1-4.王女
「勇者さ――きゃっ!?」
噂をすればというやつか、入ってきたのはリリアーナ王女だった。ベッドの上で重なり合う二人を見て、小さな悲鳴を上げる。
慌てて起き上がろうとするが、レンはむしろより強く体を押し付け、人差し指を陽介の唇に押し付けた。
それからようやく体を離して王女に向き直り、クスリと笑った。
『まあ王女殿下。……無粋ですこと』
「――!」
何を言ったのか、レンの発言を受けて王女が顔を真っ赤にする。しかしそれは羞恥ではなく、怒りのためのようだ。
『な、何をなさっているの?』
『あら、見ておわかりにならないの?』
『なっ』
『殿下こそこんな夜更けにお一人で訪ねてくるなんて、うふふ、隅に置けませんね』
『何ということを! 取り繕っても所詮は下賤の出ということね、けがらわしい!』
『まあ、かわいらしいこと』
――レンさん煽ってない?
二人とも現地語で喋っているため陽介には何を言っているのか理解できないが、レンの声や口調、それに時折差し挟まれるクスクス笑いは明らかに嘲りを含んだそれである。はっきり言えばめちゃくちゃ感じ悪い。
王女の顔がどんどん歪んでいくこともそれを裏付けていたが、陽介が見ているのに気付いたのか、王女はハッとした顔で固まった。
と思いきや、すぐに胸の前で手を組んで陽介を見つめる。いつもどおりの可憐な風情である。
「勇者様」
「え、あ、はい」
「わたくし、勇者様のご無事を祈ってこれを作りましたの」
そう言いながら取り出したハンカチを開くと、銀鎖に赤い宝石がついたネックレスが包まれていた。
「慣れないものですから、こんな時間になってしまって。――殿方の部屋を夜分に訪ねるだなんて、はしたない女だとお思いになる?」
「いや、そんな……嬉しいよ、すごく!」
「まあ! あの、では、おつけしますから屈んでくださる?」
「うん、お願いします」
『――――』
「あら、よろしくてよ。そこにいらして」
陽介が立ち上がるのと同時に、横からレンが何か言った。王女の返答からして席を外そうかとでも申し出たのだろうが、王女は部屋にいることを許した。
おぼつかない手つきで留め金を外し、背伸びをして陽介の首に手を回す。距離の近さにドキドキしていることに気づかれていないだろうか。
肌に金属のヒヤリとした温度が触れる――それと同時に、強烈な眩暈に似た感覚が押し寄せ、頭がぼんやりしてきた。意識はあるが、体がうまく動かせない。
王女は微笑みながら陽介の耳元に口を寄せ、いつもと同じ鈴を転がすような声で囁く。
「――あの下賤の女を殺しなさい」
可憐な声で命じられ、陽介は枕元に立てかけておいた剣に手を伸ばした。
――いや、え? 待て、何を、
焦っても体は勝手に動き続け、ついに鞘から剣身を抜いた――ところで、「やめなさい」と上ずった声で再び命令が下る。
ぎこちなくそちらに顔を向けると、レンがリリアーナ王女を背後から拘束し、首筋にナイフを当てている光景が目に入った。
「――ネックレスを外して」
今度はレンが言った。
王女に言われた時のような強制力は感じなかったが、自分自身の意思で陽介は引きちぎるようにネックレスを外して床に落とした。
王女からの命令が取り下げられたためか、今はある程度なら動かせるようになっているようだ。
しゃら、と小さな音が鳴ったのを合図にしたかのように、陽介の体は完全に自由を取り戻した。
やはりどう考えてもこのネックレスが原因でおかしくなっていたことはあきらかだった。
「…………」
「ショック受けてるところ悪いけど、そこのシーツ裂いて。王女サマ縛るから」
「あ、うん……」
レンの指摘通り大ショックを受けていた陽介だが、考える間もなくあれこれと指示されたのがかえってよかった。言われた通りにシーツを裂き、いつの間にか気絶させていたらしい王女の手足を拘束する。
どういった手段を使ったのか眉間は苦悶に寄り、喘ぐように薄く開いた唇も相まっていじらしく、肌は柔らかいし、手足も腰も折れそうに細い。
寝姿だけ見ていればさっきの命令が嘘ではないかと思えてくる――だが、現実だ。
自分の意思を無視されたまま、邪悪な命令を遂行しようとする。
レンが間違っていると断言したのも、まったく道理だ。話を聞いた時も納得はしていたが、こうして実際に体験させられてみるとそれがどれほどおぞましいことかわかる。
「いい子だと思ってたのになあ……。レンさんは何でわかったの?」
「いやあ、あんなに出てけってうるさかったのに、旅立つ勇者様に手作りのアクセサリーを渡す、なんて美しいシーンにあえて同席を許すかなと」
「あー……」
「そう思って見てたら新田君の死角からめっちゃ怖い顔で睨んできてたし」
「へえ……」
「あとパーティーの時に大臣っぽい人と“うまく勇者をたぶらかしましたな”、“チョロかったですわ”みたいなこと言ってたから」
「っそれ先に言ってよ! 答え出てんじゃないっすか!」
何が「王女も知らされていない可能性もあるかもね」だ! 最初からわかっていたんじゃないか。
しかも王女はずっと陽介についていたのだから、その会話は陽介本人の目の前で行われていたということだ。
「だって何か告げ口するみたいじゃん。いや冗談じゃなくて。さっきまでは信用してたんでしょ? その状態で王女が悪口言ってたよ! とか、かえって逆効果かなーと」
