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第二章 動き出す運命

 背後の縁側の方から、パチパチと火の爆ぜる音が聞こえる。

 同時に友人の霧雨魔理沙の小さな悲鳴が上がったのを聞いて、博麗霊夢は神社の簡素な台所から居間を抜けて縁側に出た。

 そこには月明かりの下、七輪の前で火の番をしていた魔理沙が馴れない炭火に悪戦苦闘している姿があった。

 危なっかしい手つきの白黒魔法使いを見かねて、霊夢は呆れた様子で言った。

「ちょっと魔理沙、あんた七輪の扱い方も知らないの?」

 すると七輪から顔を上げた魔理沙が、頬を膨らませて反論した。

「うるさいな。魔法使いってのは普段、七輪で火なんて熾さないんだぜ? 大概は魔法で一発で点けちゃうし、そうでなくてもアルコールランプとか蝋燭とか。大体お前、魔法使いの家に七輪や火鉢なんかがあるのを見たことあるのか? 普通の魔法使いはみんな薪の暖炉とオーブンだ」

 ボーイッシュな男口調に、軽くウェーブの掛った金髪。いかにも魔女のそれを思わせる黒の装いをした彼女の台詞に、霊夢は妙に納得した。

 言われてみると、確かにその通りだ。

 そして霊夢は魔理沙の膨らんだ頬が早くも煤けて黒くなっているのに気付いて、思わず笑みを溢した。

「まぁ、あんたの身なりじゃ例え黒焦げになっても分からないだろうし、好きなようにやりなさいよ」

「ほっとけ。それより、霊夢の方は下ごしらえはもう終わったのか?」

 今夜の二人は、昼間に『魔法の森』でキノコ狩りをしたと言う魔理沙の提案で、ささやかな〝キノコパーティー〟をしようと計画していた。

 キノコの味噌汁や炊き込みご飯などは既に完成しており、後は今回のメインディッシュである〝キノコの炭火焼き〟の準備が出来れば、待ちに待った夕食にありつけるのだが。

 霊夢は首を振って答えた。

「まだあと少し時間が掛るわ。何せ量が多いから疲れちゃって」

「情けないぞ霊夢。キノコの下ごしらえくらいもっと手早く――」

「あんたこそ、『火力はパワーだぜ!』とか言って火の番を買って出たんでしょう? 早くキノコが焼けるようにしなさい。勢い余って神社を焼くんじゃないわよ」

 そう言って霊夢が台所に戻ろうとすると、どこからか誰かの呼ぶ声が聞こえた――気がした。

 振り返って見ると、どうやら魔理沙にもその声が聞こえたようで、彼女も周囲を見回している。

「今、誰か呼んだ?」

「あぁ。多分、鳥居の方からだぜ」

 霊夢は眉を寄せた。

 この『博麗神社』には珍客の到来は日常茶飯事だ。それは霊夢に人妖を問わず惹き付ける魅力があるからだと言う者もいるが、それらの客人は概ね突然に彼女の前に姿を現す。

 それは空から、背後から、あるいは隙間から。

 ところが今回のように、わざわざ神社の玄関に当たる場所で自分を呼ぶような、いかにも余所余所しい客人がこの幻想郷にいただろうか?

 訝しむ霊夢に魔理沙が声を掛けた。

「とりあえず行ってみようぜ」

「……そうね」

 霊夢は縁側の下に揃えてあった自分の靴を履くと、魔理沙と共に神社の正面に回った。

 それまで二人がいた、霊夢の居住スペースとなっている建物は本来『博麗神社』の本殿であり、境内の裏手に位置する。そしてその前には本殿とは別に参拝の為の拝殿があり、その正面には参道が鳥居の方まで続いていた。

