された白亜の張りが巡らされ、銀色に輝く巨大なシャンデリアが中央に据えられ、それを中心に中小のシャンデリアが放射線状に天井から下げられている。シャンデリアの明かりは暖かなオレンジ色でクリスタルに反射してホールを飴色に染めていた。

コンコースからつながるダンスホールが見渡せる二階、三階のバルコニーはボードゲームやカードゲームが楽しめるプレイルームや男女別の談話室、そしてゆっくりくつろげる個室などと繋がている。四階から五階まではゲストルームでが壁は素朴な白い漆喰仕立てでけして派手ではない。

正四角形の舞踏場客を迎えるエントラスとつながるコンコースや腕利きのコックが立ち働く簡易キッチンにパントリー、半円の窓辺を背にしたステージに園庭へと続くエントランスにその庭園を隅々まで望める広いバルコニー。

要所には猫脚の柔らかいクッションを張ったベージュ色のソファが置いてあり、談笑の場となっていた。

さざめくせせらぎのように語り合う女性達はボールガウンという裾が大きく広がったシルエットのドレスが主流で、基本的な形が同じでも光沢のあるものラメの散りばめたものや手の込んだかぎ編み仕立てのものなど、意匠こらした個性的なものが多く同じものが2つないほど華やかだ。

ドレスばかりでなく照明に負けない程のばっちりメイクで、中には美しいフェイスペイントをしている女性も少なくない。髪も複雑に結い上げられ、髪色もカラフルでまるで虹の園のようだ。彼女達の髪をさらに引き立てるのが、宝石や花々もしくは美しい鳥の羽、光沢のあるリボンなど髪飾りも凝っている。

まるで色の洪水の中にいるようで、目の奥がチカチカしてくるほどだ。

どんなに飾り立てた女性たちがこの会場を埋め尽くしても、ウィリアムの瞳を捕らえるのはたった1人の女性だった。

ざっくりとゆるふわにまとめられハーフアップされた濃いめの栗色の髪。その控えめな髪形と色を飾るのは、頬のあたりで時々揺れる大輪の白薔薇一輪。白薔薇には枝葉が添えられ、朝露を模した可憐な宝石が時折光る。

上半身のラインにぴったり沿ったレース仕立ての淡いベージュ色のドレスは、落ち着いた気品のあるハイネックで七分丈の袖は薄っすら透けていて、薔薇をモチーフにした複雑な刺繍が彼女の腕にあたかも蔦が絡みついているように見える。

レースと刺繍で飾られたデコルテラインとは対象的に上半身をぴったり覆うシルク素材のドレスはスッキリした作りで、腰から下を覆う大きく膨らませたプリンセスラインのスカートは生地にひだ(タック)をよせて、ボリュームを出したタッキングスカートだ。

手繰り寄せたドレープは薔薇ので纏められている。

滑らかなシルク素材と合わせて柔らかく手繰り寄せたシフォン素材が合わさってシャープな中にどこか可憐さを感じさせる雰囲気だ。

真っ白なボールガウンをお揃いで着こなす本日デビューしたてのウィリアムと同じ年頃の近寄りがたい女の子達と、ばっちりメイクに自己主張の強い着飾ったお姉さま方。

そんな男女の駆け引きを面白おかしく見つめ、噂話に事欠かないおばさま達は誰に見せたいのかわからないけど、大阪のおばちゃんも顔負けのケバケバしさだ。

中には数人上品なご婦人も数名居るようだが。

その中でも誰とも一線を引き、控えめにグラスを傾ける落ち着いた雰囲気のクロエは他の誰よりも輝いて見えた。

熱気に当てられた頬は僅かに赤らみ、普段しないチェリーピンクの紅を口に引いている。あまり見つめているのも悪いと思い、視線を無理やり剥がし白い手袋をはめた指を無意味にこすり合わせた。

「ディアボロ嬢。このような場にいらっしゃるなんて何年ぶりかしら」「ふふふ、少しは成長したみたいね。世間では働きすぎで行き遅れと噂されているのをご本人はご存知なのかしら?」「何でも、殿方との恋のゲームより仕事に夢中だとか」「ほほほほ。あなたご存じないの?このチャリティイベント、彼女のお見合いパーティなのよ。ボーイフレンドも作らないお嬢様に業を煮やして、大叔母様と祖父母、そしてなによりご両親がこの機会をお作りになったの」「まぁ、それは大変」「誰が彼女のハートを射止めるのか。興味がつきませんわ」「ええ、まったく」彼女の嘲笑とも取れる噂話が耳に飛び込む。

クロエが結婚?!

