寒がり社員たちは、立ち上がる。
今日の俺、朝イチから、昼が待ち遠しいと現実逃避。
今日のお弁当なんだろなー。カミさんがめっちゃ笑顔で渡して来てくれたから、絶対俺の好きなやつ。楽しみ。
そんな昼への思いを、頭の中にある賽の河原の石積みより高く積み上げる俺。
それは、目の前の光景がゆえ、仕方ないと思う。
「だーかーらー、エアコン22度に下げるとか、サーバー室じゃないんだから、やり過ぎだってーの!」
営業部エースの宮原が、ガチギレしている。
「夏にエアコンは当たり前だろ! 暑いのはこれ以上どうしようもないんだし、寒い方は着ればどうにかできるだろ!」
同じく営業部の原田が言い返す。
「バカじゃないの?! 着込むのだって限界あるんだし、やり過ぎなんだよ! 暑い方に合わせるのはわかるけど、限度があんの!!」
熱中症、脱水症状、そんな健康被害へ気をつけるよう、注意喚起が毎年起こるようになった夏。
オフィス内の冷房は、暑がりが優勢・優先であるが、それに合わせて当然と言う態度に、寒がりがキレてしまった。
気持ちはわかる。俺もいま、クッッッソ寒い。
俺、長袖のワイシャツに、実は長袖のインナーシャツを着ている。
出勤時は半袖のサラサラ速乾インナーだけど、会社に着いてからインナー変えてる。寒いから。
「そうだよ、原田。お前に合わせてたら、みんなが風邪を引くレベルなんだぞー」
営業部の暑がりではない男たちも、それなりに寒いようで援護射撃をする。お前らジャケット着てるのか。寒いんだろ……ちゃんと言えよ。俺も着ようかな。
宮原が援護射撃に頷きながら口走る。
「ってかさ、別に部ごとで席固める必要なくない?」
「あー、それな」
営業部、暑がらず男子も同意してる。
今やフリーアドレスなんていう、固定の自席はないオフィスもあるし、客からの電話は固定電話より、営業の連中は、会社スマホに掛かってくること多いしな。
会議で、固定電話を減らす話も出てるくらいだ。
「暑がりエリアと寒がりエリアに、デスク分ければいいんじゃない?」
部の営業事務である伊藤が提案しだした……って、ブランケット羽織っている……!
女子は、膝掛けとかを自前で、きちんと用意してるもんなぁ。俺もなんか用意しとこうかな。
「それもありだが、オフィス内レイアウト変更になるから、会議とかなんやかんやあるし、時間はかかりそうだよなぁ」
会社というのは割と動きが遅い。俺はため息まじりに言葉を落とす。
この部屋は営業部だけでなく、他の部もいるから、一存で決める事は出来ないからな。
そしてレイアウト変更は、それなりに金が掛かる。
業者を呼んで物品移動しなきゃならんし。不用品も撤去とかあるし、まず理想の形を決めなきゃならないが……。その予算が降りるかどうか……。
「レイ変賛成!! 署名するわ!!」
隣の部である、企画部の課長が、バンと机を叩き立ち上がる。
企画部の他の面々も手を挙げてくれたりと、署名に手を貸してくれるそうだ。
ウイーン ウイーン シュッ シュッ シュッ
複合機が動いて、紙を3枚排出した。
その紙を伊藤が取りに行き、俺の前に持ってくる。
「概要と署名欄です」
早っ!!
