第4話『春の心地良さの中に、夏の暑さ』
正面入り口前のチケット販売所で入場用のチケットを購入した紅太と千春は、そのまま入場口に足を向ける。
「ここの水族館って」
「そうだよ。昔一緒にみんなできたことある水族館。ちゃんと覚えててくれたんだね」
「まぁ忘れはしないだろ」
「ここね、もうすぐ閉館しちゃうらしいから最後にまた一緒にきたかったんだよね」
購入したチケットを受付の女性に渡し、紅太と千春は水族館の館内に入ると、正面の壁横一面に広がる大水槽がふたりを出迎えた。そこに展示されるのは、迫力あるシロワニに群れて行動するアジの仲間たち。
おおよそ千二百トンほどの水量の中で優雅な泳ぎを披露している。
他にはエイなどと大水槽には様々な魚たちが展示されているのだと、水槽の脇に添えられたプレートに記載がされていた。
「私、この水槽好きだったなあ」
と、子供の頃を思い出すように千春は水槽の魚を目で追う。
「初めてきたときの千春、ここからぜんぜん動こうとしなかったもんな」
あはは、と千春は「そんなこともあったね」と、まるでどこか他人事のように口にした。
「ねぇ写真撮らない?」
千春は鞄の中からスマホを取り出す。
「ふたりで?」
「なに、嫌なの?」
その言葉には、不満が含まれていた。
「別に嫌ではないけど」
「なら素直に最初からそう言いなよ」
と、言って、千春は大水槽に背中を向ける。
それに倣い、紅太もくるりと百八十度回転する。
慣れた操作でスマホを操作し、カメラアプリを起動させた千春は、肩を紅太に寄せると、横にしたスマホを持った腕を斜め上あたりまで伸ばした。逆の手はピースの形にして顔の近くに持ってゆく。
内カメの画面には、大水槽をバックにした紅太と千春の顔が綺麗に収まっている。
すこしの間が置かれたあと、パシャリ、と千春の意思によりシャッターが切られた。
撮れた写真を確認しようと紅太にも見えるように、千春がスマホをこちらに向けてくる。
「全然紅太、笑ってないじゃん」
「笑えてるだろ」
「笑顔下手だね」
けらけらと、楽しそうに笑う千春は、スマホをとじると鞄の中にしまう。
すると、そのまま、
「次行こうよ」
と、別エリアに続く順路に千春は目を向けた。
紅太と千春は順路に従い、奥の次のエリアへと進んだ。
新たにふたりを出迎えるエリアは、薄暗い空間。展示用の水槽が通路上の左右の壁に埋め込まれた形でずらりと並ぶ、そんな通路型の展示スペース。
緩やかな歩調で前を進む千春、その後ろを紅太は追う。
見られるのは、揺れをなして遊泳するマイワシたちに、別の水槽には筒にギュウギュウに詰まるマアナゴは正面から見た様子は息苦しそうだった。
他の水槽には、サンゴ礁に生息する人気者のカクレクマノミや、周囲の環境に合わせて自身の身体をカモフラージュさせる性質があるウツボなどの多種の生物が続いた。
順路に沿って先に進むと、今度は室内照明が一段と落とされた空間に導かれる。
綺麗な青色に光るその空間は、たとえるならばプラネタリウムのような雰囲気が感じられ、突然として現実から非現実世界へと誘われたかのような感覚を味合わされる。
展示されるのは、星のような輝きを発する色んな種類のクラゲたち。
綺麗にライトが当たる水槽の中を、クラゲはゆるゆるとふわふわと漂い、それはまるで紅太や千春を歓迎しているかのようだった。
「ほんとに、ぜんぜん変わってないね」
ゆったりと泳ぐクラゲは、紅太と千春の目の前を通り過ぎる。わたあめみたいだ。
「ていうか、千春ってクラゲ苦手じゃなかったか?」
「もうそれ何年前の話してるの? 私、高校生なんだからそんな昔と一緒にしないでよね」
突如として、紅太の隣にフグが現れた。
ぷくりと膨らむ千春の頬を、紅太は「はいはい」と、手を伸ばしてしぼませる。
綺麗だった空間は終わってしまい、紅太と千春は屋外の展示エリアを目指した。
雰囲気はさきほどと一変する。
チューブ型の水中トンネルの水槽には、世界最大の淡水魚であるぴらくるを中心に大迫力の巨大魚たちが展示されている。
トンネル型の水槽を抜けた先には、沢山のマゼランペンギンたちが水中を遊泳したり陸上をてくてくと歩行したりする様子を間近で見れるエリアが広がる。
屋外の展示エリアはそこで終わり、今度のエリアは本館の二階に位置するミュージアムショップ。
そこではこの水族館でしか入手不可能な公式キャラクターのグッズやお土産などで買われるお菓子などが販売されていた。