ウィリアムが上げた顔は青ざめ、この世の終わりのような表情になっていた。

血の気が失せ胸の辺りがムカムカして気持ちが悪い。

つい先日、母や友人を探し出し日本に帰してくれる約束をしたばかりなのに。

何も解決していないのに自分だけさっさと幸せになろうとしているのか?

お見合いパーティで浮かれる彼女に怒りが込み上げてきた。

いや、見る限り彼女はとてもこのパーティを楽しんでいるようには見えなかったが。

兎に角、そんなのはどうでもいい。

お見合いなんてしている場合じゃないことを話し合わなければ。

彼女の方へ顔を向けたウィリアムの顔色が今度は怒りで赤く変わった。

ちょっと目を離した隙にクロエはバーティに招待された男性達に囲まれていた。

いつも冷ややかな彼女の表情が、ここにきて穏やかに微笑んでいる。

憎まれ口と横柄な態度はどこへ行った?!

普段とかけ離れた淑女らしい雰囲気のクロエに言いようもない怒りが込み上げる。

行き場のない憤りに後押しされ、遠巻きに眺めていただけの彼女の元へ足を向けた時、腕を誰かに捕まれた。

 驚いて振り返ると初めて見る女性が5、6人待ち構えていた。

「あなた、男性ですよね」

「あ、はぁ」

間の抜けた返事を返しつつ、そうこうしているうちに女の子たちに行く手を塞がれた。

多くの男性が着ている黒の燕尾服に身を包んだウィリアムはいつも以上に大人びて見えた。185㎝以上ある細身の長身に長めの手足、腰まである琥珀色の髪は捻った髪を1つにゆるく編み上げ、肩からお腹に垂らしていた。編み込まれた髪には光沢のある濃い青色の太いリボンが一緒に編み込まれ毛先の手前でリボン結びになっている。