この短時間で、レイアウト変更に対して賛成の署名を集めるための説明文と、サイン欄のある用紙を作っていたのか。
概要に目を通すと、丁寧な言葉で綴られているものの、ざっくり雑な言葉で言うと『暑がりに合わせて事務所を寒くしすぎ。いい加減にして』と、言いたいであろう内容だ。
最近はハンコレスで使わなくなった、部署と日付と名前がある3行ハンコ。俺はそれを取り出して、今日の日付にダイヤルを回して合わせ、スタンプ台のインクにハンコをトントン叩き、概要書類の右上側にドンと押す。
このハンコで営業部の部長は賛成。という書類になるはずだ。
それを見た企画部の課長も、自分のハンコを押してくれた。
そして、伊藤へ返すと2つ折りのクリップバインダーを手に取り、クリアポケットのついている側へ概要を、クリップ側へ署名用紙を挟んで、また俺に渡してきた。
署名欄の1番上に、俺の名前を書けと言う事か……。
「やったー!」
宮原が喜んでいる。
そりゃあ一般社員より、役職持ちの名前ある方がいいよな。俺も別に反対ってわけじゃないし。むしろ賛成側だ。
営業部の寒がりたちが署名をすると、隣の企画部へバインダーは渡されて、署名はガンガン書かれて、また別の部署に行ってとバインダーは旅に出た。
「別に今のままで良くねー?」
原田は特に協力姿勢を見せないようだ。営業部に関してはお前が原因だろが。お前ひとり快適ってだけなんだからな、現状。
「今日の営業部に影響するエアコンの温度設定、宮原・伊藤仕様にしていいぞ」
俺の言葉に、宮原と伊藤の目が光ったように思えた。
原田が首を傾げている。
「原田が快適な温度は、宮原や伊藤にとっては寒いんだ。今まではいちばん暑がりな原田に合わせていたが、お前は感謝の言葉も渡さず、当然っていう態度だったからな」
実は俺も結構寒さが堪えている。隠れ蓑にしてごめん、宮原と伊藤。
「えー、エアコンハラスメントじゃないっすか、それ! エアハラ反対ー!」
「お前が先にしてたんだろ。お前も受けてみろ」
「ま、俺午前は外出るんで、エアコンの温度関係ないから、大丈夫っすけどー。んじゃ外回り行ってきまーす」
そう言って余裕そうな顔を浮かべて資料を鞄に詰めた原田は、出て行った。大半が駅近の客先なこともあり、余裕そうな顔だ。午前の仕事を再開する。
今日の外は38度。外回りなくて良かった! 原田は午前が外回り。昼食後戻ってくる予定だ。
そして昼休み。
本日の昼休みの俺、カミさん特製弁当を、社員ダイニングで食べる。
今日はなんと、ひつまぶし弁当。ご当地弁当シリーズのようだ。うなぎ嬉しい。今朝の笑顔の理由がわかり、俺も笑顔。
娘は俺と同じような弁当の事が多いからイイけど、カミさんちゃんと食べてるかな。うなぎ好きだし。
飯が終わったら、LINNEトークで訊いてみよう。
うん、香りのいい甘めながら、塩辛いタレが食欲をさらにそそる。山椒のピリッとアクセント、好き。
ちなみに社員ダイニングは、エアコンの温度を下げすぎる事なく、寒がりたちにとっては快適な温度だ。
なので、弊社の寒がりたちが集まりやすい場である。
食事を摂り、エアコンで冷えた少し体も温まった。なんなら、デスクに戻ればちょっと暑いかも。でも、これ冷房強くすると、すぐ冷えるやつ。
デスク付近で、宮原がサーキュレーターを回してくれて、室内の空気を動かしていた。多分これですぐ温度は落ち着く。
デスクでカミさんとLINNEトーク。
カミさん、ちゃんと自分用も作って、丼物を家で食べる時の、茶碗より大きい丼に盛られている写メも送ってくれた。
俺、安心。
LINNEトークをしていたら昼休みが終わる。
さて、午後の仕事開始だ。
「あっちー!! あ、戻りましたー」
「「おかえりー」」
午後の仕事が始まり20分ほど経った頃、原田が戻ってきた。
そして原田は当然のように、リモコンパネルの方へ足を運ぶが、そこには大判の付箋が貼ってあり……
『営業部側エアコン
宮原 伊藤 以外
本日操作禁止!!』
と書かれてあり、ぴたりとパネルの前で動きを止める。
「いや、暑すぎるだろ!」
いつもは自分基準で、設定温度をガンガン下げていた原田。外回りをしてきたこともあり、皆が「暑がりさんはとても暑いだろう」と、黙認と我慢をしていたが、本日、その我慢は解かれている。
「ひんやりタイプの汗拭きシートとか、使いなよ」
「なんだよ、それ」
宮原が声をかけると、原田は首を傾げる。
その返答に、宮原・伊藤・俺・他営業部の面々は、目を丸くするしかない。
「お、お前、クールタイプのシート使ってねぇの? そんな暑がりなのに……むしろ超クールタイプでもいいだろ」
「シートってなんだ?? エクセルンのか???」
えと、原田くん……宮原・伊藤と同じ年代ですよね? 俺より上の世代じゃないですよね?? 俺でも知っている汗拭きシートですよ。
表計算ソフトであるエクセルンの、数式入れて便利に計算できるシートの事じゃないよ。
「ほら、こういうのだよ」
「ウェットティッシュか??」
見かねた営業部男子が、自分のカバンからシートの袋を取り出し、シールの蓋を開けて、ひんやりシートを1枚渡す。
パリパリとした袋に入ったティッシュっぽく見えるから、ウェットティッシュと思ったのか?
