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第一章 主人たちの思惑

 誰かに自分の名前を呼ばれた気がして、『紅魔館』の門番――紅美鈴は我に返った。

「寝てませんよ!」

 いくら咄嗟のことだったとは言え、自らのその体たらくを白状してしまう不甲斐無さ。

 しかし、それもいつものことだ。

 美鈴は反射的に、もう数瞬後に訪れるであろう自分の行く末に覚悟を決めた。

 恐らく次の瞬間には、中空に浮遊した幾千ものナイフが弦の引き絞られた矢の如く周囲を取り囲んでいて、自分はたちまち針鼠にされてしまうのだろうと。

 しかし、いつまで経ってもその時は訪れなかった。

「……あれ?」

 美鈴は拍子抜けした声を出すと、神妙な面持ちで辺りを見渡した。

 空から降り注ぐ月明かりのお蔭で見晴らしの良い夜だったが、あの恐ろしい銀のナイフの一本たりとも見当たらなかった。

 美鈴は安堵して胸を撫で下ろした。

 確かに名前を呼ばれた気がしたのだが、寝とぼけていたのだろうか?

(――否!)

「寝てませんったらっ!」

 一人で意味不明の押し問答を繰り広げ始めた美鈴だったが、彼女は認識が甘かった。

 いつの世でもどこの世でも、〝厄災〟とは降りかかる(、、、、、)ものだ。

 それはこの幻想郷も例外ではない。

「めーりんっ! あぶないっ!」

 声の主は遥か頭上。

「だから寝てま――ぃぃぃっ!?」

 突然に、そしてハッキリと呼び掛けられた声に反応して空を見上げた美鈴の目に映ったのは、鼻先に触れるほどの距離にまで迫る白い靴底だった。

「むぎゅぅっ!」

 成す術もなく、美鈴の顔面に声の主のスタンピングが容赦なく突き刺さった。彼女は首から背筋までをを大きく仰け反らせて数歩よろめき、転倒は免れたもののそのまま豪快に尻餅をついた。

「めーりん、大丈夫?」

 驚きと動揺、そして顔面と臀部の痛みに泡を食った様子の美鈴とは裏腹に、声の主は赤いスカートを翻して華麗に地面に着地した。

「あぅ……」

 首が折れなかったのは不幸中の幸いだった。門番のタフネスを嘗めてはいけない。

 それでも目の端に浮かんでしまった涙で視界をぼやかしたまま美鈴が顔を上げると、そこにはこちらの顔を覗き込む赤い相貌が見て取れた。

「あ……え……?」

 まだあどけなさの残る顔立ち。血潮のように赤い両の目に、滑らかなブロンドの髪はサイドテールに結わえ、可愛らしい口元から八重歯を覗かせている。

 それらの特徴を持ち合わせる人物は、『紅魔館』には一人しかいなかった。

「フランお嬢様!?」

 美鈴が素っ頓狂な声を上げると、フランドールは戸惑いがちに言った。

「ごめんめーりん。痛かった?」

 こちらの身を心から案じるような態度だ。弱々しく垂れた翼が、彼女の気持ちを忠実に表している。

 美鈴は慌てて、顔に着いた土を拭う振りをして目の端の涙を拭き取った。そして素早く膝立ちの格好になって、フランドールと視線を合わせる。

「このくらい平気ですよ!」

 主人に心配をかけるようでは、門番の名が廃るというものだ。

 美鈴が笑いかけると、フランドールも顔を明るくした。

「良かった……っじゃなくて聞いてよめーりん!」

 言うや否や、急に鬼気迫る表情になってフランドールが美鈴の肩を掴んだ。

 コロコロと変わる彼女の顔色に、美鈴は目を白黒させた。

(痛いのを誤魔化したのがいけなかったのかな……?)

