●1st day『Nの未来へ/神の名前はA』 その3
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銀磁たちの住んでいる町は、東京二十三区……の、外にある、かろうじて都内と言える小さな町である。
そこそこ交通の便が良く、そこそこ不便。電車で町の隅々まで行けるとは言えず、車は無いよりあった方が断然いい。田舎とは逆立ちしても言い難いが、都会と言い切るには不安が残る。
そんな町だ。
なんでこんなところに住んでいるかといえば、昔から住んでいるからとしか言いようがない。都会に行くと少しばかり気疲れする銀磁だったが、そこから少し離れた場所にある生まれ育った町はそれなりに好きだった。
銀磁が今やっている仕事も、事務所が近くてたまたま募集があったから、面接を受けようと思った。
その結果として、まさか裏世界に足を突っ込むハメになるとは思ってもいなかったわけだが、それはいい。
裏世界よりも何よりも、銀磁にとって問題なのは――
「どうしたんだいギンジ、事務所に入ってくるなり帽子をとって天井を仰ぎ見て。挙句帽子で顔を覆うとは。なにかな、私を目に入れるのもイヤとか、そういうアレかな?」
上機嫌な女の声。それを聞いて、ますます顔をしかめてから、顔を覆っていた帽子をとって頭に乗せ、つばで目元を隠した。
目元を隠しても、その下から目の前に立っている人物の奇異な姿は隙間から少し覗く。
網タイツに包まれた足元、股間に食い込む様なデザインのエナメル生地、そしてハイヒール。……それより上は精神的に悪いので目に入れないようにしている。一度は見てしまったが見続けるよりはマシだ。
まさか事務所に入って一番初めに見ることになるのがバニーガール姿の上司だとは思っていなかった銀磁は、正視するに堪えない姿に思わず顔を覆ってしまっていたのである。
やがて、不本意ながら速まっていた鼓動が平常運転に戻ってきたのを確認して、銀磁は口を開く。
「……なんっでアンタは事務所でバニーガールの姿なんてしてんですか所長!」
思わずつっこむ銀磁。我ながらよくドアを開けた瞬間つっこまなかったものだと自分で自分に感心する。
それが目の前の上司の行動に『慣れてきた』からだと理解出来るから、感心すると同時に落ち込むのだが。
変人の行動に慣れてはいけないと思う。
一方、ツッコミを入れられた当人はといえば。
「ん? いやぁ、デートしようとしていた相手が詐欺師だとわかって元気ないかなって思って。
いやいや、私は自分で言うのもなんだが美人だし似合うだろ? 元気でない?」
悪びれもせずに言って、目の前のバニーガール姿の女性は、銀磁に近づくと、俯いている銀磁の視界にしっかりと自分の姿が映る様に、目の前でしゃがむ。
そこに居るのは、アニムスと全く同じ容姿をした女性だ。透き通るような金髪に、碧い左眼。アニムスと同じく豊満な乳房。
それでいてアニムスと違って両手両足はもちろん、全身ちゃんとした人間なので、その体は男を魅了して止まない。
右の目には、眼帯。
銀磁も理由は知らないものの、『所長』は出会った時からずっと右目を隠していて、銀磁も右目がどうなっているのかは知らない。
とはいえ今は眼帯の事なんてどうでもいい。
しゃがんだことで、銀磁は所長の事を上から見下ろすことになっているのだが――そのアングルが非常にヤバかった。
なにがヤバいって谷間がヤバいのだ。
「ほらほら、ぴょーんぴょん、ってね。ソシャゲなんかじゃ水着とバニーは鉄板人気衣装だと聞いたから、こういう時のために調達しておいたんだよ?」
M字開脚のような座り方で、両手でウサミミを作るようなポーズ。
すでにうさ耳をつけているから耳の存在が二重になってしまっているのだが、そんなバカみたいなミスが気にならないくらい、そのポーズは煽情的だ。
少し前かがみに、二の腕で抱き寄せられた大きな乳房。二つの魅力的な塊の間には、ブラックホールの如く深く真っ暗な谷間があって、銀磁の視線を引き寄せて離さない。
さらには乳房をつつむ頼りない布地の先端がぴらぴらするたび、そこに隠されたものが露わになりそうになっていた。
悲しい男の性か、普段から散々イジられている上司相手だというのに、銀磁は魔的な谷間の力から逃れられなかった――それを所長もわかっているのだろう。上目遣いににんまりとした笑みを銀磁に向けると、胸元を覆うバニーガール服の薄っぺらい布を指先で軽く浮かせた。