 二人はその拝殿の脇を抜けて参道の方まで出ると、そこから鳥居の下を覗き込んだ。

 しかしそこには誰の姿もない。

 と、なると残る可能性は……。

「上だな」

 魔理沙の声に頷くのと同時に、霊夢もそれ(、、)の姿を確認した。

 鳥居の上から、誰かがこちらを見下ろしている。

 夜の帳に隠れてシルエットは判別できないが、闇の中に深紅の光彩を放つ瞳が二つ見て取れた。

「……レミリアか?」

 若干の緊張を孕ませて、魔理沙が赤い瞳の主に尋ねた。

 しかし、その予想が間違いであることに霊夢は既に気付いていた。

 赤いルビーのような相貌の両側に、七色に輝く別の宝石が幾つも並んでいる。

 その姿を思い出して、霊夢は僅かながら戦慄を覚えた。

 かつて『紅魔異変』で相対し、〝あらゆる物を破壊する程度の能力〟を身に付けた悪魔の妹。

「こんなに立派な門があるっていうのに、何か足りないとおもわない? 霊夢」

 高圧的な口調で赤い瞳の主は言った。

 その聞き覚えのある幼い声が、霊夢の中で憶測を確信に変える。

 たちまち彼女の額に冷たい汗が浮かんだ。

(まさか、あの子(、、、)が……?)

 彼女(、、)とこうした形で会うのは、『紅魔異変』以降これが初めてだった。

 しかし彼女(、、)の放つあの暴風雨のような凄まじい弾幕と、凶悪なスペルカードは忘れたことがない。

「それは何かしら? フラン」

 動揺を悟られないように細心の注意を払いながら、霊夢は言った。

 どんな理由でここに現れたのかは知らないが、

(こんな所で弾幕ごっこしようってんじゃないでしょうね……?)

