第2話 リストとベートー便器、その妻
時は遡り、17世紀ローマ。
私の名は『フランツ・リスト』───。
作曲家でありピアニストでもある。
私は音楽以外に興味が無い
いや、と言うよりも興味が持てないのだ。
恐らくだが、私は音楽家としては後世に名を残すだろう。
だが、一児の『父親』としては不出来だ。
一人娘のベートーヴェンは既に学生であり、そして、虐めを受けていた。
『ベートー便器』などと呼ばれ蔑まれ、一夜にして椅子が便器にすり替わるという奇芸を彼女にしてみせる輩まで現れた。
下駄箱にはトイレのスリッパがしまわれていた。
画鋲なんぞを仕込まれるよりはマシだが、これはこれで些かいたたまれない。
おぉ神よ!
偉大なるイェス様!
「どうか!『ベートー便器』と聞いてプププと内心笑ってしまった私を!どうか呪いたまえェェェ───ッ!!!」
しかし、その言葉もどこか芝居がかっていた。
そうだ。
私は一人娘の虐めをどこか他人事と捉えていたのだ。
◇◇◇
ある夜、そんな私を見かねた妻がとうとう私に平手を打ってみせた。
私の頬のように、妻の目元も赤く染まっていた。
それは蔑みの涙だろうか、あるいは軽蔑か。
それか、その両方か………それともその二つは同義か。
しかし、妻は私に見切りを付ける前に、最後に私にこう言った。
「”覚悟”とはッ!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開くことッ!」
その言葉に一体どんな意味があったか、そんな事は私にはどうだってよかった。
ただ、私はその言葉で目が覚めたのだ。
確かに私は父親としては三流以下の下郎……それでも音楽家としては歴史に名を残した自負がある。
そうだ。私は音楽の天才だ。
私の第二の誕生だった。
そこには、音楽家だからこそ、他でもない『父親』として目覚めた私がいた。
全ては作曲だ。
娘を陰惨な虐めの窮地から救い出すことも、全ては己が音楽家業の為。
『ベートー便器』?良いではないか。
次の曲に必ずしや生かしてみせよう。
そうして私は『父親』として愛娘・ベートーヴェンを救ったのだった。
妻はそんな私を見直し、私達夫婦は以前と変わらぬ愛を噛み締めた。
ただ、その時から、いや……もっとずっと前からだったのかも知れない。
私の人生はまるでコールタールのように黒く泥濘んでいたのだ。
◇◇◇
「傷自体に問題はありません。つばでも貼っときゃ治るでしょう。しかし……」
担当医の顔つきは険しかった。
これではまるで余命宣告でもされるようだ。
……私はただならぬ緊張感と共に担当医の次の一言を待った。
私はただ、あの夜の平手打ちがあんまり痛かったんで、それは診てもらいに来ただけなのに。
「リストさん。……フランツ・リストさん。」
「な、なんだね?」
「───『ADHD』です。」
………む?
はて、聞き覚えのない病名に私は当惑を覚えた。
「私が……ですか?」
聞き返した私に、担当医は口を耳元にそっと寄せ、小声で……そう、まるで不登校児の話でもするように声をひそめて言ったのだ。
「あなた様の奥様がですよ。」
帰宅した私は早々に妻を問い詰めた。
「お前…『ADHD』だったのか!?そもそも『ADHD』とはなんだ!?」
妻からは存外、隠し事がバレた、というニュアンスは感じ取れず、私に包み隠さず『ADHD』について話し始めた。
それは懇切丁寧に。
2時間。その間、全く淀みなく。
分かりやすい喩えを用いりながら解説してくれた。
自分こそが『ADHD』であり、『ADHD』の発見者であるという事を………
深夜は1時を回っていた。
もはや、うんざりしかけていた私であったが、そんな私を見かねる様子も無く、妻は次に、自分と同じく『ADHD』に苦しんだ男の話をし始めた───。
─── 時は遡り、2005年。
Apple本社。
時は夕刻、場所はそれ。
AppleのPR担当リー・クロウは私に一つの紙屑を投げた。
それを私は難なくキャッチし、そして彼は言った。
「スティーブ良いか?これが良い広告だ。」
そして次に、五つの紙屑を丸めて同時に私へ投げる。
私は一つもキャッチ出来なかった。
そんな私を見て彼は言う。
「スティーブ、これが悪い広告だ。」
───私の名は『スティーブ・ジョブズ』。
まず、私がどのような人物か、また、どんな半生を送って来たかを語る前に、これを言っておく必要があるだろう。
私は『ADHD』ではない。
『アスペルガー症候群』であると。
❷ リストとベートー便器、その妻(完)