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崖の下からの麦下到十郎  作者: てるる
第一幕 序
1/28

第1話 リストとベートーヴェン

───西暦2000年5月26日

   横浜は山下公園の木の下で…



 僕の名前は『麦下むぎした到十郎いたじゅうろう』。

 歴史的な作曲家を目指しているしがないサラリーマン。

 ピアニストなんかもやっている。


 いいや、しがないサラリーマンであったのも昨日までのこと。

 会社は昨日クビになった。

 造船会社だった。

 ところで、ピアニストと聞くと僕は『フランツ・リスト』を思い浮かべる。

 17世紀のヨーロッパにて活躍したその男は、卓越したピアノの才を持ち、音楽界に『交響詩』という新たな風を呼んだ。

 しかし僕の憧れるは『ベートーヴェン』ただ一人に他ならない。


 僕の名前は麦下到十郎。

 その道は険しいだろう。

 僕の志はベートーヴェン……それは、交響詩という概念を生み出した天才ピアニスト『リスト』を越えた存在。

 嗚呼ああ嗚呼ああ

 僕は人生において、リストという天才と、ベートーヴェンという天才、その二人を越えなくてはならないのだ。


 そこで僕は思うのだった。

 たった一つの冴えた考え方を。


「あ!ベートーヴェン、リストより下じゃね?」


 そう言った僕に一人の児童が視線を向ける。

 僕はそっとその場を立ち去った。



◇◇◇



 それはラジオ体操の”ハンコ押し係”の募集の張り紙だった。

 きっと、この横浜は山下公園の広場でもよおされるのだろう。

 僕の視線は、その張り紙一つに釘付けにされた。


 僕の名前は麦下到十郎。

 会社をクビにされた今、生活が立ち行かなくなってはもはや作曲家を目指すどころではない。

 僕はその日の内に五落いつつおち町内会の門を叩いた。

 五落いつつおち町内会とは、そのハンコ押し係の募集をしている親組織の名前である。


 だが、そこで一つ、たった一つ……僕は決定的なミスを犯してしまう。



 僕は昔から学が無かった。

 しかしそれを悲観したことは一度も無かった。

 世の偉人達には、字の読めない者、人の気持の分からない者、それこそ雑多に居るのだ。

 なればこそ、僕は自分の学の無さを才能の裏返しと思えばこそ悲観など一度だってしなかった。

 だからこそ、ここへ来てそれが僕に致命傷を施すとは思いもよらなかった。


 一体、僕は何をどうしてしまったのか。

 それは、簡単に言えば『ハンコ押し』を『反抗師はんこうし』と間違えてしまったのだ。

 だって語感が似ているんだもの。誰だって間違える。

 そもそも『反抗師』とは何だ、と言われるかもしれないが、『反抗』する『師』である。



◇◇◇



 翌日・5月27日は僕の誕生日でもあった。

 そんな日の、朝方7時30分。

 僕は横浜は山下公園の広場にて催されたラジオ体操会において、集まった児童達の前に立つと、おもむろに両手足を左右にグリングリンと回し、そのまま南方へ駆け出したのだった。

 児童達も、たちまち僕を追って両手足を左右にグリングリン回し、駆け出した。

 僕を先頭に、集まった皆が『ラジオ体操会』に反抗してみせた。


 朝方7時30分の山下公園のその広場には、募集の張り紙を見て集まった他何名かの『ハンコ押し係』だけがとり残された。




 僕は、その児童達の属す小学校のPTA会長に呼ばれる事となった。

 その男は五落いつつおち町内会の会長でもあった。


「君は、自分が何をしたのか分かっているのかね。」


 僕は怒られた。

 それはもう、こっぴどく、無っ茶苦茶に怒られた。

 だった当然だ。

 『ハンコ押し』を『反抗師』と間違えてしまったのだから。


 PTA会長の怒号に返す言葉も無かった僕だが、苦し紛れに最後にこう言ってやった。



「でもPTA会長ってリストより下ですよね?」


 しかし、悲しいかな、そのPTA会長は学が無いのか『リスト』が誰か分かっていない様子であった。

 僕は内心、プププと笑った。

 そしてクラムボンはカプカプ笑った。


 


❶ リストとベートーヴェン(完)

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