第二話 紅の花
『盗賊に狙われたら無一文になったと思え、犯罪旅団に狙われたら死んだと思え』
犯罪旅団の凶悪さを示すのに、こんな格言がある。殺しに略奪、詐欺に麻薬運びとありとあらゆる非合法の依頼を請け負い、大陸中を飛びまわっては村や町を襲って悪行の限りを尽くす最悪の戦闘集団――それが犯罪旅団だ。しかも、その構成員のほとんどが高度な戦闘力を持つ魔導師であるため、生半可な戦力では相手にならない。ゆえに、軍でさえもやすやすと手出しができないほど厄介な連中だ。
村人たちは一気に震えあがった。犯罪旅団に眼を付けられては、こんな小さな村などひとたまりもない。潰されるのに半日もかからないだろう。先ほどまでふんぞり返っていた村長も、急に体を縮めるとひっくり返ったような声で叫ぶ。
「よ、用件はなんだ? あいにくなのだが、我が村には大した財産はないぞ! 本当だ、見ればわかるだろう。寂れた小さな村なのだ」
「そんなことはわかってますよ。あなたの言う通り、見ればわかる。村の財産など、せいぜい家畜ぐらいのものでしょうな」
「では……なぜ? なぜ、我が村を襲うのだ?」
「襲いやしないですよ、あなた方が素直に女神像を出してくれさえすればね」
女神像? なんでまた――にわかにざわめきが生まれた。村人たちは互いに顔を寄せ合うと、ひそひそと囁き合う。どうしてこいつらは女神像なんかがほしいのだ、と。
女神像は紛れもなく村の守り神であった。しかし、その力については素朴な村人たちですらほとんど信じていない。女神像に祈ったからといって、特別な効果があったことなど今まで一回もないのだ。彼らが女神像を信仰するのはあくまでも『村の伝統だから』であって、女神像が実際に何らかの力を持っているとは思っていない。女神像はあくまでも、女神を模しただけのただの古い木の像に過ぎないはずだ。それこそ大きな教会などに行けば、もっと見栄えのする由緒正しい女神像がいくらでも転がっているだろう。
「女神像? 何故そんなものを?」
「あなた方が知る必要のないことです。像を渡すのか、渡さないのか。重要なのはそこでしょう」
「ううむ……」
「渡しては駄目!」
旅団側の提案に思わず考え込んだ村人たちの耳に、毅然とした強い声が辺りに響いた。シナモンだ。彼らは驚き、一斉に彼女の方へと振り向く。旅団の連中も予想外の反応だったのか、僅かばかり眼を見開いて彼女を見た。
「ただの木彫りの像だけれど、女神像は先祖代々村で守ってきた大切な宝よ! こんなやつらに渡しちゃいけないわ! それに、女神像を渡したからといって、こいつらが引き揚げる保証もない。渡した瞬間に『はいさようなら』って可能性だってあるのよ。絶対に渡しては駄目!」
村人たちは水を打ったように静まり返った。冷静になって考えてみれば、その通りである。彼らは飛行船の方を見ると、困ったような顔をした。するとここで、何か鉄でも弾けたような衝撃が飛行船の方から伝わってくる。
「なッ……!」
「ね、ねえちゃん!」
一瞬だった。音に気を取られたほんのわずかな隙に、シナモンの前に一人の男が立っていた。先ほど飛行船から下りてきた男の一人のようで、ナイフを三本も手にしている。彼はそれを爪のように舌でなめていた。色白の顔は不気味なほどの笑顔に彩られている。
「ハハッ、いい指摘だね。だけど、僕たちと君たちは対等じゃないんだ。僕たちは君たちを簡単にばらしちまえるけど、君たちにはそれができない。その意味わかる?」
「うぅ……!」
殺気――背筋が凍りつき、全身の毛穴という毛穴が開くほどの。眼には見えないが男の細い肉体から邪悪に染まった瘴気が噴き出しているようだ。そのあまりの威力に、さながら物理的な力に押されるようにして、シナモンは地面に腰をついてしまった。ひらりひらり。ナイフの妖しい光が蒼白な顔の前でちらつく。
