消える子供たち
翌朝、ボーデンの冒険者ギルドは夜明けと共に叩き起こされたような騒がしさに包まれていた。
酒臭い怒鳴り声、掲示板の依頼票を奪い合う荒くれ者たちの怒号、そして受付嬢の疲れ切った悲鳴。
王都の騎士団や魔導省の整然とした空気とは正反対の、泥臭く剥き出しの喧騒。
ミレアナは未だ、この辺境特有の熱気に慣れきれずにいた。
「……朝から、耳を劈くような騒音ね」
「活気があるって言ってあげなよ」
隣でレーヴが、いつものように大きな欠伸を噛み殺しながら笑う。
「貴方は何故、これほど不快な環境で平然としていられるの?」
「慣れ、かな。ほら、雑音があった方がよく眠れるタイプっているでしょ?」
「全く参考にならない回答ね」
「ははっ、手厳しいな」
いつもの軽いやり取り。
だがその軽口とは裏腹に、ギルド内の空気はどこか妙だった。
ミレアナたちが足を踏み入れた瞬間数人のベテラン冒険者たちが鋭い視線を向け、すぐに気まずそうに逸らしたのだ。
針の筵のような妙な沈黙。
リオネルが僅かに目を細め、腰の剣に手を添える。
「……何かありましたね」
その時だった。
「レーヴ!!」
ギルドの奥から、受付嬢のセシルが身を乗り出すようにしてこちらへ駆けてきた。
「うわ、朝から元気だね、セシルちゃん」
「元気なわけないでしょ!! 大変なのよ!」
いつもの事務的な態度はどこへやら、彼女の表情は余裕をなくし切羽詰まっていた。
レーヴの瞳から軽薄な笑みがすっと引いていく。
「何があった」
「またよ。また子供が消えたわ」
その一言で周囲の喧騒がふっと一段階低くなった。
ミレアナは静かにセシルを見据える。
「また、ということは……初めてではないのね」
「……ここ一ヶ月で、分かっているだけで六人目よ」
六人。
狭い辺境都市において、決して「偶然の不幸」では済まされない異常な数だ。
「衛兵の動きは?」
ミレアナの問いにセシルは悔しそうに唇を噛んだ。
「一応、巡回は増やしてる。でも……消えたのが貧民街の身寄りのない孤児ばっかりだから、上の方は本腰を入れてないのよ。捜索願も出てない連中だって」
ミレアナの瞳が一気に冷えを増した。
理解はできる。
辺境の統治には限界があり、優先順位という残酷な天秤が存在することも。
だが、切り捨てられる側の命に価値がないわけではない。
「……昨日、見た子かもしれないな」
レーヴがぼそりと、独り言のように呟いた。
セシルが勢いよく顔を上げる。
「昨日? 心当たりがあるの?」
「痣だらけの子供だ。ひどく怯えてた」
その瞬間セシルの顔色が目に見えて変わった。
「……灰色の、汚れの酷いフードを被っていた子?」
「ああ」
「……たぶん、ノアだわ」
ミレアナとレーヴが視線を交わす。
「知っているのね」
「時々、ギルドの裏口に来てたの。厨房の食べ残しを分けてあげたりしてて……でも最近『変な連中に追われてる』って他の子たちが噂してた」
「変な連中?」
リオネルが低く問う。
セシルは周囲を憚るように声を潜めた。
「下層区画の外れにある廃倉庫に、最近妙な集団が出入りしてるの。黒いローブを深く被って夜中だけ動く奴ら。ギルドの荒くれ者たちも、気味悪がって近寄らないわ」
黒。
ミレアナの脳裏に、森で見たあの忌々しい結晶の輝きが過る。
「……偶然とは思えませんね」
リオネルの言葉にレーヴも珍しく笑わずに頷いた。
魔物異変、黒い結晶、そして子供たちの失踪。
バラバラだった点が増え、それらが最悪の形で結ばれようとしていた。
「ギルドは動かないの?」
「証拠不足よ。失踪だけじゃ討伐依頼にはできないし、衛兵案件だからってギルド長も慎重なの。でも絶対におかしいわ」
セシルは震える拳を握りしめる。
「最近、下層区画で“変な鳴き声”を聞いたって住人が何人もいるのよ。獣みたいな……でも、どこか人の悲鳴に似たような……」
その時、レーヴがふっと目を細めた。
それは彼が深い思考の深淵に沈む時の顔だ。
「……へぇ」
「何か心当たりが?」
ミレアナが尋ねると、レーヴは少しだけ迷うように視線を伏せた。
「いや、断定はできないけどさ。……人為的な『魔物化実験』って、古くから禁忌として存在はしてるんだ。成功率は絶望的に低いし、大体は出来損ないの化け物が生まれて終わる。でも」
レーヴの声が、一段と低くなる。
「それを行うには“素材”が必要なんだよね」
素材。
その不吉な単語の意味を理解した瞬間、ミレアナの顔から一切の表情が消えた。
「……人間を、使うというの」
「違法中の違法。王国法なら即処刑、魂まで焼かれるレベルだ。普通なら割に合わないから誰もやらないけどな」
「だが、もしあの『黒い結晶』がその成功率を跳ね上げる触媒だとしたら」
リオネルの指摘にレーヴは小さく息を吐いた。
「話は別、か。嫌な計算だね」
ミレアナは迷うことなく、静かに口を開いた。
「調べましょう」
「お嬢様」
「放置はできないわ。これ以上、被害を広げるわけにはいかない」
その声音は穏やかだったが、絶対に譲らない鋼の意志が宿っていた。
レーヴはそんな彼女をじっと見つめ、やがて呆れたというよりは───どこか苦しそうな顔で、困ったように笑った。
「……だからさぁ」
「何?」
「そういうとこ」
「どういう意味?」
「自分から真っ先に、危ない方へ突っ込んでいく」
ミレアナは僅かに眉を寄せる。
「……必要だからよ。事態を収拾するために、私が動くのが最も合理的だわ」
「必要なら、自分が傷ついても平気なわけ?」
「リスクを含めた上での合理的な判断よ。何を怒っているの」
その瞬間、レーヴの瞳から残っていた僅かな笑みが完全に消えた。
「それ、嫌いだな」
ギルドの喧騒が、遠い世界の出来事のように感じられた。
不意に落とされた低く密度の濃い声に、ミレアナは思わず目を瞬く。
レーヴは視線を逸らしたまま、吐き捨てるように続けた。
「アンタ、自分を雑に扱いすぎなんだよ」
「……別に、雑に扱ってなんか」
「雑だよ」
即答。
珍しく、一切の逃げ道を許さない強い口調だった。
「自分ならどうなってもいい、壊れても構わないって……そう判断してる奴の動き方なんだよ、それは。自己犠牲でもなんでもない。ただの自傷だ」
ミレアナは息を呑む。
レーヴは普段、どんな時でも彼女の聖域に踏み込まないよう注意を払っていたはずだ。
なのに今は剥き出しの言葉で、彼女の心の一番深い場所に触れてきた。
「俺はそれ、好きじゃない。……これっぽっちも、面白くない」
その声は怒っているようにも、耐え難い痛みを感じているようにも聞こえた。
ミレアナは、何も言葉を返せなかった。
何故彼がこれほどまでに嫌そうな顔をするのか。
何故捨てられる側の痛みを知っているような、そんな目をするのか。
論理では理解できない。
けれど。
彼女の胸の奥で氷の仮面がひび割れるような、小さな、けれど鋭いざわめきが止まらなかった。




