Encounter(出会い)①
中学校の正門の前で中村 司は呆然と立ち尽くしていた。
転校初日からなんてついてないんだ。
広い四車線道路を挟んだ向かい側の小学校に、双子の妹を預けていたらすっかり遅くなってしまった。
薔薇を柵に絡ませたデザインの黒塗りの門は固く閉ざされ、乗り越えようにも太い柵の先には鋭い矢先の刃が整然と並んでいる。
司は三つ編みされた明るい茶色と金髪が混じり合った琥珀色の髪を肩から背中へと忌々しげに弾いた。しばたいた睫毛は長く髪と同じように茶色に所々金色の毛がまじっており瞳の色は甘そうなミルクチョコレート色だ。
大げさに溜息をつき門の向こう側に建つ校舎を見上げる。
歴史を感じさせる重厚な建物で静謐な白い壁が空高くそびえ立つ。はめ込み式の窓はきれいに磨き上げられ、太陽の光を反射して瞬いていた。上から二番目の階には各教室を横切る半円を描いたバルコニーがある。白亜のバルコニーには草花が溢れていた。
彼は正門の脇にある通用門に視線を移した。
正門と同じ作りだ。白い塀には黒いインターフォンが取り付けられている。
司は渋々脇に寄り、ためらうことなくインターフォンのボタンを押した。カメラが司の顔に焦点を定めキラリと光った。
面長でしっかりした骨格の司の顔が強張る。蜂蜜色の顔はやや青ざめ、普段優しい印象を与えるたれ目を細めた。細く整った長い眉は眉間に寄りしわを作っている。
小学校であんなに手間取らなければ遅刻は免れたのに。
自分より2つ年下の妹は双子で金髪碧眼だった。登校するだけでも好奇の目にさらされ、門を抜けたとたん人だかりだ。押し合いへし合いされながらなんとか二人を送ったが、今更ながら単一民国家日本での外国人の割合の少なさを思い知らされた。
スウェーデン人の父が早く馴染めるようにと日本だけで使うミドルネームを決めたのだが、見た目がすでに外国人なのだから違和感ありありだろう。
内心ブツブツと文句をつぶやいていると、マイクから女性の声が応えた。
「藤沢学園 桜ヶ丘中等部事務所 南です。どちらさまでしょうか」
制服が間に合わなくて今日は私服だ。仕事の都合で父親が同伴できなかったのが悔やまれる。司は思わず自分の身なりを確認せずにいられなかった。チェックのウェスタンシャツは控えめな水色で、さすがにジーンズは失礼かなと思い、からし色のカーゴパンツにした。上着はネイビーのモックネックセーターだ。
まだ秋口で気温が変わりやすいから袖は肘まで上げていた。スニーカーは量販店の安物だし問題はないはずだ。いや、問題は187センチある身長か?
司はなるべく落ち着き払った声色で簡潔に言った。
「転校してきた中村 司です。正しくはウィリアム・エディソン・シェルストレームです」
「は?」
ミナミという女性はすっとんきょうな声を上げた。咳払いをして司はゆっくり繰り返した。
「転校生です。書類でどちらの名前で登録されているのかわからないので。日本でのミドルネームが中村 司。本名がウィリアム・エディソン・シェルストレームです」
しばらくの沈黙の後「少々お待ちください」と言われた。
頼むよ。
司はそんな気持ちで肩をすくめると自嘲した。日本に来て自分は巨人になった気分だ。中学一年生にしては育ちすぎているのだから。
秋晴れで気持ちのいい天気だが風は冷たい。吹き付けた風に思わず肩をすくめ、白いロゴと白いラインが交差する黒いスポーツバックを肩にかけなおした。
前触れもなく通用門の鍵が解かれる音がした。
「どうぞ。お入りください。入りましたら校舎を右に回り、その裏手が職員入口です。そちらへ来てください」
門を押し開け金属がこすれ合う音を聞きながら校内に入った。
再び鍵のかかる音を司は背中で聞く。
門のすぐ脇から警備員が姿を現した。青い制服におそろいの帽子。腰には警棒をぶら下げている。
まさか、ピストルは持ってないよな。司は思わず警備員を頭の天辺からつま先までなめまわすように視線を這わせた。最低それを三度繰り返し、彼と視線を交わすと愛想のいい笑顔を浮かべた。
えーっと、確か初対面の人にはこう言うんだよな。三か月に及ぶ猛特訓の成果を試す時が来た。そう、この三か月日本語しか話していない。
読み書きにはまだ自信はないが会話は完璧なはずだ。
参考書だけでなく、流行りのアニメやドラマで自分なりに気に入った言い回しができるようになっていると思う。
軽く咳払いをして右手を差し出す。
「初めまして、中村 司です」
ここは日本だ。この名前で通そう。警備員は一瞬戸惑った様子で体を固くしたが、冷たい視線で司を一蹴するときびすを返し歩き始めた。
「事務所はこちらです」
Neglect?!思わず使い慣れた英語が脳内に飛び出す。いやいやいや、こういう場合「スルー」「シカト」と言うのではなかったか?