ベルゼは動くことができなかった。ただただ、目の前の狂気を見続けることしかできない。まるで物理的な壁に遮られたかのように、手を出すことができないのだ。他の村人たちも同様で、シナモンと男の周りに空白地帯が出来てしまっている。
「おやめなさい。いまここで殺すと仕事がやりにくくなります」
「しょうがないなあ……」
眼鏡男の指示に、ナイフ男は素直に従った。男は空を蹴り、宙を駆けるようにして飛行船へと帰っていく。そうしてナイフ男が戻ったところで、眼鏡男がふっと息をついた。
「わかったでしょう、村のみなさん。私たちはこんな村など簡単につぶせるのです。そうですねえ、一日。一日猶予を与えますから、女神像を差し出すか村人の全滅を選ぶか考えてください」
眼鏡男はそう告げると、船内へと戻っていった。他の二人もそれぞれ部下を引き連れて船内へと戻る。村人たちは戦慄にとらわれ、その様子をじっと眺めていた――。
「じいちゃん、頼む!」
空港前から帰ってきたベルゼは、床に頭をこすりつけていた。彼は犯罪旅団の討伐をモルガンに依頼したのだ。しかし、布団に横たわったモルガンはいい顔をしない。彼は体を起こすと、天井を仰いで唸った。
「ううむ……連中が欲しがっておるのは女神像じゃろう? だったら渡してしまえば良いではないか」
「そんな、戦わないの!?」
「ああ。ここは渡してしまうのが得策じゃろう……」
ベルゼは眼を見開いた。こんな弱気なモルガンを見たのは、これが初めてだ。彼は思わず布団にすり寄ると、声を荒げる。
「どんな時でも悪に屈しちゃいけないって、じっちゃんは前に言ったじゃないか! 大切なものは守らなきゃいけないって言ったじゃないか! それにじっちゃんは世界一強い魔導師なんだろ! あいつらにだって勝てるんだろう!?」
モルガンにすがりつくと、ベルゼはその逞しい肩を何度も揺すった。彼はモルガンを信じていた。モルガンが語ってくれた過去の冒険譚を。そして、彼が誰よりも強いということを。勇ましい竜の翼の団長であったはずの彼が、空港を占拠している犯罪旅団の魔導師たちより弱いはずが無い――ベルゼの眼はそう確信に満ちていた。無垢な瞳が老人の皺に埋もれた瞳を貫く。すると、血色の悪い唇が薄く開かれた。
「……ベルゼ、すまんが今までの話はほとんどがわしの作り話なんじゃ。世界各地を飛び回ったというのも、竜の翼の団長だったなどということもな。だから、わしが最強の魔導師などということはない。ちょっと喧嘩に強いだけの、ただのじいさんなんじゃよ」
「嘘だ! そんなの絶対に嘘だ!」
「嘘ではない。わしは、見ての通り何も持っておらん老人じゃ。金もない、家族もない。だからせめて――立派な過去を持っておるということにしたかったんじゃ。お前には嘘をついて、本当に悪いことをしたと思っておる……」
「そんなの俺は信じない! モルガンは世界一の魔導師なんだ!」
ベルゼはモルガンのもとを離れると、奥の物置部屋に入り、勢いよく扉を閉じてしまった。それきり、その部屋からは何の音もしない。モルガンは完全に閉じられた扉を見ながら、顔をうつむけた。
「辛いだろう、ベルゼ……。お前はわしの孫であることを誇りに思っておったからの。しかし、これが一番良かったんじゃ……」
モルガンはそうつぶやくと、枕を裏返しにした。白い枕カバーには、黒ずんだ紅の飛沫が一面にこびりついている。それは間違いなく、血の跡だった――。
ベルゼが物置に籠もってから、数時間もの時が流れた。彼は昼飯も夕食も取らず、ただひたすらに物置の片隅で体操座りをしている。その瞼は赤く腫れていて、眼の下には幾筋もの涙の痕があった。それはもう何時間も前に乾いてしまっているが、拭われた気配すらない。彼は部屋の片隅で何もせず、ただ静かに時を過ごしているのだ。
