●1st day『Nの未来へ/神の名前はA』 その6
×××
アニムスが立ち直った後。
ようやく地下の研究室に入った銀磁たちを出迎えたのは、エヌと同じ顔をした少女たちが忙しなく動く姿だった。
研究室とはいうが、ほとんどの機材が撤去された後らしい。
白い天井に白い壁の清潔な部屋には大型の機械類などは見かけられず、床にわずかに残った痕跡がそこに機材があったことを報せている。
そんな清潔な部屋の中に残ったこまごまとしたものを少女たちは特定の場所に集めているらしい。中には、掃除をしているものも居る。
全く同じ顔の少女が行き交う光景に、銀磁は驚きとも呆れともとれるような表情をする。
「こいつは……壮観というよりは不気味だな、流石に。全員同じ顔なのは、博士の趣味か?」
「自分たち人工生命F型は、博士のお孫さんをモデルに作られています。そのため、全員同じ顔です。Nを除くと、AからMまで十三人が存在しています」
「半端な数作ったもんだな。数には何か意味が?」
銀磁の質問に、エヌは少し困ったように足を止める。それから、周囲で忙しなく動き回る姉妹たちを見回して、答えた。
「……意味は、わかりません。しかし、Nと、それ以前の姉妹たちとは違う、ということは聞かされています。Nだけは特別だと」
それ以上の言葉はなく、エヌは無言で地下研究室の先に進んで行った。
それを追って、銀磁とアニムスも、さらに研究所の奥へ。
時折スロープを何度か降りて、下に下っていく。地下二階と聞いていたが、階層分けが二階なだけで、実際の深さはそれ以上のようだった。
やがて、ついに最下層に到着する。
最下層には、透明なカプセルがいくつも並んでいた。さきほどアニムスが取りこまれた滅菌漕に似ている。
そして、その透明なカプセルに囲まれる様にして、一際大きなカプセルが存在していた。
他のものとは違い、中身が入っている。
その『中身』を見て、銀磁は目を細めた。
「これが……佐志博士、か?」
カプセルに入っていたのは、やせ細った老人だった。手足にかろうじて筋肉はついているものの、全体としての印象は『枯れ枝』の一言に尽きる。
一応ぴったりとしたデザインのパンツだけは穿いているが、ほぼ裸である。
その全身には、電気コードのようなものが繋がれている。中には皮膚を突き破って刺さっているものもあった。
生きているのが不思議に見えるそれを前にして、銀磁は言葉にしがたい感情を得ていた。
嫌悪ではない。生にしがみつくことを笑うのは、生物である限り許されない行為だと銀磁は思う。
だからこれは嫌悪の感情ではなく――ただ、圧倒されていた。
これほどの執念。
いったい何が、この老人をここまでさせたのか、その背景を推し量れず、銀磁は目の前の光景に、ただただ圧倒されていた。
そんな銀磁に対して、老人が収まるカプセルに取り付けられた機械から、不意に声を投げかけられる。
『……予定の来客かな』
声はしわがれた老人のものだった。だが、合成音声であるのは明らかだった。
カプセルの中の老人は微動だにしていない。おそらく、取り付けられたコードが体内を流れる電気信号を拾って、音声を合成して出力しているのだろう。
博士の声を聞いたエヌは、一歩前に出て博士に語りかける。
「はい、博士。財団Aから、究極生命体の回収のために来たそうです」
『そうか……こんな恰好で申し訳ない。僕は佐志一文……キミたちの上司の女性……『所長』から融資を受けたものだ』
機械の補助のおかげではあるのだろうが、博士の語り口はわりと明朗なものだった。
それに、銀磁は帽子をとって胸に当てながら、頭を下げて挨拶をする。続いて、アニムスも頭を下げた。
「初めまして。所長の遣いでやってきました、判前銀磁と言います。密閉スーツ越しで、失礼します」
「同じく、メイドロボのアニムスでありますです。このたびは究極生命体の開発、お疲れ様でありますです」
『いや……いいんだ。財団Aの……いや、所長の力添えがなければ、僕の人生は無為に終わっていただろう……恩を返せて、ほっとしている』
「無為……というのは、どういうことですか?」
つい、興味に背中を押されて銀磁が尋ねる。
すると、カプセルの中の老人がわずかに身じろぎした気がした。
『それは、話すべきことではないよ。僕の話は……キミには関係のない話しだろう……余計な重荷になるかもしれない話は、聞くべきではない……』
「……申し訳ない、余計なことを聞いて」
『いや……僕も無駄な話をしてしまった……すまない。
究極生命体だが……一階の方にいる。エヌに案内させよう。回収して、エヌと一緒に連れて行ってほしい』
「彼女、エヌも一緒に連れていくのでありますですか?」
博士の言葉に、アニムスがちらりとエヌの方を見る。すると、エヌは説明のため口を開いた。
「自分は、博士の研究の全データを記憶しています。そのため、財団Aに今までの援助のリターンとして、情報の全てを開示する役目を担っています」
「なるほどな。生体データバンクってわけか」
銀磁が頷くと、エヌも同調するように頷き返す。
しかし、博士の反応は少し違った。
『確かに、生体データバンクではある……が。エヌ。お前には、データを受け渡したあとの人生が続いていく。そのことは、忘れるな』
博士の言葉が、銀磁は気になった。まるで、子供を送り出す親のようだ。
いや、実際、これからエヌはここから旅立つのだから間違ってはいないのだろう。人口生命体とはいえ、博士の子供のようなものに違いはない。
しかし、片付けられていく研究所内部や、目の前のやせ細った老人の姿を見ていると、これから博士が『何をしようとしているのか』を、エヌにかけられた言葉とも併せてなんとなく察せられてしまう。
だから、というわけではないが。
銀磁は帽子をかぶると、ぽん、とエヌの肩に手を置いた。
「究極生命体はもちろんですが――娘さんも、ちゃんとお預かりします」
『……頼んだ。判前銀磁くん。
……所長に、恩が返せたか、聞いておいてほしい。あなたならきっと、究極生命体を生み出せると――そう言ってくれた彼女に、聞いておいておくれ。それを、エヌに伝えておいておくれ。いずれ……エヌから聞かせてもらうから……』
それきり、博士は何も話さなくなった。
それを見て、エヌは少しだけ寂しそうな顔をしながら、上階の方へ足を向ける。
「究極生命体の保管場所に、案内します。……それでは、博士。さようなら」
エヌの言葉にも、返事はない。
そのままエヌは上の階へと上っていき、アニムスが続く。
銀磁もやや後ろ髪が引かれる思いを感じながらも、同じようにエヌに続こうとした――次の瞬間だった。
『……まごを、頼むよ』
「……佐志博士?」
微かに声が聞こえた気がして、銀磁は振り返った。
数メートル後ろになってしまったカプセルに目を凝らすと、その中で、枯れ枝のような老人が、うっすらと目を開け、老人とは思えないほど澄み切った瞳で、銀磁のことを見つめていた。
それに、銀磁は、もう一度帽子を一度とって、頭を下げる。
言葉は要らない。
言葉が無くとも――十分に、銀磁はエヌの『祖父』に、誠意を伝えられた気がした。
そして、地下への扉は閉ざされる。