●1st day『Nの未来へ/神の名前はA』 その7
×××
「こちらの部屋になります」
地下を出たあと、着込んでいた密封スーツを脱いだ銀磁とアニムスが案内されたのは一階の住居部分にある隠し部屋だった。
なんの変哲もない壁にエヌが手を這わせると、壁が機械制御でスライドして開く。中を覗くと、意外にも窓がついていて、もうすぐ日が沈み始めるであろう外の風景を見渡せた。
だが、銀磁はすぐに『窓』の違和感に気付く。
「……窓じゃなくてスクリーンか?」
銀磁の言葉に、隣のエヌが頷き応える。
「隠し部屋ですので、窓はありませんから。その代わりです。
……究極生命体は奥に居ます。どうぞ、こちらへ」
明るい部屋の中に、銀磁とアニムスは立ち入る。
部屋の中には、玩具がいくつかおかれていた。とはいえ、ほとんど遊ばれた形跡はない。とりあえず置いておいた、というのが状態から伝わってくる。
そして、そんな部屋の隅で。
『究極生命体』は、膝を抱えて丸まっていた。
「これが……」
「究極生命体でありますですか」
銀磁とアニムスは、その姿に目を奪われた。
腰まである銀の髪。歳は十か、いっても十二くらいに見える少女。
そしてその両目は――赤。ルビーのような透き通った赤色だ。
服はエヌの着ている服の子供用サイズらしい。デザインはほぼ同じだが、エヌと違いくつしたの類ははいておらず、裸足だった。
究極生命体たる銀髪の少女は、銀磁たちが目の前にやってくると、ようやく反応を示した。
ただ、その反応も、かなり鈍い。
少し顔を上げて、銀磁の顔を見て……首を傾げた。
傾げたというより、かくん、と力を抜いた。
どこか壊れた人形めいたその仕草に、銀磁は難しい顔をする。
「こいつ……話すことできるのか?」
「反応するかしないかはまちまちです。食事は気が向いた時だけ食べます」
「ここを出ようとしたりは?」
「しません。基本的に一日中、部屋の中でごろごろしてます」
「そこだけ聞くとただのダメな子だな」
ふぅむ、と銀磁はあごに手を当てて考え込む。これから目の前の少女を連れて帰らなければいけないわけだが、それにしたってあまりにも反応が鈍いのは困る。周囲の人間から変に思われたら面倒だ。
目立つ見た目はアニムスの偽装能力を借りるにしても、行動からボロが出る可能性をゼロに出来るわけではない。
「この少女、魂の存在は確認できているのでありますですか?」
思考を巡らす銀磁の横で、アニムスがふとエヌに尋ねる。その質問に、アニムスは首を小さく横に振った。
「いえ……完全には確認できていないそうです。『究極生命体』と遺伝子の一致は確認したのですが、魂についてはまだ不安定な状態だと、博士は言っていました」
「……魂ってなんだ? アニムス」
二人の会話についていけない銀磁が言葉を挟むと、アニムスは大げさにため息を吐いて見せる。
「っはぁああ~~、これだからノータリンご主人様はダメでありますです」
「おいこらポンコツ。オレは戦闘以外基本的に素人なんだよ、多目に見ろ」
「ま、そうでありますですね。……『魂』というのは、一定以上の知的レベルを持つ生命体に宿る、個別の電気信号パターンのことを指すのでありますです」
「それと、この究極生命体の反応が鈍いのに何の関係がある?」
「魂というのは要するに、遺伝子と併せて性格を決めるものなのでありますです。
それだけではないでありますですが……ともかく、この魂と呼ばれる電気信号パターンが不安定だと、生きるのに必要な欲求を満たすこと以外には反応しづらくなるのでありますです」
基本的な欲求というのは、人間の三大欲求である食欲・睡眠欲・性欲のことだろう。
おそらく究極生命体は繁殖の必要が無いだろうから、残りの食欲と睡眠欲にのみちゃんとした反応をしめす状態なのだ。
そのことを理解して、銀磁はますます難しい表情で頭を抱える。
「つっても、このままじゃ連れて歩くには色々まずいだろう。魂……なんてどうすればいいかわからないけど。なにか方法はないのか? アニムス」
「究極生命体である、ということを考えれば、この状態のまま袋詰めにして運ぶのが最良だと思いますですが――」
「――本気で言ってるなら殴って直すぞ? ポンコツ」
銀磁が少し強めの口調で言うと、アニムスは困った顔で頷く。
「わかっているでありますです。ワタシも、この状態、この見た目の少女を研究材料として扱うのは心が痛むでありますですから」
「ならいいさ」
ふん、と銀磁は鼻を鳴らして視線をそらす。