行き場の失った右手を開いたり閉じたりしてきまり悪そうにバックの持ち手に収めた。
警備員を追いながら、司は辺りを見回した。
地面はアスファルトで舗装されおり、白亜のパルテノン神殿のような校舎を赤レンガの歩道と葉を赤や黄色に染めた樹木が囲み、柔らかな日差しを注いでいる。
コンクリート打ちっぱなしの近代的な小さな建物の前で警備員は足を止めた。
じろりと司を見ると抑揚のない声で告げる。
「建物に沿って左に曲がると職員用入口です。自分は仕事があるので失礼します」
彼の指し示す方向に顔を向けると、校舎と自転車置き場に挟まれ緑に覆われた煉瓦道がずっと奥まで続いた。
警備室と自転車置き場は並んでいてその後ろはフェンスで区切られ、フェンスの向こう側に駐車場が見える。
司が視線を外している間に警備員は建物の中に消えていた。
建物と自転車置き場の間を通り抜けていると整然と並んでいる自転車の間から人影が見えた。一瞬ドキリとして顔を上げる。
自転車の間からセーラー服姿の女の子がちょうど自転車の前カゴからスクールバックを取り出しているところだった。
引っ張り上げたバックがカゴにぶつかり自転車のバランスが崩れた。
「あっ!」
彼女の短い悲鳴と同時にドミノ倒しのように自転車が倒れ始める。次々と倒れていく自転車が司の目の前に迫ってきた。寸でのところで腕を伸ばしドミノ、いや自転車の転倒を食い止める。
司は微笑みを浮かべながら倒れかけていた自転車を起こし彼女を見た。
「大丈夫?」
黒い艶やかな髪は短くカットされておりきらきら輝く瞳は黒曜石のように黒々としている。
白い肌に赤みがさし熟れたザクロのような赤い唇は半開きになっていた。
「ご、ごめんなさい」
なんて可愛らしい声なんだろう。
彼女は我に返り、唇を引き結ぶと倒れた自転車を立ち上げ始めた。司はそれを手伝いながら小柄な彼女との距離を徐々に縮めていく。
そしてとうとう二人は向かい合い瞳を交わした。が、それも一瞬で彼女はさっと視線を逸らした。
「ありがとう。あなた外国人?」
ぶしつけな質問に司は少し気分を害したものの、なるべく彼女を怖がらせないように優しく言った。
「まぁね。今日転校してきたばかりでこれから職員入口に行くところなんだ。大きな学校だね。迷いそうだよ」
辺りを見回すと肩をすくめてみせる。彼女の身長は司の肩よりも低く、体つきはとても華奢でまるで繊細な壊れ物のように思えた。
彼女の顔から天使のような笑みがこぼれる。
「お礼に案内する。職員の入口はこっちよ」
スクールバックを持ち直し、彼女は司の横に並び歩き出した。
ふんわりと甘い花の香りがする。校舎を通り抜けると手入れの行き届いた美しい西洋庭園が目に飛び込んだ。
思わず足を止めて見惚れてしまう。体育館と校舎に挟まれた空間に異国の庭園が広がっていた。
「すごく綺麗だね」
彼女は司の視線を追った。
「学校の中庭よ。他には果樹園や菜園もある」
見惚れていた司とは対照的に、彼女はそっけなく説明すると校舎の角にある職員用の出入り口の段差に足をかけていた。
ガラス張りの扉に手をかけ戸を引く。扉はカラカラと軽く音を立てなんなく開いた。
彼女は肩越しに後ろを見ると背の高い私服の彼が大人しくついて来ているのを確認した。
自転車置き場で彼を見た時正直驚いた。
すごく背が高く、しかも金髪。いや金髪というより光の加減で金や茶色に色を変えるきれいな髪だ。まるで蝶を閉じ込めている琥珀のような色だ。
しかも驚いたことにその髪は彼の腰のあたりまであり、今は一つにまとめられ三つ編みしてある。
しっかりとした体格の割に人畜無害な柔らかな雰囲気は、きらきら期待に輝く温かいチョコレートの瞳と目、口、鼻どれをとっても優しげな王子様的な作りから与える印象が強いからだろう。輪郭は決して女性的な感じでなく体と同様男らしいしっかりした面持ちなのに与える印象は真逆だから不思議だ。
圧倒的な体格差があるのに怖さを感じさせない。
そんな彼は倒れてきた自転車を起こしながら人懐っこく微笑んでいた。
靴を脱いで廊下に出ると後に続く彼が声をかけた。
「失礼。自己紹介はまだだったね。オレ、中村 司。よろしく」
『オレ、なかむら つかさ』?思わず眉根を寄せ勢いよく振り返った。少しアクセントのおかしな日本語を流暢に話す、容姿見た目間違いなく外国人の男が同級生の男子と話す時のような口振りで自己紹介してきた。ハーフ?クオーター?なのか?