「それで首とか腕とか拭いてみろよ。それ顔用じゃないから顔はダメな」
「……おう??」
原田はボディ用のシートをもらったようだ。すーっと滑らすと、みるみるうちに驚きの顔に変化する。
「うわ、スースーする!! すげぇ!!」
初めて使った時の反応って新鮮で面白いよなぁ。と、のんびり眺めていたら、宮原と伊藤の顔が怒りに満ちていた。
「ふっざけんなよ、お前ーー!!」
「暑さ対策しないで、ひたすら事務所寒くしてたなんて、信じられないわ!!」
そうなるよね。俺もそう思った。
「いや、こんなのあるなんて知らねーし」
「スマホ持ってんだろ、調べろよ!! 暑さ対策グッズだって、テレビで沢山紹介されているよ!」
「ハンディファン持ってる人だって見てるでしょ! 周りくらい見なさいよ!! 目ついてるでしょ!」
女性陣は怒りで言葉が乱雑に。無理もない。
原田、ひんやりシートも知らないって事は……まさかと思ってしまうが、訊かないと答えは出ない。
「あれ、じゃあ……冷感インナーとかも知らない感じか?」
「なんですか、霊感インナーって。呪術師にでもなれるグッズですか?」
俺もお世話になっている、ひんやりを感じるインナー。
それを、ホラーに結びつけやがった。そっちのレイカンじゃねーよ!
「違う。ひんやりを感じるインナーだ。冷房下ではかなり効く。あと、速乾インナーとか、汗の不快感を少しでも早く減らすインナーもあるぞ」
「なんすか、超近未来的っすね、それ!!」
これだけ世間が暑い暑い、むしろ熱い熱いと騒がしい中、冷感グッズを知らない原田に俺ドン引き。
「お前が原始人なんだよ!! 現代に謝れ!!」
宮原の言葉が乱暴になるのも、仕方がない。むしろもっと言っていいぞ。
暑さ対策を何もせず、暑い暑い言って、冷房を自分好みに設定し、周りに寒い思いをさせていた状態に、みんなから怒りと呆れと非難の目が向いている。
宮原の怒りは尤もなもので、誰も彼女を諌める事はない。
「対策しっかりして、それでいてなお暑いなら仕方ないよねってなるけれど、それはなさすぎて引くわ……」
「原田、マジでサイテー。原始時代に帰れよ」
伊藤と宮原はこれまで、とっても寒いのを我慢していたんだろう。
「でも、きちんと暑さ対策しても暑い人だっているんだし、冷房の強い・弱いエリアを作ることは、提案して欲しいよ」
隣の企画部の課長が言ってくる。
俺ももうちょっとだけ、寒さが和らぐエリアが欲しい。
企画2課の課長も頷いている。
「そうですね。会議で議題に出しましょう。ちなみに署名のバインダーは今どこに?」
「もう、この部屋分は終わってるから、経理・総務・人事がいるエリアに回ったよ」
「はっや……」
思っていたより、みんな冷房に対して我慢してるようで、温度分けに賛成のようだ。その証拠に署名バインダーは、各部署へサクサク回っている。
各部署の暑がりたちは、寒がりたちへ申し訳ない気持ちも色々言っているそうで、自分ではどうしようもないから、出来そうならぜひ。と寒がりたちへ言って、署名をしていたらしく、和やかな雰囲気になっていたそうだ。
「部課長会議、頻度増えそう……」
俺、ポツリと漏らすも、快適を手に入れるために動くしかない。
このエリアにいる人らへ、俺は声を張り上げ伝える。
「おーい、手が空いてる人〜! レイアウト案、出してくれ。いくつか候補を会議で出してみる」
ガタガタっと音がして、少し遠くで手をあげてくれる人もいた。よかった。
「私やりますー!」
「あ、僕も。プレゼンソフトのスピポで作っていいですか?」
「わたしもやりたい!」
営業部だけではなく、他の部の人らも手が空いている人が取り掛かってくれた。
繁忙期でもないため、ギスギス度が低いし、そしてこれからくるしんどい夏のために、主に寒がりが動いてくれている。
戻ってきた署名は、およそ8割以上賛成。過半数超えてんじゃねーか。どんだけ快適度少ないの、弊社! 少ないな!
寒がりのためではなく、暑がり・寒がり両方のためだろうし、署名は多い。
そして、レイアウト変更に伴う席割りも配慮してくれているのか、名前の横に暑や寒・普通の普を書いて、丸で囲ってくれている。
名前のない人らは、自席が快適なのだろう。ほんの一部の連中は、席移動はしたくないとの事だ。
「レイアウト変更、いくつかの馴染みの業者へ電話を掛けました。対応可能日と見積書、工程案を出来次第送ってくれるそうです。一応こちら側は、まだ計画段階であることも伝えてあります」
伊藤……シゴ早デキ過ぎて俺ビビる。
それでいて、営業が使う見積もり——通常業務書類もきちんと提出されている。
他の部の人らも、手描きだったりパソコン使ったりしつつ、レイアウト変更案を出して来たりと、席移動を望む声が多いのを目の当たりにした俺。
ちょっと本気で頑張るか。
◆俺氏の戦いは、これからだ!