 美鈴の思案をよそに、フランドールは瞳を潤ませて、

「このままだとめーりん、『紅魔館』をクビになっちゃうの!」

「はい。確かに首も痛かったですけど……」

「その首じゃない! クビよクビ! めーりん『紅魔館』を辞めさせられちゃうの!」

「お、お嬢様! そんなに強く肩を揺すらないでください! 首が! 首が!」

「ちょっとめーりん! ちゃんと聞いてるの!?」

 苛立った様子でフランドールが美鈴に顔を近付けた。

 だが美鈴は頸椎を走る激痛に、ただただ悶絶することしか出来なかった。

 外見は幼くても、彼女は紛れもない吸血鬼だ。その筋力は同じ年頃の人間のものとは比べ物にならないほど強い。

 今度こそポッキリ折れてしまうのではないかと思った首を、美鈴は両手で押えながら答えた。

「ちゃんと聞いていますよ……私がクビに…………」

 その言葉を口にした途端、無意識の内に自分の体がビクリと震えたのを美鈴は感じた。

 痛覚とは違う理由で浮かんできた脂汗が、こめかみから頬を伝って流れ落ちた。

「クビに…………」

 そしてそのまま、美鈴は石のように硬直して動けなくなった。

 ゆっくりと、確実にその言葉の意味が腹の底に沁み渡っていく。

「めーりん?」

 フランドールがしゃがみ込み、下から美鈴の様子を窺った。

 両者の目が合うのとほぼ同時に、美鈴は立ち上がって絶叫した。



 幻想郷の遥か上空に、『冥界』は存在する。

 そこは閻魔の裁きによって成仏、あるいは転生を命じられた霊魂が駐留するための場所であり、その深部には『冥界』の象徴と目される広大な日本屋敷『白玉楼』があった。

 西行寺幽々子が主を務めるその屋敷は高い漆喰の塀に周囲を囲われており、虎口の門を抜けるとそこは美しい桜並木を有する庭になっている。

 屋敷に向かって一直線に伸びる石畳の道が敷かれたその庭は、道の両脇に整然と並ぶ灯籠によっていつもながら見事にライトアップされていた。

 自然の火が生み出す温かな光と、それによって生ずる影。

 時に夜風が颯爽と吹き抜け、木々がざわめき、炎が揺れる。

 一度ここを訪れた者は、この異世界の空間が見せる自然の趣と、荘厳な壮美に胸を打たれることだろう。

 その庭の中に、屋敷から虎口の方へと向かう二人の人影があった。

「それでは行って参ります」

 門の手前のところまで来ると、半人半霊の庭師――魂魄妖夢は門の向こうに見える『白玉楼階段』を背にして深々と腰を折った。

 彼女の腰から下がっている二本の刀の鞘が、その動きに合わせてカチャリと音を立てる。

 それまで彼女の後ろを行っていた西行寺幽々子は、笑みを浮かべて答えた。

「気を付けて行ってらっしゃい、妖夢」

「はい!」

 頭を上げた妖夢の期待に満ちた顔を見て、幽々子は笑みを一層深くした。

(今からあんなにはしゃいじゃって)

 幽々子は懐から愛用の扇子を取り出すと、それを広げて頬の緩んだ顔の下半分を隠した。

 妖夢はこれから、『紅魔館』で門番を務めることになっている。突然の依頼に最初は驚いた様子の彼女だったが、今となっては日頃とは違う環境に身を置けることをとても楽しみに思っているようだった。