物置部屋の中は、驚くほどの静寂に満ちていた。内部で発生する音という物は全くなく、薄い壁を一枚隔てただけの家の外の音がよく聞こえる。鳥の鳴き声、虫たちの合唱、草を撫でる風の音――田舎特有の耳に心地よい音が荒んだベルゼの心を徐々に癒してくれる。
だがここで、今までとは少し違った音が響いてきた。馬が走っていくような、テンポの良い足音だ。それがどうにも気になったベルゼ。彼は乱雑に収納された物を足場としながら、小さな窓より外を眺める。すると、宵闇に紛れるようにして誰かがこちらに向かって走ってきていた。誰だろうか。ベルゼは目を凝らしてみる。
「シナモンねえちゃん……?」
月影に僅かにきらめいた赤い髪。この村で赤髪の人間はシナモンしかいなかった。彼女は何やら長い筒のような物を手に、ベルゼの家の前を通り過ぎていく。そうして家を通り過ぎる瞬間、彼女が抱えている物の正体がはっきり見て取れた。銀色に輝く長い銃身、飴色の木の台座――魔導銃だ。しかもどこから手に入れたのか、熊などの大型獣に使う殺傷力が高いタイプの銃である。
「無茶だ! 勝てるわけないのに!」
ベルゼは慌ててシナモンについて行こうとした。モルガンが頼りにならない以上、彼が頑張らなければならない。だが、このままついて行っては意味が無いだろう。ベルゼはとっさに、何か役に立つ物が無いかと物置きの中をひっくり返す。積まれた本や古いおもちゃをどかし、埃を巻き上げながら彼は部屋の捜索を始めた。すぐにどかされたものがベルゼの周りに山を為し、ぐるりと取り囲むようになる。
そうしていると、奥に聳えているガラクタの山の下に何やら扉のようなものが見えた。床下収納だろうか。ベルゼは山を力一杯押して動かすと、扉の取っ手に手をかける。鉄の縁取りがなされた小さな扉は、錆ついているのか床と一体化したように開かなかった。
「うぐッ……!」
扉は開かれることを拒むが強固に閉じていたが、ベルゼは力を込め続けた。扉の向こうに何か強い力の気配を感じるのだ。彼は額に汗を流しながら、顔を真っ赤にして取っ手を引っ張り続ける。やがて扉が軋むような音を立て始め、徐々に隙間ができてきた。そこから碧の澄みきった光が染み出して、暗い部屋を照らし始める。
光は急速に勢いを増し、洪水のように溢れだした。それを堰き止めていた扉は大きく震えると、中からつき破られるようにして押し開かれる。部屋中に散乱した碧の光。その中をふわりと何かが浮かび上がり、尻もちをついていたベルゼの懐へと飛び込んだ。ベルゼはそれを覗き込むと、目を丸くする。
「魔導書……!」
黒革の表紙に金色の文字。紙は長い年月を物語るかのように茶褐色へと変貌を遂げている。こんな特徴を持つ神秘的な本を、ベルゼは魔導書以外に知らなかった。しかも、これだけ強力な光を放っているところを見ると古代魔導書だろうか。
いける――! ベルゼの心に確信と自信が溢れる。彼はいまだ輝いている本を脇に抱えると、急いで窓から物置部屋を飛び出したのであった。
「そ、そんな……! 直撃したのになんで全然平気なのよ! 熊でも一撃で死ぬ銃よ!」
「俺様の身体は熊より鍛えられてるんだ。そんなもん効かないぜ」
空港に到着したシナモンは、見張りの大男に追いつめられていた。銃撃を命中させたにも関わらず、まったく効かないのだ。さながら鋼の塊に銃撃したかのごとく、カツンと音がして魔導弾が弾かれてしまう。