 若干の沈黙。霊夢にはその時間が永遠にも感じられた。

「それは門番(、、)よ! この神社には門番が足りないわ!」

 赤い瞳の主――フランドール・スカーレットが声も高らかに宣言した。

「も……」

 そしてここで、それまでずっと押し黙っていた魔理沙がようやく口を開いた。

「門番ならもうそこにいるぞ……!」

 言うと、彼女は鳥居を抜けた先で互いを見つめ合う二体の狛犬の像を指差した。

「…………えっ!?」

 途端に、先程までの緊張感はどこへやら、フランドールが間の抜けた声を上げた。

 そして今度こそ、本当に長い沈黙が訪れた。

 フランドールの慌てる様が、今やありありと見て取れた。

「ふ、ふん! そんな犬っころの像なんかが門番な訳――」

「いや、お前の館にも〝ガーゴイル〟の像があるだろう? これもそれと同じで、由緒正しいこの神社の魔除けの像だ!」

 三度訪れた長い沈黙。

 慌てふためくフランドール。

 その間にすっかり熱の冷めてしまった霊夢は脱力して、フランドールに言った。

「もういいからフラン、こっちに降りていらっしゃい。何か事情があるんだろうし、中で話を聞くわ」

 霊夢が言うと、魔理沙も思い出したかのようにそれに賛同した。

「お、そうだフラン! ちょうど人手が欲しかったトコなんだ!」

 急に明るさを取り戻した魔理沙とは対照的に、霊夢は深い溜め息を吐いた。

 どうやら、今夜は長い夜になりそうだ。



 丁度それと同じ頃、八雲紫の式――八雲藍は一人『マヨヒガ』を訪れていた。

 そこは人里離れた山奥の廃村の一つで、その一角には彼女の愛して止まない式神の橙が、付近に生息する野良猫たちを従えようと共同生活を送っている家がある。

 藍は事あるごとにこの家へ足を運んでは、橙との二人っきりの時間を過ごすのを心底楽しみにしていた。

 食事や掃除などの世話は勿論、水が苦手な彼女の為に、時には体を綺麗に拭いてやったりもする。

 まだまだ手の掛かる年頃だが、そんな橙の喜ぶ姿が、その為に労した何倍もの活力を藍に与えてくれていた。

 そして今日もまた、藍は『妖怪の山』で河童たちと物々交換した大量の魚を持ち込んでここに来ていた。

 これを見れば、橙もきっと大はしゃぎで喜んでくれるだろう。

 藍は橙と会う前からにやけ放しの緩みきった表情を、何とか引き締めようと努めた。

 しかし、こればっかりは抑えようがない。

 藍は自分の締りのない頬を揉みながら回想した。

 思えば、今夜は妙な夜だった。

 藍の主人の紫は『白玉楼』から戻って来るなり、すぐに自分に〝石拾い〟を命じた。

 大きさは一切問わず――実際、中には石と言うより岩と言ったサイズのものまであったが――とにかく大量に石を収集するようにと紫は藍に告げたのだ。

 それが一体何になるのかは分からないが、お蔭でこっちはさっきから体中が痛くて堪らない。

 藍はいかにも年寄り臭く、痛む腰をポンポンと叩いた。

 だからこそ、藍はようやく自由になれたこの時に、橙に元気を分けてもらおうと考えていた。

 次いで、あの子にマッサージなどしてもらえれば尚良い。

 淡い期待を胸に抱きながら、藍は橙の棲む屋敷の戸をノックした。

「橙、いるか?」

 しかし、中から橙の返事は無い。

 代わりに、突然の物音に驚いた猫たちが床や天井裏を駆け回る音だけが慌ただしく聞こえてきた。

「橙? 入るぞ?」

 藍は戸を開けて中に入った。

 だがそこには案の定、誰の姿もなかった。

 不審に思った藍は更に家の奥に踏み込んだ。

 瞬間、彼女は室内の異変にたちどころに気が付いた。

 部屋の奥から鼻孔を突く匂い――これは明らかに腐敗臭だ!

 藍は玄関から居間に駆け込むと、普段から橙が食事の際に使っている小さな卓袱台の上を見て仰天した。

 そこには、橙の食べかけの食事がそのまま放置されていた。

 それ自体は大した事ではないが、問題は腐敗の進行の度合いからして、それが昼食(、、)に用意されたものだということだ。

「そんなっ!」

 藍は弾かれたように、再び家の外へ飛び出した。

 そして屋敷の裏庭に回って、彼女は半ば放心状態となった。

 そこには、既に乾き切った洗濯物が未だに竿に干されていた。

 それは紛れもなく、橙が昼間の内から今の今まで、ここに戻って来ていないという確かな証拠だった。

 橙が消えた! それも今から何時間も前に!

 藍はその数学に長けた明晰な頭脳をフル回転させて、橙の大よその行動範囲を算出した。

(待ってろ橙っ!)