 きっと今の彼女に耳と尻尾があったなら、さぞ勢い良く振っていることだろう。

 幽々子はそんな妖夢がますます可愛らしく思えて、扇子を更に顔に近付けた。

「ですが幽々子様も、ご無理をなさらないようにして下さいね?」

「そんな、今生の別れという訳ではないのだから妖夢。心配いらないわ」

 幽々子は言うと、扇子を閉じて門の方を指した。

「ほらほら妖夢、早くしないと約束の時間に遅れてしまうわ。もし遅刻でもしたら、この『白玉楼』の庭師として示しがつかないでしょう?」

「そうですね。では!」

 再び頭を下げた妖夢は踵を返して、門を抜けて『白玉楼階段』の下へと消えて行った。

 幽々子は彼女の姿が見えなくなるまでその背中に手を振ってから、急にほくそ笑んだ。

「駒のように使われるのが気に入らない? ふふ、貴女らしいわね」

 独り言のように幽々子は言うと、後ろを振り返った。

 しかしそこには誰の姿もなく、さっきまでと変わらない景色が広がっているだけだった。

「私は好きよ? こういうのも」

 だが幽々子は構わず、虚空に向かって話しかけた。

 間違いなくそこにいる(、、、、、)、旧友に向かって。

 そう、目に見えないということと存在しないということは決して同義ではない。そのことは、亡霊である幽々子が一番よく理解していた。

 例えば人々が夢想した〝雨月〟のように、心に思い描いた虚像であっても、それはその者にとってはありありと心に映る実像となる。

 認知と実在の境界は、実はあまりにも薄い。

 いると思えば、彼女(、、)はいつでもいるのだ。

「確かに貴女の言う通り、あのお子様吸血鬼を懲らしめるのは簡単なことよ? でも、運命に逆らうのは簡単ではないし、賢明でもないわ」

 諭すような口調で幽々子は言った。

 すると屋敷の方から、一吹きの風が悪戯に彼女の頬を掠めて行った。灯籠の炎が揺らめく。

 幽々子は暫し瞑目し、続けた。

「私たちは、私たちの思うままに過ごしましょう? 大丈夫、私だって何の考えも無しに妖夢を貸し与えた訳ではないのだから」

 そして幽々子は再び扇子を広げて口元を隠した。その表情に怪しい影が落ちる。

「当然、貴女も手伝ってくれるでしょう? ――紫?」



 美鈴が落ち着きを取り戻すのには少々の時間を要した。

 今や美鈴はしっかりと平静を保っているものの、その冷静さが返ってこの現実を彼女に強く突き付けさせているようでもあった。

 半ば呆然自失の美鈴に、フランドールは彼女を思いやるように訊いた。

「めーりん、何かお姉様を怒らせるようなことしたの? 私も一緒に謝ってあげるよ?」

 その質問に、美鈴は少しの間考え込んだ。そして彼女はいつも通りの頼りない――フランドールは彼女のその表情が好きだった――笑顔を浮かべると、首を横に振って答えた。

「いいえお嬢様。きっとこれは、毎度の如く部外者の侵入を許してしまった私への当然の報いです。ですからお嬢様にまで迷惑を掛ける訳にはいきませんし、私は甘んじて罰を受けるつもりです」

 その柔らかくもどこかぎこちない笑顔の下に、どれほどの複雑な感情が取り巻いているのかは、まだ幼いフランドールには量りかねた。

(めーりんがそうでいてくれたから、私はあの冷たい地下室から出ることができたのに!)

 彼女の気持ちは無視してしまうのかもしれないが、美鈴の言葉に対して、フランドールはそう思わずにはいられなかった。

 どうしてそれが、罰せられなければならないのか。

 フランドールは心の奥から込み上げてきた様々な気持ちの奔流が、自分の中で徐々に涙に変わろうとしていくのを感じた。

「じゃあ、めーりんはここをクビになったらどこに行くの?」

 声を詰まらせながらフランドールが尋ねると、美鈴は彼女の頭をその大きな掌で優しく撫でた。

「きっとまたどこかで、門番してますよ」

 嘘だ、とフランドールは直感的に悟った。

 目は嘘をつけない。特に、優しく正直者の紅美鈴はそれがハッキリと顔に出る。

 同時に、このままでは美鈴が自分の前から永遠に姿を消してしまうような、そんな不安がフランドールの脳裏を過った。

(そんなの嫌……!)

 フランドールは頭の上に置かれていた美鈴の手を取ると、その暖かい手を握り締めた。

「じゃあ、私がめーりんの新しい居場所を見付けてきてあげる!」

「え?」

 たちまち美鈴が困惑の表情を見せた。

 しかし、フランドールの決意は固かった。

(せめて、私の知ってる誰かの所で……)

 フランドールは美鈴の手を放すと言った。

「今はまだ、私はめーりんの主人なんだから!」

 そして美鈴の返事も待たずして、フランドールは夜の幻想郷へ飛び立った。

 もうほとんど自分が泣き出しそうだったのは、バレずに済んだだろうか?

 館がどんどんと遠くなるにつれ、止めどなく溢れてきた涙をフランドールは腕で拭った。

「待っててね、めーりん……!」

 決意も新たに、フランドールは前方を見据えた。

 まず最初の目的地は、博麗霊が巫女を務める『博麗神社』だ。

さて、とりあえず一区切りです。

そろそろ感想やコメントを求めても許される文章量に達しているでしょうか?(笑)

随時募集中ですので、よろしくお願い致します!

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