ゆっくりと後退しつつも、銃を構え続けるシナモン。大男は自身に向けられる銃口など全く気にせず、下卑な笑みを浮かべて彼女に近づいていく。響く高音、火を噴く銃口。弾は青白い軌道を描いて男の胸元に直撃した。が、服の隙間から覗いている胸毛が若干焦げただけ。男は何事もなかったかのようにシナモンの前に立つと、銃口に手を当てた。硬いはずの銀色の銃身が、またたく間に捻じ曲げられてしまう。
「いきがるのも良いが、相手のことはよく調べておくんだったな。まあ、俺様はそういう女の方が好きだけどな!」
「や、やめて!」
「そんなに嫌がるなって。俺様はよ、胸のデカイ女がこの世で一番好きなんだ。だから本当はお前のこと、朝から気になってたんだぜ。アルファロ兄ちゃんが、明日になるまで村の者には手を出すなっていうから我慢してたんだけどさ!」
大男はシナモンの服を力任せに引きちぎった。破れた服の中から、白い果実が溢れだす。それは人一倍大きな男の手にも余るほどの、圧倒的な量感を誇っていた。張りがあり、さながら大きな球体のようにも見えるそれを手で弄びながら、男は歓喜に顔を歪ませる。
「すげえ、想像以上だ! これだけデカイのは俺も初めてだぜ! たまんねえ!」
「いや! いやァ!!」
抵抗するシナモン。白い手が男の顔や肩を滅多打ちにした。だが男は全く構うことなく、その顔を彼女の胸元に埋めようとする。
「やめろォ!!」
響いた雄叫び。大男は思わず手を止めると、後ろに振り返った。するとそこには、魔導書を抱えたベルゼが立っている。
「誰だてめえ! ガキは家に帰ってな」
「ガキじゃない! 俺はお前たちを倒しに来たんだ! シナモンねえちゃんを離せ!」
「はあ、寝ボケるにはまだ早いぜ」
大男はベルゼを無視して背中を向けようとした。その時、にわかに光が満ちる。宵闇の中に朝陽が現れたような強烈な光の波涛。後ろからそれに飲み込まれた大男は、思わず目をふさぎながらベルゼの方へと振り返る。
「な、なんだその本は! まさか魔導書か!」
「ああ、たぶんそうだよ」
驚愕する大男。それを尻目にしてベルゼは本を開く。そして、朗々と呪文を詠み始めた。果てが無いような奥深い高音と低音が複雑に絡まり合いながら、今は失われた古代の韻律を刻んでゆく。その音はさながら水が入り込むがごとく大男やシナモンの心に分け入ってきた。荒々しく圧倒的な威圧、協力無比な力の波動。冥府の叫びを凝縮したかのような韻律。シナモンはおろか、大男までもがそれに背筋を凍らせた。
「ありえねえ……! なぜこんな力が……!」
ベルゼの足元より、紅の光が広がる。光は輪を形作り、地面に複雑にして精緻を極めた魔法陣を描き出す。幾何と文字の組み合わせより成り立つ魔法陣は脈打つように光を迸らせ、そこから透明な力がわき出した。魔力だ。大地を飲み込むが如き凶悪な魔力が――魔法陣より無尽蔵に湧いている。
ベルゼの背後に、おぞましき影が見えた。形ははっきりとはしない。だが、それが脅威だと本能が語っている。大男は歯をガタガタと震わせ、そこから前に進むことはできなかった。むしろ、腰を抜かしたようにジリジリと退いてしまう。
「あ、ああ……!!」
ベルゼの魔法はいよいよ完成しそうであった。高まる魔力が渦を巻き、彼の身体を覆ってゆく。男はそれを、ただ茫然と眺めることしかできない。恐怖のあまり体が動かないのだ。いよいよベルゼが魔法を完成させ、男を倒すのも時間の問題に思えてくる。しかし――
「グアアアァ!! ご、ごめんシナモンねえちゃん……」
「ベルゼーー!!」
突如として、ベルゼの胸元から紅が飛び散った。鮮やかな紅、生命の紅。それが今が華とばかりに散る。その紅の雨にまぎれるようにして、不健康な白い顔が幽鬼のごとく現れた。
「いけないなあ、子供がこんな物で遊んじゃ。その罪は死に値するよ?」
次回からがおそらく序盤の山場です
戦闘シーンを書けるように頑張らないと……