今まで遠巻きに見ていた女の子たちが、彼女達をきっかけに集まりだした。

口々にのぼる容姿に関する話。身の上を探り出そうとする者。どこからどこまで話していいのか見当もつかず曖昧に誤魔化すばかりだ。

一番困ったのがダンスの申込み。

いや、無理だろ。

嗜みとして2、3度男性の先生とレッスンしただけだ。

失敗して恥をかくに決まっている。

助け舟を求めて、クロエの方へと視線を戻した。

さほど背の高くない黒髪の男が彼女の手を取りダンスフロアへと踏み出す所だった。

一気に全身の毛が逆立ったような気がした。

 考えるより先に体が動く。

「失礼」

たむろしていた女性を掻き分け、今まさに連れ出そうとされていたクロエの手を取った。

驚いたような様子で顔を上げた彼女はウィリアムの顔を見るとゆったり笑みを浮かべ、黒髪の男から手を引き抜いた。

 耳元から流れ出た後れ毛をさっと払い、穏やかな口調で言った。

「お話に夢中で先約があるのをすっかり忘れておりましたわ」

黒髪の男はよく見ると小太りしておりベルトの上に贅肉が乗っかっている。

ウィリアムを頭の先から爪先まで舐めるように見つめて数秒後、彼の瞳に好色な色が浮かび上がった。

ウィリアムは本能的に悪寒に襲われる。男のぽっちゃりとした手がウィリアムの手をやんわりと掴み、男の手と対象的にほっそりとしたウィリアムの長い指先に唇を落とした。

 手袋越しでも伝わる柔らかく温かい感触にやけどしたかのように素早く手を振り払う。

「これはまた、美しいお友達ですな。男装の麗人がお相手だとは、ディアボロ嬢もお人が悪い。是非ご紹介願いたい」

手の甲を拭い払いたい衝動を抑えながら、嫌悪感も顕にウィリアムは男を睨む。

クロエはさっと身を引き、ウィリアムを自分の背に囲うと微笑みを貼り付けたまま答えた。

「仕事の取引先でお世話になっているお客様のご子息で、ウィリアム・エディソン・シェルストレーム氏です。外国の方でとても大切なお客様なのですよ」

「こ、これは失礼いたしました。どうりでこの国ではあまり見かけない顔立ちと髪色かと、いやはやなんとも、男性なのがもったいないくらいだ」

 慌てた様子で白い綿のハンカチをパンツのポケットから取り出すと、額から吹き出した汗を拭い無理やりお世辞を述べた。彼女を囲んでいる求婚者達の視線がウィリアムに釘付けなのをいいことに、クロエはこっそり苦笑いを浮かべる。

まだ十代とは思えない体躯と美女と見間違えるほどの美貌は、鬱陶しい男達を追い払うのに思った以上に効果的だった。

 まぁ、女としては面白くない気持ちも無きにしもあらずだがここはよしとしよう。透かさずウィリアムの腕に手を添えると、クロエは視線を彼からダンスフロアへ向け言った。

「お待たせしましたわ。参りましょう」

脇を開いたウィリアムの腕に手を滑り込ませた。彼はクロエに促されるまま、ダンスフロアへと連れ出される。

音楽に合わせてくるくる回る男女に紛れて二人もダンスを始めた。

三拍子のワルツで、単純な足さばきの繰り返しだ。

 視線をそらしたまま、彼女は口を開いた。

「来るのが遅いぞ。危うくダンスを申し込まれるところだった」

「は?」

 いつもの口調に戻った彼女にウィリアムは妙な安心感を覚えた。

「知らないだろうが。ダンス、食事、交際の申込みという手順で事は進んでいく」

 そこで言葉を切り、彼女はやっとウィリアムに視線を合わせた。

「つ、付き合うの?そして結婚…」

本当はこんな探るように聞くつもりはなかった。声だって震えている。

怒りは押し寄せる不安により怖れに変わっていた。恥ずかしいことに見捨てないで欲しいという気持ちが沸き上がってくる。それを押し隠すようにウィリアムの表情は益々険しくなった。

クロエはウィリアムの手を強く握り返し、微笑みを顔に貼り付けたままステップを踏み続ける。

「何の為にお前をここへ連れて来たと思っている?結婚適齢期なのに一向に恋人を紹介しない私に周りが世話を焼くんだ。こうやって、パーティ、お茶会、観劇会、イベントを立ち上げては男を紹介する。断り続けるのも悪いから面倒だが時々参加するんだ。それに今は恋人や結婚よりやるべきことは山ほどある。そもそも私にその気がないんだから心配するな」

虫除けの為にウィリアムを誘ったのだ。

彼女は今、恋人を作るつもりもないし、結婚なんて考えられないらしい。

今は。

安堵感と妙な失望感が胸の中を交差する。複雑な胸中にウィリアムは笑みを浮かべることができなかった。

 まっすぐ彼を見つめる真鍮色の瞳がある。

「ほら、笑え。美人が台無しだぞ」

可愛くて綺麗なのは君の方だ。シャツとズボン、堅苦しい軍服でない彼女のことをウィリアムは心からそう思った。

大輪の花が咲き乱れるようにダンスフロアに熱気が帯びる。

音楽に合わせ優雅に楽しげに輪を描く男女の円の中に、ウィリアムとクロエの姿が溶け込んでいった。

前回の予告まで筆が進みませんでした申し訳ございません。お詫び申し上げます。


次回

愛川<リジュエラ>と司<ウィリアム>にほのかな恋心が芽生え始めた頃、クラウオブナ神国で知識を蓄え英気を養っていた風之間に転機が訪れる。

地球へ帰れる方法の残る古代遺跡のあるモナルキア王国から使者が現れた。

地球とオウラを結ぶ道。

その秘密を掴むことは出来るのか。


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