2-2.魔法学園と剣
客間を出るとディーノス達は話し合いの最中だったが、カイルが言った通り深刻ではなさそうだった。アイシャに気づくと顔を上げて笑いかけてくる。
「あ、アイシャ。どう?」
「さっき起きたから少し話をしたわ」
「……どうかした? 何だか元気がないみたいだけど……何か言われたの?」
「別に……そんなんじゃないわ」
例の眼鏡などアイシャではわからないことを検分してもらわなければならないし、そうでなくともしばらく同じ家で暮らすことになる以上はディーノス達にもレンを引き合わせることになる。あのとびっきりの美女とだ。
それを考えて不安になってしまっているだけだが、そんなこと言えるわけがない。
「何でもないのよ。ただ、その――食事が口に合うかしらって思ったの」
「ふうん……?」
鍋に残っていたスープは薄い塩水に申し訳程度の野菜と豆が浮いているような代物で、しかも残り物なので生温いが、レンは文句を言わずにさじを取って口に運んだ。
一口食べたのを見届けると、アイシャは居間に戻って報告を始めた。
「――旅芸人なんですって。名前はレン。アリートスからこっちに来て、立ち寄った村にいた王国軍のご機嫌取りに差し出されそうになったから逃げてるうちに迷ったって言ってたわ」
「うわあ、それは災難だったなあ」
「獣人を見てもいやな顔はしなかったし、感じは悪くないわね。ストーの名前を聞いた時も同じ……っていうか知らなかったみたい。水や食べ物もあっさり食べたし」
「ふうん、なら大丈夫そうかな」
「ただ、怪しい物はなかったけどちょっと持ち物が上等すぎる気もするのよね。装飾品も楽器も、ええと――精巧? にできてるなって思ったし、ただの旅芸人が手に入れられるようなものには見えなかったんだけど……」
「眼鏡もね」
「ああ、あれはたしかに良い品だったね」
ディーノスがうらやましそうに言い、カイルも頷く。
本の虫であるディーノスにとって視力の低下は深刻な問題で、どうにか眼鏡を調達できないかカイルに相談していたのをアイシャも知っていた。
できるだけ先延ばしにしておきたかったが、仕方ない。どうせすぐに知られることだ。
「あの……あの眼鏡ね、たぶん魔法の品だわよ」
「魔法道具!?」
興奮したディーノスは大声を出したが、すぐに首をかしげる。
「あれ、でも、どうしてわかったの?」
「……えっと、外してみたら顔が全然違ったから……」
「顔が?」
「うん……何か気になるの?」
「魔法道具は名前の通り魔力を使って動くものだから、使用中はすぐそれとわかるんだ。でも、さっき見た時には何も感じなかったからおかしいなと思って」
「そうだね。それと気づかせない細工をしているものもあるにはあるが、そうまでするわりに他の変装道具を身に着けていないのも気にかかるな。かつらや含み綿なんかもなかったんだろう?」
「となると素顔が知られている有名人――手配犯のたぐいではなさそうね」
「たしかに、思い当たる人物もいませんしね。単純に若いお嬢さんの用心かな。それにしては念入りだから――」
カイルは不意にアイシャを振り向き、にやりと笑った。
「ずばり、かなりの美人だろう」
「…………そうよ」
「あら、まあ」
アイシャがしぶしぶ認めるとカイルはあからさまにニヤつき、ジャンナも小さく笑って肩をすくめる。
「なるほど、アイシャにしてはやけに歯切れが悪いと思っていたが、そりゃあ恋する乙女としては想い人の目移りを心配してしまうのも無理はない」
「うるさいわねぇ!」
アイシャは文字通り毛を逆立て、嬉々としてはしゃぐカイルの足を思いっきり蹴飛ばした。が、一瞬顔をしかめただけでにやにや顔は崩れない。
この男は色恋沙汰に目がなく、やたらにクチバシを突っ込んでくる悪癖がある。年頃になったアイシャがディーノスに向ける感情の変化にも当人より先に察知して、いつだってうずうずしながら隙を伺っているのだ。
頼めば快く橋渡しを請け負ってくれるから友人の中には歓迎する娘もいるが、そのつもりのないアイシャにとっては腹立たしいだけだった。
「…………」
ディーノスは顔を赤くしてもごもごと何か言っている。
そう、まったくわかっていないわけではないのだ。だというのにこの体たらく。アイシャは彼にも腹が立ってきた。
「まあ安心したまえ、そういうことならその美女は私が面倒を見ようじゃないか。こちらはこちらでよろしくやるから、アイシャもせいぜい頑張りたまえよ」
