●1st day『Nの未来へ/神の名前はA』 その1
とあるマンションの一室――部屋の中にある姿見で、二十歳くらいの青年が自分の姿を確認していた。
パリっとノリが効き柄の入ったシャツに、ベスト、ネクタイ、スラックス。
シックな色合いで決めた姿を確認して、青年――銀磁は鏡の中の自分の姿を指さし確認する。
「服よし、清潔感よし、髪型よし」
一通り自分の姿を確認した銀磁は、最後に壁の帽子掛けから特別お気に入りの中折れ帽――父親の形見だ――を手に取って、頭に乗せる。
「帽子よし。これなら、どんな女性にも初対面で悪印象はないな」
頷きながら、もう一度全身を確認。
そしてポケットからスマホを取り出すと、メッセージアプリに届いている一通のメッセージを確認した。覗き込む表情は、今しがた鏡に向けていたキメ顔がすっかり崩れてしまっている。
「やりとりを始めて早一か月……綺麗な人だし、楽しみだなぁ~」
今度会いましょう――そんなメッセージと、その後に続く待ち合わせ場所を決めるやりとり。
性欲を持て余す中学・高校のころから女性と付き合いたいと思ったことなんてほとんどなかった銀磁だが、カッコイイ男は女の一人や二人侍らせていて然るべきと最近は考えを改めた。
そうして始めた出会い系サイト、数多の詐欺っぽい女たちを避けに避け、ようやく約束をとりつけたのだから、会えるとなれば感動もひとしおというものだ。
顔も緩む。美人だし。おっぱい大きいし。
「やっぱり、これも男を磨いてる結果……ネット越しでも伝わっちまうんだろうな、かっこよさってやつが」
ふ……と、にやけ気味な笑みを漏らしながら、格好つけたポーズを鏡の前で見せる銀磁。
そんな銀磁の姿を、背後から半目で眺める人影があった。
人影というか、『機械』影は、呆れた調子でつぶやく。
「そこまでいくと、『かっこうつけ』を通り越してただのナルシストなのでありますです。ナルシストはモテないでありますですよ?」
「……、あのなぁ。急に出てきてなんなんだ、アニムス! 人がせっかく頑張ってめかしこんでるって言うのに!」
銀磁は怒りを表現するようにオーバーリアクションで振り向いて、そこに立っていた改造メイド服を着たロボットを見た。
ロボットと言っても、胸から上は美しい金髪の女性そのものだ。不気味の谷など感じさせる隙のない、完璧に整った豊かな呆れ顔。
外国人っぽい鼻立ちのすっと通った顔立ちと、フリルエプロンの上からでもわかる主張の激しい胸部には、当人ならぬ『当機』には絶対秘密ではあるものの、銀磁もよく目を奪われてしまっている。
ただし、手足は完全に機械。滑らかなシルエットではあるが、遠目にも合金とわかる輝きが、人間的な部分と奇跡的にマッチしてバランスがとれていた。
そんな、人間よりも完成された人間的な戦闘メイドロボ・『アニムス』は、振り向いた銀磁に向かってわざとらしくため息をついて見せる。
「朝食を食べ終えてなにをしているかと思ったから観察していたら、予想外にくだらないことをしていたので呆れているのでありますです」
「彼女作ろうとしてるのをくだらないとか言うな。オレにとっちゃ大事なことなんだ、機械のお前と違ってな」
銀磁の言葉に、アニムスはますます呆れた様子で首を軽く横に振った。
「メカハラでありますですね、今の。後で所長に報告して奥でありますです。給料五パーセント減でありますですよ?」
「メカハラってなんだよ!? ていうかいつそんな制度できた!?」
「ワタシはメカでありますですが、感情がありますです。よって、ハラスメントは成立するでありますです」
「っく……人間を脅すとか、この無駄高機能ポンコツめ……わかったよ、謝るから所長には言わないでくれよ」
くやしそうに銀磁が頭を下げると、仕方ない、と言わんばかりにアニムスは肩をすくめた。その仕草はどこか楽しそうな雰囲気を含んでいて、それがまたちょっと、腹立たしい。
「わかったでありますです。素直な謝罪に免じてこのくらいにしておくでありますです」
「へいへい……どーもありがとうございます」
投げやりに礼を言って、銀磁は時計を見た。まだ約束の時間までは余裕があるが、あまりギリギリになっても格好が悪い。
ポケットにスマホを仕舞いこみ、財布が入っているのを確認すると、アニムスとの会話を中断することにした。
「じゃ、オレはそろそろ行くからな」
「そうでありますですね。人ならぬ機械としても思うでありますですが、時間を守らないのは良くないことでありますですから。行きましょう」
「……いや待て。なんでお前も付いて来ようとしてんの?」
玄関に向おうとする銀磁の後ろを、当然のようについてくるアニムス。
振り向いて睨む銀磁だったが、アニムスは『当然』といった表情を変えることもなく言う。
「忘れたならば今一度教えておきますですが、ワタシはご主人様の仕事の手伝いおよび『監視』を目的としてここに一緒に住んでいるのでありますです」
「つまり?」
理解してるが理解したくない、そんな男心を粉砕するように、アニムスは淡々と答えを返してきた。
「そりゃ第三者とのデートも監視するに決まっているでありますですよね?」
「くっっったばれこのポンコツメカ! プライバシーって言葉知らないのか!」
思わず叫んだ銀磁だが、対するアニムスは不服そうな表情で言葉を返してきた。
「監視に関してはご主人様は契約書で確認の上同意しているはずでありますです。もしどうしても監視されたくないというのなら……」