「ぐ……」
たしかにその通りである。元の世界でも、例えば桔平が陽介の悪口を言ってただとかいらぬことを吹き込んでくる奴はいて、しかしそういう奴の方こそ信用ならないのが常だった。
王国がクロだとしても、王女だけは本当に何も知らないのではと信じ切っていた。ずっと親切にしてくれていたし、友達だと思っていたのだ。
「はああ……女って怖いな……」
「いや、あれはかなり極端な例でしょ。レンさん女だけど怖くないじゃん?」
「ソウデスネ」
陽介は空気の読める男だった。
「まあ、あっちの方からボロ出してくれてよかったって思うことにします」
「だよねー。あ、そのネックレス取って。王女様につけて逆に言うこときかせようぜ」
「はい」
「これってつけるだけでいいのかな? つける時、呪文とか何か言ってた?」
「いや……何も」
「とりあえず試してみよう。だめだったらまた眠ってもらおう……あっ待って、叫ばれたら困るし念のため口ふさいどこ」
段取りが悪いが、陽介はかえって安心した。尋問に手慣れている方が怖い。
「そういえば、どうやって気絶させたんすか?」
「スタンガン的なやつでバチッと」
「えっ、スタンガン?」
「的なやつね」
言いながらレンは右手をかざしてみせた。その中指にあるのは幅の広い銀の指輪だ。中央に青い小さな石が嵌め込まれている。
「へー、指輪型のスタンガンなんてあるんだ」
「友達に作ってもらったの。……じゃあ、起こすよ」
頬を何度か叩くと、王女は呻きながら目を覚ました。
覗き込むように見下ろす二人をどこかぼんやりと見返すが、ネックレスの効果なのか、あるいは単に寝起きのせいなのかわからない。そこで拘束はそのままにレンがいくつか指示をすると、その通りに動いた。
演技という可能性もないではないが、それを言い出すときりがないので大丈夫だと判断し、猿ぐつわを外す。悲鳴は上がらなかった。
体を起こしてやり、思いつくまま質問をすればこれもすんなりと答える。
「――不法占拠と言いながら宝石の件があるまで放っておいたのは何故?」
「あの土地が地理的にも価値のない、不毛の地だったからです」
「つまり、彼らを追い出さなければならない差し迫った理由はなかった――脅威を感じていなかったということ?」
「何故わたくしたちがあんなけだものどもを恐れなければなりませんの」
「どうしてそんなに魔族を嫌うの?」
「あのおぞましい姿を見れば誰だって嫌うに決まっています」
「そもそも彼らはどうしてあそこで暮らすことになったの? 亜人と一口に言っても種族は様々で、同じ場所に集まって暮らしている方がおかしいのに」
「けだものの分際で実り豊かな土地に住むなど許されることではありません。そうした土地はわたくしたち人間、とりわけ高貴なもののために使われるべきです」
「そんなに嫌うならいっそ国外に出してしまえばよかったのでは?」
「昨今では魔族であっても人間同様に扱うべきである、などという信じがたい言説がはびこっているそうですわ。そんなところにしゃしゃり出て、我が国に居場所がないなどと言いふらされては外聞が悪いじゃありませんか」
あまりの言い分に陽介は顔をしかめた。彼女を信じてきっていた時でさえ、これを聞かされていれば目が覚めていただろう。
王女は魔族を悪と心から信じているらしく、そういう意味では嘘をついていなかったとも言えるが、これまでぼろを出さなかったということはこの本音を知られてはまずいとも考えていたということだ。
また、勇者を篭絡せよと命じられて陽介に親切にしていたこと、本音では気に入らない役目であったことも認めたため、判断材料としては十分だった。
一つだけ意外だったのは、今夜ここに来たのは王女の独断らしいということだ。
陽介も自覚していたことだが、召喚される際に彼の身体能力は大幅に強化されているため、自分の意のままになる手駒として欲しくなったらしい。
ことが済んだ後は始末する予定だったので自分のものにしても問題はないだろうとの言葉に、陽介は頭を抱えた。
「人権とは……人権とはッ!?」
「そんなものはない」
「やめてよ……」
「っていうかやっぱり独断だったか……。私を差し向けておいて何でさらに王女が来るんだと思ってたら」
「えっ、そうなんすか」
「そうなんすわ。じゃなかったら勇者様の部屋になんか入れないって」
「そっかー……。ねえレンさん」
「ん?」
「逃げたい」
「ですよねー」
「でも、どうやって? ここの連中だってそもそも帰すつもりなかったみたいだし……」
「ああ、それは私の方のルートがあるから。まず、……ああ、その前に」
レンはぼんやりと待機していた王女に向き直り、身に着けていた腕輪を外して陽介に渡すように言った。
この腕輪は“翻訳魔法を使える人の目印”と説明されていた物だが、先ほどの尋問で聞き出したところによれば、目印どころかこれ自体が翻訳機能を持つ魔法道具らしい。
それを陽介に渡せば通訳係など必要なかったのに、そうしなかった時点で聞かれてはまずい会話があったという証明である。事実、わからないのをいいことに目の前で馬鹿にされていたようだし。
ソフィアも同じものをつけていたことを思い出し、陽介は大いに落ち込んだ。