「……見るかい? 落ち込ませたお詫びに」
「~~~~っ! けっ、こうっ、です!」
銀磁は強引に首を捻って、体も後ろを向かせて、どうにか所長のバニーガール姿から視線を外す。すると、本当に残念そうなため息が背後から聞こえた。
「なぁんだ、襲い掛かったりしてくれるかと思ったのに、残念だよ。いい線いっていると思ったんだけど」
「いい線行きすぎてて怖いんですよ所長は……」
「へぇ? なるほどなるほど。いざって時キミに言うこと聞かせるためにはこういう格好が効果的、と。よーく覚えておこうじゃないか」
「っく、嫌な弱み握られちまった」
今度は銀磁がため息を吐く番だった。そんな銀磁の背中を見てか、所長はいつものように、子供のように、くすくすと笑いを漏らした。
それから一通り笑い終えると、たちあがって、気分を切り替えるようにアニムスに視線を向ける。
「さて、では仕事の話をしようか。アニムス、少しこっちに」
「了解でありますです、開発者様」
銀磁の後ろにずっと控えていたアニムスが、所長の方に歩いていく。
それにつられる様にして、銀磁もなるべく平静を装いながら再度、所長の方を向いたのだが――
「急な仕事って話でしたよね。一体こんどはどんな――きゃああっ!?」
振り向いた銀磁は、思わず女の子みたいな悲鳴をあげて反射的に目を塞いだ。
振り向いた先では、所長が当たり前のようにバニーガールの服を脱いで、着替えている最中だったからだ。
当然、その姿は半裸。今はアニムスに手伝ってもらいながらブラをつけている途中だった。
「なんっ、っで! アンタは男のオレが居るっていうのに堂々と裸になってるんだ!」
慌ててもう一度所長に背中を向ける銀磁。だが、一度着替えている最中だと理解してしまうと、衣擦れの音がやけに大きく聞こえて、色々と妄想してしまうのを抑えられなかった。
自然と赤くなる頬を、帽子を顔に押し当てて隠す。
一方、所長の方はそこまで照れた様子もなく軽く謝る。
「ごめんごめん、いや、まさか振り向くとは思わなくって……まぁ見られたところでどうってことはないわけなんだが」
「オレもしかして男だと思われてないですか!?」
「そういうわけじゃないんだが。説明が難しいな……私はキミのこと、これ以上ないくらい男性だと思っているよ。普通の人の倍はね」
「さっぱり意味わかんねーんすわ……」
「だろうね。難しいよ、これを伝えるのは」
本当に困ったように、うーん、と背後で着替えながら唸る所長。
一体なんなんだと銀磁が思っている間に、どうやら着替えが終わったらしい。アニムスが銀磁の隣に戻ってくる。
「いいよ、ギンジ。着替えが終わった」
「へいへい……ようやくか」
帽子をかぶりなおして銀磁が振り向くと、タイトスカートと薄手のタイツ、カッターシャツに着替え終わった所長が椅子に座っていた。机の端に置かれていたややボロいルービックキューブを、手慰みにカチカチと弄っている。
脱ぎ捨てられたバニーガール服はどうなったかと言えば、普段銀磁が暇を持て余した時に横になっているソファーの方に投げられている。
あまり無造作にエロい物体を投げられておかれると、そっちに気が散るのだけれど――なんてことは言えず、銀磁はちらちらとバニーガール服に視線をやりながらも、話を促す。
「それで? 今回はどんな仕事だって、所長」
「その前に、一つ確認しておきたいことがある。ギンジは我々『財団A』の目的が何か知っているかな」
「は? 目的って……そんなの『究極の生命体』を作ることでしょう?」
なにをいまさら、と銀磁は答える。
『財団A』――銀磁たちが属する世界的な秘密組織である。
人類を進化させる、という目的の元、優秀な発想を持つ人間、組織などに財力と技術力、そして人材を貸し与えることでそれを実現させ、その成果物を回収する。
その目的は『究極の生命体』――つまるところ、『人類の進化先』を探し当てることだと、銀磁は聞いていた。
「では、究極の生命体とはなにか知っている?」
「……存在しないから作ろうとしているんですよね?」
いぶかしげに問いかえす銀磁に、所長はルービックキューブを机に置くと、ゆるりと首を横に振った。
「究極の生命体というのは、既に存在している」
「さっぱり話がわからないな……めちゃくちゃ言ってません? 所長。『ないから作る』んじゃないんですか?」
「ま、当然そう思うだろうね。では、始めから話そうか」
そう言って、所長は懐から一枚の透明樹脂のプレートを取り出した。