 藍は歯を喰いしばると、高々と飛翔して『マヨヒガ』を後にした。



 フランドールの参加もあって、〝キノコパーティー〟はそれなりの盛り上がりを見せつつあった。

 魔理沙とフランドールは並んで縁側に腰掛け、霊夢は七輪の傍で片面の焼けたキノコを引っくり返している。

 フランドールから『紅魔館』での突然の人事異動(、、、、)の話を聞かされて、魔理沙は忍び笑いを隠し切れず、そのまま声を上げて大笑いした。

 たちまちフランドールがムスッとした表情で彼女のことを睨んだが、魔理沙は構わず膝を何度も叩いて自分のお猪口の日本酒を一杯呷った。

「いくら魔理沙でも、めーりんを馬鹿にしたら許さないんだから」

 膨れっ面のフランドールに、魔理沙は手を合わせて謝った。

「悪かったって! でも、その為にここに来たのは失敗だったな」

「どういうこと?」

 フランドールが目を丸くした。

 魔理沙は次の一杯をお猪口に注ぎながら、

「だってここには門番を雇うお金も、そもそも門番に守ってもらうような物も何も無いからな」

「でも、ここにはお賽銭箱があるじゃない。あれってお金を入れるんでしょう?」

 頭上に疑問符を浮かべるフランドールに魔理沙は頷いた。

「確かにそうだ。でも、あれはあくまで〝お賽銭箱〟であって、〝貯金箱〟じゃない。その実、あれはただの空箱――イテテテテテテッ!」

 いつの間にか隣に立っていた霊夢に耳を抓られて、魔理沙は飛び上がった。

「あのお賽銭箱には、私の夢と希望が詰まっているの!」

「欲望の間違い――痛い痛いっ!」

 耳を好き放題引っ張られながら、魔理沙は霊夢の表情を横目に盗み見た。

 心なしか彼女も酔いが回っているようで、顔から首筋にかけてをほんのり朱に染めている。

 だから力加減が出来ていないのか、それとも故意でやっているのか。

 とにかく魔理沙はもうこの事に関して、今夜は口を開くまいと心に決めた。

 下手をすれば、次は耳を引き千切られるかしれない。

「じゃあ、魔理沙の家は?」

 と、それまでずっと何かを考え込んでいた様子のフランドールが顔を上げた。

 同時に、ようやく霊夢が魔理沙の耳を放す。

「私の家か?」

 魔理沙は痛む耳を押さえながら答えた。

「悪いけど私の家もパスだ」

「どうして? 魔理沙の家には〝お宝〟が沢山あるんでしょう?」

「あんなの、何の価値もないただのガラクタよ」

 二人の間に霊夢が割って入った。

「まぁ、今のペースで魔理沙が『大図書館』から本を盗み続けたら、その内門番が必要になるかもしれないわね」

 含み笑いを浮かべる霊夢。

 すぐに魔理沙は言い返した。

「失敬な奴だな霊夢。私は盗みなんてしてないぜ? 死ぬまで借りとくだけだ!」

「それと盗みとどう違うのよ!」

「簡単なことだ。盗人は盗品を返さないが、私は返す! 遺言によってな!」

「だからそれは――!」

「――ねぇ」

 口論は次第にエスカレートしていき、もう魔理沙にはフランドールの声が耳に届かなくなっていた。

 魔理沙と霊夢は縁側で縺れ合うように、互いの頬を引っ張り合う。

「こうなったら、とことんやってやるぜっ!」

「上等よ! あんたなんか鳥居に逆さ吊りにしてやるわっ!」

「――ちょっと!」

 そして仕舞には、弾幕勝負にまで発展しようとする始末。

 二人が縁側から裏庭に降りようとすると、すっかり置いてきぼりを食らっていたフランドールが堪え切れない様子で叫んだ。


「お願い聞いてっ!」


 突如として声を上げたフランドールに、二人は動きを止めた。

 魔理沙は驚いて声のした方を見ると、フランドールが今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめていた。

 涙の溜まった目に、スカートの裾を握りしめた手。

「私は早く……めーりんに新しい主人を見付けてあげたいの……!」

 上ずった声でフランドールが言った。

(参ったな……)

 魔理沙はバツが悪くなって思わず俯いた。

 霊夢も同様に、申し訳なさそうな顔をしてその場に座り直す。

「それが二人には頼めないことはわかったわ…………でも……でも……私は友達もいないし…………館の外で……霊夢と魔理沙以外に頼める相手もいなくて……」

 涙声でフランドールは言った。

「だけど急がないと……このままもしも……めーりんが私の知らない人の所の門番になっちゃったら……私は……もうめーりんに会えなくなっちゃうかもしれない……!!」

 そしてとうとう、フランドールは声を上げて泣き出した。

 よほど美鈴のことを慕っているのだろう。

 魔理沙は彼女の咽び泣く声に胸を締め付けられる思いがした。

 確かに、これほどまでに好いている相手を誰かに託すということは、幼いフランドールにはまさに身を斬られる思いがしたことだろう。

 しかし例えそうであっても、それでも美鈴の傍にいたいという彼女の気持ちがどれだけ強いものかを、魔理沙は彼女の姿から思い知らされた気がした。

(ケンカなんてしてる場合じゃなかったぜ……)

 魔理沙は深く反省すると同時に、自分の中で一つの疑問が浮かび上がるのを感じた。

 それはそもそも、一体どうしてフランドールは美鈴が門番をクビになることを前提に行動しているのかということだ。

 そんなのおかしくないだろうか?