「スケベ!」
「まあまあ、何ですか大きな声を出して。カイル、あなたも言葉が過ぎますよ」
「……はぁい。ごめんなさい、おばあちゃん」
「おっと、これは失礼」
釈然としないながらも謝って座り直すと、カイルも軽く頭を下げて詫びた。彼もジャンナには逆らわない。
「ま、それなら不相応な持ち物の謎も解けた。それほどの美女となればいくらでも支援者がつくだろう」
「まあねえ」
レンが芸人としてどれほどの技量を持っているかはわからないが、何しろあの美貌だ。どれだけ金を積む者がいても不思議ではない。
「そのわりに一人旅というのは気にかかるが……何か厄介ごとに巻き込まれて国を追われたか、従者が血迷いでもしたかな。ま、差し当たって反抗的でないならそれとわからない程度に見張っておくくらいでいいのではないかな」
「そうね。アイシャ、引き続き頼んだわよ」
「はぁい。……そういえばカイルの話って何だったの?」
「ああ、いつものだよ。王国がまたぞろ何か企んでいるという話さ」
「ふうん。ほんと懲りないのね、あいつら。でも大したことじゃないんでしょ?」
「ま、それでも一応は知らせておかねばね」
そう言って肩をすくめる彼の方こそ間者のような言動だが、彼は隣国アリートスの商人である。
ストーの若者たちが狩りに出向いた先で野盗に襲われている旅人を助け、それがカイルの属する商会の長だった。
あやういところを助けられたと大いに感謝した商人は、その時持っていた商品を分けてくれただけでなく、その後も王国の目を盗みながら物資を運んできてくれた。一応は髪の毛や亜人特有の部位――羽や角などと引き換えの物々交換ではあったが、あくまで彼個人の好意であり恩返しの範疇であることはあきらかだった。
しかしストーで宝石鉱脈が見つかったことで対等な取引相手とみなされ、一方で危険も増したため、魔法の心得もあるカイルが代理として来るようになったのだ。
かの商会はリールス王都にも支店を持っているため、そこから得られた王国の動向を知らせてくれるのもありがたかった。王国がついに鉱脈の存在を知ったという知らせがあと少し遅れていれば、今頃ストーの住人は皆殺し、よくて奴隷扱いだっただろう。
「今度は何なの?」
「結界を破るための剣を作っているようだよ」
「剣ですって? ばかみたい、今さらそんなものが何の役に立つっていうのよ」
三年前に鉱脈の存在を知った王国軍は、すぐさま軍隊をさしむけてきた。
どうにか侵攻を食い止めている間にディーノスが結界を完成させ、王国軍は文字通りはじき出された。
以来、王国軍は何度となく結界を破ろうと攻撃を仕掛けてきている――レンが遭遇したのも、おそらくストー侵攻の駐屯部隊だろう。
しかし結界は矢の一本さえ通すことはなく、毎度くたびれ果てて撤退していく様はもはやストーの住人たちにとって痛快な見世物となっている。特に戦時を知らない小さな子供や、血気にはやった少年たちが飛び出していこうとするのを止める方がよほど難儀だ、なんて言われるくらいだ。
「もちろん当たり前の剣じゃないよ。テピドっていう魔力を吸収する性質を持つ鉱石があってね。しかも魔法道具に組み込むと吸収した魔力の量に比例して威力効果が上がるんだ。だから実際には武器というより剣の形をした魔法道具というべきだろうね」
「要するにその石を剣に取り付けて魔力を注ぐと、注いだ魔力の分だけ威力が上がるというわけさ」
ディーノスが張り切って説明するのを、カイルが如才なく要約した。
「それであの結界が切れるの?」
「私も実物を見たわけではないが、おそらく切るというより突く……破城槌のように使うつもりではないかな」
「攻撃の力が結界の強度を超えれば壊れるからね」
「それじゃあ、そんな剣を作られたらまずいじゃない」
「いや、それは大丈夫だよ。テピドには重大な欠点があって、吸収した魔力の分だけ重くなるんだ。あの結界を破れるくらいの魔力量だと、人間には持ち上げられないだろうね」
「人間には――ねえ、それってもしかして、亜人にやらせるつもりなんじゃないかしら」
ストーの出入りが厳しくなったこともあって未だに人間に囚われたままいいように使われている亜人も多く、その中には巨人族など人間をはるかに凌駕する膂力を持つ種族も少なくない。
そうでなくとも魔法なり薬物なりを使って文字通り使いつぶすという例は過去にもあり、またそのくらいのことは平気でやるだろうという負の信用が王国にはあった。