見た目が少女だから、という理由でこういう扱いをするのが、組織の人間としてどちらかといえば間違っているのは、銀磁も理解している。
しかし。
『格好をつける』と言うのは、そういった理屈ではないのだ。少なくとも、目の前の少女の諸々をないがしろにして扱うというのは『格好悪い』と銀磁は思う。
銀磁は『格好をつける』ためなら、それなりに道理や理屈は無視する。それだけが、銀磁の人生における指標だから。
目の前の少女が――究極生命体が、自我を持った結果未来にどうなるかなんて、知ったことではない。
それはその時、格好が付く選択肢を選んで対処するだけだ。
「とりあえず、名前でもつけてみっか。名前、ないんだろ? エヌ」
「はい、自分もずっと『究極生命体』と呼んでいました」
「ふーむ……どうすっかね。名前、名前……女の子の名前」
銀磁が悩んでいると、はい、と隣のアニムスが小さく手を挙げた。
「お、アニムス、なにかアイディアが?」
「ええ。ご主人様の頼りないネーミングセンスでは不安が残るので、先んじて良い名前を提案するでありますです」
「ケンカ売りながら提案とはいい度胸だ、言ってみろよ。ダメだったらものすっごいダメだしするからな? 覚悟しとけよ?」
「そうはならないでありますです。ワタシが提案する名前は――『アニマ』」
自信アリ、という表情で言うアニムス。さらに続けて、名前の意味まで教えてくれる。
「ラテン語で『魂』を意味する言葉でありますです。彼女に足りないものを、名で補う、いい名前だと思うのでありますです」
「む……ケチのつけようがない」
意外にもいい提案に、銀磁は黙った。しかしそれでもどうにか揚げ足とってやろうと頭を回したのだが、大した文句は出てこなかった。
結果。
「けど、アニムスとちょっと被ってないか? 語感が」
と、そんな文句をつけてみるものの。
「気になるレベルのものではないと思うでありますです。そもそも『アニムス』はユングが作った精神学用語でありますですから。いわば造語みたいなものでありますです」
アニムスは冷静に切り返してきた。それを聞いて、銀磁はこれ以上無駄なあがきをするのは止めた。けしてアニムスより自分のネーミングセンスが劣っていると認めたわけではないが、良いものは良いと認めるのは大事だ。
納得のいく名前が出たのだから、それをつけるべきだろう。
「よし! 今日からお前の名前はアニマだ」
銀磁はしゃがみ込むと、座り込んだままの究極生命体――『アニマ』に、名前を告げる。
「ほれ、言ってみろ。ア・ニ・マ」
「あに……あに……ま……?」
銀髪の少女は、首を傾げながら、名前をたどたどしい口調で呟く。
何度も、何度も。
自分に言い聞かせるように呟いているうちに、銀磁は、その目に宿る理性の光がわずかに強くなったように思えた。
「あ・に・ま……わたし……? わたし……あにま……?」
「ああ。お前は『アニマ』だ。それが、お前の名前だ」
「アニマ……わたし、アニマ。アニマで、あってる?」
自分を指さし、首をかしげるアニマ。その様子を見て、エヌは少し驚いた様子で声を漏らす。
「まさか、名前を付けただけでこんなにちゃんと反応するようになるなんて」
「名前は自意識を確かなものとする第一歩でありますですから。これなら、もう少し会話を重ねれば移動するくらいなら問題なくできそうでありますです」
「なるほど。しかし、残念ながらその時間は――」
ない、とエヌが言おうとした瞬間、ずどん! と地響きとともに家が揺れた。
銀磁は反射的にアニマの事を庇い、アニムスは素早く周囲に視線を走らせ状況を精査する。エヌだけが、この事態を予測していた様子で、特に慌てた様子もなく、部屋の扉を開けた。
「震源直下、自然地震ではないでありますです。……地下でエネルギー反応? なにが起こっているでありますですか?」
「博士と、自分の姉妹たちが『棺桶』に入ったのだと思います。家を出ましょう。一応この家は大丈夫らしいですが……陥没する可能性も僅かですがあります」
状況精査を行うアニムスに対しエヌが説明する間にも、振動は大きくなっていく。それを感じて、銀磁はすぐにアニマのことをお姫様抱っこで持ち上げた。
「詳しい説明を聞いている暇はなさそうだな。出るぞ、アニムス」
「了解でありますです。エヌ様は、なにか持ち出すものなどは?」
「重要なものは既に服の裏に隠し持っています。問題ありません。行きましょう」
エヌが先行し、素早く家を出る。
……家を出た直後、エヌがどことなく悲しげな表情でドアを閉め鍵をかけていたのを、銀磁は見逃さなかった。