 美鈴が自分の傍を離れるのは嫌なのに、彼女が門番をクビになることは既に諦めているなんて。

(気持ちは、分からないでもないんだがな)

 恐らく、フランドールには紅美鈴が門番であろうがなかろうが、そんなことは関係ないのだ。

 そんな肩書に囚われず、彼女はただ一心に〝紅美鈴〟自身を好いているのだ。

 だからこそ、彼女が自分の前から姿を消してしまうということに、他の事が見えなくなってしまったのだろう。

(ここは一肌脱いでやるか……)

 魔理沙は改めて正面からフランドールを見据えた。

「悪かったよ、フラン」

 魔理沙が言うと、霊夢が少し意外そうな顔をしてこちらを見た。

 恐らく彼女も先の自分と同じことを悩んでいたのだろう。

 魔理沙は続けた。

「お前の言いたいことはよく分かったよ。だけど、本当にそれがお前の意志なのか?」

「ちょっと魔理沙……!」

 途端に霊夢が自分を制止しようと口を挟んだ。

 しかし魔理沙は彼女に構わず、

「お前の本当の意志は、美鈴をクビにしたくないってことなんじゃないのか? 新しい主人探しなんてのも、そもそも美鈴がクビにならなければ、そんなことする必要なんて、どこにもないんじゃないのか?」

 フランドールは少しの間無言を保った。

 やがて、彼女は感情を押し殺したように言った。

「だけど、それはお姉様が……!」

「つまらないこと言ってんなよっ!」

 魔理沙はフランドールを一喝した。

 霊夢ももう、魔理沙を止めることはしなかった。

「だったら全部諦めるってのか? 美鈴に傍にいてほしいんだろう? 曲げられない意志があるんだろ? だったら勝とうぜっ!」

 魔理沙は言うと、立ち上がって縁側の端に立て掛けてあった自分の箒を手に取った。

「レミリアには私たち(、、、)から話してみる。なに、知らない仲じゃないんだから大丈夫だ。その間に、お前は『白玉楼』の幽々子に会って、レミリアに妖夢を貸さないように頼むんだ」

 言いながら、魔理沙は馴れた動きで箒に跨った。

 と、魔理沙の言葉を受けて霊夢もまた、縁側から立ち上がってフランドールの肩に手を置いた。

私たち(、、、)っていうのには、私も入ってるのよね?」

 言いながらこちらに視線を送る霊夢の顔は、憑き物が落ちたようなさっぱりとした表情をしていた。

 今や、つい先ほどまで見せていた当惑の色は見る影もない。

「当たり前だろ!」

 魔理沙が右手の親指を突き出すと、霊夢は頷き、屈んでフランドールに向き直った。

 フランドールは突然の二人の行動に、驚いて目を瞬かせるばかりだ。

 霊夢が力強い声で言った。

「魔理沙の言った通りよ。レミリアは任せて。あなたは空をひたすら上に、風上に進めば『冥界』に着くわ」

「……でも……私……」

 フランドールはまだ事態を飲み込めず、戸惑っているようだった。

 霊夢はそっとフランドールに微笑みかけ、そして彼女を奮い立たせるように言った。

「あなたも、自分の限界ってやつを飛び越えてみなさい」

 〝空を飛ぶ程度の能力〟を持つ巫女の言葉。

 瞬間、フランドールは胸を打たれたように霊夢と顔を見合わせた。

 見る見る内に、涙に落ち込んだその瞳に強い光が戻っていく。

 そして魔理沙と霊夢が揃って空中に舞い上がる頃には、フランドールの生気に満ちた声が上空の二人にも届いた。

「ありがとうっ!」

 その声を背中に受けながら、霊夢が爽やかな笑みを浮かべた。

「あんたも良いトコあるじゃない」

 魔理沙は鼻を鳴らして、

「パワーと図々しさは紙一重だ。 それに――」

 言葉を途中で切って、魔理沙は霊夢に笑いかけた。

私たち(、、、)はあいつが気に入ったっ!」

「あんたってホントに図々しいわ」

 そうは言うものの、霊夢も彼女の言葉を否定することはなかった。



 『紅魔館』の時計台が11時45分を回っても戻って来ないフランドールのことが、美鈴は心配で仕方がなくなっていた。

 何せ、夜明けまではまだ数時間あるものの、フランドールは日傘の一本も持たずに飛び去ってしまったのだ。おまけに長年に渡って館の地下室に閉じ込められていた彼女に、館の外の世界の常識があるとは思えない。もしかしたら、吸血鬼が日光に弱いことすらも知らない可能性すらある。