内部には、血液……らしきものが入っている。
「これは、究極の生命体の血液だ」
所長の言葉に、は? と銀磁は思わず間抜けな声を漏らした。しかし、どんな質問をすればいいのかもわからず、開いた口を閉じて話の先を促すしかできない。
それを所長も察してくれたのだろう、プレートを指先でつつきながら話を続けた。
「これが採取されたのは、第二次世界大戦の終戦直後と言われている。終戦直前、東京に三つ目の核爆弾が投下された、少し後に」
東京への核爆弾投下。
その話は、銀磁も知っている。
「確か、投下したのは確かなはずなのに、どこかに消えてなくなったっていうアレですか」
「その通り。その消えた原因を、財団Aは知っている……というより、財団Aの創設者が、爆弾の消える瞬間を目撃した。全ての発端は『ソレ』なんだよ」
「消える……瞬間? なにを見たって言うんですか」
銀磁の問いに、所長は一拍間を置くと、碧い左目を銀磁に向けて答えた。
「――少女さ」
「少女ぉ? 女の子が爆弾を消したって?」
「創設者が言うにはね。
突如空中、投下された爆弾の目の前に現れた少女は、自分が出てきた空中に空いた暗い穴の中に、爆弾を叩き落とし消したという話だ。
その後、財団Aの創設者は落下してきた少女を保護。血液を分けてもらったあとしばらく一緒に生活していたが……ある朝どこかに消えてしまったらしい」
にわかには信じられない話だった。
しかし、その証拠であるという血液の入ったプレートは目の前にある。
「それで……その血液が、それだと?」
半信半疑どころか八割疑ってプレートを見つめる銀磁に、所長も苦笑気味だった。
「気持ちはわかるけれど、私も伝え聞いた話だから本当のところどうなっているのかは知らないよ。ただ、この血液はどんなに解析しても、新しい細胞を作ることが出来ないことはわかっている」
「遺伝子情報の解析は?」
「可能だが、ほとんど人間の遺伝子と変化はない。一部の配列は違うようだが、猿と人間の差くらいなものさ」
「差が大きいんだか小さいんだか……けど、遺伝子配列の解析が出来ているなら、財団Aの技術力で同じ生物を作ることは可能だと思いますけど?」
「それが出来ないから研究しているんだよ。おかしなことに、コピーの細胞は作った次の瞬間どこかへ消失してしまう。作った細胞が消える前にマーカーをつけたこともあったらしいが、マーカーだけ残してどこかへ消えたこともあったとか」
怪奇現象だな、と銀磁は帽子のつばを押さえて考え込む。
だが、銀磁が少し考えたくらいでわかることでないのはすぐに理解できた。頭の隅に情報は留めておくとして、仕事の話をすることにする。
「それで? その究極生命体の話をどうして今」
「察しが悪いなギンジは。なんのためにこのプレートを見せたと思っているんだ」
「いやさっぱり。なんでです?」
「完成したんだよ。これと同じ遺伝子を持つ生物が」
すんなりと明かされた情報に、ぱちぱち、と思わず銀磁は二・三度瞬きをした。呆けた顔で。
それから『聞き間違いか?』と思いつつ、帽子をとって軽く頭をかくと、帽子を胸元に当て、少しだけ改まった態度で聞き返す。
「……究極生命体が?」
「究極生命体が」
「どこで」
「東北のM県で」
所長の言葉に、銀磁は帽子をとったまま思わずアニムスの方を見た。アニムスは『現実ですよ』とでも言いたげに、小さく頷き返す。
「……マジ?」
「マジもマジ、大マジさ。遺伝子情報が完全に一致した。財団Aの創設者が見た少女との身体的特徴も完全に一致している」
「あー……つまり今回のオレの仕事っていうのは――」
「ようやく察したか。その通り、今頭に思い描いている内容で概ね間違いないだろうけど、上司として口に出して命令させてもらうよ」
そう言って。
所長は机の上に、二枚の新幹線のチケットを放り投げてきた。
「究極生命体が完成した場合は問答無用で接収というのは、契約の際の最優先事項だ。今すぐ現地に向かって究極生命体を確保してくるように」
下された命令に、銀磁は小さく頷いてチケットを受け取る。
それから帽子をかぶり直し、背筋を伸ばして返事を返した。
「了解しました。判前銀磁とお供のアニムス、『取り立て』を行ってきます。
――いつにもまして大変な仕事になりそうだ」
チケットをポケットにしまい込み、かっこうつけた仕草で帽子の位置を直して。
銀磁はアニムスを伴って、事務所を後にしたのだった。