しかし、幸いにもカイルは首を横に振った。
「いいや、今回に限ってそれはないだろう。――気を悪くしないでほしいんだが、この件は王国にとって“卑劣な亜人によって奪われた土地を取り返すための聖戦”ということになっていて、亜人を魔族と呼ぶようになったのもその印象を強める作戦の一環だ。だというのに、その旗印に亜人を据えるわけにはいかないだろうさ。特に、力の強い種族は外見からしてごまかしようがないくらい人間とは違うことが多いだろう?」
「この戦争は他国も注目しているからね。内心の不満はどうあれ、リールスとてそれに配慮せざるを得ない空気があるのよ」
実際のところ、亜人たちは正式な許しを得てストーに住んでいるわけではない。不毛の地であるとみなされていたために黙認されていたにすぎないのだ。
アイシャたちに言わせればストーで暮らす羽目になったのは王国人によって住処を追われたせいだし、この地に移り住んでからも、もちろん支援を受けたことはない。
宝石鉱脈のことを隠していたのだって、知られたらまた追い出されるか殺されるか、奴隷となるかだとわかっていた――事実、攻め込んできた王国軍はそれを求めてきた――ためだ。
しかし客観的に見れば“亜人たちは不当に国の土地を占有し、資産を他国に流し国益を損ねた”という言い分には筋が通っており、ストー奪取自体は責められることではないのである。
ただし、その手段としてあまりに非道なことをした場合、首尾よくストーを制圧したとしても他国からの非難、はっきり言えば宝石鉱脈がらみで横槍が入るおそれがあるため、王国としてもあまり思い切ったことはできないということらしい。
「でも、それじゃあ何でそんな剣を作ってるの?」
「彼らもその欠点についてはわかっているようでね、使い手を調達するすべも考えてはいるようだ」
「えっ、そうなの?」
と、声を上げたのはディーノスだ。
話している途中でアイシャが合流したため、ここから先は彼にとっても初めて聞く話らしい。
「そう。ずばり、異世界から召喚した勇者さ」
「勇者? 異世界?」
「そうとも! 邪悪なる魔王に立ち向かうは勇敢なる英雄、すなわち勇者と相場が決まっている」
高らかに宣言したカイルの目は、ディーノスをひたと見つめている。
「邪悪な魔王……って、ディーのこと!?」
「えっ、ぼく……? 何で……?」
「そりゃあ君」カイルはチッチと舌を鳴らしながら指を振った。「王国にとってあの結界は文字通り最大の障壁だ。それを構築した魔法使いなど忌々しくてならないのだろうさ。最低最悪、まさしく悪逆非道の権化。つまり、魔王だ」
「えええ……」
ディーノスは不満と困惑の入り混じった表情で呻いた。
その情けない様子と“魔王”などというおどろおどろしい言葉は到底結びつきそうもないが、事実ディーノスこそが結界の要であり、彼が討たれた時がストーの終わりであることはたしかだ。
三年前、カイルの知らせによって不意打ちこそ免れたものの、ストーは終始劣勢を強いられていた。たっぷりと物資を蓄えた王国軍に対し、こちらは武器どころか食べ物にも事欠く有様で、亜人ならではの頑強な肉体や特殊能力で対抗するのも限度があった。
ディーノスの結界が完成したのは本当にぎりぎりで、もはや誰もがあきらめ、瘴気のように濃厚な絶望が漂いだした頃だった。
その状況をたった一人で覆したディーノスは間違いなくストーの英雄であり、それまでは働きもせず家にこもって研究ばかりしている変人だと白い目を向けていた人々も、手のひらを返して彼を褒めたたえたものだ。
ディーノスはカイルいわく“天才”で、あの結界はもちろん、さっき客間にかけた防音魔法ひとつにしても並の魔法使いならもっと複雑な手順や呪文が必要なものらしい。
初めてディーノスが魔法を使うところを見たカイルは文字通り腰を抜かし、立ち直ったかと思えばひどく興奮した様子で魔法学園にさえめったに見ない才能だ、すぐに留学するべきだとまくし立てていた。
もっとも当のディーノスにとっては大それたことをしたという意識もなくポカンとしていたし、アイシャにいたっては学園どころか帝国の存在すら知らず、二人そろってぼんやりしているのを見て別の意味で嘆いていたが。
「王国から見たらってことよ、ディー」
「そんなことより、異世界召喚ですって? 一体どうしてそんなことを……」