ショップを目の前にして、千春の「折角だしなにか買おうよ」と言う提案でふたりはミュージアムショップに足を踏み入れた。
「ねえ、紅太」
「ん?」
「これ、ふたりで買おうよ」
そう言って、千春はピンク色のイルカと水色のイルカのアクリルキーホルダーのふたつを手にする。
「なんでお揃いなんだよ」
「いーじゃん別に。それとも紅太は嫌なの? わたしとお揃いで買うのが」
「別に嫌ってわけじゃないけど……」
「昔は三人でよく何かをお揃いで買うこと多かったじゃん」
「それは昔の話だろ。それに、いくら幼馴染とは言えど高校生でお揃いのキーホルダーなんて恋人同士みたいで恥ずかしいんだよ。少なからず僕は」
紅太の抗議の意に、千春はあからさまに不満そうな表情を露わにさせる。それと同時に、頬が膨らみ出した。
どうやらクラゲのエリアからたった一匹のフグが脱走したらしい。
食い下がる千春に紅太はすこしの間、悩んだあと、「わかったよ……」と観念することにした。
「やったっ!」
千春は、ぱっと表情を明るくさせると、そのままふたつのキーホルダーを嬉しそうにレジまで持っていった。そのあとを紅太はついてゆく。
会計を済ませた千春はショップを出ると、その場で袋から水色のイルカのキーホルダーを取り出すとそれを紅太に差し出した。
受け取った紅太はズボンのポケットから財布を出しながら、
「いくらだった?」
と、千春に訊ねた。
「いいよ別に出さなくても」
「なんでだよ」
「これは再会の祝いとしての私からのプレゼン。それと、わたしからのお詫びでもあるから」
「お詫び? なんの?」
「ほらっ、お揃いにしたいっていうわたしのワガママを聞いてくれたから」
そう言って、千春はミュージアムショップの前をあとにする。そのあとを紅太は追った。
次に向かうのは最後の展示エリアである、本館三階に位置する野外展望広場。そこでは、水辺に生息する世界最大のネズミの仲間であるカピバラが展示されるほか、カピバラと一緒に寛げるように設計された足湯が設備されてあった。
生き物に触れられるタッチプールには、男の子の人気を集めるサメに加え、王道のヒトデやナマコ、ウニなどの姿が見られる。
そうして最後のエリアを堪能した紅太と千春は水族館の出口を抜けた。
「楽しかったね」
「そうだな」
紅太と千春は水族館前の道路の前に出る。
「なあ、千春」
「ねえねえ」
紅太が呼びかけると、それに被せるように千春が言葉を続けた。
「せっかくだからさ、海にでもよらない?」
そんな提案をした千春は、返事を待たずして紅太の手を握ると、海岸と隣り合わせにある海浜公園を目指して歩き出した。
公園には一分も経たずして到着する。
海岸エリアと公園エリアの、二分割された海浜公園。
千春の足は公園を突っ切ると、海岸を訪れた。
風と波の音はより強く鼓膜を刺激する。潮の香りは次第に全身を包み込む。
砂浜に人の姿はまばらに見られる。四人家族の子供は波打ち際ではしゃぎ、男女のカップルは隣り合わせに水平線を眺め、女子高生らしき四人グループはSNSに投稿するか海をバックにスマホで自撮り中など、と周りの様子は様々。
紅太と千春は砂浜の上をすこし進むと、砂浜に沿う形で整備された赤レンガの遊歩道、そこから海岸前の砂浜に伸びる階段の上にすこしの間を空けて腰を下ろした。
しばし目の前に広がる海や水平線を眺める時間がふたりの間には流れた。
「また、一緒にどこか行こうね」
「そうだな……」
「次は、遊園地とかかな?」
「……」
「帰ろっか」
と、千春はおしりの砂を叩きながら立ち上がる。
けれど、紅太は立ち上がらずに、その場に座ったまま海を眺め続けた。
「どうしたの?」
千春にそう訊ねられた紅太は、すこしの間を置き、それからは立ち上がるとおしりの砂を叩きながら千春を振り返った。
「千春」
名前を呼ばれた千春は、
「なに?」
と、首を傾げる。
「やっぱりお前、千春じゃなくて……千夏、だよな?」
紅太の中に初めからずっとあった、違和感。
その正体の答え合わせをするために、紅太はそう、目の前の彼女に訊ねた。
「……」
紅太が口にしたその名前に、目の前の彼女は一瞬目を見張ったが、そのあとにはすこし困ったようにやさしさを含ませた笑みをそっと浮かべてみせた。
その表情は、紅太の質問を肯定している。自分が千春ではなく、別の人物だと言うことを……。
けれど、彼女はどこか嬉しそうで、紅太の目にはそんな彼女が不思議に映った。