あからさまに疑いの目を向けられ司はうろたえた。靴を持ってない方の手を差し出したものの引っ込めようか悩む。警備員にスルーされた手だ。
彼女はその手を握り上下に揺らした。
「中村 司君ね。私は愛川時子。中等部一年よ」
挑戦的な眼差しを投げつけ、時子はツンとあごをあげた。
彼女の瞳が好奇心できらりと光る。
ミス愛川ね。司は心の中で復唱し、もの珍しそうに校舎内を見回した。
入口の左側は行き止まりではめ込み式のステンドガラスからカラフルな光が白く清潔な廊下に影を落としている。
右手に廊下左手には幾つもの部屋の入り口と擦りガラスが並んでいた。
廊下と中庭を囲む壁には大きな窓ガラスがあり、暗くなりがちな空間を明るく照らしている。ここから美しい庭園を望みその奥に秋色に葉を染めた木立が乱立していた。
そして、手前に北校舎と渡り廊下でつながっている南校舎が右手の窓から見えた。
数か月前まで通っていたアメリカのジュニアハイスクールに比べたら、ここはまるで箱庭のようだ。
愛川はさっと手を引くと、ステンドガラスの下にあるシューズボックスを指さした。
「ここにあるスリッパ使っていいと思うよ?開いたところに靴入れて。上履き持ってきてないでしょ?」
「あぁ、Slippersね。上履き?」
靴とスリッパを交換してスリッパを履きながら司は首を傾げた。
上履きはこれじゃないのか?上履きはSlippersのはずだ。
間違いを犯したのか、不安になって渇いた唇を舐めて視線を上げると、愛川はすでに先を歩いており左手にある部屋の一つを指さしていた。
パタパタとスリッパを打ち鳴らしながら彼女に追い付き隣に並んだ。
「えっと、ほかの人たちは?」
彼女の指した部屋のドアの枠のプレートには漢字で『職員室』と書かれてある。
また、漢字だ。この国では日本語で書かれていることが多く文字も多彩に使い分けられていた。
英語・漢字・ひらがな・カタカナ、そしていろんな国の文字。
まるで学校にたった二人しかいないような空間に、思わず辺りを見回した。
「ここが職員室ね。今は朝礼中で生徒も先生も体育館に集まっているわ」
困惑している司を尻目に愛川はクールに答えると背を向けて歩き始めた。
「あ、ちょっと。じゃあ、君はどこに…」「ここに入れば大丈夫だから。悪いけど私、急いでいるの。じゃあね」
廊下の突き当りにある昇降口に呆然と立ち尽くす司に脇目も振らず、愛川はスクールバックを両手で抱え教室へと急いだ。
急ぐ理由はただ一つ。
あのとても目立つ男子生徒から一刻も早く離れたかったからだ。
見かけない顔だからきっと転校生だろうということを予想はつく。
本人は気付いてなさそうだが目立つ容姿に、あの人懐っこさは愛川にとって苦手な部類の人間だった。小学生時代の苦い思い出が蘇り慌てて首を横に振る。何度か人間関係に失敗していた愛川は人と接する機会を極力避けていた。
誰であろうと関わらないのが一番だ。
安全で静かな学園生活がなによりも大事で、中等部に上がった時用心に用心を重ね今の立ち位置を守り通していた。教室で透明人間のような存在。
昇降口にたどり着き、下駄箱で上履きを手にして愛川は一息ついた。
この揺るぎないポジションを維持するためにどれだけ苦労したことか。これを簡単に手放すつもりはない。
彼は倒れた自転車を起こしながら心配してくれたし、暖かな眼差しで屈託のない笑顔を見せてくれた。余計なことは話さなかったし、分からないことを率直に聞いてきただけだ。
馴れ馴れしく近づくこともなく、大人しく私の後ろをついてきた。
時子は上履きを履きながら物思いに耽る。
初対面なのに好印象で、悪い人ではなさそうなのよね。
教室へ向かおうと廊下に出た時、担任の高橋先生に出くわした。
「おう、愛川か。朝礼はもう終わったぞ。今日も遅刻か?夜更かし止めて早起きしろ」
体育教師らしいタンクトップとジャージ姿で、隆々に盛り上がる筋肉を見せつけている。
強面で髪は短く角刈りだ。丸い小さな目をしばたき、愛川をやんわりと叱り白い歯を見せてニヤリと笑った。
目以外のパーツは全て大きく、頭は体の四分の一を占めておりコロコロかわる表情は人好きのする憎めない印象で、世話好きでもあり強面の見かけによらず生徒からの人気はいい。
愛川は後退りするとB館にある教室へと体を反転しかけた。
先生のたくましい手が伸び逃げ出そうとした彼女の肩をつかむ
「待て。教室に一緒に行こう。もう一人連れて行くからちょっと待て」
鼻息荒く引きずるように愛川を連れていく。
逃げ出す機会を失い時子は来た道を戻りながら自分の運の悪さを呪った。
廊下にはすでに彼の姿はなく、先生と職員室へ入ると部屋の一角にある応接室のソファに不安な面持ちで座る司の姿があった。
世界観はオリジナルなのでわりとなんでもありです。
長編なのですが、気楽に読んでいただけるよう執筆中です。
次回もよろしくお願いいたします。
福森 月乃