アイシャが慰めるのを尻目に、祖母は冷静に話の続きを促した。こういうところはディーノスの祖母らしい。
「それがどうも学園から流出したようで」
「まさか!」
「正確には写本ですね。何でも、留学に出ていたさる貴族令息が持ち帰り、その父親経由で王宮に伝わったのだとか」
「同じことです。写しを取った事実も記録されるのですから」
「いや、それが何とも呆れた話でしてね……。どうもその写本、その令息自身の手によるものではなく、きちんと手順を踏んだ別の誰かからかすめとったもののようなんです。不運にも持ち出し禁止の魔法をかける前だったんでしょう」
その貴族令息とやらは素行の悪い男で、ほとんど叩き出されるように学園を追われたらしい。
資料を持ち出したのはその腹いせにすぎなかったが(悪びれもせず仲間内で自慢していたのだとか)、おざなりに放り出されていたそれを屋敷を訪ねていた宮廷魔法使いが運悪く目に留め、奏上された運びのようだ。
「なんてこと……」
ジャンナは頭痛をこらえるように額を押さえた。
「魔法学園って、カイルがよくディーに言ってるあれ?」
「ああ。世界中の魔法使いが集まって日々さまざまな魔法を研究している場所なんだが、中には危ないものもあるからね。紙きれ一枚でも持ち出す時には面倒な手続きが必要なんだ」
「それをしないで勝手に持って行っちゃったってこと?」
「そういうことさ」
「ばあちゃんは何であんなに怒ってるの?」
「泥棒なんだから当たり前じゃない」
「それもあるが、ジャンナも学園の卒業生だからね。古巣を汚されたような気になっているんじゃないかな」
「そうなんだ?」
ジャンナの前歴については一緒に暮らすアイシャも詳しいことを知らない。本人が語ろうとしない経歴を無理に聞き出そうとするのは、ストーでは厳禁とされる行為である。
ただ、魔法だけに留まらない豊富な知識と見識、野に下ってなお気品のある物腰から、若い頃に高等な教育を受けていたこと、またそれが許される高貴な身分にあった――あるいはそれに近い立場にあったのだろうとは噂されていた。
アイシャ達がこそこそ話している間にいくらか落ち着いたのか、ジャンナは顔を上げた。
「……だけど、そういうことなら学園に助力を頼めるかもしれないわね」
「ええ、むしろこれは朗報と判断して報告に参った次第です。盗まれた側の学生が気づいていればすでに動いているかもしれません」
「そう。……一応、私からも手紙を送っておきましょう」
手紙と聞いたアイシャはさっと立ち上がり、紙やインクなどをひとまとめに入れた道具箱を持ってきてジャンナの前に置いた。
「ありがとう。……キーンスはまだいたかしらね」
「いるも何も、理事の一人ですよ」
「まあ。世も末ね」
悪態をつきながらもジャンナは懐かしそうに目を細めている。
「でも、持ち出されたのは危ない魔法じゃないんだろ。それなのに来てくれるかな?」
「いや、危険かどうかはあまり関係ない。無断で持ち出された挙句、戦争に使われたというだけで十分すぎるほど大問題なのさ。いやはや、こうなってくるとむしろリールスが気の毒になってしまうね」
気の毒と言いつつもカイルは楽しそうだ。
「ふーん……それで、異世界召喚ってどんな魔法なの? まだ習ってないよね」
「ええ。……というか、教えるつもりもなかったのだけど」
「どうしてさ?」
「とうに廃れているし、他の分野とのつながりが深いわけでもないからよ。だからそもそも私も詳しく学んでいないの」
「異世界召喚というのはね、成功する方が珍しいくらいの魔法なのさ。何しろ異世界なのだから、通常の召喚魔法でやるようにあらかじめ契約を結んでおくというわけにはいかないだろう? 言うなれば泥の河の中に手を差し入れて、たまたま手に触れた何かを闇雲に引き上げるようなものなのさ」
「なら何で王国はそんなものを……?」
「まったく利点がないわけではないからね。異世界召喚で召喚した対象には任意の能力を付与、あるいは増幅することができるんだよ」
「……そうか、それで例の剣を使える力を与えるってことだね」
「そういうことだろうね。ま、特別これに望みを託しているわけではなく、どうにも打つ手がないからとりあえず試してみようかという程度じゃないかな」
話は続いていたがアイシャはここで席を立った。そろそろ夕飯の支度をしなければならない時間だ。
それに――アイシャにできることは何もないのだし。