 美鈴は門の前を行ったり来たりしながら、ただひたすらに彼女の無事を祈った。

 同時に、どうしてあの時に彼女を止められなかったのかという自責の念もまた、彼女は抱き始めていた。

 主人に迷惑を掛けまいとして、結局迷惑――それも命の危険さえ伴う!――を掛けてしまっている。

 そして何より美鈴が自分を許せないでいるのが、それら一連の出来事が、ひとえにフランドールの彼女に対する優しさによってもたらされているということだった。

 それだけが、美鈴はどうしても我慢ならなかった。

(お嬢様……)

 本当なら、今すぐにでも彼女を探しに向かいたい。

 こんな所でただ祈ることしか出来ない自分が、歯痒くてしょうがない。

 辞めさせられることをあんなに恐れていた門番の職が、今は自分を縛る足枷にしかなっていないという苛立ち。

 美鈴は天を仰いで、どこまでも続く漆黒の空にフランドールの姿を探した。

 と、彼女のすぐ向かいの茂みが音を立てて揺れた。

 美鈴は期待を露わに音のした方向を見やった。

「お嬢様……?」

 しかし、そこに姿を現したのは彼女の待ち焦がれたフランドールではなかった。

 栗色の髪に黒の猫耳、先端が二股に分かれた特徴的な尻尾。

「ここは……」

 八雲藍の式――橙は息も絶え絶えにそう呟くと、そのまま前のめりに崩れ落ちた。

 慌てて美鈴は彼女に駆け寄り、寸前のところでその小さな体を抱き留めた。

「あなたは確か隙間の妖怪の……」

「……橙です」

 美鈴に抱え上げられながらも、橙はまだしっかりとした目で彼女のことを見つめ返した。

「どうしたのですか一体? こんなにボロボロになって」

 美鈴は尋ねながら、橙の身なりを確認した。

 橙の服装は、見るからにそこら中が泥だらけになっていた。また所々糸がほつれ、完全に破れてしまっている箇所もある。

 橙は衰弱した声で答えた。

「実は今日の昼間、昼食に用意した魚を他の猫に奪われしまったんです。それを追いかけている内に迷子に……」

(そんな馬鹿な!)

 美鈴は橙が消耗仕切った挙句、錯乱状態にある可能性を考えた。

 なんたって、『マヨヒガ』はこことは『霧の湖』を挟んだ向こう側だ。しかしさっき彼女が出てきた方向はそれとは正反対の『魔法の森』の方向。どこをどう迷えばそんな大移動が出来るというのか。

 しかし、橙は錯乱した様子など微塵も感じさせない声色で言った。

「本当なんです。私が『マヨヒガ』の家を出てすぐに、湖を吹く風の向きが突然変わって……」

 そのことは、美鈴もしっかり記憶していた。

 確かに橙は本当のことを言っている。

「それで湖の霧がすべてこっちに……」

 その説明を受けて、ようやく美鈴は納得した。

 湖の深い霧に視界を遮られて、歩き続ける内にどんどん『マヨヒガ』までのコースを逸れてしまったのだろう。

 そして霧が晴れる頃には、完全に道を誤ってしまったに違いない。

 美鈴は概ねの事情を理解すると、一先ず橙を休ませるべく、彼女を館の中に運び込もうとした。

 しかし、門を潜ろうとした美鈴を橙は必死になって制した。

「待ってくださいっ!」

 美鈴は怪訝な顔をした。

「どうしたんですか?」

 橙は哀願するように言った。

「藍様が、藍様が、橙がこんな時間まで家を空けてしまっているのに気付かないはずがありません! きっと今も橙のことを探し回っています! だから、どうかまずは橙を『マヨヒガ』に連れて行って下さい!」

 それが出来れば、自分もどんなに楽だろうか。

 橙には申し訳ないが、美鈴は苦虫を噛み潰したような気分になった。

 しかし自ら式の身を案じ、血眼になって彼女を探し続けている藍の姿を思い浮かべると、美鈴にはそれが他人事とはどうしても思えなかった。

 そして現に、橙はこんなにも弱り果てているのだから。

(まさかお嬢様も今頃……!)