アニムスがすっと機械の両腕を持ち上げ構えた。その両手両足に『色々と』備えられているのを知っている銀磁は、思わず一歩後ずさり、構え、息をのむ。ちらほらと周囲に銀の雪が舞っているのは、割と本気の臨戦態勢の証である。
「な、なんだ、やるのか?」
「いえ。今月の給料がこのくらい減ると思って欲しいでありますです」
アニムスが立てた指は七本。
「七パーセント? 意外と安いな」
秘密組織の契約違反としてはかなり優しいと驚く。だが、そんな銀磁の考えが間違いであるとアニムスの表情でわかった。
アニムスは、人を小ばかにしたような表情を浮かべていた。非常に腹が立つ感じの。
「ご主人様は相変わらずノータリンでありますですね。
七十パーセントに決まっているでありますです。自分のしている仕事の契約書くらい頭に叩き込んでおくでありますです」
「七十!?」
「しかも今月はそこそこ危なくて高額な仕事していたでありますですが、その成功報酬分も当然、七十パーセント支払われなくなるでありますです」
「横暴ってレベルじゃねぇだろそれ!」
「契約は絶対でありますです。ご主人様は財団Aとの契約違反者を取りたてる側の人間なんでありますですから、当然それなりのペナルティが課されるのでありますですよ?」
示しがつきませんでありますですから、なんてことを言うアニムスに、思わず銀磁は歯噛みをする。
しかし、歯噛みをしたところで現状がどうにかなるわけでもない。受け入れるか、突っぱねて今月の給料の七十パーセントを失うか。
かなり高額な給料をもらっている銀磁だったが、それでも七十パーセントは痛い。というか、危険な仕事にも関わらず、給与が高額でなくなるのは精神的にキツかった。なんなら七十パーセント減されたら最低賃金くらいの給料しか出ない。
そもそも、『死亡保険』とかいう謎保険でただでさえ給与の十五パーセントが天引きされているのである。
報酬は正当であるべきだ。仕事は今後も続けなければならないのだから、そのモチベーション維持のためにも。
「っはぁ~……」
銀磁は帽子を押さえて目元を隠すと、両手を挙げて降参のポーズ。そのままひらひらと手のひらを振って、諦めたように短く息を吐いた。
「わかった、わかったよ。降参だ。ついてきていい」
「許可なんかなくても付いていくでありますです」
「ただし、出来るだけどこか物陰に隠れててくれよ? 絶対に姿は現すな、緊急時以外話しかけるな。いいな?」
「カモフラージュ機能がついてありますですから、ご主人様以外には見えないようにしておくでありますですよ」
「ならいいけどな……やれやれ。朝から帽子が大活躍だな。男の涙を隠す帽子が」
「ご主人様が本当に涙しているところなんて、童貞を嘆いている時以外見たことないでありますです」
「それお前がオレのこと童貞いじりした時だからな? また泣くぞコラ」
「帽子が大活躍でありますですなぁ」
「皮肉が上手くなったなこのポンコツはよぉ!」
声を張ってツッコむも、へ、とアニムスは皮肉気に鼻を鳴らすだけだった。アニムスというメイドロボが優秀であることは認める銀磁だが、しかし、付き合いが長くなればなるほど銀磁の『格好つけ』に対して扱いが雑、というか、呆れたような様子を見せることが多くなっていることだけは不満だった。
しかも、童貞なのは本当なのでこれ以上の反論も出来ない。
格好つけるためには女性にモテなければと思ったのに、女性と接点が無さすぎて泣いた夜があるのも本当なので、言い返すのは余計にかっこ悪い。
結果、気分を持ち直すことに失敗した銀磁は苦しげに胸を押さえてその場に膝をついた。
「もうダメだ……オレは。せっかくデートだっていうのに、ダメだしされる未来しか見えねぇよぅ……」
「ご主人様は女性関係・童貞関係だとメンタル弱すぎでありますです」
「毎度人の心えぐってくる奴の言うセリフじゃないよな? なぁ?」
帽子の下からアニムスを見上げて睨みつける銀磁。対するアニムスは、色々な感情を通り越した、憐れみ混じりの無表情で銀磁を見下す。
その瞳にいっそ優しささえ感じるのは、もしかしたら銀磁を少し下に見ているからかもしれない。
「それならとりあえず、ワタシで性欲処理でもしてみたらどうでありますですか? 女性とのふれあいを体感すれば精神的に一皮むける可能性もなきにしもありますです」
「なきにしもとか言うんじゃねー。彼女とか出来ればオレは一層大人の男になって――」
「所長から一通りインプットされておりますですから、プロ顔負けの快楽をご提供しますですよ?」
銀磁の言葉を無視して淡々と提案してくるアニムス。それに、立ち上がりかけていた銀磁は、立膝をつき、頭の上からとった帽子で顔を覆って天を仰いだ。顔も知らない神に祈るように。
「だからお前はそういう所が風情の無いポンコツだっつーんだよ……ていうか上司と同じ顔したロボに性欲処理されたくねーよ……」
と。
上司の事を思い出していたら、不意にポケットの中のスマホが震えるのを銀磁は感じた。
もしかしてこれから会う相手から連絡か、と思い銀磁は急いで立ち上がり、意味もなく服装を整えてからスマホを取り出したが、残念ながら連絡してきたのは想像とは違う相手。
通知名は『所長』と出ていて。
それを見た銀磁は『タイミングよすぎ』とイヤそうに顔をしかめながら、通話ボタンにタッチした。