 嫌な悪寒が美鈴の背筋を走った。

 よくよく見ると、あどけない橙の姿はどことなくフランドールにも重なった。

 その朱色の服も、被っている帽子も、フランドールに似つかわしい。

 もしも彼女が今、自分がこうしている内にも自分の名前を呼びながら苦しい思いをしているとしたら……。

 美鈴は深く目を閉じて、ある日のフランドールとの出来事を思い出した。



 それは『紅魔異変』の終結からまだ日の浅いある夜の事だった。

 美鈴がその日もいつものように庭園の草木の手入れをしていると、フランドールが彼女の名前を呼びながら駆け寄ってきた。

 当時、『紅魔館』の地下室から出たばかりのフランドールは館の敷地の外への外出は許されておらず、その彼女の遊び相手は専ら、館の庭の管理も任されている美鈴の役目だった。

「めーりん! 見て見て!」

 嬉々とした表情で、フランドールはそれまで両手で大事そうに抱えていたものを美鈴に掲げて見せた。

 それは庭園に生えていた様々な花を編んで作られた手作りの髪飾りで、数日前に美鈴が作り方を教えたものだった。

「わぁ! 初めて途中で壊さずに、最後まで作れましたね!」

 美鈴はまるで自分のことのように喜んで、フランドールの頭を撫でた。

 フランドールは気持ち良さそうに、そしてどこか気恥ずかしそうにはにかんだ。

「めーりんの教えてくれた〝おまじない〟を唱えたらね、本当に最後まで壊さずに出来たの!」

「頑張りましたね」

 美鈴はより一層彼女の頭を撫で回した。

 フランドールは精神的にまだ未熟な割に強過ぎる能力を持っており、未だにその力を完全には制御できずにいた。

 フランドール自身は全く悪気は無くても、些細な感情の起伏などによって、彼女はその能力を暴発させてしまう。

 そしてそんなフランドールに力のコントロールの方法を身に付けさせる為に、レミリアは〝気を操る程度の能力〟を持つ自分を、彼女の傍にいられるようにしたのだろうと美鈴は考えていた。

「そう、〝気は心〟ですよお嬢様!」

 美鈴が単なる思い付きで教えたこの〝おまじない〟も、実際は単なるプラシーボ効果を期待したものに過ぎない。

 しかしどうやらこれは功を奏したようで、美鈴はそういった一つ一つの積み重ねが着実にフランドールの成長に繋がっていくことに、確かな充実感を覚えるようになっていた。

「ねぇ、めーりん」

 そして何より、二人には到達すべき一つの目標があった。

 上目遣いに自分を呼んだフランドールに、美鈴は笑顔を向けた。

「なんですか?」

「あのね、もしこのまま私が能力を使いこなせるようになったら……」

 フランドールは躊躇いがちに言った。

「――私にも友達できるかな?」

「絶対にできますよ!」

 美鈴は自信をもって答えた。

「お嬢様の優しい〝心〟が伝われば、絶対に沢山の友達ができますよ! それに――」

 美鈴は一旦言葉を止め、悪戯っぽく笑ってフランドールを両手で抱きかかえた。

 二人の顔が近付く。

 美鈴は自分の中にある最大限の真心を込めて言った。

「私はスカーレット家に仕える門番です。だから私は絶対に、何があっても、お嬢様の傍にいますよ」

「うん!」

 そして二人は、互いにおでこをくっ付けて笑い合った。



 もう美鈴の中に迷いは無かった。

(私はスカーレット家に仕える門番として……)

 美鈴は一度、橙をその場に座らせると、『紅魔館』の正門を前に気を付けの姿勢をとった。

(申し訳ありません、レミリアお嬢様)

 美鈴は終始無言だったが、心中で彼女は自らの主に詫びながら頭を下げた。

 そして頭を上げると、美鈴は再び橙を抱いて言った。

「さあ、行きましょう。私たち(、、、)の主人に会いに」 

三連休ということもあり、予想外にすんなり更新できてしまいました。

まだまだ話は続きますが、楽しんで頂ければ幸いです。

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